第11話
暗闇を見据えていた俺の目に飛び込んできたのは、予想外の光景だった。
冷たい風が吹き出す穴の奥。そこには、赤や紫の極彩色に彩られた巨大なキノコが群生していたのだ。
「なんだ。ただのキノコ畑か」
俺は拍子抜けして肩を落とした。新しい温泉が湧いているのではないかと期待していただけに、落胆は大きい。
「馬鹿な、この魔力濃度は異常だ! 調査隊が来るまで絶対に入るなよ!」
鬼瓦が血相を変えて叫び、持っていた端末でどこかへ連絡を取り始める。彼の顔は青ざめ、額には冷や汗が浮かんでいた。低層ダンジョンには似つかわしくない異常事態に、教官としての責任感が警鐘を鳴らしているのだろう。
俺は鬼瓦の慌てぶりを横目に、肉厚なキノコの傘をじっと観察した。
あの色艶、そして微かに漂う土の匂い。異世界の瘴気の森に生えていた幻覚ダケによく似ているが、こっちの方がずっと肉厚で美味そうだ。傘の裏側には細かいひだがびっしりと並び、そこから青白い胞子のようなものが静かにこぼれ落ちている。
晩飯の買い出しには遅れずに済みそうだが、明日の予定は決まったな。
翌日の昼下がり。
俺はいつもの定食屋のカウンター席で、熱いお茶をすすっていた。
昼時のピークを過ぎた店内は静かで、換気扇の回る音だけが響いている。
厨房では、女将さんが腕組みをして唸っていた。手元のノートには、何やらメニューの案らしきものがびっしりと書き込まれている。
「うーん、秋の新メニューねぇ……。サンマも高くなっちまったし、何かガツンとくる目玉が欲しいんだけど」
女将さんは鉛筆の尻で頭を掻きながら、ため息をついた。
「常連のお客さんたちも、最近はマンネリ気味でね。何かこう、一口食べただけで元気が湧いてくるような、パンチのある食材はないもんかねぇ」
「キノコはどうだ」
俺が提案すると、女将さんは顔を上げた。
「キノコ? そりゃあ秋の定番だけど、スーパーのじゃパンチが足りないのよ。最近の若い子は、もっとこう、見た目のインパクトとかボリュームを求めるからねぇ」
「なら、俺が採ってくる。美味いキノコが生えてる場所を見つけたんだ」
「本当かい? あんたが言うなら期待しちゃうね。大盛りで頼むよ!」
女将さんの快諾を得て、俺は立ち上がった。
椅子の下で丸くなっていた黒い毛玉が、俺の動きに合わせてピョコンと跳ねる。
「行くぞ、ポチ。食材調達だ」
「キュゥ!」
ポチは短い尻尾を振りながら、俺の足元にすり寄ってきた。
再び訪れた低層ダンジョンの崩落現場。
入り口には黄色い立ち入り禁止テープが何重にも張られ、物々しい雰囲気を漂わせていた。どうやら鬼瓦が報告したことで、本格的な調査が入る予定らしい。
だが、そんなものは俺の知ったことではない。
俺はテープをヒョイとくぐり抜け、崩落した壁の隙間から未知の空間へと足を踏み入れた。
昨日と同じように、濃密な空気が肌を撫でる。
「さて、どれから採るか」
俺は持参した大きめの麻袋を広げた。
周囲には、大人の膝丈ほどもある巨大なキノコがひしめき合っている。赤い傘に白い斑点があるものや、全体が毒々しい紫色に染まっているものなど、種類も豊富だ。
現代の探索者なら防毒マスクを被って逃げ出す光景だろう。だが、俺にとっては見慣れたものだ。むしろ、異世界の毒沼に生えていた触手付きのキノコに比べれば、ずいぶんと大人しい。あっちは近づくだけで酸を吐きかけてきたし、切り刻んでもしばらくはウネウネと動いていたからな。
俺は手頃なサイズの赤いキノコを引き抜いた。ずっしりとした重量感があり、根元からは芳醇な大地の香りが漂ってくる。
土を払い、袋に放り込む。
「キュン?」
ふと見ると、ポチが一つの紫色のキノコに噛みついていた。
小さな牙で傘の端をかじり取ると、もぐもぐと咀嚼を始める。
「おいおい、生で食うと腹を壊すぞ」
俺が注意しようとした瞬間、ポチの黒い毛並みがボワッと青白く発光した。
「キュウゥゥゥ!」
ポチは興奮したように鳴き声を上げ、空間内を猛スピードで駆け回り始めた。その軌跡には、キラキラと輝く謎の魔力の粒子が尾を引いている。
「おっ、元気が出たな。栄養満点ってことか」
俺は満足げに頷き、収穫作業を再開した。
ポチが走り回るたびに周囲の魔力溜まりが撹拌され、キノコたちがさらに色鮮やかに輝き出す。まるでイルミネーションのようだが、俺の興味はあくまで味とボリュームだ。
結局、麻袋がパンパンになるまでキノコを詰め込み、俺たちはホクホク顔でダンジョンを後にした。
「ひゃあ、こりゃまた立派なキノコだねぇ!」
定食屋の厨房で、女将さんが麻袋の中身を見て目を丸くした。
「色はちょっと派手だけど、火を通せば平気さ。タカシちゃん、ちょっと待ってな!」
女将さんは手際よくキノコを水洗いし、包丁で厚めにスライスしていく。ザクッ、ザクッという小気味よい音が店内に響く。断面からは、うっすらと黄金色の果汁のようなものが滲み出していた。
熱したフライパンにたっぷりのバターを落とし、スライスしたキノコを投入する。
ジュワッという心地よい音とともに、濃厚なバターの香りとキノコの野性味あふれる匂いが爆発的に広がった。
俺の胃袋が、たまらずに大きな音を鳴らす。
フライパンを煽りながら、女将さんが最後に醤油を回しかける。香ばしい焦げ目がつき、食欲をそそる匂いが頂点に達した。
「お待ちどおさま! 特製・大盛りキノコのバター醤油炒め定食だよ!」
カウンターに置かれた皿には、山盛りのキノコが湯気を立てていた。傍らには、どんぶり飯とワカメの味噌汁が添えられている。
俺は割り箸を割り、さっそく一口放り込む。
「……美味い」
肉厚な食感はアワビのようで、噛むほどに濃厚な旨味が溢れ出してくる。バターのコクと醤油の香ばしさが、キノコ本来の味を見事に引き立てていた。
白飯が無限に進む味だ。
かつて泥水をすすり、硬い干し肉をかじりながら過ごした日々を思えば、この温かくて美味い飯は奇跡に近い。
俺は無心で箸を動かした。キノコを頬張り、飯をかき込み、味噌汁で流し込む。その単純な反復が、何よりも尊い。
あっという間に皿を空にし、最後の一粒まで飯を平らげた。
「お粗末さま! 食べっぷりがいいと作り甲斐があるねぇ」
女将さんが嬉しそうに、新しいお茶を差し出してくれる。
「ああ。最高だった」
俺はお茶をすすりながら、大きく息を吐いた。
その時だった。
胃の奥から、じんわりとした熱が湧き上がってきた。
ただの満腹感ではない。熱は血流に乗って全身を巡り、指先の末端にまで行き渡っていく。
ふとカウンターに置かれた湯呑みを見ると、水面が微かに波打っていた。隣に置かれた箸袋も、見えない振動を受けてカタカタと震えている。
俺の体から発せられる何らかの波動が、周囲の空気を揺らしているらしい。
後で知ったことだが、あのキノコは魔力触媒と呼ばれる特殊な自生種だった。一部のデータ端末では危険物として分類されているらしいが、そんなことは知ったことではない。
「どうしたんだい、タカシちゃん。ぼーっとして」
「いや。なんだか体がポカポカしてきた。いいキノコだったな」
俺は湯呑みを置き、満足げに腹をさすった。
周囲の魔力場が微かに歪み、店内の蛍光灯が一瞬だけチカッと瞬いたが、女将さんは気づいていない。
俺の体内で何が起きているのかは分からない。だが、美味い飯を食って体が温まったのだから、これ以上の幸せはない。
俺は空になった食器を重ね、席を立った。




