第10話 変わる魔力
定期的にチャプターをアップロードできておらず申し訳ありません。今後は定期的にアップロードするようにいたします。
朝の光が、小屋の隙間から差し込んでいた。
レオンは机に向かい、昨日の実験結果を読み返していた。
机の上には、二本目の魔導腕が置かれている。
黒いアッシュクロウラーの甲殻。青銀色の補強材。革の固定具。そして、表面を走る細い魔力経路。
見た目は相変わらず不格好だ。
だが、最初の腕とは比べものにならない。
魔物の攻撃にも耐えた。
重い鉄板も動かせた。
そして昨日、魔力を必要な部分へ振り分ける機構まで作った。
問題は、その機構が本当に安定して動くかどうかだった。
「……ここか」
レオンは紙の上に丸をつけた。
肘から手首へ向かう経路。
分岐部分に、わずかな遅れがある。
指を曲げようとしてから実際に動くまで、ほんの一瞬。
普段なら気にならない程度だ。
しかし、魔物の爪が迫っている時にその一瞬があれば、腕ごと持っていかれるかもしれない。
「流れを絞りすぎたか……」
魔力消費を減らすことには成功した。
だが、減らせばいいというものではない。
必要な時に、必要な量が届かなければ意味がない。
レオンは右手を伸ばし、分岐部品を取り外した。
小さな金属片を指先で回す。
切り替えの速さ。
魔力の損失。
部品の耐久性。
どれか一つだけ良くしても駄目だ。
「……面倒だな」
そう呟きながら、口元が少し緩んだ。
その時だった。
「おはようございます!」
扉が開いた。
淡い金色の髪を揺らし、リシアが入ってくる。
白い旅装の上には薄い上着を羽織り、片手には小さな包みを持っていた。
「おはよう」
「ちゃんと朝ご飯は食べました?」
「食べた」
「何を?」
「パン」
「それだけですか?」
「水も」
「水は朝ご飯じゃありません!」
リシアは呆れたようにため息をついた。
それから包みを机に置く。
「はい。これ」
「何?」
「焼き菓子です。市場で安く売ってたので」
「俺に?」
「他に誰がいるんですか?」
レオンは包みを開いた。
小さな焼き菓子が四つ。
一つ取って口に運ぶ。
「……うまい」
「でしょう?」
リシアが嬉しそうに笑った。
昨日、泣きながら自分の過去を話していた少女とは思えないほど、明るい顔だった。
もっとも。
目元には、まだ少し疲れが残っている。
レオンはそれに気づいたが、何も言わなかった。
代わりに、もう一つ焼き菓子を取る。
「お前も食べる?」
「私が買ってきたんですけど」
「じゃあ半分」
「最初からそのつもりです」
二人は机を挟んで座った。
しばらくは焼き菓子を食べる音だけが続いた。
やがて、リシアが魔導腕を見る。
「今日は何をするんですか?」
「昨日の続き」
「魔力の切り替えですか?」
「ああ。消費は減ったけど、反応が少し遅い」
「昨日はちゃんと動いてましたよ?」
「動くことと、使えることは違う」
レオンは魔導腕を装着した。
革の固定具を締める。
肩を回し、肘を曲げる。
「実戦で一瞬遅れたら危ない」
「……それは、そうですね」
「だから調整する」
リシアは椅子を引き寄せた。
「分かりました。魔力を見ればいいんですね?」
「頼む」
「はい!」
彼女が右手をかざす。
淡い光が指先に集まった。
レオンは魔石へ魔力を流す。
青い経路が静かに輝いた。
「まず、指を曲げる」
カチッ。
分岐機構が動く。
五本の指がゆっくり閉じた。
「どう?」
「手首から先に集中してます」
「肘は?」
「弱いままです」
「じゃあ、もう少し速く」
レオンは一度拳を開いた。
今度は素早く握る。
ガチッ。
指が閉じた。
だが。
「……遅い」
「そうですか?」
「ほんの少し」
レオンは固定具を緩めた。
魔力経路の分岐部分にある小さな留め具を調整する。
「もう一回」
「はい」
魔力を流す。
拳を握る。
さっきより速い。
「……いいな」
「成功ですか?」
「まだ」
「ですよね」
リシアは慣れた様子で頷いた。
レオンはさらに調整を続ける。
一度目。
二度目。
三度目。
切り替え速度は改善した。
しかし、四度目。
「……ん?」
レオンの右手が止まった。
「どうしました?」
「今、変な感じがした」
「変な感じ?」
「魔力が引っかかったような……」
レオンは指を動かす。
問題ない。
もう一度。
今度は少し強く魔力を流す。
その瞬間。
パキッ。
小さな音がした。
「……?」
レオンは右手を見る。
金属製の指先。
そこに。
白いものが付着していた。
「……霜?」
リシアが身を乗り出す。
「え?」
レオンは指先を近づけた。
白い結晶。
薄く広がり、金属の表面を覆っている。
触れると冷たい。
「冷却機構なんて付けてないぞ」
「私も氷魔法は使ってません」
「じゃあ、何だ?」
二人は顔を見合わせた。
レオンは右腕を調べた。
魔石。
異常なし。
分岐機構。
異常なし。
金属部品。
破損なし。
ただし。
指先だけが異様に冷たい。
「……リシア」
「はい」
「今の魔力、どう見えた?」
「えっと……」
彼女は少し考えた。
「一瞬だけ、変でした」
「どこが?」
「手首から先です。いつもの魔力と、少し違う感じがして……」
「違う?」
「はい。でも、すぐ元に戻りました」
レオンは右手を見つめた。
魔力経路の問題か。
それとも、魔石の性質か。
昨日までは起こらなかった。
変えたのは分岐機構の調整だけ。
ならば、原因もその周辺にある可能性が高い。
「もう一回やる」
「待ってください」
リシアが手を伸ばした。
「今の、何だったか分からないんですよね?」
「ああ」
「だったら、いきなり強く流さないでください」
「……そうだな」
レオンは素直に頷いた。
リシアが少し驚いた顔をする。
「何?」
「いえ。ちゃんと聞いてくれたので」
「聞くって約束しただろ」
「……はい」
リシアは小さく笑った。
レオンは右腕を外し、机の上へ置く。
まずは魔石を取り外した。
それから分岐部品を調べる。
焦げた痕跡はない。
金属の変形もない。
ただ、魔力が流れた部分に、ごく薄い白い粉が残っていた。
レオンは小皿へそれを集める。
「……水分が凍っただけなら、しばらくすれば溶けるはずだ」
「溶けませんね」
「ああ」
白い粒は消えなかった。
レオンは小さな金属針でつついた。
カリッ。
硬い。
「……氷じゃない?」
「え?」
「少なくとも、普通の氷とは違う」
リシアが覗き込む。
「じゃあ何ですか?」
「分からない」
「またですか」
「分からないものは調べる」
レオンは皿を明るい場所へ移した。
白い粒の中に、透明なものが混じっている。
細かな結晶。
その表面が、朝日を受けて小さく光った。
レオンの灰色の瞳が細くなる。
「……面白い」
「その顔、久しぶりに見ました」
「昨日もしてた?」
「してました」
「じゃあ久しぶりじゃないな」
「そういう意味じゃありません!」
レオンは聞いていなかった。
結晶の形を観察する。
不規則な塊ではない。
いくつかの面が、一定の角度で交わっている。
結晶構造を持つ物質。
だが、何なのかは分からない。
前世の知識だけで、この世界の物質を断定することはできない。
まして、魔力によって生じたものならなおさらだ。
「……魔石の成分が析出した?」
「せきしゅつ?」
「中の物質が外へ出て、固まったってこと」
「そんなことあるんですか?」
「知らない。だから確かめる」
レオンは魔石を取り替えた。
次に、別の金属片を用意する。
さらに、魔力を流す経路を短くした。
「条件を一つずつ変える」
「はい」
「まずは、さっきと同じ魔石」
何も起こらない。
「次、別の魔石」
何も起こらない。
「分岐部品を元に戻す」
何も起こらない。
レオンは紙へ結果を書き込む。
失敗。
失敗。
失敗。
リシアが首を傾げた。
「……偶然だったんでしょうか」
「かもしれない」
「それなら、もう調べなくても……」
「偶然でも、起きたことは消えない」
レオンは白い結晶を見る。
「原因があるはずだ」
その時。
リシアが何かに気づいたように顔を上げた。
「レオン」
「何?」
「さっきの時……」
「うん」
「魔力を流したの、レオン自身ですよね?」
「ああ」
「でも、普段は魔石から流すだけですよね?」
レオンの手が止まる。
確かに。
普段は魔石の力を利用している。
自分の魔力は、起動や操作の補助程度。
魔導腕を動かすための主な供給源は魔石だ。
だが、さっき。
反応が遅れた時。
無意識に。
自分の魔力を強く流し込んでいた。
「……そうか」
「もう一度、自分の魔力だけで試せますか?」
レオンは考えた。
魔石を外す。
分岐機構も切り離す。
机の上には、小さな魔力経路板だけを残した。
暴走しても、腕全体へ伝わらないようにするためだ。
「これなら、少なくとも装具は壊れない」
「レオンの手は?」
「直接触らない」
木製の固定具に経路板を置く。
魔力を流すための接続部だけを手元へ伸ばした。
リシアが頷く。
「私が見てます」
「頼む」
レオンは目を閉じた。
魔力。
この世界に生まれてから、何度も触れてきたもの。
魔石を動かす。
魔導具を起動する。
だが、自分の魔力そのものを詳しく調べたことは、ほとんどなかった。
必要だったのは、装具を動かすこと。
魔力を使いこなすことではなかったからだ。
レオンは少量の魔力を送る。
青い線が光る。
「どう?」
「普通です」
「じゃあ、少し強く」
光が強まった。
「……まだ普通です」
「もっと」
「ゆっくりですよ」
「ああ」
レオンは慎重に魔力を増やす。
その時。
ふっと。
指先に奇妙な感覚が走った。
冷たい。
いや。
冷たさを思い浮かべたわけではない。
ただ、魔力の流れを細く、鋭く絞ろうとした。
それなのに。
パキッ。
経路板の端に、白い結晶が現れた。
「出た!」
リシアが声を上げた。
レオンはすぐに魔力を止める。
「今の見えた?」
「はい!」
「どこが変わった?」
「魔力です!」
「流れ?」
「違います!」
リシアは興奮した様子で首を振った。
「流れ方じゃなくて、魔力そのものが変わりました!」
レオンは黙った。
魔力そのもの。
「……どういう意味?」
「普通の魔力が、一瞬だけ氷魔法に近い性質になったんです」
「氷?」
「はい。でも……」
リシアは結晶を見る。
「これは氷じゃないですよね?」
「ああ。少なくとも普通の氷ではない」
「じゃあ、何で……」
「分からない」
レオンは透明な結晶を小皿へ移した。
指先ほどの大きさもない。
ほんの小さな粒。
だが。
何もなかった場所に、物質らしいものが現れた。
それが事実なら。
ただ魔力を流しているだけでは説明できない。
「……もう一回」
レオンは接続部へ手を伸ばした。
「待ってください」
「何?」
「顔色」
「顔色?」
「少し悪いです」
言われて気づいた。
頭が重い。
肩がだるい。
指先にも、わずかな痺れがある。
魔石を使っていた時とは違う疲労感。
「……確かに」
「休憩です」
「でも、あと――」
言いかけて止まった。
リシアは何も言わない。
ただ、じっと見ている。
レオンは手を引っ込めた。
「……分かった」
「よろしい」
「先生みたいだな」
「生徒が言うことを聞かないので」
「誰が生徒だ」
「今のところ、レオンです」
リシアは水を差し出した。
レオンは受け取る。
冷たい水が喉を通った。
それだけで、少し頭がはっきりした。
レオンは机の上の結晶を見る。
自分の魔力。
変化した性質。
そして、体に残る疲労。
何かを掴みかけている。
だが。
掴みかけていることと、理解したことは違う。
◇
昼食を済ませた後。
レオンは実験を再開しなかった。
代わりに、記録を整理していた。
リシアは少し驚いた顔で、その様子を見ている。
「今日はもうやらないんですか?」
「同じことを繰り返しても、今は無駄が多い」
「……珍しいですね」
「何が?」
「自分から実験を止めるなんて」
「失礼だな」
「事実です」
レオンは反論しなかった。
前世なら。
分からないことがあれば、分かるまで続けていた。
疲れていても。
手が震えていても。
間違いが増えていても。
それでも続けた。
だが今は。
実験を止めて、結果を見直している。
白い結晶。
冷却現象。
魔力の性質変化。
そして、自分の疲労。
「……筋肉みたいだな」
「え?」
リシアが顔を上げる。
「魔力の話」
「筋肉?」
「ああ」
レオンは自分の右手を開く。
「腕だって、いきなり重いものを持てるわけじゃない」
「そうですね」
「少しずつ鍛えて、動かし方を覚える」
「はい」
「魔力も同じなのかもしれない」
使ったことのない動き。
慣れていない負荷。
無理に力を入れれば、うまく動かない。
それどころか、体を痛める。
「でも、魔力って普通は属性が決まってますよ?」
リシアが言う。
「光魔法が得意な人もいれば、火魔法が得意な人もいます」
「全部使える人はいない?」
「複数の属性を使える人はいます。でも、何でも自由に変えられるなんて……」
リシアは首を振った。
「少なくとも、私は聞いたことがありません」
「……そうか」
レオンは紙へ新しい項目を書いた。
――魔力の性質変化。
その下に。
――発生条件、不明。
――再現性、低い。
――身体負荷、あり。
そして最後に。
――訓練による改善の可能性。
「……よし」
「何が『よし』なんですか?」
「調べることが決まった」
「また増えましたね」
「ああ」
「魔導腕はどうするんです?」
レオンは腕を見る。
昨日までの目的。
魔力消費を減らすこと。
それは変わらない。
新しい現象が見つかったからといって、今までの問題が消えるわけではない。
「先に分岐機構を完成させる」
「……え?」
「こっちはまだ使い物にならない」
レオンは白い結晶を指差した。
「何が起こるか分からない力を、いきなり腕に組み込むわけにはいかない」
リシアが目を丸くする。
「……レオン」
「何?」
「本当に成長しましたね」
「だから子供扱いするな」
「だって、前なら絶対すぐ試してましたよ」
「……否定できない」
レオンは苦笑した。
新しい力。
未知の現象。
確かに興味はある。
だが。
今必要なのは、強い力ではない。
安定して使える力だ。
それを忘れれば、また同じ失敗をする。
◇
夕方。
リシアが帰る準備を始めた頃。
レオンは最後の確認をしていた。
小皿の中。
透明な結晶。
午前中に作られたものだ。
まだ消えていない。
「……残ってるな」
「そうですね」
「魔力を流してないのに」
「はい」
レオンは結晶を細い金属棒でつついた。
硬い。
小さい。
だが、確かに存在している。
もし。
魔力から物質を作れるなら。
もし。
その性質を自由に変えられるなら。
金属。
鉱石。
結晶。
あるいは、もっと別のものまで。
可能性はいくらでも考えられる。
だが、そのほとんどはまだ想像にすぎない。
レオンは結晶を小さな容器へ移した。
蓋を閉める。
日付と条件を書いた紙を貼る。
「明日、もう一度調べる」
「今度はちゃんと休んでからですよ?」
「ああ」
「本当ですね?」
「約束する」
リシアが微笑んだ。
そして、扉へ向かう。
その途中。
ふと足を止めた。
「レオン」
「何?」
「今日の魔力……」
「ああ」
「少し、怖かったです」
レオンは彼女を見る。
リシアは自分の手を見つめていた。
「今まで感じたことのない変わり方だったから」
「……そうか」
「でも」
彼女は顔を上げた。
「ちゃんと調べれば、分かるんですよね?」
レオンは少し考えた。
「分からないかもしれない」
「え?」
「調べても、全部は分からないかもしれない」
「……」
「でも、何もしなければ分からないままだ」
リシアはしばらく黙っていた。
それから。
「……そうですね」
小さく頷いた。
レオンは机の上の記録を見る。
魔力の性質が変わる。
氷のように冷たくなる。
鉱物のような結晶が現れる。
そして。
使った本人が、強い疲労を感じる。
まだ何も分かっていない。
だが、確かなことが一つある。
自分の魔力には、今まで知らなかった性質がある。
レオンは紙の端に、一つの言葉を書いた。
――変成。
性質を変えること。
それが何を意味するのか。
今はまだ知らない。
けれど。
かつて前世で、金属の性質を調べ、加工し、別の用途へ変えてきたように。
この世界では。
自分自身の魔力まで、研究することになるのかもしれない。
「……面白いな」
思わず呟いた。
リシアが振り返る。
「何か言いました?」
「いや」
レオンは小さな容器を持ち上げる。
透明な結晶が、夕日にきらりと光った。
「調べたいものが、一つ増えただけ」
「……またですか」
リシアが呆れたように笑う。
レオンも笑った。
魔導腕はまだ完成していない。
スラムを出るという目標も、まだ遠い。
聖女の魔力についても、何も分かっていない。
それでも。
昨日まで知らなかったことを、今日は一つ知った。
そして明日は。
今日より少しだけ、先へ進めるかもしれない。
レオンは容器を机へ戻した。
小さな結晶。
その正体を知る者は、まだ誰もいない。
まして。
それがいつか、炎も、氷も、雷も、鉱物さえも生み出す力へ繋がるなど。
今のレオンには、想像もできなかった。




