第4話 同接三人のモンスター料理配信
最初は、三人だったはずなのに。
スマホの画面右上に表示された数字を見て、俺は包丁を持ったまま固まっていた。
同時接続者数、百二十七。
いや、おかしい。
さっきまで三だった。三人だったのだ。たぶん、そのうち一人は誤タップした俺自身で、もう一人はたまたま迷い込んだ人で、最後の一人は暇な誰かだと思っていた。
それが今、百を超えている。
しかも、コメントが止まらない。
『え、なにこれ本物?』
『モンスター肉って言った?』
『猫かわいい』
『田舎の台所で何やってんの』
『今の猫しゃべったよな?』
「ええと……見えてますか?」
恐る恐る声をかけると、コメントがさらに流れた。
『見えてる』
『音も入ってる』
『続けて』
『猫を映せ』
『肉を映せ』
『どっちも映せ』
「どっちも……?」
俺がスマホの角度を少し下げると、まな板の上の角兎肉と、その横で前足をそろえて座っている白猫――ミコトが映った。
ミコトは当然のような顔で胸を張る。
「ふむ。ようやく人の子らも、我の尊さに気づいたか」
『しゃべった!?』
『猫しゃべった!?』
『腹話術?』
『かわいい』
『声が偉そうなのに見た目もちもちで草』
「もちもちではない。神々しいと言え」
『もちもち』
『神々しいもちもち』
『白玉』
『かわいい』
「む……」
不満げに目を細めるミコトの尻尾が、ぱたん、ぱたんと床を叩く。
俺は妙な汗をかきながら、咳払いした。
「えっと、じゃあ続けます。今日は角兎の味噌焼きです。残っている保存肉を使います」
『角兎?』
『ダンジョン兎のやつ?』
『モンスター肉ってそのまま食えるの?』
『毒あるぞ』
『魔素酔いするやつでは』
「ああ、もちろん、そのままは駄目です」
俺は水を張ったボウルに、戻しておいた角兎肉をくぐらせる。
「角兎は内臓周りに苦味と軽い麻痺毒が残るので、血抜きの後に筋膜を外して、魔素の溜まりやすい銀色の筋を取ります。これは保存する前に処理済みですが、戻す時も残りを見ます。ここですね」
包丁の先で、肉の端に残った細い銀筋をすっと剥がす。
異世界にいたころは、毎日やっていた作業だ。
勇者たちが倒してきた魔物を、食べられるようにする。それが俺の仕事だった。
毒を抜き、魔素を散らし、肉の癖を見て、火を入れる。
誰も褒めてはくれなかったけれど、腹を壊されても困るから、手は抜けなかった。
『待って』
『今なにした?』
『銀筋を一発で抜いた?』
『角兎の魔素腺そこなの?』
『この処理、国認定職人でもできないぞ』
『え、やばくね?』
「国認定……?」
俺は首をかしげた。
こちらの世界にも、モンスター素材を扱う職人資格があるらしいのは知っている。処理を間違えると食中毒どころか魔素障害を起こすから、専門施設で扱うのが基本だとか。
でも、角兎くらいなら初歩だ。
異世界では、見習いの頃に百匹はさばかされた。
「そんなに難しくないですよ。角兎は耳の付け根と後ろ足の付け根に魔素が寄るので、そこを外せばだいぶ楽です。あとは塩で軽く揉んで、酒と生姜で匂いを落として……」
『いやいやいや』
『簡単みたいに言うな』
『後ろ足の付け根って企業秘密のやつでは?』
『この人、どこの料理人?』
『店どこ?』
『猫かわいい』
「店はないです。祖母の家の台所です」
『祖母の家』
『情報量』
『田舎の台所でS級素材処理してる?』
『それ本物のS級素材では?』
『角兎にしては魔素濃度高そう』
「S級……?」
俺はまな板の肉を見下ろした。
たしかに、これは普通の角兎より力が残っている。神域に近い土地で獲れたものだったから、こちらの基準では珍しいのかもしれない。
ただ、異世界では特別でもなかった。神々の食卓に出すなら、もっと癖の強い魔獣がいくらでもいた。
「まあ、ちょっと元気な角兎ですね」
『ちょっと元気w』
『認識がバグってる』
『元気な角兎(S級)』
『この配信者やばい』
『猫かわいい』
コメントの半分くらいが肉の話で、半分くらいがミコトの話だ。
ミコトは画面の前で香箱座りをして、やたらと偉そうに目を細めている。たまに鼻先をひくひくさせて、味噌だれの器を見ていた。
「まだ駄目だぞ。焼いてからだ」
「我は神獣ぞ。毒見という尊い務めがある」
「さっき食べたばかりだろ」
「神に量の概念を押しつけるでない」
『神獣w』
『設定盛りすぎ』
『でもかわいいから許す』
『毒見係かわいい』
『猫ちゃん名前は?』
「名前はミコトです」
「呼び捨てを許した覚えはないぞ、悠真」
『悠真?』
『配信者、悠真っていうの?』
『ミコト様』
『ミコト様かわいい』
『悠真さん、手元見せて』
「あ、はい」
俺はスマホを少し寄せ、手元が映るようにした。
味噌に酒、みりん、すりおろした生姜を混ぜる。祖母の家に残っていた味噌は、昔ながらの少し塩気が強いものだった。角兎の淡い甘みには、これくらいが合う。
そこに、薄く叩いた山椒の葉を少し。
「山椒は入れすぎると肉の香りが消えるので、ほんの少しです。魔素が濃い肉は香りが立ちやすいから、薬味で押さえこむより、逃がす場所を作ったほうがいいです」
『逃がす場所?』
『料理の説明なのに魔術理論みたい』
『魔素を香りで逃がすってこと?』
『この人ガチだ』
『国の研究員見てる?』
『見てるぞ』
『お前誰だよ』
俺は味噌だれを肉に薄く塗り、熱したフライパンに置いた。
じゅっ、と音が跳ねる。
脂が溶け、味噌の焦げる甘い匂いが台所に広がった。肉の表面がきゅっと締まり、端から透明な肉汁が浮いてくる。
腹が鳴った。
俺のではない。
ミコトが、すました顔のまま耳だけ赤くしている。
「……今のは床の鳴き声だ」
「床は腹鳴らないだろ」
『ミコト様w』
『床の鳴き声w』
『かわいい』
『腹ぺこ神獣』
『飯テロすぎる』
『味噌焦げる音で米食える』
焼き目がついたところで裏返す。
白い湯気が上がった。
古い台所で、傷だらけだった神獣が腹を鳴らし、画面の向こうで知らない人たちが騒いでいる。
変な状況なのに、少しだけ息がしやすかった。
「焼けました」
皿に盛り、刻んだ大葉をのせる。
味噌の照りが、肉の表面で薄く光っていた。端は香ばしく、中はふっくらしているはずだ。
箸で一切れ持ち上げると、ミコトの目が丸くなった。
「待て」
「待ってる」
「我が先だ」
「さっき毒見って言ったから?」
「うむ。神聖な役目だ」
俺が小皿に一切れ置くより早く、白い前足が伸びた。
「あっ」
ミコトは器用に肉をさらい、少し離れた畳の上で、はふはふと食べ始めた。
「熱いぞ、気をつけろ」
「はふ……む、むう……!」
ミコトの尻尾が、ぴんと立った。
次の瞬間、左右にぶんぶん揺れる。
「これは……先ほどより香りがよい。味噌の焦げが肉の甘みを引き立てておる。山椒の青さも悪くない。悠真、褒めてつかわす」
「それはどうも」
『食レポうまい猫』
『ミコト様、語彙ある』
『しっぽww』
『おいしそう』
『飯テロ』
『神獣基準は参考にならんだろ』
俺も一切れ口に入れた。
噛むと、香ばしい味噌の奥から肉汁があふれる。角兎特有の草の香りは、山椒と大葉で丸くなっていた。後味に残るわずかな魔素の熱も、味噌の塩気でちょうどいい。
「うん。大丈夫そうです」
『大丈夫そうのレベルじゃない』
『米は?』
『米を出せ』
『白飯を用意しろ』
『この時間に見るんじゃなかった』
『チャンネル登録した』
画面を見ると、見慣れない通知がぽこぽこと出ている。
登録者が増えているらしい。
同時接続者数は、いつの間にか千を超えていた。
胃が変なふうに縮む。
「え、ちょっと待ってください。これ、そんなに見るものじゃ……」
『見るものだろ』
『続けて』
『次は炙り』
『解体から見たい』
『猫を固定カメラで』
『悠真さん何者?』
『元探索者?』
『この処理動画、切り抜いていい?』
「切り抜き……? ええと、よくわからないですけど、変なふうにしなければ……」
『許可出た』
『拡散する』
『これは伸びる』
『国認定職人が泡吹くやつ』
『ミコト様まとめ作る』
嫌な予感がした。
俺は、できれば静かに暮らしたい。
黒瀬蓮たちに捨てられて、疑われて、ようやく祖母の家にたどり着いたばかりだ。誰かに認められたい気持ちがないと言えば嘘になる。けれど、大勢に見られるのは怖い。
また、何かを間違えたら。
また、誰かに都合よく切り捨てられたら。
そんな考えが胸の奥をかすめたとき、ミコトが皿の前に座り直した。
「悠真」
「ん?」
「焦げるぞ」
「あっ」
フライパンの上で、炙り用の肉がじりじり音を立てていた。
慌てて火を弱める。
ミコトはふんと鼻を鳴らした。
「人の目など気にするでない。まずは飯だ。飯を粗末にする者は、神罰が下る」
「……そうだな」
『名言』
『まずは飯』
『ミコト様ありがたい』
『神罰こわい』
『でもかわいい』
俺は小さく笑って、炙り肉を仕上げた。
配信はその後も、妙な盛り上がりのまま続いた。
角兎の味噌焼き、炙り、大葉と山椒の簡単な和え物。残った脂で焼いたおにぎりまで作ると、コメント欄は完全に飯の話とミコトの話で埋まった。
俺は終わり方もわからず、最後に「見てくれてありがとうございました」と頭を下げて配信を切った。
台所が、急に静かになる。
古い冷蔵庫の低い音と、外の虫の声だけが残った。
「……なんだったんだ、今の」
「供物の儀であろう」
満腹になったミコトは、畳の上で丸くなっている。偉そうなことを言っているが、目は半分閉じていた。
スマホを見ると、通知が止まらない。
さっきの配信の一部が、もう短い動画になって流れているらしい。
――田舎の台所でS級角兎を処理する謎の男。
――しゃべる白猫、食レポが上手すぎる。
――国認定職人でも難しい魔素抜きを普通にやる配信者。
そんな文字が、画面に並んでいた。
その中に、俺の名前もあった。
悠真。
たったそれだけなのに、胸がざわつく。
そのころ。
都内の探索者用宿舎の一室で、白鳥玲奈はスマホを見つめていた。
遠征帰りの疲れが抜けない体をベッドに預け、何気なく開いた動画アプリ。
そこに流れてきた短い動画で、見覚えのある手が包丁を握っていた。
迷いのない指先。
魔素の筋を見つける、あの独特の目の動き。
画面の中の男は、少し痩せて、以前より静かな顔をしていた。
「……悠真さん?」
玲奈の声は、誰にも届かない。
動画の中で、白い猫が肉を奪い、コメント欄が笑いに包まれている。
悠真も、ほんの少し笑っていた。
その笑顔を見た瞬間、玲奈の胸に、小さな棘のような違和感が刺さった。
黒瀬蓮は言った。
悠真は無能だと。
危険な素材も扱えず、ただ足を引っ張っていただけだと。
でも、今の処理は。
あの手際は。
玲奈は動画を最初から再生し直した。
答えの出ないまま、画面の中の神代悠真だけが、当たり前みたいに角兎をさばいていた。




