第27話 処分通知の日、鍋は静かに煮える
《暁の剣》の正式処分が出た日は、よく晴れていた。
朝から村は、納屋食堂の掃除で忙しかった。
窓枠を拭き、床を磨き、古い棚を外へ出す。村の大工さんが、がたついていた戸を直してくれる。莉子さんは保健所とダンジョン庁の窓口に連絡を入れ、必要書類を一つずつ確認していた。
俺は、かまどの前で牛すじならぬ牙猪すじを煮込んでいた。
昨日、村の猟師さんが持ってきてくれたものだ。
黒水騒ぎのあとだから、魔素残留はいつも以上に丁寧に見る。湯を替え、灰汁をすくい、生姜と葱を加え、味噌を少しずつ溶かす。
鍋の中で、すじ肉がゆっくり柔らかくなっていく。
脂の甘い匂い。
味噌の丸い香り。
生姜の辛み。
納屋の外では、板を打つ音がしている。
「悠真」
ミコトが作業台の端で、鍋を見下ろしていた。
「今日は味が濃い」
「掃除を手伝ってる人たち用だ。汗をかくから」
「我も汗をかいた」
「寝てただろ」
「夢の中で働いた」
「夢の給料は夢でもらえ」
ミコトは不満そうに鳴いた。
その時、莉子さんのスマホが震えた。
彼女は画面を見る。
表情が、少しだけ硬くなった。
「出ました」
「何が」
「《暁の剣》の処分です。公式発表」
納屋の中の音が、一瞬だけ止まった。
床を拭いていた村の若者も、棚を運んでいたおじさんも、こちらを見る。
俺は鍋の火を弱めた。
「内容は」
莉子さんは、必要な部分だけを読んだ。
「黒瀬蓮、虚偽報告および監査資料提出拒否、証言誘導の疑いにより、探索者資格の一時停止。B級以上のダンジョン攻略参加禁止。所属チーム《暁の剣》は、活動停止および再審査。スポンサー契約も停止。関係者への処分は個別審査」
村の誰かが、低く息を吐いた。
「ざまあ、って言いたいところだけど」
若者が言いかけ、途中で口を閉じた。
俺がどう思うか、気にしたのだろう。
俺はお玉で鍋を混ぜる。
味噌が底に沈まないように。
「必要な処分なら、それでいいと思います」
「それだけですか」
莉子さんが聞いた。
「それだけです」
自分でも、少し不思議だった。
胸が晴れると思っていたわけではない。
でも、何かが終わった感じはある。
あの会議室で、俺が言えなかったこと。
届かなかった言葉。
押しつけられた書類。
それらが、ようやく別の書類で上書きされた。
ただ、それを見世物にして喜ぶ気にはなれなかった。
「配信では触れません」
莉子さんが先に言った。
「聞かれても、公式発表を見てください、で止めます」
「お願いします」
「たぶん荒れます。黒瀬さんを叩きたい人も、悠真さんにコメントを求める人も来る」
「俺は、今日はすじ煮を作っています」
莉子さんは少しだけ笑った。
「そう返したら、逆に強いかもしれませんね」
ミコトが鍋を見たまま言う。
「処分では腹は満ちぬ」
「それも強いな」
「処分を肴に飯は作らない。味が悪くなる」
俺がそう言うと、莉子さんは一度だけ頷いた。
「我はいつも正しい」
実際、その日の短い投稿は、莉子さんが整えた。
『本日は納屋食堂の準備をしています。公式発表については、各機関の情報をご確認ください。こちらでは村と食堂の準備を進めます』
写真は、鍋の湯気だけ。
牙猪すじと大根が、味噌色の煮汁の中で揺れている。
コメント欄は制限付きで開けた。
『お疲れさまです』
『鍋うまそう』
『触れない判断、いいと思う』
『処分より飯』
『ミコト様の取り分は?』
最後のコメントだけ、ミコトに見せないようにした。
同じ頃。
都内のギルド本部。
黒瀬蓮は、白い会議室に座っていた。
正面にはギルド職員と、ダンジョン庁の担当者。
机の上には、正式処分通知。
かつて悠真へ除名通知を突きつけた時と、似た構図だった。
ただし、今日は黒瀬が受け取る側だ。
「異議申し立ては可能です」
職員が事務的に言う。
「ただし、監査資料、補助記録水晶、救助動画、現地での接触記録、発言記録を踏まえ、現時点で処分の取り消しは困難です」
黒瀬は通知書を見ていた。
文字が頭に入ってこない。
資格停止。
活動停止。
スポンサー契約停止。
コメント欄では、彼を責める言葉が溢れている。
だが、いちばん耳に残っているのは、村で聞いた短い言葉だった。
「助かる」
水の段ボールを運んだ時、村の老人が言った言葉。
英雄として向けられた歓声ではない。
剣を振ったことへの称賛でもない。
ただ、重いものを運んだ人間への礼。
あの言葉の方が、今の黒瀬には重かった。
「黒瀬さん」
隣に座っていた白鳥玲奈が、静かに言った。
彼女も処分対象ではある。
だが、自発的な証拠提出と現地協力が考慮され、資格停止ではなく、一定期間の監督付き活動制限と再研修になった。
「私は、治癒支援の研修を受け直します」
黒瀬は彼女を見た。
「お前は、それでいいのか」
「よくはありません。でも、そこからしか始められないと思います」
「神代のところへ行くのか」
「許されるために行くつもりはありません」
玲奈は膝の上で手を握った。
「あの村で、私は少しだけ手伝いました。でも、それで過去が消えるわけじゃない。だから、治癒師として、もう一度、自分の仕事を見直します」
黒瀬は笑おうとして、失敗した。
「真面目だな」
「蓮さん」
「なんだ」
「私たちは、神代さんに戻ってきてほしかったんじゃないと思います」
黒瀬の目が細くなる。
玲奈は続けた。
「戻ってきて、前と同じように支えてくれれば、自分たちが間違っていたことを見なくて済む。そう思っていたんだと思います」
会議室の空気が、静かに沈む。
黒瀬は通知書を握った。
言い返したかった。
だが、言葉が出なかった。
村の入口で、悠真は言った。
黒瀬たちをどうこうするために生きているわけではない、と。
あの時は腹が立った。
今も、完全に納得したわけではない。
けれど、理解はできる。
悠真の生活は、もう黒瀬の敗北を飾るための舞台ではなかった。
玲奈は立ち上がった。
「私は、行きます」
「どこへ」
「研修の手続きと、謝罪文の提出。それから、佐伯監査官へ追加資料を渡します」
「まだ何かあるのか」
「昔の支援記録です。神代さんが作っていた処理食と、私の治癒ログ。今後、同じことが起きないように、後方支援の評価資料に使ってもらいます」
黒瀬は、今度こそ何も言えなかった。
玲奈が部屋を出ていく。
扉が閉まる。
白い会議室に、黒瀬だけが残った。
彼は、通知書を見た。
かつて自分が支配していると思っていた紙。
その紙の上で、今度は自分の名前が裁かれている。
村では、昼の仕込みが終わっていた。
掃除を手伝った人たちに、牙猪すじ煮が振る舞われる。
大根は箸で割れるほど柔らかい。
すじ肉はほろりと崩れ、味噌の甘みと生姜の辛みを含んでいる。白い湯気に、みんなの顔が緩んだ。
「うまい」
「掃除したあとにこれは効くなあ」
「食堂、早く開けよう」
その声を聞いて、俺は少しだけ笑った。
ミコトは自分用の薄味すじを食べ終え、空の皿を前足で押している。
「追加」
「今日はここまで」
「処分通知の日である。祝いの追加があってよい」
「祝わない」
「では労働の追加」
「寝てただろ」
「夢で働いた」
同じ言い訳を、朝も聞いた気がする。
夕方、佐伯さんから連絡が入った。
『黒瀬蓮氏への正式処分が決定しました。白鳥玲奈氏は監督付き再研修を選択。後日、村へ正式な謝罪と、支援記録の提供を希望しています』
俺は少し考えて、返信した。
『村長と莉子さんに相談します。食堂準備中なので、日程は急ぎません』
送信してから、鍋を洗う。
焦げついた味噌を、たわしで落とす。
完全には落ちない。
でも、水に浸し、こすり、また洗えば、次の鍋はかけられる。
過去も、たぶん同じだ。
なかったことにはならない。
けれど、焦げだけを見続けていても、次の飯は作れない。
俺は洗った鍋を伏せ、納屋の外を見た。
夕方の光の中で、新しい看板用の板が乾かされていた。
まだ文字は書かれていない。
でも、そこに何を書くかは、もう決まっている。




