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第八十五話:歯車の迷宮

◆第13階層・歯車の迷宮/ルッツ視点


 扉の先に広がっていたのは機械の地獄だった。


 頭上で巨大な歯車が回転し、その隙間から蒸気と黒煙が噴き出している。

 壁面を走るピストンが規則的な轟音とともに上下する。ガッチン、シュー、ガッチン、シュー。

 床はベルトコンベアの一部で、踏み込むと滑る。階層全体が巨大な機械装置として動いていた。


 人ではなく、機構が呼吸をしている。そういう場所だった。


「将軍……」


 ルッツは足を止めた。兵士たちも同じだ。

 第12階層で半数近くを失った軍は、もはや警戒だけで体力を削られる。


 眼前に機械の軍団が整列していた。


 オートマタ二十体。アイアンゴーレム八体。ガーゴイル十二体。

 四十体。数は少ない。だが――。


 半歩前で大剣を担いだヴァルターの背を、ルッツは見ていた。


 将軍の視線が、機械たちの足元の摩耗と、一切の無駄のない歩法だけを追っている。二十年、副官の位置から見続けてきた、勝ち筋を探すときの姿勢だった。


 その将軍が、いま、動かない。


「無機物だ。生命兆候なし」


 やがて、低く呟いた。


「疲れない。痛みを感じない。士気を失わない。我々を削ってきた前提条件を、こいつらは一つも持たん」


 ルッツの背筋を、細い冷気が這った。


 この背中を、後ろから見続けてきた。声の温度で、階層の格が測れる。

 ――今、将軍の声は、氷点下だった。


 歯車工場の中央、複数のピストンが交差する場所に一体の人形が立っていた。


 灰色の機械人形。女性型の体躯に、装甲の外殻。表情はなく、瞳が青い光を放っている。


「……第13階層へようこそ、王国軍の皆さん」


 無機質な声が歯車の音に重なった。


「私はロク。この階層の管理者です。どうぞ、ごゆっくり削られていってください」



◆機械軍団・遠距離砲撃/ルッツ視点


「副官殿。前方四十体、すべて機械系。生命魔法は無効です」


 偵察兵が報告する。


「物理で対処! 密集陣形で押し潰せ! 攻撃魔法隊、前衛の頭上を焼け!」


 ルッツの指示が飛ぶ。

 第12階層で削られたのは、回復職と支援職だった。攻撃魔法を扱う術師たちはまだ陣の中央に残っている。


 彼らがこの機械の軍団を焼き払う――はずだった。


 ヒュンッ。


 遠方から何かが飛んできた。

 光弾。視認できない距離からの精密射撃だった。


 ドンッ。


「うわっ!?」


 陣の中央で、攻撃魔法の術師が肩を撃ち抜かれて崩れた。淡い光に包まれて消える。


「魔法隊が狙われている! 遠距離砲撃だ!」


 ルッツが叫ぶ間に、二発目、三発目が着弾する。

 すべて、魔法の術師だけを正確に撃ち抜いていた。


 撃ち抜き方に、迷いがなかった。


 剣も盾も持たない、後衛の羽根のような役割の兵から、正確に、順番に、消していく。

 二十年、戦場で見てきた「削り方」の中でも、最も洗練された削り方だった。


「魔法隊、散開! 固まるな!」


 だが、散れば守れない。固まれば撃たれる。

 まとまっていれば前衛が守る。散れば、各個に抜かれる。


「副官殿、砲台の位置が特定できません! 蒸気と煙で、視認困難です!」


「くそッ」


 ルッツは奥歯を噛んだ。


 目の前で、機械軍団が動き出した。


 アイアンゴーレム八体が前衛を圧し、オートマタ二十体が側面に回り、ガーゴイル十二体が空から後衛を突く。

 全方位。しかも、機械は疲れない。



◆第13階層・歯車の迷宮/ヴァルター視点


「貴様が、この階層の管理者か」


 ヴァルターは工場の中央へ進み出た。


「肯定。私はロク。この階層の全機構を管理しています」


「お前を倒せば、この機構は止まるか」


「否定。自律稼働しています。私を倒しても、後衛への狙撃は継続します」


 ヴァルターは大剣を構えた。


「……ならば、まずお前を倒す。そのうえで砲台を潰す」


「それが最適解でしょうね。ですが、私も最適解は理解しています」


 ロクが両腕を持ち上げた。


 装甲の隙間から、無数のワイヤーが伸びる。ピストンに、歯車に、ベルトコンベアに繋がっていく。

 ロクが機械工場そのものと一体化した。


「私との戦闘は、地形戦です」


 ピストンの動きが突然変わった。ヴァルターを狙い、頭上から振り下ろされる。


 ドォンッ!


 横に飛んで回避。だが、着地点のベルトコンベアが急加速し、姿勢を崩そうとする。


 (そう来るか)


 ヴァルターは大剣を地面に突き刺し、加速に抗った。その瞬間、天井から歯車が落下する。


 ガキィィン!


 弾く。だが、衝撃で姿勢が乱れた。その隙に、ワイヤーが足を狙う。


「ッ……!」


 柄でワイヤーを断つ。


 ロクの戦いはジグともバルログとも、まるで違った。剣技ではない。戦士ですらない。

 工場そのものが武器で、ロクはその指揮者だった。


「お前は……戦うための人形ではない、と?」


 息を整えながら、ヴァルターが問うた。


「肯定。戦闘員ではありません。強いて申せば、管理職――ご主人の用語で『マネージャー』です。直接戦闘より、機構の運用を担当します」


 ヴァルターはわずかに眉を寄せた。


「……指揮官か」


「肯定。ですが、私の目的は貴方を倒すことではありません」


 ロクの青い瞳がヴァルターを見据えた。


「貴方の足を、ここで止める。砲台が魔法戦力を処理し終えるまで。それが、私に割り当てられた最適解です」


「…………」


「貴方は私を倒して砲台を壊したい。私は貴方を止めて砲台を守りたい。我々の目的は、互いの阻害。とても、効率的な敵対関係です」


 ヴァルターは初めて舌打ちした。


「率直な敵だな」


「肯定。嘘をつく機能は、実装されていません。……感情回路には、多少の不具合がありますが」



◆第13階層・歯車の迷宮/ルッツ視点


 階層中央では、ヴァルターがロクとの膠着を続けている。ガキィン、ガキィン、と工場の音に剣戟の音が混ざる。だが、決着の音は、まだ、鳴らなかった。


 軍の魔法隊は、十数名にまで減っていた。砲撃の精度は異常だ。蒸気と煙の奥から、正確に撃ってくる。


 ルッツは陣の後方で、一つ、また一つと魔法職が淡い光に包まれて消えていくのを見ていた。


 この階層に入る前、彼は魔法隊に「陣の中央に固まれ」と命じた。

 その命令が、いま、彼らを撃ちやすい位置へ、丁寧に固定していた。


 (あの砲台は、俺の陣形を読み込んでいる)


 喉が乾いていた。


 背筋を這ったのは、恐怖でも屈辱でもなかった。もっと乾いた敗北感だった。

 二十年、戦場で組んできた陣形が、この階層では「わざわざ集めて撃ってください」と言っているに等しかった。


 あの膠着が続いている限り、砲台は撃ち続ける。

 撃ち続ければ、魔法隊は、あと三十分もすれば全滅する。


 (あの煙の中に四基の砲台がある)


 ルッツの脳内で選択肢が並んだ。


 別の中隊長を行かせる。それが、規律が示す副官の正解だ。

 自分は後方で全体を見る。それが将軍が動けない時の副官の正規の判断。


 彼はその選択肢を、まず、丁寧に取り出した。

 迷いなく選び続けてきた選択肢だ。取り出すこと自体は、いつも通り、造作もなかった。


 だが、その隣に、別の声が立ち上がった。


 (あの第12階層で見た、ホブゴブリンたちの動きを思い出せ)


 号令も伝令もないのに、完璧に連携していた魔物たち。

 命令ではなく、意志で動く者たちの背中。


 あの時、ルッツは「ありえない」と思った。軍事組織には命令系統が必須だ。

 だが、敵はそれをやってのけた。


 命令の外側で、動く者がいる。

 ――ならば、自分にも、できるはずではないか。


 ルッツは剣の柄に手をかけた。

 手が震えていた。


 二十年の規律と、目の前の三十秒の選択が、頭の奥でぶつかっていた。



◆迷宮核の間/黒瀬視点


 俺はモニターを二つ並べていた。


 左に、ヴァルター×ロクの膠着戦。

 右に、後方で立ち尽くすルッツ。


「ナノ。ルッツ副官、剣の柄に手をかけたぞ」


「はい。心拍数、平常時の一・八倍。呼吸、二段深いです」


「……何か、決めようとしてる顔だな」


 俺はマグカップを置いた。


 (あの副官、独断で動くつもりか)


 俺は椅子の背に体を預けた。

 冷めたコーヒーが舌に残る。苦い。だが、悪くない苦さだった。


 モニターの中で、ルッツの唇が動いた。

 声は届かない。だが、俺には、その形が、読めた。


 ――私が、行く。


 ヴァルターの大剣が、ロクのワイヤーと噛み合った。ガキィン、と工場に響く。

 その音の裏で、ルッツの右手が、剣の柄を、ゆっくりと握り込んだ。

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