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第25話

薄暗いコンクリートの壁面に、無機質な計器の緑色と赤色のランプが無数に明滅していた。


地下深く、幾重にも張り巡らされた遮断隔壁の最奥に設置された実験プラント。空気は過剰なまでに帯電し、吸い込むだけで肺の奥がチクチクと痛む。


白衣を羽織った男、阿久津博士は、充血した目でメインモニターに張り付いていた。目の下に刻まれた濃い隈が、狂気じみた執念を際立たせている。


「素晴らしい……実に素晴らしいデータだ。あの野蛮人が叩き込んでくれた強烈な衝撃波を、コアは完璧に学習したぞ」


カチャカチャとせわしなくキーボードを叩く指が、興奮のあまりかすかに震えていた。


中央に据えられた透明な強化ポッドの中。そこには、赤黒い脈動を繰り返す真の結晶――特級コアが浮遊していた。


先ほどまで外殻として機能していた粗雑な構造物は完全に脱落し、今や純粋な核だけが剥き出しになっている。その中心部には、青黒い光の筋が血管のように幾筋も走り、恐るべき密度の魔力を汲み上げていた。


「私の制御理論こそが至高なのだ。自然発生する迷宮などという不確定要素は、人間の知性によって完全に統御されねばならん。さあ、目覚めたまえ。君たちの新しい王の誕生だ」


阿久津は狂熱を帯びた手つきで、コンソール上の赤いキースイッチを押し込んだ。


ゴォン、と重苦しい振動が床下から伝わってきた。


プラント内の計器が一斉に悲鳴のような警報音を上げ、魔力測定値の針が振り切れる。ポッドの内部で、真のコアがひときわ眩い閃光を放った。


次の瞬間、地下水脈を伝うようにして、純度百パーセントの特級魔力が都心の地下全体へと奔流となって解き放たれた。


地盤を揺るがす不気味な地鳴りが、東京の地下深部から鳴り響き始めた。



◆ーーーー◆



「総員、散開! 第一防衛ラインを死守しろ! 一般市民の退避が完了するまで、絶対に一歩も引くな!」


都心部、封鎖された地下鉄連絡口の地上前線基地。怒号が飛び交う中、鬼瓦鉄平は筋骨隆々の巨躯を震わせながら叫んでいた。


角刈りの頭に分厚いヘルメットを被り、眉間に深い皺を刻み込んだ鬼瓦は、手にしたタクティカル通信機を怒鳴りつける。


「教官! 地下五層からの魔力反応、計測限界を突破しました! これは……過去のいかなる記録にもない数値です!」


オペレーターの若い探索者が、青ざめた顔でタブレットを突き出してきた。画面に表示された魔力濃度グラフは垂直に跳ね上がり、警戒レベルを示す赤色のバーが画面外へと突き抜けている。


「落ち着け! 取り乱すな!」


鬼瓦は部下の肩を強く叩いたが、自身の掌にも冷たい汗が滲んでいた。


地面が激しく揺れている。地震ではない。地下から湧き上がる莫大な魔力圧が、物理的な衝撃となってアスファルトを突き上げているのだ。


バキン、と乾いた音がして、バリケードの足元に亀裂が走った。


「ギシャアアアアッ!」


地下鉄の階段の闇から、耳障りな甲高い咆哮が響き渡った。続いて、二対の赤い複眼を持つ黒曜石のような大蜘蛛が、次々と地上へと這い出してくる。


それだけではない。壁を砕いて現れたのは、本来なら深層にしか生息しないはずの重装甲甲殻獣の群れだった。数十、数百という異形の影が、雪崩を打って溢れ出てくる。


「迎撃開始! 牽制班、魔導砲を撃ち込め! 前衛は盾を構えろ!」


鬼瓦は自ら大盾を構え、先頭の甲殻獣の突進を受け止めた。


凄まじい衝撃が両腕を襲い、靴底がアスファルトを削りながら数メートル後退させられる。筋肉が悲鳴を上げ、奥歯が軋んだ。


「くっ……なんという質量だ! これがスタンピードの初動だと……!?」


周囲では、ベテランの探索者たちですら次々と弾き飛ばされていた。現代の装備と標準化されたマニュアル戦術では、あまりにも規格外の暴力の前に防衛線が紙屑のように綻びかけている。


「本部! 応援の増援部隊はどうなっている!」


『だ、駄目です! 周辺道路が魔力障害で寸断され、車両が近づけません! 航空支援も濃密な魔力嵐で進入不能です!』


無情な報告が通信機から漏れ聞こえる。


鬼瓦は唇を噛み切りそうになりながら、迫り来る魔獣の群れを睨みつけた。絶望的な数の暴力が、防衛線を押し包もうとしていた。



◆ーーーー◆



「……んー、今日の特売、豚バラは安かったがネギが高かったな」


六畳一間のアパート。ちゃぶ台の上に置かれた液晶テレビから、けたたましい臨時ニュースのサイレンが鳴り響いていた。


『――緊急報道特番をお伝えします。本日午後八時十五分、都心部地下エリアにおいて特級指定ダンジョンの異常活性化が確認されました。現在、大規模なスタンピードが発生しており、周辺住民の皆様は直ちに――』


アナウンサーが切迫した声で原稿を読み上げ、ヘリコプターからの生中継映像が画面に映し出されている。煙が立ち上る大通りの交差点で、防衛隊の探索者たちが必死に魔獣の群れを食い止めている様子が見えた。


俺はテレビを眺めながら、買ってきたばかりの納豆のパックを器用に箸でかき混ぜた。


「東京も物騒になったもんだな。異世界とあんまり変わらん」


テレビ画面の片隅に、地下から這い出てきた巨大な四ツ足の魔獣が映し出された。黒光りする硬そうな甲皮に覆われ、頭部に巨大な二本の湾曲した角が生えている。


その姿を見た瞬間、俺の手がピタリと止まった。


「……あれ?」


箸をくわえたまま、画面に顔を近づける。


「あの角の生え方、肩のあたりの筋肉の付き具合……間違いないな」


異世界の荒野でよく見かけた、魔王軍の軍用魔牛にそっくりだった。あれの肩ロースは筋が多いが、しっかりと下処理をして強火で炙ると、脂が甘くて実に美味いのだ。異世界での過酷な日々のなか、数少ない贅沢の一つだった。


じゅるり、と口の中に唾液が湧いてくる。


「あんな美味そうなのが、電車で一本のところに出てるのか……」


俺は納豆ご飯を一気にかきこみ、湯呑みの茶を飲み干した。


ごちそうさま、と手を合わせてから、茶碗と箸を流し台へ運んで手早く水につける。洗い物は帰ってからでいい。


部屋の隅にある小さな引き出しを開けた。中から取り出したのは、ダンジョン庁の帰還者窓口で支給された初乗り用の小銭入れと、先日購入したばかりのプラスチックカード。


『都心行きの通勤定期券』だ。


異世界にいた頃は、魔王の配下どもを倒すために何週間も泥水をすすりながら荒野を歩き回ったものだ。それに比べれば、電車に揺られて座っているだけで現地に着くなんて、現代社会は本当に素晴らしい。


「そろそろ出勤の時間か」


俺は玄関へ向かい、立てかけてあった一本の工事用鉄パイプをひょいと手に取った。


手になじむ重み。少し軽すぎるが、肉の繊維を断ち切るくらいの用途ならこれで十分だ。振り回して近所の壁を傷つけないよう、適当な布袋に突っ込んで肩に担ぐ。


スニーカーの踵をしっかり踏み込み、玄関の鍵を閉めた。


アパートの階段を降りると、夜風が少し冷たかった。遠くの空が、魔力の励起現象によってうっすらと赤紫色に染まっている。


近所の住人たちが不安そうに空を見上げているのを横目に、俺は駅の改札へと向かって早足で歩き出した。


自動改札機に定期券をピッとタッチする。小気味よい電子音が鳴ってゲートが開いた。この機械の便利さには、何度通っても感心させられる。


ホームに降りると、都心方面へ向かう電車は驚くほど空いていた。避難指示が出ているのだから当然だろう。


ガラガラの車内に乗り込み、端の座席に腰を下ろす。布袋に包んだ鉄パイプを両膝の間に挟み、吊り革が揺れるのをぼんやりと眺めた。


ガタゴトと規則正しい走行音が車内に響く。


窓の外を流れる夜景は、都心に近づくにつれて徐々に明かりが消え、異様な暗闇へと沈み込んでいく。遠くで爆発音のような重低音が響き、車内アナウンスが「次の駅で運転を見合わせる可能性があります」と緊張気味に告げていた。


「夜遅くの仕事はあんまり好きじゃないんだがな」


俺は小さく欠伸をしながら、鉄パイプの端をぽんぽんと指先で叩いた。


「まあ、美味い肉が手に入るなら、たまの残業も悪くないか」


電車の速度が落ち、目的の駅のホームへと滑り込んでいく。


ガラスドアの向こう側、地下の闇から無数の魔獣の咆哮が地響きとなって迫り上がってくるのを肌で感じながら、俺は座席から立ち上がった。

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