「前線」
明るくなり俺は目を覚ますと、羽織っていた服を脱いだ。
「起きてたのか」
『ちょうどこっちも目が覚めたところだ』
「キズンはどうやって運んだらいい? 今回はカブトムシとかはいないんだろう」
『自分でお前の頭髪を編んで、居場所を作る』
「えっ?」
俺は想像した。頭に変に結った髪がコブのように、或いはツノのように突起している。さらにそこにノームが座っているとか、立っている光景。アホだ。アホの子にしか見えない。
「肩とか、胸のポケットとかに居てもらうわけには?」
『全く。昨日言ったことを覚えていないのか? ノームは概日リズムが壊れていて、お前たちのように光でリセットされない。お前たちと同じペースで寝起きしない。いつ寝てもいいようにしておく必要がある。引っ掛かりも何もない肩の上にいたら、起きている時は良いが、寝る時どうするんだ?』
「寝るときは俺に言えばポケットに入れてやる」
『起きるときはその逆か? いやダメだ。大体、多足虫を運転している時にあっちに移動してこっちに移動してなんてやってられるか』
「……」
まあ、確かに。多足虫を運転中に片手を離して、移動させるのは怖いな。ノームだから落としても死なないというわけではない。ムカつく相手だからと言って、会話ができる知的生物を不注意で殺してしまうのは心が痛む。
「髪の毛が抜けないとは保証できないが」
『そこは自己責任でやるから』
俺は言われるまま、キズンを頭の上に乗せた。
俺も手伝いながら、頭の上のキズンの居場所が作られた。
鏡はないので、どんな格好になったかは分からなかったが、おそらくアホな感じになっているだろうことは感じられた。
『この結い髪をしていると、その人に幸福が訪れるんだそうだ』
「そうなのか。それなら悪くないな」
頭の上で変な呼吸音がする。
『単純は幸せだな』
「おい!」
『フン。どうせこの先はオークにしか会わないんだ。髪型なんてどうでも良いだろう』
まあ、キズンの言う通りだ。
このまま北にすすめば戦争の前線があり、それを越えればどこまで行ってもオークの世界だ。
さらに進んでオークの国の首都ダウンチューブに入り、アンプ城の王の間にいる『ゴブリンの王』に会うまで、出会うのはオークもしくは、オークの協力者であるトロルだろう。
そもそも俺はこの世界には転生したのであって、この世界の知り合いはサムぐらいだ。変な髪型をしてようが、恥ずかしがることもない。
「少しテストで揺すってみるぞ。良いか?」
『ああ、やってみろ』
肩から頭を揺すってみる。
キズンの体重が、俺の頭皮を直接引っ張る感じがする。
「イテテ……」
この状態で俺が超加速に入ったら毛が抜けて丸ハゲができてしまうだろう。
『こっちは大丈夫だ』
「よし。じゃあ、出発しよう」
俺は多足虫の準備をして、木板を渡して乗り込む。
綱を使って合図すると、多足虫が元気に走り出す。
昨日と同じ、起伏の少ない平野を走った。
時折、頭皮にかかる力の具合が変わるので、キズンに話しかけてみると、そういう時は応答がない。頭に力がかかる時は、キズンは寝ているのだ。起きていると、落ちまいと自然と頭の中心に立つため、毛根に負担がかからない。
ずっと走っていると、北に山が見えてきた。
キズンから話しかけてきた。
『目の前の山脈がワット山脈だ。おそらく、山の麓が最前線だ』
「フロントライン?」
『なんとなく分からんか? 戦闘が発生しているあたりということだ』
いよいよか。
俺は怖くなった。戦争に参加しろと言われていないが、戦っている限界状態の人々を横目に、敵陣に入っていくのを見られたらどうなるか。人にもオークにも、双方に気づかれないように進まねばならない。前線を越えるのが一つの山に違いない。
手綱を引いて、少しスピードを落とす。
膝をついて、多足虫の上で姿勢を低くする。
ワット山脈の裾野の西側の森は、長く南に伸びていた。その森を避けるように、女王の軍は東側の平地側に駐在していた。
「西の森側から入って行こうと思う」
『正面の平地よりは良い考えだが、どこから入っても大差ない。東側の平野はオークがひしめいているはずだから、見つからないようにするにはワット山脈を越えないといけない』
「分かった」
多足虫を進めて、西側の森に入る。
森はさまざまな小動物が溢れていて、あちこちで多足虫が捕食を始めてしまう。
そもそも、草木の生え方が混み合っていて、まともに進むのも時間が掛かりそうだった。案の定、多足虫の食欲が満たされた後も、右に左に迂回するせいで移動速度が上がらなくなった。
頭の上のキズンは睡眠の周期に入ったらしく、頭皮がずっと引っ張られている。
このペースでは歩いた方が早いかもしれない。昨日は平野でさほど感じかったが、多足虫用に作った道以外を走るのがこんなに困難だとは思わなかった。
森を進んでいるうち、覚えのある匂いがしてきた。
転生してきた最初の頃嗅いだ匂い。思い出される苦い思い出。
そうだ。オーク。オークたちの匂いだ。近い。
俺は最初に虫から学んだ、視力を強化するCodeの書き換えをした。
ナガレに出会い、ソウタに教わったことで、最初の頃よりも最小限のCodeの書き換えで、最大の効果を得れるようになっている。だから、すぐに眠くなるようなことはないだろう。
視力が強化されると、草木の揺れがきめ細かく見えてくる。
葉や枝の揺れを見ているうち、今度はそれが風によるものなのか、何か動物の動きで揺れたものかがわかるようになった。
近い。だんだん距離を縮めてきている。
四体、いや、五体いる。最初に遭遇した時も小集団だった。オークは群れて行動するようだ。
『いるぞ』
キズンが俺の脳に話しかけた。
俺は手綱を持つ指を立て、聞こえたことを伝えた。
正面の、一番近くにいる小集団から、少し離れてまた別の集団もいる。俺はぼんやり意識を広げると、同じような小集団が、森の中にいくつも存在した。一体、何体いるんだ…… 俺は身震いした。
『例によって、全員、円月刀を持ってる』
俺にはそこまで見えなかった。過去の経験から、キズンに見えているということは、オークからも見えているということなのだ。
このまま多足虫に乗った状態で進むか、多足虫を降りて戦うか。俺は考えた。
バッグの中には短剣しかない。短剣で全オークを倒すのは無理だろう。短剣でオークを一体倒して、円月刀を手に入れれば…… それなら対等に戦えるだろうか。だが、短剣で戦うのは五対一の一番、不利な状況だ。倒しただけではなく、倒して、円月刀を奪うことが必要なのだ。
「無理ゲーだ」
『間合いを詰めてきているぞ』
「キズン。この多足虫はオークと戦えないのか?」
『確かにオークの国は寒すぎて多足虫がいないから、だから強引に仕掛けてこないのかもしれないな』
ならば、多足虫で勝てるかもしれない。俺は手綱を引いて多足虫を止めた。
手綱を通じて、多足虫のCodeに触れる。
凶暴に、オークに立ち向かえるように。性格を、能力を書き換える。
このサイズの多足虫から、毒のある顎肢で攻撃されれば立っていられまい。
しかし、オークの集団が正面からから消えた。
さらに北側にもオークの一団がいるのが見えた。
「ん?」
北にいたオークの一団もいなくなった。森の中にいたオークの気配が、どんどん消えていく。
「おかしい……」
オーク達は間合いを狭めてきていたはずだ。
だが、今はどこを探しても見当たらない。
「オークどもはどこに行った? キズン、わかるか?」
応答がない。
だが、頭の上のものは、軸の中心に体重が乗っている。大丈夫、キズンは起きている。
『正面や後ろに回られたのではないようだ。だとすれば東方向に違いない』
「どうしてそうなる」
『オークの目的が俺たちじゃなかったってことだ。東の平野にいる人間の軍隊を襲うからさ』
「なんだって?」
俺は再びCodeを読むように意識を広げた。あれだけいたオークの集団が、森の外へ移動している。
『都合がいいじゃないか。この隙に多足虫で大きく距離を稼げるぞ』
待て。それでいいのか。人間の軍隊を見捨てていいのか?
東を見ると、なぜかサムの顔がオーバーラップして見える。
「まさか、サムはここに配属されて……」
俺は手綱を使って、多足虫を東に向けた。
『馬鹿、なんでオークを追いかけるんだ。俺はオークを倒せない。お前の装備は短剣だけ。この多足虫でどこまでやれるか知らないが、どちらにしろ死ににいくようなもんだぞ』
「後ろからなんだから、相手の隙を突ける」
言いながら、流れていく風景にサムがオークの円月刀に切られて倒れる姿が見える。
実際、まだ戦闘は始まってもいない。
Codeを読んで見えたのは、未来の出来事に違いない。
『やめろ、お前の使命はゴブリンの王に会うことなんだぞ』
「だめだ。その前に人間が全滅したら、何の為に停戦させにいくのかわからない」
『局地的な敗北はある、大局を考えて判断するんだ』
森を抜けると、オークは平野の草むらに体を隠すように、低い姿勢で走っていた。
人間の軍隊はオークの接近に気付いていない。
俺は叫んだ。
「オークがくるぞ!」
人間の斥候が、俺たちの方を見た気がする。しかし、見ただけでそれ以上の反応がない。
『これでいい。これで気づけば何とかなる。引き返せ、死ぬぞ』
「オークが潜んでいる!」
俺はもう一度大声で叫ぶ。
草に隠れているオーク達の数名の意識が、こっちに向いた。
『馬鹿、オークがこっちにくるぞ』
全部のオークがこっちに向かっているわけじゃない。これなら、ヤレる。
「ほら、ここに、ここにオークが!」
手綱を引いて、多足虫を加速させた。オークが怯めばこっちの勝ちだ。
『だめだっ!』
オークは草むらに隠れたまま、円月刀の刃を寝かし、水平に狙って構えている。
多足虫はオークの殺気を感じ取って、急停止してしまう。
突っ込めばそのまま上下に真っ二つにされていた。
だめだ。このまま黙っているわけにはいかない。オークが立ち上がって、姿を見せれば斥候も反応するはずだ。
俺は手綱を通じて多足虫のCodeをさらに書き換える。
「いけっ!」
そう言うと、俺は多足虫を飛び降りて、オークの円月刀に飛び乗る。オークは刀を支えきれなくなって、体勢を崩した。
手綱を離された多足虫は正面からの接触を避け、素早く回り込む。
多足虫の毒の顎肢が、背後からオークの大腿に突き刺さる。
苦痛と毒に、オークは円月刀を手放し、飛び上がる。
「気付いてくれ!」
こっちを見ている。早く、本隊に知らせろ。俺は祈る。
オークを噛んだまま、多足虫の動きが止まってしまう。
草むらから飛び出したオークはゆっくり俺の方に戻ってくる。俺は乗っている円月刀からおり、それを手にとった。重い。俺にこれを振り回す力はない。オークが近寄ってこれないよう真っ直ぐ前に突くように構えた。
「何で多足虫の毒で死なない? 逆に多足虫はどうしたんだ」
頭の上でノームのキズンが動く。
『様子からすると、多足虫は、毒を注入する時にオークの血を飲んでしまったんだろうな』
「オークの血?」
『何の成分だかわかっていないが、オークの血は俺たちには毒なんだ。おそらく多足虫にとっても毒なんだろう。死んだってことだ』
「!」
正面のオークだけでなく、草っ原に隠れていたオークが一斉に立ち上がった。そして女王の軍に襲いかかる。
「まずい、軍が襲われて」
『こっちも、それどころじゃない。俺たちも囲まれたぞ。だから、お前と組むのは嫌だったんだ』
周囲のオークは五体。幸い背後は取られていない。が、やばい状況は変わりがない。まずは目の前の敵を倒さないと……
俺に刀を取られたオークが、近づいてきて手を伸ばして刀を払ってくる。
オークが腕輪をしていることに気づいた。
警察のアレと同じ。Code書き換えを避けるための特殊な腕輪だ。
つまりこいつらは、最初のオークを倒したようにこちらの味方にすることは出来ないのだ。
払ってくる手を見ながら、俺は考えた。
刀を前に出すか、それとも上・下に動かしてかわすか。
上だ。刀を上に上げてかわし、タイミングが良ければ振り下ろし、オークをぶった斬る。
「あっ!」
考えている間に刀をオークに弾かれた。円月刀は俺の手を離れ、宙に舞っていた。
『まだ何とかなる!』
キズンはそう言って、頭の上から気配を消した。
「えっ?」
俺はそっと頭に手を当てる。
いない。
キズンは逃げた。どうやって? どこかに飛び降りた?
まだ何とかなるって、どういう意味だ。あいつが何とかしてくれるのか?
そんなわけないだろう。多足虫も死に、円月刀は弾かれ、キズンは逃げた。この後の旅がどれだけ辛く、どれだけ長いかわからないが、ここで生き延びねば、何も分からない。
腕輪がある限り、オークのCodeは書き換えれない。俺がこの世界で唯一勝てる方法は……
超加速。
それしかない。相手がほぼ動けない間に、逃げるか、或いは……
キズンがいる状態で加速に入ったら、激痛と共に毛根ごと持っていかれただろう。
逆にキズンがいないことが幸いしたと考えよう。
決断し、俺は加速に入った。
空気が重い。滑らないよう、しっかり蹴って走らないと、まともに前に進めない。
一歩、二歩、俺は前傾を保ったまま煤でいるが、オーク達は止まったようにスローだ。
このまま握った短剣で、奴らを刺せばいい。
加速が終わった時にも有利になるように、俺は正面のオークの目を刺した。
短剣が抜けても、傷口はさほど開かない。まだそれだけの時間が経っていないのだ。
横をすり抜け、次のオークに向かう。一瞬でも、紛れがないよう、慎重に移動し、首を切った。
キズンはオークの血が毒だと言った。超加速状態なら、血が撒き散る前に、移動して逃げられる。
五体全てのオークをさして、俺は距離を取った。
Codeが自然に戻る前に自ら加速を切る。Codeを維持する時間が短ければ、多少体力が節約されるからだ。
全ての風景がいつものスピードに戻る。
正面のオークは目を押さえて膝をつき、その後ろに並んでたオーク達は首を傾げたように傾けると、血を噴き上げながら、うつ伏せに倒れていく。
「勝った……」
だが、この力は体力の問題で続けて使えない。使った代償も必ずある。
「グォオオ……」
「えっ?」
目を押さえながら、オークが突っ込んできた。
超加速で疲労した筋肉が、反応しない。必死にCodeを探り、自らの千切れた筋繊維を再生させる。
「動けっ!」
だめ、だ。間に合わない。
間に合って、一二歩動けたところで、オークのパワーには勝てない。
俺は目を閉じてしまった。
そこには絶望の闇しかなかった。
直後、金属音がした。
オークが持っている円月刀の音に違いない。
ちょっと待て、このオークの円月刀は……
俺はゆっくりと目を開く。
左目を刺されたオークの背中に、円月刀の柄が突き出て見える。胸からは、血塗られた切先が飛び出ている。
まさか、俺が弾かれた円月刀がまだ宙を待っていたとは。
それが、偶然にも刃を先にして落ちた。
「助かった……」
恐怖と疲労で、爪先から大腿までが震え始めた。
俺はその場で尻をついてしまった。




