第6話 無資格者は料理だけします
ギルドから届いたメールを、俺は納屋キッチンの作業台に置いたスマホで三回読み返した。
『無資格探索行為をただちに中止してください』
文面は丁寧だが、要するにそういうことだった。
俺の探索者ライセンスは、まだ停止中だ。
冤罪だろうがなんだろうが、ギルドの記録上、俺は「処分を受けた元探索者」である。だから正式なダンジョンには入れない。依頼も受けられない。素材の納品もできない。
それはわかっている。
だから俺は、ダンジョン攻略などしていない。
「ミコト。俺、探索してるように見えるか?」
「にゃ」
作業台の端に座った白猫は、尻尾をゆらりと揺らして鳴いた。
どっちだ。
ミコトの前には、昨日焼いた牙猪の小さな骨せんべいが置いてある。ぽり、と噛んで、満足げに目を細めた。
「俺がやってるのは、畑に出た害獣駆除と、料理だよな」
「にゃあ」
今度は、やけにはっきり鳴いた。
そういうことにしておこう。
俺は配信用のスマホを三脚に固定し、いつものように配信開始ボタンを押した。
「こんにちは。今日は、ギルドから怒られたので、料理だけします」
そう言った瞬間、コメント欄が流れ出した。
『開幕から不穏で草』
『怒られたんかい』
『無資格探索行為ってやつ?』
『昨日の牙猪、完全にモンスター素材だったもんな』
『でも私有地に出た害獣駆除じゃね?』
『探索者法に詳しいニキいない?』
『飯を見るために来たのに法律相談始まってて草』
「俺は正式なダンジョンには入ってません。村の畑に出た魔獣を追い払って、食べられるものは料理してるだけです」
『追い払う(倒す)』
『料理してるだけ(S級の手際)』
『ギルド強く出られないやつだ』
『田舎の害獣駆除にライセンスいるの?』
『地域による』
『魔獣の場合どうなん?』
『わからん、うまそうなら合法』
『それは違う』
コメント欄の議論はどんどん横道に逸れていく。
俺は苦笑して、まな板を濡れ布巾で拭いた。
「まあ、今日は本当に料理だけの予定です。昨日、畑の見回りで見つけた山菜と、村長さんにもらった玉ねぎで――」
「悠真くーん!」
納屋の外から、息の上がった声が飛び込んできた。
振り返ると、村の青年団のひとり、拓也さんが戸口に手をついて立っていた。額に汗を浮かべ、顔色が悪い。
「すまん、配信中か?」
「大丈夫です。どうしました?」
「また出た。南の畑に、牙猪だ。柵をぶち破って、芋を掘り返してる」
コメント欄が一気に加速した。
『イベント発生』
『牙猪!?』
『猪の魔獣版か』
『無資格探索行為、今から始まる?』
『畑なら害獣駆除だろ』
『ギルド見てるー?』
『料理だけとは』
俺はスマホを見た。
ギルドからの警告メールは、まだ通知欄に残っている。
南の畑は、村の春江ばあちゃんが腰を痛めながら世話をしている場所だ。春に植えた芋が、ようやく太り始めたと喜んでいた。
放っておく理由はなかった。
「……料理だけの予定でしたが、材料が畑に来たそうです」
『言い方』
『材料が来たw』
『害獣駆除です』
『これは害獣駆除』
『私有地! 私有地!』
『ギルド、これはセーフにしてやれ』
俺は三脚ごとスマホを持ち上げた。
「畑を映します。危ないところは近づかないでください」
「誰に言ってるんだ?」
「見てる人です」
「見てる人……?」
拓也さんはよくわからない顔をしたが、すぐに走り出した。俺はミコトを抱えようとしたが、白猫はひらりと床に降りて、俺の前を歩き始める。
ついてくるらしい。
「ミコト、危ないぞ」
「にゃ」
危ないのは相手のほうだ、とでも言いたげだった。
南の畑へ向かう道は、納屋から歩いて五分ほどだ。山の斜面を切り開いた段々畑で、土の匂いが濃い。遠くから、ばきり、ばきりと木が折れる音がした。
柵が壊れている。
その向こうで、黒い塊が土を掘り返していた。
牙猪。
普通の猪より二回り大きく、肩のあたりに岩のような外殻がある。口元から伸びた二本の牙は、白く鋭い。鼻先で土を跳ね上げるたび、芋の葉が無惨に散った。
畑の端には、村の人たちが集まっていた。
「悠真くん、すまねえな」
「近づくなよ。あいつ、突っ込んでくるから」
「昨日から腰が重くてなあ、追い払うにも足が動かん」
顔色の悪い人が多い。
魔素疲労だ。
この辺りは、神社の裏の森から妙な魔素が流れてくることがある。弱い人は、体が鉛みたいに重くなる。異世界でも、似た症状は何度も見た。
俺はスマホを畑の脇の木杭に固定し、画角を確認した。
「遠くから映します。音が大きいかもしれません」
『きた』
『でっか』
『猪ってサイズじゃない』
『畑終わる』
『これを一人で?』
『資格とか言ってる場合じゃなくない?』
『村人さん避難して』
「皆さん、少し下がってください」
俺は畑に入った。
牙猪が顔を上げる。
赤黒い目が、こちらを捉えた。
次の瞬間、地面を蹴った。
巨体が一直線に迫ってくる。柵の残骸を跳ね飛ばし、土を巻き上げ、牙を低く構えた突進。まともに食らえば、軽トラックでも横転する。
俺は一歩だけ前に出た。
右手を伸ばし、牙の根元を掴む。
「よっと」
衝撃を横に流しながら、足裏で土を噛む。牙猪の体がぐらりと傾いた。勢いを殺さず、そのまま首をひねる。
地面が鳴った。
牙猪は畑の外の草地に背中から落ち、二度ほど足をばたつかせて動かなくなった。
静かになった。
俺は手についた土を払う。
「……危ないので、真似しないでください」
コメント欄が、一拍遅れて爆発した。
『は?』
『今なにした?』
『軽く投げた???』
『牙猪ってC級でもパーティ案件では』
『無資格者の動きじゃねえ』
『スロー再生班頼む』
『本人のテンションが散歩中』
『よっと、じゃないんよ』
『ギルドさん見てますか』
『害獣駆除です』
村の人たちもぽかんとしていたが、最初に我に返ったのは畑の持ち主の春江ばあちゃんだった。
「芋が……半分は残っとる」
そこか。
「よかったです。柵はあとで直します」
「悠真くん、あんた本当に助かるよ」
「いえ。食べられるところ、持っていきますね」
牙猪は大きい。全部を今日処理するのは無理だが、ロースと肩肉ならすぐ使える。血抜きと解体を手早く済ませ、使う分だけ納屋へ運ぶことにした。
その間もコメント欄は、法律と胃袋の間で揺れていた。
『これ配信して大丈夫なん?』
『ダンジョンじゃないからセーフ説』
『でも魔獣素材の調理販売は?』
『村人に振る舞うだけなら?』
『知らん、腹減った』
『論点が生姜焼きに移行しました』
『牙猪の生姜焼き、絶対うまいやつ』
納屋キッチンに戻ると、俺はまず肉を厚めに切った。
牙猪の肉は、普通の猪より赤みが濃い。脂は白く締まっていて、包丁を入れるとしっとりとした抵抗がある。臭みは少ないが、野性味は強い。ここに生姜を合わせれば、間違いなく米が進む。
大きめのボウルに、すりおろした生姜をたっぷり入れる。
醤油、酒、みりん。
少しだけ砂糖。
村の玉ねぎを薄切りにして、肉と一緒に揉み込む。生姜の爽やかな辛みと醤油の香りが、すぐに立ち上った。
「牙猪は火を入れすぎると固くなるので、先に表面を焼いて、あとからタレを絡めます」
『急に料理番組』
『さっき魔獣投げてた人と同一人物?』
『肉の色やばい』
『脂きれい』
『生姜多め助かる』
『白米炊いた?』
『炊いてます』
もちろん炊いている。
釜の中では、村でもらった米がつやつやに蒸れていた。ふたの隙間から甘い湯気が漏れる。これがない生姜焼きなど、片翼の鳥みたいなものだ。
鉄のフライパンを火にかける。
油を薄く引き、温まったところで肉を並べた。
じゅう、と音が弾ける。
赤い肉の表面が一気に焼き固まり、脂が透明に溶け出した。玉ねぎを加えると、甘い匂いが混ざる。肉の野性味、生姜の辛み、醤油の焦げる香ばしさ。納屋の空気が一瞬で、腹を鳴らす匂いに変わった。
「にゃああ」
ミコトが低く鳴いた。
「まだ熱い」
「にゃ」
「味ついてるから、ミコト用は別に焼く」
「にゃ」
納得したらしい。前足を揃えて待機に入った。
肉に八割ほど火が入ったところで、漬けダレを一気に流し込む。フライパンの中で泡が立ち、醤油とみりんが艶になって肉に絡む。最後に追い生姜を少し。香りがまた立つ。
白い皿に、千切りキャベツを山にして盛る。
その横に、照りの出た牙猪の生姜焼きを重ねるように置いた。玉ねぎは飴色になり、肉の間でとろりとしている。フライパンに残ったタレを、上から細くかけた。
湯気。
生姜。
焦がし醤油。
炊きたての白米。
説明はいらなかった。
『飯テロ』
『これは罪』
『無資格料理行為』
『米を映せ』
『タレがキャベツに落ちてるの見た?』
『見た。今死んだ』
『ミコト様の分もはよ』
『ギルド警告より胃袋が強い』
俺はミコト用に、味をつけていない薄切り肉を別の小鍋で焼いた。少し冷まして小皿に出すと、ミコトは上品に匂いを嗅ぎ、それから一口で持っていった。
尻尾が立った。
合格らしい。
「悠真くん、入っていいかい?」
「どうぞ」
春江ばあちゃんを先頭に、村の人たちが遠慮がちに納屋へ入ってきた。俺は小皿に生姜焼きと米をよそい、順番に渡していく。
「たいした量じゃないですけど、味見してください」
「たいした量だよ、これは」
拓也さんが箸で肉を持ち上げた。照りのあるタレが白米に落ちる。
ひと口。
その瞬間、目が丸くなった。
「……うまっ」
それを合図に、みんなが食べ始めた。
「生姜が効いとる」
「肉が柔らけえなあ。牙猪ってこんなにうまいのか」
「タレの染みた米が、これまた」
「キャベツまでごちそうだよ」
春江ばあちゃんは、ゆっくり噛んでから、ふうと息を吐いた。
「あれ……体が軽い」
隣にいたじいちゃんが肩を回した。
「ほんとだ。朝から背中が重かったのが、抜けたみてえだ」
「足のしびれも薄いぞ」
「魔素疲れが取れてるんじゃないか?」
「昨日まで畑に出るのもしんどかったのに」
コメント欄も反応する。
『魔素疲労回復?』
『牙猪にそんな効能あったっけ』
『調理で魔素が整ってる説』
『料理バフじゃん』
『田舎のモンスター食堂、普通に医療寄りでは』
『資格の話がまたややこしくなるw』
『でも村人さん元気そうでよかった』
俺は首を傾げた。
異世界では、魔素を含んだ肉を食べて体調が戻ることは珍しくなかった。ただし、下処理を間違えると逆に体を壊す。筋や血に残った濁った魔素を抜いて、火加減で整える必要がある。
こちらでは、あまり知られていないのかもしれない。
「疲れてるときは、濃い魔素の肉をそのまま食べるより、生姜とか香味野菜で流れを整えたほうが楽になります。たぶん、そのせいです」
『たぶんで済ませる内容か?』
『さらっと専門知識』
『ギルド、こういうの研究しろ』
『料理だけします(回復効果あり)』
『生姜焼き食べたい』
『米三合いける』
村の人たちは、皿の底に残ったタレまで米で拭うように食べた。顔色がさっきより明るい。背筋も伸びている。
こういう顔を見ると、胸の奥が少し温かくなる。
追放されたとき、俺の料理なんて誰にも必要とされていないと思った。
でもここでは、畑を守れば喜ばれる。肉を焼けば、うまいと言ってもらえる。猫は偉そうに皿を要求してくる。
それで十分だ。
復讐なんて、考える暇がない。
「悠真くん」
村長が、空になった皿を持ったまま、納屋の入口に立っていた。
いつも穏やかな顔の人だが、今日は眉間に深いしわが寄っている。
「どうしました?」
「飯を食ったら、体が楽になった。だからこそ、今のうちに相談したい」
村長は山のほうを見た。
南の畑のさらに奥。昔、鉱石を掘っていた廃坑がある方角だ。
「昨夜からな、廃坑の奥で変な声がするんだ」
納屋の空気が、少しだけ冷えた。
「声、ですか」
「ああ。人の声にも聞こえるし、獣の唸りにも聞こえる。若い衆には近づくなと言ってある。だが、あそこから魔素が漏れとる気がしてな」
ミコトが作業台の上で、ぴたりと動きを止めた。
金色の目が、山のほうを向く。
『廃坑』
『それ絶対ダンジョン化してるやつ』
『無資格探索行為が近づいてきた』
『いや相談されただけだから』
『ミコト様が反応した』
『神社の裂け目と関係ある?』
『料理だけで済むのかこれ』
俺はフライパンに残ったタレを見た。
焦がし醤油と生姜の香りが、まだかすかに立っている。
「……俺、探索者ライセンス停止中なんですけど」
村長は真面目な顔でうなずいた。
「わかっとる。だからまずは、廃坑の入口まで見に来てくれんか。料理人として」
「料理人として?」
「もし何か出たら、また食えるかどうか見てもらいたい」
コメント欄が一斉に跳ねた。
『村長つよい』
『料理人としてw』
『無資格者は料理だけします』
『入口までなら散歩』
『食えるかどうか見てもらうの草』
『でも声が怖い』
『次回、廃坑グルメ編?』
ミコトが、短く鳴いた。
「にゃ」
行け、ということらしい。
俺はため息をついて、炊飯釜のふたを閉めた。
「わかりました。入口までです。今日はもう、包丁も研いでしまったので」
村長がほっとした顔をした。
その横で、ミコトがなぜか満足げに尻尾を揺らしている。
俺は配信画面に向き直った。
「というわけで、無資格者なので料理だけします。次は、廃坑の入口で何か食材があるか確認するだけです」
『言い方で逃げ切ろうとしてる』
『ギルド見てるか、料理だけだぞ』
『食材が鳴いてる可能性』
『やめろ怖い』
『次回も見る』
『米炊いて待ってる』
廃坑の奥から聞こえるという声。
神社の裏で感じた、あの裂け目の気配。
ミコトの目が、じっと山を見ている。
どうやら田舎暮らしは、思っていたより少しだけ忙しくなりそうだった。




