第11話 暴露動画より熱い鍋
翌朝、村はいつもより少しだけ静かだった。
畑へ向かう軽トラックの音も、井戸端で交わされる挨拶もある。カフェ・こもれびの煙突からは、コーヒーを淹れるための細い湯気が上がっている。
けれど、誰も昨日のことを軽く口にしなかった。
蒼太が廃坑に入ったこと。
鉱牙狼が出たこと。
ミコトが金色の結界で子供を守ったこと。
俺が魔獣を仕留めたこと。
それらが配信に映ってしまったこと。
全部、本当のことだ。
だからこそ、朝の空気は少し重かった。
「膝の傷は浅いそうです」
納屋キッチンの戸口で、莉子さんが言った。
手にはスマホが二台。片方は配信用、もう片方は連絡用だ。昨日からほとんど寝ていないはずなのに、目だけは妙にはっきりしている。
「熱も?」
「今のところなし。魔素汚染の反応も低いって。診療所の先生が念のため午前中もう一回見るそうです」
「よかった」
俺は鍋の火を弱めた。
鍋の中では、米がゆっくりと崩れている。牙猪の骨で取った薄い出汁に、刻んだ大根と人参、少しだけ山菜を入れた。蒼太でも食べやすいように、肉は細かく裂いてある。
仕上げに、氷結トラウトの骨から取った澄んだ出汁をひと匙。
熱い湯気の中に、獣の太い旨味と、川の水みたいな冷たい香りが混ざった。
「悠真」
作業台の上で、ミコトが真剣な顔をしている。
「まだ熱いぞ」
「味見」
「猫舌だろ」
「神猫である」
「神猫でも熱いものは熱い」
小皿に少し取って冷ましてやると、ミコトは鼻先で温度を確かめてから、ぺろりと舐めた。
金色の目が、ゆっくり細くなる。
「うむ。弱った人間にちょうどよい」
「それはよかった」
昨日、ミコトも力を使った。
今はいつも通りふてぶてしい顔をしているが、毛づくろいの回数が少ない。眠りも浅かった。本人は認めないだろうが、疲れている。
俺はミコト用に、味をつける前の粥を小さな器によそった。
「ミコトも食え」
「悠真が先に食べよ」
「俺はあとでいい」
「ならば我もあとでよい」
そう言って、ミコトは鍋から顔をそむけた。
面倒な猫だ。
でも、昨日あの小さな体で子供を守った猫でもある。
俺は仕方なく、自分用の椀に粥をよそい、ひと口食べた。
米の甘みが舌に広がる。牙猪の出汁は力強いのに、氷結トラウトの香りが後味を軽くしていた。喉を通ると、胃のあたりがじんわり温まる。
「うまい」
「では我も食べる」
「判断基準が俺なのか」
「当然であろ」
ミコトは満足げに器へ顔を近づけた。
そのとき、莉子さんのスマホが震えた。
彼女は画面を見て、表情を消した。
「来ました」
「何が」
「黒瀬蓮の暴露動画です」
納屋の中の空気が、少しだけ冷えた。
莉子さんは迷ったように俺を見る。
「見ますか」
「粥が冷める」
「ですよね」
莉子さんは小さく息を吐いた。
怒っているのではなく、たぶん少し安心したのだと思う。
「内容だけ言います。タイトルは『元仲間が告発 田舎配信者・神代悠真の本当の顔』。サムネは黒背景に赤文字。悠真さんの昔の写真を勝手に使ってます」
「昔の写真なんてあったかな」
「ギルド登録時のものっぽいです。かなり悪意ある切り抜き」
「そうか」
俺は鍋を混ぜた。
焦げつかないように、底からゆっくり。
「動画では、悠真さんが撤退時に仲間を置き去りにした、物資を横流しした、危険素材を勝手に持ち出した、って言ってます」
「全部、前と同じだな」
「ただ、今回は配信者として注目されてるから潰す、という意図がかなり見えます」
「莉子さん」
「はい」
「俺は、今から蒼太の家に粥を持っていく。そのあと、村長に廃坑の封鎖の相談をする。黒瀬の動画を見る時間は、たぶんない」
莉子さんは数秒黙った。
それから、少しだけ口元を緩めた。
「わかりました。こっちは私が見ます」
「無理はしないでください」
「無理はします。でも、無茶はしません」
区別があるらしい。
俺は保温鍋に粥を移し、蓋を閉めた。布で包むと、湯気の匂いが少しだけ外に漏れる。
ミコトが器を空にして、前足で口元を拭いた。
「我も行く」
「蒼太の見舞いか」
「煮干しの礼を受け取らねばならぬ」
「礼を受け取る側か」
「当然である」
その当然が、少しだけ嬉しかった。
蒼太の家は、納屋から歩いて十分ほどのところにある。
玄関先に着くと、蒼太の母親が出てきた。目元は赤かったが、顔色は昨日よりずっといい。
「神代さん、ミコトちゃん……」
「蒼太くんに。食べられそうなら」
保温鍋を渡すと、彼女は両手で受け取り、また泣きそうな顔になった。
「昨日助けてもらったばかりなのに、こんな」
「昨日は怖い思いをしたでしょうから。胃に入るものがあると、少し落ち着きます」
「ありがとうございます」
奥の部屋から、蒼太の声がした。
「ミコト、来た!?」
「にゃ」
ミコトは当然のように玄関を上がろうとして、俺に首根っこを止められた。
「許可を取ってから」
「我は恩人である」
「恩人でも靴は脱ぐ場所だ」
「猫は靴を履かぬ」
蒼太の母親が、初めて少し笑った。
「どうぞ。上がってください」
蒼太は布団の上に座っていた。膝には包帯が巻かれている。顔を見るなり、昨日の恐怖を思い出したのか、唇が震えた。
けれど、ミコトを見るとすぐに手を伸ばした。
「ミコト……」
「にゃ」
ミコトは逃げなかった。
蒼太の手の届くところへ座り、好きに撫でさせている。いつもなら「毛並みが乱れる」と言いそうなものだが、今日は黙っていた。
「ごめんなさい」
蒼太が小さく言った。
「昨日、勝手に山へ行って」
「それはお母さんと村長に怒られろ」
「うん」
「俺からは一つだけだ」
蒼太が顔を上げる。
「怖かったら、怖かったって言っていい。助かったあとに泣いてもいい。強がらなくていい」
蒼太の目に、また涙が浮かんだ。
「……こわかった」
「うん」
「でも、ミコトが光って、悠真兄ちゃんが来て、ちょっと安心した」
「にゃ」
ミコトが鼻先を上げる。
「我の働きである」
「うん。ミコト、すごかった」
蒼太は泣きながら笑った。
粥を椀によそると、部屋いっぱいに湯気が広がった。米と根菜の甘い匂い。薄い塩味。牙猪の出汁。派手さはないが、弱った体にはこのくらいがいい。
蒼太はひと口食べて、ゆっくり目を閉じた。
「あったかい」
その一言だけで、鍋を作った意味は十分だった。
その頃、ネットでは黒瀬の暴露動画が再生数を伸ばしていた。
けれど、伸びていることと、信じられていることは別だった。
『昨日子供助けた人をこのタイミングで告発?』
『内容が古いし、証拠が全部切り抜きっぽい』
『物資横流しって、神代が今やってるの村への炊き出しなんだが』
『危険素材を勝手に持ち出し? むしろ処理技術ないと食材にならないって解体士が言ってたぞ』
『救助アーカイブ見てから来たけど、黒瀬側の印象が悪い』
『神代本人、たぶんこの動画見てないだろ。粥作ってそう』
『本当に作ってたら笑う』
『いや作ってるだろ、あの人は』
莉子さんは、カフェ・こもれびの片隅でコメントの流れを追っていた。
反論したい言葉はいくらでもある。
だが、彼女は感情で書き込まなかった。
代わりに、昨日の救助アーカイブの説明欄を整えた。
蒼太の個人情報は出さない。
村の場所も出さない。
危険区域へ近づかないよう注意書きを入れる。
そして、最後に短い一文を添えた。
『今回の件について、救助されたご家族と村の方々への取材・接触はお控えください』
それだけで十分だった。
村の人たちは、誰も黒瀬の動画に怒鳴り返さなかった。
蒼太の母親は、粥の入った椀を両手で包みながら、ただ一言だけコメントを出した。
『息子は助かりました。神代さんとミコトちゃんに感謝しています』
そのコメントは、すぐに拡散された。
派手な告発動画より、温かい粥を食べた子供の母親の言葉のほうが、ずっと重かった。
夕方、村長の家で廃坑の封鎖について話していると、莉子さんから連絡が入った。
「悠真さん。ダンジョン庁から正式な通知が来ました」
「監査ですか」
「はい。担当は佐伯真尋監査官。明日の午前、村に来るそうです」
村長が眉を寄せた。
「国の人間が来るのか」
「そうなります」
俺は頷いた。
避けられないとは思っていた。
鉱牙狼、未登録の廃坑ダンジョン、ミコトの結界、俺の身分。
どれも、見なかったことにはできない。
「悠真くん」
村長が静かに言った。
「大丈夫かね」
「わかりません」
正直に答える。
「でも、逃げるつもりはありません。昨日、配信に映ったことは本当ですから」
足元でミコトが尾を揺らした。
「嘘をつかぬ者は、飯を焦がさぬ」
「それは関係あるか?」
「大いにある」
村長が小さく笑った。
俺も少しだけ笑って、窓の外を見る。
山の向こうで、夕日が廃坑のある方角を赤く染めていた。
明日は監査。
それが俺を裁くものになるのか、村を守るためのものになるのかは、まだわからない。
ただ一つ、確かなことがある。
明日の朝も、火は起こす。
人が来るなら、湯を沸かす。
何を聞かれても、まずは手を洗い、鍋の蓋を開けるところから始める。




