第7話 廃坑ダンジョンと氷結トラウト
村長に案内された廃坑は、集落の外れ、杉林を抜けた先にあった。
昔は銅が採れたらしいが、俺が子どものころにはもう塞がれていて、近づくなと言われる場所だった。
その入口が、今は半分ほど開いている。
崩れた板柵の隙間から、白い冷気がじわじわ漏れていた。
「……夏前なのに、息が白いな」
「だから気味が悪いんじゃ。夜になると、奥から水の跳ねるような音がする。あと、変な声もな」
村長が顔をしかめる。
俺の足元では、ミコトが尻尾をぴんと立てていた。
「にゃ」
「危ないか?」
「にゃあ」
たぶん、危ないけど食える、くらいの返事だ。
俺はスマホを取り出し、配信を立ち上げた。
「どうも。田舎のモンスター食堂です。今日は料理配信というより、村の危険確認です。廃坑の奥から変な音がするそうなので、害獣が入り込んでいないか見ます。正式なダンジョン攻略ではありません。危なければすぐ戻ります」
『また始まった』
『朝から見るやつじゃない』
『危険確認で配信つけるなw』
『猫ちゃんいる?』
『無資格者は料理だけします、の人だ』
同接はもう三桁を超えていた。
昨日の牙猪生姜焼きの切り抜きが回ったせいか、チャンネル登録者も急に増えている。
正直、怖い。
異世界帰還者として名前が広まるのは、あまりいい気分じゃない。俺を追放した連中に見つかる可能性もある。
だが、村の畑を守るには確認が必要だ。
それに、ここがダンジョン化しているなら、放置するほうが危ない。
「村長はここで待っていてください。奥までは俺だけで見ます」
「悠真くん、無理はするなよ」
「はい。食材にならなさそうなら帰ります」
「判断基準がおかしいんじゃよ」
村長のため息を背中に受けながら、俺は廃坑へ入った。
中は、明らかに普通の坑道ではなくなっていた。
壁面に薄青い鉱石が張りつき、脈打つように光っている。足元の土は凍り、ところどころに浅い水たまりができていた。
奥へ進むほど、空気が湿って冷たくなる。
耳に届くのは、ぽちゃん、ぽちゃんという水音。
それから、魚が水面を叩くような音。
『え、洞窟きれい』
『ガチでダンジョンじゃん』
『資格警察くるぞ』
『害獣確認だからセーフ理論』
『寒そう』
『ミコト様の毛がふわってなってる』
ミコトは俺の肩に乗り、耳だけを忙しく動かしている。
白い毛が冷気で少し膨らんで、いつもより丸い。
「にゃっ」
「奥か」
ミコトが小さく鳴いた直後、通路が開けた。
そこには、地底湖のような空間があった。
天井から垂れる氷柱。壁の鉱石が淡く光り、湖面を青白く照らしている。
水は透き通っていた。
その中央で、銀色の何かが跳ねた。
ばしゃん、と水しぶきが上がる。
魚だ。
ただし、普通の魚ではない。
全長は七十センチほど。鱗は鏡みたいに光り、背びれは氷の刃のように尖っている。口元から冷気を吐き、水面に薄い氷膜を作りながら泳いでいた。
氷属性の魚型モンスター。
「氷結トラウトか」
『魚?』
『これモンスター?』
『普通にうまそう』
『トラウトってマス?』
『え、焼くの?』
『焼く前提で話すな』
異世界で何度か見たことがある。
寒冷地の沢に棲む魔物で、身に冷気をため込む。放っておくと水源を凍らせ、周囲の生き物を殺す厄介なやつだ。
だが、処理を間違えなければ、かなりうまい。
問題は倒し方だ。
刃物で雑に斬ると、体内の冷気袋が破裂して身が割れる。魔法で焼くと、脂が飛ぶ。凍らせ返すのは論外だ。
俺は腰のナイフを抜き、湖の縁にしゃがんだ。
「戦闘はしません。食材を傷めないように、最短で処理します」
『言い方w』
『戦闘ではない、処理である』
『料理人の顔してる』
『魚逃げて』
『魚逃げたら村が困るんだよなぁ』
氷結トラウトが水中を回る。
こちらを警戒している。俺の魔力に反応しているのだろう。
口を開いた瞬間、白い針のような氷弾が飛んできた。
俺は上体をずらして避ける。
後ろの岩に刺さり、ぱきん、と音を立てて砕けた。
「ミコト、少し黙って見てろよ」
「にゃ」
返事のあと、ミコトは俺の肩から岩の上へ移った。
目が真剣だ。
いや、腹が減っているだけかもしれない。
俺は左手を水面に近づけ、わずかに魔力を流した。
餌に似せた波紋を作る。
異世界で覚えた、釣りというより誘導の技術だ。魔物は魔力に敏感だから、慣れるとこういうこともできる。
氷結トラウトが方向を変えた。
一周。
二周。
そして、銀色の体が水面を割った。
その瞬間、俺はナイフの背で頭の一点を打った。
ごん、と鈍い音。
続けてエラの下へ刃を入れ、急所だけを切る。
暴れさせない。
血が水に広がる前に引き上げる。
銀色の魚体が、俺の手の中でびくりと震え、それから静かになった。
「確認対象、氷結トラウト一匹。周囲に群れの気配は薄いです。水源化する前で助かりました」
『はっや』
『今なにした?』
『魚が刺身になる前に諦めた』
『普通にプロの漁師より怖い』
『これ料理配信だよな?』
『猫ちゃん前のめり』
ミコトは岩の上で、前足をそろえて待っていた。
尻尾だけが左右に揺れている。
完全に食事待ちの顔だ。
「ここで全部焼くと匂いがこもるので、入口近くに戻ります。廃坑内の確認は最低限で終わり。深入りしません」
『えらい』
『攻略じゃなくて確認だからな』
『持ち帰り食材庫』
『食材庫言うなw』
俺は魚を布で包み、入口へ戻った。
村長は俺が抱えた銀色の魚を見て、目を丸くした。
「そ、それはなんじゃ」
「原因です。氷結トラウト。水場を凍らせる魔物ですね。たぶん、廃坑内に小さな水脈ができて、そこがダンジョン化しかけています。今のところ一匹でした」
「一匹であの冷気か……」
「はい。入口は封鎖し直しましょう。ただ、完全に塞ぐ前に、神社のほうにも相談したほうがいいかもしれません」
村長は難しい顔でうなずいた。
俺は廃坑前の開けた場所に簡易コンロを置いた。
今日の調理は、できるだけシンプルにする。
氷結トラウトは、身そのものに澄んだ旨味がある。余計な味を足すと、せっかくの香りが死ぬ。
「では、ここから料理です。氷結トラウトの塩焼き。使うのは塩だけです」
『待ってました』
『魚きれい』
『鱗が宝石みたい』
『普通にスーパーで売ってほしい』
『ミコト様が近い近い』
まず、ぬめりを落とす。
冷水で表面を流すと、手のひらに吸いつくような感触があった。鱗は細かく、銀粉を散らしたみたいに光る。
腹を開くと、白く澄んだ湯気――いや、冷気がこぼれた。
内臓は凍る寸前のように締まっていて、臭みがほとんどない。血合いを丁寧にぬぐい、腹の中まで塩を薄く当てる。
皮目にも塩。
多すぎない。
指先でなじませる程度。
「この魚は冷気袋を傷つけると身が水っぽくなります。今回は頭を落とさず、丸のまま焼きます。皮で旨味を閉じ込める感じですね」
『解説がちゃんとしてる』
『料理だけしますってこういうことか』
『腹減ってきた』
『まだ朝』
『ミコト様、もう食べる気だ』
串を打つ。
背骨に沿わせ、身を崩さないようにゆっくり通す。
炭火を起こすと、廃坑の冷気に白い煙が混じった。
ぱち、と炭が爆ぜる。
魚を火にかける。
最初は遠火。
皮の表面についた水分が乾き、銀色が少しずつ乳白色へ変わっていく。
やがて、皮がぷくりと膨らんだ。
脂が一滴、炭に落ちる。
じゅっ。
その音と同時に、香りが立った。
淡い脂の甘さ。川魚らしい清い匂い。そこに、氷結トラウト特有の、鼻の奥がすっとする冷たい香りが重なる。
熱いのに涼しい。
焼き魚なのに、山の沢を思い出す香りだ。
『音やば』
『じゅって言った』
『匂いしないのに匂う』
『これ飯テロだろ』
『皮! 皮見せて!』
俺は串を少し傾け、皮目をカメラに向けた。
塩が白く浮き、皮は薄く焦げて黄金色になっている。ところどころに銀の鱗が残り、炭火を反射してきらきら光った。
腹の切れ目から、透明な脂がにじむ。
身がふわっと割れかけて、湯気が上がる。
ミコトが一歩、前へ出た。
「まだだ」
「にゃ」
もう一歩。
「まだ」
「……にゃ」
抗議の声が小さい。
本気で集中している。
最後に皮を強火で焼き締める。
ぱり、と乾いた音がした。
俺は串を上げ、少しだけ休ませた。
「完成です。氷結トラウトの塩焼き」
『うわあああ』
『これは勝ち』
『旅館のやつ』
『いや旅館にモンスター出ないだろ』
『猫ちゃんの目が完全に狩人』
箸を入れる。
皮はぱりっと割れ、その下から白い身がほろりと崩れた。
湯気が立つ。
身はきめ細かく、箸で持つとふるふる震える。脂は多すぎず、しかし乾いていない。塩が表面で締めたぶん、甘みが奥から出てくる。
俺は小皿にほぐし、骨を丁寧に外して、ミコトの前へ置いた。
「熱いから少しずつな」
ミコトは匂いを嗅いだ。
一秒。
二秒。
それから、ぱくりと食べた。
次の瞬間、動きが止まった。
目を見開き、口だけが小さく動いている。
噛む。
飲み込む。
もう一口。
そして、無言。
いつもなら偉そうに感想を言うミコトが、ただ黙って食べ続けている。
前足で皿の縁を押さえ、誰にも渡さないという顔で。
『無言www』
『ミコト様が黙った』
『これは本物』
『食レポ放棄』
『かわいい』
『皿抱えてるの反則』
『猫が無言になる味』
俺も一口食べた。
皮の香ばしさが最初に来る。
次に、塩。
そのあと、身の甘みが舌の上でほどける。
普通の焼き魚よりも後味が軽い。脂はあるのに、喉を通るとすっと消える。氷属性の魔力が、余分な臭みを全部洗い流しているみたいだ。
「……うまいな」
思わず声が漏れた。
村長にも少し分ける。
村長は恐る恐る口に入れ、しばらく黙ったあと、肩から力を抜いた。
「これは……魚じゃな」
「魚です」
「いや、魔物なんじゃろ?」
「魚型モンスターです」
「でも、味は魚じゃ」
「うまい魚です」
村長は真剣な顔でうなずいた。
「なら、村で怖がるだけではもったいないのう」
その言葉に、俺は少しだけ笑った。
怖いものを、ただ怖いままにしない。
食えるものは食う。
危ないものは処理する。
そうやって、ここで暮らしていけるなら、それでいい。
配信を終えるころには、コメント欄はまた妙な熱気になっていた。
『田舎のモンスター食堂、廃坑編』
『登録した』
『ミコト様切り抜き確定』
『ギルド見てる?』
『これ店にしてほしい』
『魚食べたい』
『村行きたい』
俺は最後に頭を下げる。
「今日はあくまで村の危険確認でした。廃坑には許可なく入らないでください。氷結トラウトも処理を間違えると危険です。では、また」
配信を切る。
静かになった廃坑前で、ミコトが空になった皿を名残惜しそうになめていた。
「満足したか?」
「……」
「ミコト?」
「……にゃ」
返事が遅い。
まだ味の余韻の中にいるらしい。
その日の夕方。
片づけを終えて家に戻ると、門の前にひとりの女性が立っていた。
年は俺と同じくらいか、少し上。
白いシャツに濃紺のエプロン。髪は後ろでまとめ、手には小さな紙袋を提げている。村の人間にしては都会的で、でも靴には土がついていた。
彼女は俺を見ると、軽く頭を下げた。
「神代悠真さんですね」
「そうですが」
「早瀬莉子です。村でカフェ・こもれびをやっています。いきなり来てすみません」
カフェ・こもれび。
確か、移住してきた人が古民家を改装して始めた店だ。村長が、若いのにしっかりしていると話していた。
莉子さんは紙袋を差し出した。
「焼き菓子です。手ぶらも失礼かと思って」
「あ、どうも」
受け取ると、バターのいい香りがした。
ミコトが足元で反応する。
「にゃ」
「これは猫ちゃん用じゃないです。たぶん」
「たぶんなんですね」
莉子さんは少しだけ笑った。
だが、その目はすぐ真面目になる。
「配信、見ました。角兎の回も、牙猪の回も、今日の氷結トラウトも」
「ありがとうございます。何か問題がありましたか」
「問題というより、危ないです」
風が吹く。
庭の端に干していた布巾が揺れた。
莉子さんは、スマホを取り出して画面を見せた。
そこには俺の配信の切り抜きが並んでいた。
ミコトが魚を無言で食べる場面。
俺が牙猪をさばく場面。
廃坑の青い光。
再生数は、俺が思っていたよりずっと伸びている。
「かわいい、うまそう、すごい。そういう反応だけならいいです。でも、もうそれだけじゃありません。ギルド関係者っぽいアカウントも見ています。異世界帰還者のまとめサイトにも載り始めました。あなたが思っているより、拡散が速い」
「……店をやっているのに、詳しいんですね」
「店の宣伝で配信を使っています。炎上した店も、利用された配信者も見てきました」
莉子さんは俺をまっすぐ見た。
警戒している。
けれど、敵意ではない。
仕事として、現実を見ている目だった。
「神代さん。あなたの料理は、人を助けると思います。村にとっても、たぶん必要です」
そこで一度、言葉を切る。
そして、はっきりと言った。
「でも、このままだと、あなたは炎上か利用される」




