第8話 カフェ店主は配信に詳しい
「結論から言うと、悠真さんは危ない」
翌朝、村の小さなカフェで、早瀬莉子は開口一番そう言った。
店の名前は、カフェ・こもれび。
古い民家を改装した店で、梁の太さや柱の傷がそのまま残っている。窓際には乾燥ハーブの束が吊られ、カウンターの奥ではコーヒーの香りが静かに湯気を立てていた。
外の畑からは、朝露の匂いと土の匂いが流れ込んでくる。
そんな穏やかな空間で、俺は正面から断罪されていた。
「危ない、ですか」
「危ない。無防備。無頓着。あと、ちょっと信じられない」
「最後のは傷つきますね」
「傷ついていいところです」
莉子さんはカウンターに肘をつき、俺のスマホ画面を指で軽く叩いた。
画面には、昨日の配信アーカイブが表示されている。
廃坑の近くで釣り上げた氷結トラウト。
銀青色の鱗を持つ魚を炭火で焼き、皮目がぱりっと弾け、内側から透明な脂がじゅわっと滲んだあの場面だ。
コメント欄は、今も勝手に増え続けている。
『なにこの魚うまそう』
『猫様の食べっぷりで味がわかる』
『田舎のモンスター食堂、登録した』
『異世界帰還者ってマジ?』
『場所どこ? 行きたい』
最後のコメントを見て、莉子さんの眉がぴくりと動いた。
「ほら。これ」
「場所を聞かれてますね」
「悠真さん、昨日の配信で廃坑に行く道、けっこう映してましたよね」
「ああ……まあ、村の人ならわかる程度には」
「村の人じゃない人にも、わかる人はわかります」
そう言われると、返す言葉がない。
俺は配信を、ただ飯を作って食べる延長くらいに考えていた。
もちろん、見てくれる人がいるのは嬉しい。コメントで「うまそう」と言われれば、火加減を褒められたみたいで悪い気はしない。
けれど、莉子さんが見ているものは、俺とは少し違うらしい。
「顔出しもそう。悠真さん、自分の顔が出ることに抵抗なさすぎです」
「別に隠すほどの顔でもないですし」
「そういう問題じゃないです」
ぴしゃりと言われた。
カウンターの上で丸くなっていたミコトが、片目だけ開ける。
「にゃ」
それはたぶん、俺が悪い、という鳴き声だった。
「ミコトまで」
「神猫様はわかってますね」
「にゃあ」
ミコトは満足げに尻尾を揺らした。
莉子さんは小さく笑ってから、すぐに真面目な顔に戻る。
「顔、声、住んでる場所、よく行く場所、人間関係。配信を続けると、そういうのが少しずつ外に出ます。悪い人だけじゃないけど、善意だけでもない。あと、勝手に切り抜かれる。勝手に燃やされる。勝手に物語を作られる」
「物語……」
「『冤罪で追放された異世界帰還者』ってだけで、かなり強いワードなので」
自分で言われると、なんとも居心地が悪い。
俺にとっては、ただの過去だ。
こっちの世界に帰ってきて、うまく立ち回れず、仲間だと思っていた連中に捨てられた。説明しようとしても届かず、気づいたら田舎に流れ着いていた。
それだけの話だ。
けれど、画面越しの誰かにとっては、違う意味を持つのだろう。
「じゃあ、配信やめた方がいいですか」
俺が聞くと、莉子さんは少しだけ黙った。
コーヒーの雫が、ぽたりとサーバーに落ちる。
「やめたいなら、やめた方がいいです。でも、やりたいなら整えた方がいい」
「整える」
「まず顔出しは無理にしない。映すなら手元と料理中心。場所が特定される景色は避ける。村の人を映すときは必ず許可を取る。コメント欄は、禁止ワードを設定して、変なのは消す。相手にしない。あと、収益化するなら権利関係も見る」
「権利」
「BGM。画像。店名。素材。人の顔。あと、モンスター食材を売るなら、採取や流通の許可も絡むかもしれません。ギルドがうるさく言ってきたの、その辺りもあるんじゃないですか?」
「なるほど……」
俺は素直に頷いた。
半分くらいは、言われて初めて気づいたことだった。
異世界では、危険はだいたい牙や爪や毒の形をしていた。見ればわかる。避けるか斬るか焼くかすればよかった。
でも、こっちの危険は見えにくい。
コメント欄の一行。短い動画。名前のない噂。
そういうものが、人の生活を簡単に削るのだと、莉子さんは知っているのだろう。
「莉子さん、詳しいですね」
「都会にいた頃、動画編集の仕事をしていたので」
彼女はさらりと言った。
「企業案件の動画とか、配信者の切り抜き管理とか、炎上したチャンネルの火消し素材とか。まあ、いろいろ」
「火消し素材」
「聞かなかったことにしてください」
「はい」
深く聞かない方がいい声だった。
莉子さんはノートパソコンを開き、てきぱきと画面を操作する。
「とりあえずチャンネル概要を直します。連絡先は専用メール。村の住所は書かない。コメント設定も見る。あと、サムネが弱い」
「サムネ?」
「昨日の氷結トラウト、あの焼き目でどうして真っ暗な廃坑入口をサムネにしたんですか」
「異変調査っぽいかなと」
「料理チャンネルでしょ」
「はい」
「魚を見せて。脂を見せて。ミコト様の圧を見せて」
「にゃっ」
ミコトが胸を張った。
莉子さんはスマホをこちらに向ける。
画面には、昨日の映像から切り出した一枚が表示されていた。
炭火の上、氷結トラウトの皮が薄く反り、銀青の鱗が熱で透明感を帯びている。割れた皮の隙間から、白い身と澄んだ脂が光っていた。その横で、ミコトが爪先立ちになって魚を凝視している。
たしかに、こっちの方がうまそうだ。
「……すごいですね」
「素材がいいだけです。料理も、猫も」
「俺は?」
「無防備」
「評価が固定された」
そう言うと、莉子さんは少しだけ楽しそうに笑った。
その日の昼、俺たちは氷結トラウトを使った限定メニューを作ることになった。
昨日の釣果は、ミコトにかなり食べられたが、村長に渡す分と、試作用に取っておいた分が少し残っていた。
カフェ・こもれびの厨房は、納屋キッチンとは違って清潔で整っている。磨かれたステンレスの台、使い込まれたフライパン、ハーブの瓶。莉子さんの手つきは、料理人というより段取りのいい編集者に近かった。
「メニュー名は?」
「氷結トラウトの香草バター焼き定食、でどうですか」
「強いけど長い。黒板には『氷結トラウト香草バター』で」
「定食感が消えません?」
「写真で伝えます」
現実的だった。
俺は氷結トラウトの身に、軽く塩を振る。
この魚は不思議なことに、冷たい川で釣ったばかりのような清涼感が身に残る。脂はあるのに重くない。包丁を入れると、刃先からふわりと冷気が立ち、手元に薄い霧が落ちた。
「本当に魔法みたい」
「実際、少し魔力を帯びてます」
「それ、食品表示どうするんでしょうね」
「考えたことなかったです」
「考えてください」
「はい」
莉子さんがフライパンにバターを落とす。
じゅ、と音がして、白い泡が細かく立った。
俺はそこへ魚を置く。皮目からだ。
瞬間、厨房に香りが広がった。
バターの甘い香り。焼ける皮の香ばしさ。氷結トラウト特有の、雪解け水みたいな澄んだ匂い。莉子さんが刻んだローズマリーとディルを加えると、青い香りが立ち上がり、魚の脂をすっと軽くした。
スプーンで熱いバターをすくい、身に何度もかける。
白い身がふっくらと膨らみ、表面に黄金色の膜ができていく。皮は端からぱりぱりに固まり、箸で触れたら音がしそうだった。
付け合わせは、村のじゃがいもを潰したもの。
牛乳とバターでなめらかにして、少しだけ味噌を混ぜる。異世界の食材に、村の味を合わせる。俺が今やりたいのは、たぶんそういうことだ。
「ご飯にもパンにも合うね」
「定食ならご飯です」
「カフェならパンも出したい」
「じゃあ選べるようにしましょう」
「手間が増える」
「でも嬉しいですよ」
莉子さんは一瞬だけ考え、それから肩をすくめた。
「じゃあ、数量限定で」
黒板にチョークで書かれた文字は、思ったよりすぐに人を呼んだ。
最初に来たのは、畑帰りの柴田さん夫婦だった。
「おお、これが噂の魚か」
「ミコト様が全部食べたって聞いたけど、残ってたんだねえ」
「にゃ」
店の隅で丸くなっていたミコトが、なぜか得意げに鳴く。
次に、郵便局の若い職員が来た。さらに、隣町へ買い出しに行っていた村の人が、配信を見た知り合いを連れて戻ってきた。
昼過ぎには、カフェの駐車場に見慣れない車が二台停まっていた。
「本当に来た……」
莉子さんが窓の外を見て呟く。
店内には、バターと焼き魚とコーヒーの香りが重なっていた。
客の前に皿を置くたび、同じ反応が起きる。
まず、香りで黙る。
次に、皮へナイフを入れた瞬間のぱりっという音で目が開く。
そして身を口に運ぶと、肩の力が抜ける。
「うま……」
「なにこれ、川魚なのに臭みが全然ない」
「脂が甘いのに、後味が涼しい」
「じゃがいもの味噌、合うなあ」
その声を聞いているだけで、胸の奥が少し温かくなる。
村に、久しぶりに客が来た。
誰かが大声で騒ぐわけじゃない。けれど、店の中に人の気配が増え、皿の音が鳴り、コーヒーが追加で落とされる。そのたびに、眠っていた場所が少しずつ息を吹き返していくようだった。
莉子さんは忙しそうに動きながらも、隙を見てスマホで写真を撮っていた。
「これ、今日の配信で使います?」
「いいんですか」
「宣伝は必要。でも店内の人は映さない。料理だけ。あと、来店を煽りすぎない。食材の数も限られてるし、村に迷惑がかかる」
「了解です」
「本当に?」
「本当に」
俺が頷くと、莉子さんは疑うように目を細めた。
「じゃあ、コメントで場所を聞かれたら?」
「詳しい場所は出さない。営業情報は莉子さんと相談してから」
「村人が映りそうになったら?」
「カメラを下げる」
「変なコメントが来たら?」
「相手にしない。消す。必要ならブロック」
「よし」
なぜか採点された。
ミコトがカウンターに前足をかけ、皿の方を見つめている。
「ミコト様には出さないよ。昨日食べすぎ」
「にゃああ」
「抗議してもだめ」
莉子さんがきっぱり言うと、ミコトは俺の方を見た。
助けを求める目だった。
「……少しだけ、端の身を」
「悠真さん」
「はい」
俺は背筋を伸ばした。
結局、ミコトには味付け前に取っておいた小さな切れ端を焼いて出した。
ミコトはそれを一瞬で食べ、空の皿を名残惜しそうに舐めた。
夕方、限定メニューは完売した。
黒板の文字を莉子さんが消すと、店にいた村の人たちから自然に拍手が起きた。
「いやあ、久しぶりに賑やかだったな」
「またやってくれよ、悠真くん」
「廃坑の件も心配だけど、こういう明るい話があると助かるねえ」
その言葉に、俺は深く頭を下げた。
「また食材が手に入ったら、やります」
復讐したいわけじゃない。
俺を捨てた連中に、何かを見せつけたいわけでもない。
ただ、うまいものを作って、誰かが笑う。
それだけで、今日一日がちゃんと意味を持つ。
そう思えることが、今の俺にはありがたかった。
閉店後、莉子さんはカウンターに座り、売上を確認しながら小さく息を吐いた。
「……村おこしって、こういう入口から始まるのかもね」
「大げさじゃないですか」
「大げさじゃないですよ。人が来た。お金が落ちた。村の人が喜んだ。これ、ちゃんとした変化」
彼女は顔を上げ、まっすぐ俺を見た。
「だからこそ、守らないといけない。悠真さん自身も、ミコト様も、この村も」
「はい」
今度は、ちゃんと頷けた。
「莉子さん、協力してもらえますか。配信のこと、俺一人だとたぶん危なっかしいので」
「たぶんじゃなくて確実に危なっかしい」
「そこは言い切るんですね」
「言い切ります。でも、協力はします」
莉子さんは、少しだけ口元を緩めた。
「その代わり、食材が入ったらうちにも回してください。ちゃんとメニューにします」
「もちろんです」
「あと、サムネは勝手に変な廃坑にしない」
「はい」
「タイトルに『衝撃』とか『絶対見ろ』とか入れない」
「入れません」
「ミコト様の食べすぎは止める」
「それは難しいかもしれません」
「にゃ」
ミコトが低く鳴いた。
そこだけは、莉子さんも苦笑するしかなかった。
その夜、俺は納屋キッチンに戻り、今日の短い動画を投稿した。
皿の上の氷結トラウト。
ぱりっと割れる皮。
湯気をまとった白い身。
村のじゃがいもと味噌の香り。
顔は映さず、場所もぼかした。コメント欄の設定も、莉子さんに教わった通りにした。
投稿してすぐ、反応が流れ始める。
『飯テロが強すぎる』
『店で出したの!?』
『村の人うらやましい』
『猫様の取り分は?』
『田舎のモンスター食堂、ちゃんとしてきたな』
俺は最後のコメントを見て、少し笑った。
ちゃんとしてきた。
たぶん、それは莉子さんのおかげだ。
同じ頃。
都会の高層マンションの一室で、黒瀬蓮はスマホを握りしめていた。
画面には、悠真の動画が映っている。
コメント欄には称賛が並び、登録者数はまた増えていた。
「……なんでだよ」
黒瀬の声は低く、濁っていた。
自分たちが切り捨てた男。
何もできないと決めつけ、罪を押しつけ、視界の外へ追いやったはずの男。
その男が、田舎で笑われるどころか、感謝されている。
評価されている。
求められている。
それが、黒瀬には許せなかった。
「調子に乗りやがって」
彼はノートパソコンを開く。
保存フォルダの中には、古い映像と音声、都合よく切り取られた資料が並んでいた。
タイトル案の欄に、黒瀬はゆっくりと文字を打ち込む。
『元仲間が告発 田舎配信者・神代悠真の本当の顔』
黒瀬は口元を歪めた。
「配信で持ち上げられたなら、配信で潰してやる」
暗い画面に、編集ソフトのタイムラインが伸びていった。




