第七十九話:街を守る者たち
◆第1階層・入口ホール/ヴァルター視点
迷宮の入口は、想像とは違っていた。
粗削りの洞窟を予想していた。だが、眼前に広がるのは整備された石畳の通路だ。壁面には等間隔に魔法灯が設置され、柔らかな光で足元を照らしている。
まるで、客を迎える施設のような造りだった。
「将軍。先遣隊が偵察を完了しました」
ルッツが地図を展開する。
「第1階層から第4階層まで、各階層ごとに環境が異なります。ゴブリン、スケルトン、サハギン、ホワイトウルフ。通常の迷宮と同種の魔物ですが、個体の練度が桁違いとのこと。先遣隊の損耗は六名」
「殺されたか」
「いえ。致命傷を負った兵はゼロです。……全て、戦闘不能に追い込まれた後、放置されています」
ヴァルターの眉が動いた。
「殺さない、か……情報通りだな……」
「はい。攻撃パターンを分析した結果、魔物側は意図的に急所を外しています。手足の腱を切る、武器を破壊する、気絶させる。いずれも『無力化』に特化した攻撃です」
「全軍、前進。陣形は菱形。負傷者の搬送部隊を後方に。……退路は確保しておけ」
「了解」
ヴァルターは最前列に立った。
大剣を背に負い、五百の兵を率いて暗い通路へ足を踏み入れる。
(この迷宮の主は、何を考えている。俺たちを殺す気がないのか。それとも、殺さないことで何かを伝えようとしているのか)
判断はしない。命令に従う。
前へ。ただ、前へ。
◆第5階層・迷宮都市/カイ視点
迷宮都市の中央広場に、残留した冒険者たちが集まっていた。
数は三十七名。退避勧告を受けてなお残った者たちだ。
その先頭に、真紅の大剣を担いだ男が立っている。
「よう、ガキ共。お前たちも残ったのか」
グレンだ。
A級冒険者、紅蓮の牙のリーダー。傍らにはアリアとソフィアが控えている。
「グレンさん。……はい。俺たちは残ります」
カイが一歩前に出た。
「この街を守りたいんです。俺たちの居場所だから」
グレンはカイを見下ろし、ニヤリと笑った。
「Bランクに上がったって聞いたぞ。……上等だ。じゃあ、足手まといにはならねぇな」
広場の反対側から、重い足音が近づいてきた。
「……よう」
巨躯の男が姿を現す。A級タンク。白金の盾のリーダー、ガルスだ。
だが、以前の傲慢な空気は消えている。瞳には静かな決意が宿っていた。
「ガルスさん! 来てくれたんですか!」
「借りを返しに来た。……この街には、俺の矜持を取り戻してもらった恩がある。バルログにぶっ飛ばされて、グレンに拾われて……情けねぇ話だが」
ガルスが盾を地面に突き立てる。
「この街を守る。俺の盾で守れるなら、いくらでも前に出る」
グレンが呆れたように、だが嬉しそうに鼻を鳴らした。
「てめぇが殊勝なこと言うと気持ち悪ぃな」
「うるせぇ。お前に言われたくねぇよ」
ソフィアが眼鏡を押し上げ、冷静に状況を分析する。
「王国軍は五百。私たちは三十七名。数の差は十三倍以上。……通常なら勝ち目はないわ」
「だが、ここは迷宮だ」
グレンが真紅の大剣を肩に乗せる。
「迷宮は冒険者の縄張りだ!俺たちに地の利がある」
広場のスピーカーから、迷宮全体に響く声が降ってきた。
『……聞こえるか。迷宮主だ』
カイたちが顔を上げる。
淡々とした、低い声。正体を掴めぬと噂される迷宮主の、姿なき肉声だった。
『王国軍は現在第2階層を突破中。防衛は迷宮の守護者が引き受け、第5階層は隔離する』
「隔離……?」
レオが眉を寄せる。
『迷宮都市は住人の生活圏だ。ここを戦場にはしない。住人の退避は順次進めている。だが、お前たちに頼みがある』
「頼み?」
『戦ってくれとは言わない』
『深層で守護者が王国軍の兵士を戦闘不能にする。命は取らない。武器を奪い、手足を縛り、意識を落とす。その兵士たちを、第5階層の隔離区画に転移させる。一時的な捕虜扱いだ』
カイが息を呑んだ。
『お前たちには、その捕虜の保護を任せたい。手当て、水、食事。住人と捕虜を分けた区画運営。……それと、暴れる奴の制圧』
「制圧……」
『命令を絶対視する正規兵だ。捕虜の身分を呑まずに暴れる奴も出る。お前たちの戦闘技術が要るのは、そっちだ。仲間に怪我をさせない範囲で、抑え込んでくれ』
『条件はひとつ。生かして返せ。あいつらは命令で動いてるだけだ。敵は兵士じゃない、命令を出した奴だ』
カイは拳を握った。
「分かりました。……俺たちがこの街を守ります」
『ああ。頼んだ。……お前たちの成長を信じてる』
スピーカーが切れた後、グレンが口笛を吹いた。
「迷宮主が直々に頼みごとか。お前、いつの間にそこまで信用されてんだ」
「え、いや、別に……」
「照れんなよ。似合わねぇ」
レオがカイの背中をバシンと叩く。
「おーい、カイ。これ、俺たちの初めてのBランク任務ってことでいいのか?」
「……ああ。そうだな」
カイは四人の顔を見回した。
レオ。ミナ。セラ。
F級で始めた、四人のパーティ。
「いくぞ。報告して、風呂入って、飯食って、寝るために。……まず、この街を守ろう」
「いつものやつだ」
レオがニッと笑う。
◆獣人特区/ガロウ視点
冒険者たちが広場で気勢を上げている頃、獣人特区は揺れていた。
「王国軍が来るなら、俺たちは出るべきだ!」
「いや、ここにいるべきだ。黒瀬様が守ってくれる」
「黒瀬がいなくなったらどうするんだ!」
獣人の若者たちが言い争い、長老たちが沈黙で見守っている。
ガロウは、壁に背中を預けて腕を組んでいた。
(俺たちのせいなのか。獣人を受け入れたから、王国に目をつけられた。……そう言われても、否定できない)
「ガロウ! ガロウはどう思うんだ!」
若い狼人が詰め寄る。ガロウは目を閉じ、深く息を吐いた。
「……俺は、黒瀬のところに行ってくる」
「え?」
「俺たちのせいで王国が来たんなら、俺たちが出て行けば済む話だ。……そのことを、直接聞いてくる」
長老が杖を突いて立ち上がった。
「ガロウ。お前は――」
「長老、止めるな。これは俺が自分で決める」
ガロウは踵を返し、迷宮核の間へ向かった。
◆迷宮核の間
ガロウが核の間の扉を叩いた時、黒瀬はコンソールの前に座っていた。
「……入れ」
ガロウが入る。壁に並ぶモニターには、各階層で戦闘を繰り広げる姿が映し出されていた。
「単刀直入に言う」
ガロウは黒瀬の前に立ち、真っ直ぐに見据えた。
「俺たちのせいで王国が来たんなら、出て行く。……俺たちはいつだって、出て行く覚悟はできてる」
黒瀬は一瞬だけ、ガロウを見た。
それから、コーヒーを一口飲んだ。
「お前に聞くが、王国軍の目的は何だ」
「……勇者の回収だろ」
「そうだ。獣人の回収じゃない」
「でも、獣人を受け入れたことが――」
「うちに種族の区分はない。全員等しく搾取対象だって、前に言ったはずだ」
ガロウの体が、ピクリと震えた。
その言葉を、前にも聞いた。
初めてこの迷宮に来た時。長老が膝をつき、ガロウが「騙されちゃいけねぇ」と叫んだ、あの日。
あの時は、「搾取」の意味が分からなかった。
今は、分かる。
この男が言う「搾取」は、「平等に扱う」と同義だ。
「お前たちが出て行っても、王国軍は引き返さない。勇者がいないことを確認するまで、あいつらは止まらない。つまり、お前たちが犠牲になる必要はない」
「…………」
「それに」
黒瀬がモニターを指差した。
第5階層の広場が映っている。カイたちが保護拠点の設営をしている映像。その中に、若い獣人の若者たちが混じっていた。
人間の冒険者が、獣人の運送員と一緒に毛布と水樽を運んでいる。獣人の薬師が手当て用の薬草を仕分けし、若いハーピーが上空から空中監視に上がっていく。
「お前の仲間は、もう動いてるぞ」
ガロウは息を呑んだ。
若い獣人たちが、ガロウの指示を待たずに動いている。
人間の冒険者と肩を並べて、この街を守るために。
「……っ」
何かが、胸の奥で弾けた。
「ガロウ。お前がここにいるのは、俺の命令じゃない。お前自身が選んだことだ。出て行くのも自由だ。残るのも自由だ。……だが、お前の仲間は、もう選んでる」
ガロウは唇を噛んだ。
噛みすぎて、血の味がした。
「……俺も、残る」
声が震えた。悔しいくらいに震えた。
「人間を信じるとか、そんな大層なもんじゃねぇ。ただ……あいつらと一緒に、この街を守りたい。それだけだ」
黒瀬は何も言わなかった。
ただ、コーヒーを飲んで、モニターに視線を戻した。
「行け。お前の持ち場は、お前が決めろ」
ガロウは頷き、踵を返した。
扉を開けた時、振り向かずに言った。
「……黒瀬。お前のこと、まだ完全には信用してねぇからな」
「知ってる」
「でも……ここは、悪くねぇ」
扉が閉まった。
俺はモニターに映るガロウの背中を見送りながら、小さく呟いた。
「……悪くない、か。まあ、従業員満足度調査としては及第点だな」
「ご主人。今のはもう少し素直に喜んでもいい場面だと思いますが」
「黙れ、ナノ」
◆第5階層・保護拠点
ガロウが広場に戻った時、景色が変わっていた。
カイが捕虜受け入れの段取りを指示している。
グレンが拘束エリアの区画割りを決めている。
ソフィアが想定される反抗パターンを書き出し、アリアが救護拠点を設営している。
ガルスが巨大な盾を構え、主要通路の入口に立っていた。暴れ出す兵士が出た時の最終抑止役だ。
その中に、獣人の若者たちが自然に混じっていた。
狼人の運送員が水樽と毛布を軽々と運ぶ。猫人の偵察員が通気口を使って隣区画の様子を確認する。ハーピーが空中から、転移されてくる捕虜の搬入位置を見張っている。
誰も「獣人だから」「人間だから」とは言っていなかった。
ただ、それぞれの得意なことを、やっていた。
「ガロウさん!」
レオが手を振る。
「ガロウさんの仲間も、この街の人でしょう。一緒にやろうぜ!」
ガロウは、しばらく立ち尽くしていた。
やがて、ぶっきらぼうに鼻を鳴らした。
「……おう。仕方ねぇな。手伝ってやるよ」
獣人の若者たちが歓声を上げた。
ガロウは照れ隠しに背を向け、救護用の毛布の山を肩に担ぎ上げた。
壁が壊れたわけじゃない。
壁が、必要なかったと気づいただけだ。




