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第12話

俺は空になった食器を重ね、席を立った。


店を出て、腹ごなしに歩いていると、ポケットの端末が震えた。

表示されたのはダンジョン庁の神崎結衣からの呼び出しだった。


◆ーーーー◆


ダンジョン庁の局長室。

革張りのソファに腰を下ろすと、向かいに座る御子柴健三が、神経質そうな細い目を細めて笑みを浮かべていた。


「やあ、呼び立ててすまないね。先日発行した特例フリーパスは、有効に活用してくれているかな」


「ああ。電車代が浮いて助かってる」


俺が素直に答えると、御子柴は満足げに頷いた。

その背後で、スーツ姿の神崎が胃のあたりを押さえながら立っている。彼女の顔色はあまり良くない。


「実はね、君に耳寄りな情報があってね」


御子柴は声を潜め、身を乗り出す。


「都内近郊に、まだ調査が進んでいない未踏破エリアがあるんだが……そこの深層で、非常に珍しい食材が採れるらしいんだ」


「食材、だと」


俺は思わず身を乗り返した。


「そうだ。極上の霜降りが乗った、巨大な獣の肉だ。市場に出回れば相当な値がつく代物らしい。どうだろう、散歩がてら少し見てきてはくれないか」


「局長」


神崎が鋭い声を出した。


「いくらなんでも、一般の探索者を未確認の危険地帯へ向かわせるなど……」


「彼は特例だと言っているだろう。それに、君もサポートとして同行したまえ。安全管理は君の仕事だ」


御子柴は悪びれずに言い放つ。

組織の利益のために俺をタダ働きさせようという魂胆は透けて見えたが、美味い肉が手に入るなら話は別だ。


「いいだろう。案内してくれ」


俺が即答すると、神崎は深々とため息をつき、さらに強く胃を押さえた。


◆ーーーー◆


指定された未踏破エリアは、都心から少し離れた地下水路の奥にあった。

じめじめとした湿気が漂い、苔むした石壁が続いている。


「局長は、あなたを体よく未踏破エリアの調査に使っているだけですよ」


懐中電灯で前方を照らしながら、神崎が恨みがましい声を出した。


「別にいいさ。美味い肉が手に入るなら、どっちでも」


「本当に食材がいるかどうかも怪しいものです。未確認のモンスターが徘徊している可能性が高いんですよ。どうか慎重に……」


彼女の小言を聞き流しながら、俺は鼻をひくつかせた。

微かに、獣の匂いがする。それも、よく肥えた上質な脂の匂いだ。


「いるな」


俺は歩調を速めた。

開けた空間に出ると、そこに巨大な影がうずくまっていた。

四つの赤い目を持つ、牛と熊を掛け合わせたような巨獣だ。全身を覆う黒い毛皮の下に、はち切れんばかりの筋肉が詰まっているのがわかる。


「特級指定の変異種……! 下がってください、応援を呼びます!」


神崎が青ざめて端末を取り出そうとする。

だが、俺の目にはそれが極上の霜降り肉の塊にしか見えなかった。


「いや、いい。あいつは俺の晩飯だ」


俺は周囲を見渡し、転がっていた手頃な太さの木の枝を拾い上げた。少し湿っているが、芯はしっかりしている。

巨獣がこちらに気づき、地響きを立てて突進してきた。

圧倒的な質量が迫る。


俺は木の枝をだらりと下げ、呼吸を整えた。

巨獣の鋭い爪が俺の体を捉える、その直前。

軽く踏み込み、下段から跳ね上げるように木の枝を振り抜いた。


枝の先端が、巨獣の顎の下にある急所を正確に貫く。

硬い毛皮をすり抜け、脳髄へと達する一撃。

巨獣は悲鳴を上げる間もなく、巨大な質量を保ったまま前のめりに崩れ落ちた。

ズドォォン、と重い音が地下空間に響き渡る。


「よし。鮮度を落とさずに済んだな」


俺は木の枝を放り捨て、巨獣の死体に歩み寄った。

背後で神崎が、口を半開きにしたまま完全にフリーズしている。


俺は持参したナイフを取り出し、手際よく解体を始めた。分厚い皮を剥ぐと、見事なサシの入った赤身が現れる。


「素晴らしい。これなら焼肉にしても、煮込んでもいけるな」


俺は上機嫌で肉の塊を切り出し、持参した保冷バッグに詰め込んだ。

肉の確保を終え、立ち上がった時のことだ。

巨獣が倒れていた場所の奥に、不自然な空間が広がっていることに気づいた。


岩肌が崩れた先に、金属製の壁が見える。


「なんだ、あれは」


俺が近づいていくと、神崎も我に返ったように小走りでついてきた。

崩れた岩の隙間を抜けると、そこは自然発生したダンジョンとは明らかに異なる光景だった。


無機質な銀色の床。壁には見たこともない言語のコードが羅列されたパネルが埋め込まれている。

そして空間の中央には、緑色の液体で満たされた巨大なガラスの円柱が、いくつも並んで立っていた。


「こ、これは……」


神崎の声が震えていた。


「人工物……? ダンジョンの未踏破エリアに、こんな施設があるなんて。一体、誰が何のために……」


彼女は青ざめた顔で、ガラスの円柱を見上げている。

俺もその円柱を眺めてみた。

中に何か漬け込まれているようだが、濁っていてよく見えない。


「なんだ、でかい漬物樽か?」


「漬物樽なわけないでしょう! これは明らかに、何らかの培養カプセルか……」


神崎が必死にパネルの文字を解読しようと目を凝らしている。

俺はカプセルの表面を軽く叩いてみたが、特に反応はない。

食えそうなものは入っていないようだ。


「まあいい。変なツボがあるだけだろ」


俺は保冷バッグを肩に担ぎ直した。


「帰るぞ。せっかくの肉が傷む」


「待ってください! これは重大な発見です。すぐに庁へ報告して、調査隊を……」


「報告は後でいい。食事の時間は邪魔させない主義なんだ」


俺は背を向け、さっさと歩き出した。

誰がこんなものを作ったのか、何の目的があるのか。そんなことは俺の知ったことではない。

俺の目的は、温かい食事と平和な日常を満喫することだけだ。


「ちょっと、待ってくださいよ!」


背後で神崎の悲鳴のような声が響く。

保冷バッグの重みを感じながら、俺は今日の晩飯のメニューに思いを馳せていた。

上質な脂を落とすために、網焼きにするのが一番だろう。

胃の奥から、じんわりとした熱が湧き上がってくるのを感じながら、俺は帰路を急いだ。


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