第14話 暁の剣、飯抜き攻略
《暁の剣》の攻略配信は、夕方六時に始まった。
タイトルは、強かった。
『本物の攻略者が見せるB級ダンジョン最速突破』
サムネイルには、黒瀬蓮が剣を構える姿と、赤い文字で「証明」という二文字。
昨日までの炎上を、力で押し返すつもりなのだと誰でもわかった。
同接は多かった。
黒瀬のファン。
騒ぎを見に来た野次馬。
神代悠真の配信から流れてきた視聴者。
そして、ダンジョン庁の監査部。
佐伯真尋は、村の宿泊施設の一室で端末を開き、その配信を無言で見ていた。
同じ頃、俺は納屋キッチンでおにぎりを握っていた。
村長と佐伯さんから、明日の朝に廃坑周辺へ専門調査隊が来ると聞かされている。調査隊は早朝着だ。山道を越えて来るなら、温かいものと手早く食べられるものが必要になる。
炊き立ての米に、少しだけ塩。
具は二種類。
ひとつは、牙猪のしぐれ煮。
細かく刻んだ肉を生姜と醤油で甘辛く炊き、脂を米に馴染ませる。噛むと肉の旨味がじわっと出るが、後味は重くならないよう山椒を少しだけ入れた。
もうひとつは、氷結トラウトのほぐし身。
炭火で焼いて皮をぱりっとさせ、身をほぐし、味噌と大葉で和える。冷めても香りが立つように、皮も細かく刻んで混ぜた。
「悠真、丸が小さい」
作業台の上で、ミコトが指導してくる。
「調査隊用だから、食べやすい大きさでいい」
「我用が小さい」
「そっちか」
ミコトの前には、味付けを薄くした小さなおにぎりが一つ置いてある。
さっきまで「我は監督者である」と言っていたのに、食べ物が出ると普通に待っている。
「冷めてからな」
「むう」
莉子さんは、カウンター代わりの作業台の端でノートパソコンを開いていた。
画面の半分には、うちの配信管理画面。
もう半分には、《暁の剣》の攻略配信。
調査隊用のおにぎり作りは、手元だけの短い配信にしている。場所は映さず、村の人も映さない。莉子さんが決めた安全な範囲だけだ。
「見なくていいと言われても、これは見ます」
「止めません」
「悠真さんは?」
「俺はおにぎりを握ります」
「ですよね」
莉子さんは苦笑した。
配信画面では、黒瀬がダンジョン入口に立っていた。
装備は整っている。
剣は最新型の魔力刃。
防具も高価な軽装鎧。
背後には白鳥玲奈と、他のメンバーが二人。斥候役の戸塚圭、魔術担当の鳴海沙羅。どちらも《暁の剣》の正式メンバーだ。
見栄えはいい。
黒瀬はカメラに向かって、余裕のある笑みを作った。
『今日、俺たちは結果で示す。根拠のない噂や、田舎の料理配信に振り回される必要はない。本物の攻略者が何をするのか、見ていてくれ』
コメントが流れる。
『待ってました』
『黒瀬さん頑張れ』
『証明してくれ』
『神代の話はもういい』
『いや神代の話をしたの黒瀬側では』
『B級最速突破って大丈夫?』
黒瀬は、都合の悪いコメントを拾わなかった。
配信は始まった。
最初の三十分は、確かに順調だった。
黒瀬は強い。
それは間違いない。
魔力刃を振れば、石皮の魔物が一撃で裂ける。戸塚は罠を見つけ、鳴海は火力魔法で群れを散らす。玲奈の治癒も正確だった。
コメント欄にも、称賛が増えた。
『やっぱ強いな』
『戦闘力は本物』
『これなら大丈夫そう』
莉子さんが画面を見ながら、ぽつりと言う。
「強いですね」
「強いですよ。《暁の剣》は、もともと強いチームです」
「じゃあ、どうして」
「強いだけでは、長く潜れない」
俺はおにぎりを一つ握り終えた。
手のひらに残る米の熱。
塩の粒。
具を包むときの、ほんの少しの力加減。
ダンジョンも、飯も、派手なところだけでは成り立たない。
配信画面で、最初の違和感が出た。
戸塚が水筒を開け、顔をしかめる。
『浄水タブレット、合わないかも』
『飲めないのか』
『いや、飲める。でも鉄臭い』
鳴海が携帯食をかじり、すぐに水で流し込んだ。
『これ、口の中がぱさぱさする』
『我慢しろ。行くぞ』
黒瀬は足を止めない。
それ自体は、攻略者として間違いではない。状況によっては、休憩を削って進む必要もある。
だが、今日は配信で見せるための攻略だ。
焦る必要はない。
玲奈が小さく声をかけた。
『蓮さん、一度休憩を』
『まだ早い』
『魔素濃度が上がっています。回復薬の吸収も少し悪いです』
『だからこそ早く抜ける』
コメント欄に、少しずつ別の温度が混ざる。
『休んだ方がよくない?』
『玲奈さんの顔色悪い』
『携帯食だけでB級はきついだろ』
『前はこの辺で神代がスープ作ってたって話マジ?』
『料理の話するなって言われそうだけど、状態管理って大事では』
俺は画面を見ないように、おにぎりを海苔で包んだ。
海苔の香りが立つ。
米の湯気と混ざると、それだけで腹が鳴りそうになる。
「悠真、我のは」
「もう少し冷めたら」
「配信の者たちは飯を食わぬのか」
「食ってはいる。足りないだけだ」
「足りぬ飯は飯ではない」
「手厳しいな」
ミコトは真剣だった。
画面の中で、《暁の剣》は中層へ入った。
灰色の岩壁が続く区域。
床には、細かい砂のような魔素結晶が積もっている。踏むたびに靴底から薄い粉が舞い上がり、肺に入ると体が重くなる。
俺は、その地形を知っていた。
前に潜ったときは、通過前に布を湿らせて全員へ渡した。苦い草を煮出した水だった。匂いは悪いが、吸い込む魔素を少し減らせる。
画面の中の彼らは、そのまま進んでいた。
玲奈が咳き込む。
『大丈夫か』
『はい。ただ、粉塵が』
『鳴海、風で払え』
『やってます。でも細かすぎる』
黒瀬は剣を振り、前方の魔物を切り伏せた。
判断は早い。
動きも鋭い。
だが、後ろが遅れ始めている。
戸塚の足取りが乱れ、鳴海の詠唱が少し長くなった。玲奈は治癒魔法を節約しようとして、唇を噛んでいる。
それでも黒瀬は進む。
止まれば、負けを認めることになる。
画面越しに、そんな焦りが見えた。
そして、中層奥で灰刃蜥蜴が出た。
岩に似た鱗を持つ大型魔物。尾の先に鋭い刃状の骨があり、振るたびに灰色の粉を撒く。傷そのものより、粉に含まれる麻痺性の魔素が厄介だ。
『来たぞ!』
黒瀬が前へ出る。
剣筋は見事だった。
灰刃蜥蜴の初撃を受け流し、首筋へ斬り込む。魔力刃が鱗を割り、黒い血が飛んだ。
だが、その血を見た瞬間、俺は手を止めた。
「まずい」
莉子さんが顔を上げる。
「何がですか」
「あれは、斬ったあとに血を散らすと粉と混ざる」
画面の中で、灰色の霧が広がった。
鳴海が咳き込み、戸塚が膝をつく。
玲奈がすぐに結界を張ろうとしたが、遅い。
黒瀬は蜥蜴に追撃を入れ、確かに仕留めた。
強い。
強いのだ。
けれど、その場にいる全員が灰色の霧を吸い込んでいた。
『げほっ、なにこれ』
『手が、しびれる』
『玲奈、治癒!』
『治癒だけでは抜けません。解毒処理が必要です』
『回復薬は』
『吸収が悪いって、さっきから』
コメント欄がざわついた。
『やばくない?』
『倒したのに全員状態異常?』
『灰刃蜥蜴は血抜き方向ミスると霧出るやつ』
『それ誰が処理してたんだよ』
『神代ならたぶん食材にしてた』
『今それ言うな』
『でも事実では』
黒瀬の顔が歪んだ。
『撤退する』
その判断は遅かったが、間違ってはいなかった。
彼は戸塚の腕を掴み、鳴海に肩を貸し、玲奈を後ろへ下がらせた。戦闘者としての責任は捨てていない。
ただ、もう配信で格好をつける余裕はなかった。
帰路は乱れた。
足取りは重く、呼吸は荒い。黒瀬は最後まで前に立ったが、画面に映る顔には明らかな焦りがある。
入口へ戻ったとき、予定していた最速突破の文字は、誰の頭にも残っていなかった。
『本日の攻略は、予期せぬ状態異常のため中断する』
黒瀬はカメラに向かって言った。
『だが、討伐自体は成功した。俺たちの実力に問題はない』
コメント欄は、すぐには賛同しなかった。
『実力はあるけど準備が足りない』
『玲奈さん、最初から休憩言ってた』
『状態異常管理って誰の担当だったの?』
『雑用って言葉で済ませてた部分では』
『神代を下げる配信の翌日にこれはきつい』
配信は、慌ただしく終了した。
納屋キッチンに、しばらく沈黙が落ちる。
莉子さんがノートパソコンを閉じた。
「悠真さん」
「はい」
「悔しいですか」
俺は少し考えた。
黒瀬たちが失敗した。
俺を無能だと言った彼らが、俺のしていた仕事の穴で苦しんだ。
それは、世間的には気持ちのいい展開なのかもしれない。
でも、画面の向こうで咳き込む玲奈を見て、胸が晴れたわけではなかった。
「悔しいというより、危ないと思いました」
「……そう言うと思いました」
「灰刃蜥蜴の肉は、処理すれば食えます。血の霧を出さずに抜ければ、尾の付け根がうまい」
「そこですか」
「そこです」
俺は握り終えたおにぎりを盆に並べた。
丸いもの、三角のもの、ミコト用の小さいもの。
まだ温かい。
海苔の香りが、納屋いっぱいに広がっている。
ミコトがようやく自分用のおにぎりにかじりついた。
「うむ。証明とは、腹を満たしてからするものよ」
「それは本当にそうかもしれない」
莉子さんが、少しだけ笑った。
その夜遅く。
佐伯さんから連絡が来た。
『明朝、白鳥玲奈氏から補助記録水晶を受領します。その後、神代氏にも確認をお願いする可能性があります』
俺はその文面を見て、しばらく黙った。
玲奈。
会議室でうつむいていた彼女の顔を思い出す。
怒りは、もうあまり湧かなかった。
ただ、鍋の底に残った焦げのようなものが、胸の奥にある。
こすっても簡単には落ちない。
それでも、明日の朝は来る。
俺は調査隊用のおにぎりに布をかけ、火の始末をした。
外では、廃坑のある山が暗く沈んでいる。
その奥から、かすかに冷たい風が吹いていた。




