第12話 初めての変成魔法
失敗した。
レオンは机の上に置いた金属皿を見つめ、記録帳に短く書き込んだ。
――変化なし。
その下には、同じ文字が六つ並んでいる。
「……七回目」
「今日は七回で終わりにしましょうね」
向かいに座るリシアが、念を押すように言った。
淡い金色の髪を後ろで結び、白いブラウスの袖を肘までまくっている。空色の瞳は、レオンの手元と顔色を交互に確かめていた。
「まだ疲れてない」
「疲れてから止めるんじゃ遅いんです」
「……それはそうだな」
レオンは素直に頷き、椅子の背にもたれた。
リシアが少し驚いた顔をする。
「何?」
「いえ。最近、言うことを聞いてくれるので」
「俺を何だと思ってるんだ」
「放っておくと倒れるまで実験する人です」
「……反論しにくい」
リシアは小さく笑った。
スラムの小屋には、朝の光が差し込んでいる。
机の上には二本目の魔導腕、魔力経路を刻んだ金属板、数種類の魔石、そして小さなガラス瓶が並んでいた。
瓶の中には、以前レオンが偶然生み出した透明な結晶が入っている。
あの日から、五日が経っていた。
結晶はまだ消えていない。
しかし、同じものを作ることには成功していなかった。
「……おかしいな」
レオンは瓶を持ち上げた。
「何がおかしいんですか?」
「氷に近い魔力へ変わった時と、結晶が生まれた時。どっちも魔力を細く絞ってた」
「はい」
「なのに、同じことをしても何も起こらない」
「偶然だったんでしょうか」
「偶然にも原因はある」
レオンは瓶を机へ戻した。
「ただ、俺が原因を勘違いしてる可能性がある」
「勘違い?」
「ああ。魔力を細くしたから変化したんじゃなくて、別のことをしていたのかもしれない」
リシアは首を傾げた。
「別のこと……」
「例えば、何を作ろうとしていたか、とか」
レオンは自分の右手を開いた。
以前の実験では、魔力を針のように細くすることばかり考えていた。
だが、その時。
机の上には金属片があった。
前世で何度も見てきた、結晶構造を持つ素材。
金属の硬さ。
熱による変化。
結晶の成長。
そんなことを考えながら、魔力を流していた。
「……もしかして」
レオンは立ち上がった。
「リシア。ちょっと手伝ってくれ」
「休憩は?」
「まだ実験しない。準備だけ」
「……準備だけですよ?」
「ああ」
リシアは疑わしそうにしながらも、椅子から立ち上がった。
◇
小屋の裏にある空き地。
レオンは木箱の上に三枚の金属板を並べた。
一枚目は鉄。
二枚目は青銀色の補強材。
三枚目は、灰の谷で拾った古い魔導鎧の破片だった。
「何をするんですか?」
「魔力の変化に、意識が関係してるか確かめる」
「意識……」
「まずは、普通に魔力を流す」
レオンは一枚目の鉄板に手をかざした。
淡い光が指先に集まる。
鉄板には何も起こらない。
「……普通ですね」
リシアが言った。
「ああ」
レオンは魔力を止めた。
「次は、同じ量の魔力を流しながら、鉄の性質を意識する」
「鉄の性質?」
「硬さ、重さ、熱の伝わり方……そういうもの」
リシアは少し困った顔をした。
「私には、よく分かりません」
「俺も全部分かってるわけじゃない」
レオンは鉄板を見つめた。
前世で扱っていた金属は、単に硬いか柔らかいかだけで決まるものではなかった。
組成。
内部構造。
加工履歴。
同じ名前の金属でも、条件によって性質が変わる。
この世界の魔法が何に反応するのかは分からない。
だから、まずは自分がよく知っているものから試す。
レオンはゆっくりと魔力を集めた。
鉄。
冷たい金属の感触。
磨いた表面。
細かな結晶が集まった内部構造。
指先の光が、わずかに揺れた。
「……あ」
リシアが声を漏らす。
「何?」
「今、少し……」
彼女は身を乗り出した。
「魔力の感じが変わりました」
レオンは呼吸を止めそうになった。
だが、すぐに息を整える。
力を入れすぎない。
流れを乱さない。
そのまま、ゆっくりと魔力を送り続ける。
鉄板の表面に、小さな光が集まった。
そして。
カチッ。
何かが落ちる音がした。
「……!」
レオンは魔力を止めた。
鉄板の上に、小さな粒があった。
灰色。
光沢がある。
爪の先よりも小さな粒だった。
「……できた?」
リシアが目を見開く。
レオンはすぐには答えなかった。
細い金属棒で粒を転がす。
硬い。
指で押しても簡単には潰れない。
「……まだ分からない」
「でも、さっきまでは何もありませんでしたよ!」
「ああ。それは確かだ」
レオンは粒を小皿へ移した。
次に、鉄板の表面を調べる。
削れた痕跡は見当たらない。
しかし、肉眼で分からないほどの変化が起きている可能性はある。
「鉄板から剥がれただけかもしれない」
「そうなんですか?」
「それも確かめる」
レオンは新しい木片を用意した。
金属を置かず、何もない表面へ手をかざす。
「今度はこれで試す」
「はい」
同じように魔力を集める。
鉄の性質を思い浮かべる。
しかし。
何も起こらなかった。
「……駄目か」
もう一度。
今度も失敗。
三度目。
指先に鈍い痛みが走った。
「……っ」
「レオン!」
リシアがすぐに立ち上がった。
「もう止めてください!」
「ああ……」
レオンは手を下ろした。
指が少し震えている。
額にも汗が浮かんでいた。
「……なるほど」
「何がなるほどなんですか!」
「まだ、思った通りには変えられない」
「そんなの、見れば分かります!」
リシアは怒ったように言った。
だが、その目には心配が滲んでいる。
レオンは木箱に腰を下ろした。
「……悪い」
「本当に、もう……」
リシアはため息をついた。
そして、水筒を差し出す。
「飲んでください」
「ありがとう」
レオンは水を飲んだ。
冷たい水が喉を通る。
少しずつ、指先の震えが収まっていった。
リシアは隣に座った。
「……でも」
「ん?」
「さっきの魔力、今までとは違いました」
「どう違った?」
「氷の時は、冷たい感じがしました。でも、今回は……」
彼女は言葉を探した。
「重くなった、というか。土魔法に近いような……」
「土魔法?」
「はい。でも、普通の土魔法とも違います」
レオンは小皿の粒を見る。
灰色の小さな粒。
これが魔力から生まれたのか。
それとも、鉄板から剥がれたのか。
まだ断定できない。
だが。
リシアが魔力の変化を感じたことは、重要だった。
「……性質を変えてるのか」
「そうかもしれません」
「氷に近いものと、土に近いもの……」
レオンは呟いた。
もし本当に、自分の魔力が複数の性質へ変化するなら。
火。
水。
風。
雷。
鉱物。
さらに、もっと複雑な性質へも変えられるのだろうか。
しかし、今はまだ想像でしかない。
レオンは記録帳を開いた。
――変化の可能性、複数。
――意識との関連、要検証。
――身体負荷、大。
そして最後に。
――魔力の性質変化は、本人の能力である可能性。
「……魔導腕じゃないんですね」
リシアが言った。
「ああ」
レオンは右手を見た。
「少なくとも、腕を使わなくても起こる」
「じゃあ、レオン自身の魔法……」
「そう考えるのが自然だな」
リシアは少し嬉しそうに微笑んだ。
「すごいじゃないですか!」
「まだ何も使いこなせてない」
「でも、可能性があるんですよね?」
「……ああ」
レオンは小さく笑った。
「可能性だけは、な」
◇
午後。
リシアは市場へ買い物に出かけていた。
レオンから頼まれたのは、小さな金属製の留め具と、魔力経路に使う細い導線だった。
スラムから少し離れた商業区には、多くの店が並んでいる。
焼きたてのパンの香り。
商人たちの呼び声。
荷車の車輪が石畳を転がる音。
リシアは買い物を終え、袋を抱えて歩いていた。
その時。
「ねえ、聞いた?」
近くの菓子店から、若い女性たちの声が聞こえた。
紺色の制服。
銀色の校章。
王立聖魔学院の学生だった。
リシアは思わず足を止めた。
「昔、聖女セレスティア様が学院にいた頃の話」
「何それ?」
「なんでも、聖女様がまだ認められる前、偽物だって噂されてたらしいの」
「ええっ? あの聖女様が?」
「そう。自分から聖女を名乗ってるとか、神殿を騙してるとか……」
リシアは息を呑んだ。
そんな話は、聞いたことがなかった。
「でも、今は本物の聖女様なんでしょう?」
「もちろんよ。だから、昔の噂は間違いだったんじゃない?」
「じゃあ、誰がそんな噂を流したの?」
「さあ? 昔のことだし、誰も知らないんじゃない?」
女子生徒たちは笑いながら店を出ていった。
リシアはその場に立ち尽くした。
聖女セレスティア。
学院にいた頃、偽物と呼ばれていた。
自分が聖女だと名乗ったという噂。
そして、神への冒涜という言葉。
リシアは胸の前で袋を握りしめた。
自分も、似たような言葉を聞いたことがある。
『聖女様を侮辱した』
『聖女の座を奪おうとしている』
『謝りなさい』
あの日。
自分は、ただ一つの疑問を口にしただけだった。
聖女の魔力が、途中で不自然に増えたように見えた。
それが気になっただけだった。
けれど、その質問はいつの間にか、聖女を偽物と呼んだことにされていた。
「……同じ、なの?」
リシアは小さく呟いた。
もし、セレスティアも同じような噂に苦しめられていたのなら。
自分が見た、あの穏やかな微笑みの裏には。
何が隠されているのだろう。
リシアはしばらく考え込んでいた。
だが、答えは出なかった。
やがて彼女は歩き出した。
今はまだ、何も分からない。
だからこそ。
勝手に決めつけてはいけない。
それは、レオンが自分に教えてくれたことだった。
◇
夕方。
リシアが小屋へ戻ると、レオンは机に向かっていた。
「ただいま戻りました」
「おかえり」
「頼まれたもの、買ってきましたよ」
「助かる」
リシアは袋を机に置いた。
レオンは中身を確かめる。
細い導線。
小さな留め具。
そして、予備の金属板。
「……よし。これなら試せる」
「何をするんですか?」
「今日できた粒を、魔力経路に使えるか調べる」
リシアは目を丸くした。
「もうですか?」
「使えるかどうかだけ。腕にはまだ組み込まない」
「……それなら」
レオンは小皿の上に灰色の粒を置いた。
その左右に、細い導線を接続する。
魔石から流れる魔力が、粒を通るようにした。
「まずは少量」
リシアが頷いた。
「はい」
レオンは魔石へ魔力を流す。
導線が淡く光った。
粒の表面に、小さな光が集まる。
「……お?」
レオンは目を細めた。
魔力が通っている。
少なくとも、完全に遮断されてはいない。
「どう?」
「流れています。でも……」
リシアが眉を寄せた。
「少し、変です」
「変?」
「粒のところで、魔力が集まっています」
「集まる?」
「はい。普通の導線なら、そのまま流れるんですけど……」
レオンは魔力を少し増やした。
その瞬間。
パチッ!
小さな火花が散った。
「うわっ!」
リシアが身を引く。
レオンはすぐに魔力を止めた。
導線の一部が黒く変色していた。
「……過負荷か」
「びっくりしました……!」
「悪い」
レオンは粒を取り外した。
灰色の表面には、小さな亀裂が入っている。
しかし、完全には壊れていなかった。
「……面白い」
「レオン!」
「分かってる。今日はもう試さない」
リシアはほっと息を吐いた。
「……本当ですね?」
「ああ」
レオンは粒を小瓶へ戻した。
魔力を集める性質。
だが、流し方を間違えると過負荷になる。
もし、この性質を制御できれば。
魔導腕の中で、必要な場所にだけ魔力を集められるかもしれない。
しかし。
今のままでは危険だ。
「……また、課題が増えたな」
レオンは苦笑した。
リシアも笑った。
「本当に、毎日増えますね」
「減ったことがない」
「でも、楽しそうです」
「……まあな」
レオンは魔導腕を見た。
壊れた部品。
拾った金属。
魔物の甲殻。
そして、自分の魔力から生まれたかもしれない小さな粒。
どれも、まだ完成には程遠い。
それでも。
少しずつ、前へ進んでいる。
◇
夜。
リシアは帰る前に、机の上の小瓶を見つめた。
「……レオン」
「何?」
「もし、本当にいろんな魔法が使えるようになったら……」
「ああ」
「何がしたいですか?」
レオンは少し考えた。
「……何が、って?」
「例えば、火魔法も氷魔法も、雷魔法も……いろんな魔法を使えるようになったら」
リシアは微笑んだ。
「世界で一番強い魔法使いになりたい、とか?」
レオンは首を振った。
「別に」
「え?」
「強くなるのは悪くない。でも、それが目的じゃない」
レオンは魔導腕に手を置いた。
「俺は、作りたいものを作れるようになりたいだけだ」
リシアは黙って聞いていた。
「今は材料も足りない。金もない。設備もない」
レオンは机の上を見渡した。
「だから、拾ったものを使う。壊れたものを直す。足りないものは工夫する」
そして、小瓶を見る。
「もし、この魔力が使えるなら……」
灰色の粒が、灯りを受けてわずかに光った。
「今まで作れなかったものも、作れるようになるかもしれない」
リシアはしばらく黙っていた。
やがて、優しく微笑んだ。
「……レオンらしいですね」
「そうか?」
「はい」
彼女は小さく頷いた。
「私、少し羨ましいです」
「何が?」
「自分のやりたいことが、ちゃんとあるところ」
レオンはリシアを見た。
彼女は少し寂しそうに笑っていた。
「私は、ずっと周りに期待されることばかり考えていました」
「……学院のこと?」
「はい」
リシアは頷いた。
「光魔法が得意だから、聖女様のようになりなさいって」
レオンは何も言わなかった。
「でも、私は……」
リシアは言葉を止めた。
そして、首を振る。
「……いえ。今は、まだいいです」
「無理に話さなくていい」
「……ありがとうございます」
しばらく沈黙が続いた。
やがて、リシアが小さく笑った。
「でも、私も何か見つけたいです」
「何を?」
「自分が、本当にやりたいことを」
レオンは少し考えた。
「……じゃあ、一緒に探せばいい」
リシアが目を丸くした。
「え?」
「俺もまだ、分からないことだらけだし」
レオンは机の上の記録帳を指差した。
「調べることは山ほどある」
リシアは吹き出した。
「……それ、私も実験に付き合うってことですか?」
「嫌ならいいけど」
「嫌とは言ってません!」
彼女は少し頬を膨らませた。
それから、柔らかく微笑んだ。
「……はい。一緒に探しましょう」
レオンは頷いた。
「ああ」
その夜。
レオンは記録帳の最後に、新しい項目を書き加えた。
――魔力の性質変化。
――本人固有の能力である可能性が高い。
――鉱物に近い物質の生成を確認。ただし、生成過程は未解明。
――魔力経路への応用には、さらなる研究が必要。
そして、最後に一行。
――焦らず、確実に。
レオンはペンを置いた。
机の上には、まだ完成していない魔導腕がある。
スラムを出るという目標も、遠い。
それでも。
今日、初めて自分の意思で魔力を変化させることができた。
たった一粒。
武器にも防具にもならない、小さな粒。
けれど、レオンにとっては大きな一歩だった。
彼は瓶を持ち上げ、灯りに透かした。
「……次は、もっと上手くやろう」
小さな粒が、淡く光った。
それがやがて、あらゆる性質へ姿を変える魔法――《万象変成》の始まりとなることを。
今のレオンは、まだ知らなかった。
最後まで読んでいただき、本当にありがとうございます。
もしこの物語を楽しんでいただけたなら、コメントや星評価を残していただけると大変嬉しいです。皆様のご意見や応援は、私にとって大きな励みになります。
お時間をいただき、本当にありがとうございました!




