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ピアノ

 私の通学路にある家から、下校中にピアノが聞こえて来ることがある。激しい曲から、優しげな曲、穏やかな曲まで。その家の横を通り抜ける時のわずかな時間しか聞いておらず、曲の全貌を聞いた事はないのだが、それでも自転車を漕ぐ音を極力立てないようにして、少しでも雑音を入れずにピアノの音を聞いて居たいと思えるほどに上手だ。

 本当は立ち止まって、一度通して聞いてみたい程なのだが、車一台すら通れないような裏路地で、自転車を停めて聞けるほど図太くはない。だから下校中、ピアノの音が聞こえる所まで来たら自転車をゆっくり漕いで、少しでも長くこの音を聞いていられるようにしている。


 そんなある日、下校中にいつものようにピアノが聞こえて来て、自転車を漕ぐ速度を落とす。こうしてピアノを聞くこと一年と半分。初めて聞いた曲がたくさんあって、後から調べてみる事もしばしば。でも、今日聞いた曲は格別だった。力強くて、包み込むような優しさがあって、でもどこか悲しさや、孤独を感じる。いつも最後まで聞いていたくても、つい外聞だとかそんなものを気にして立ち止まることは無かったが、思わず立ち止まり、そのまま曲の最後まで聞いていた。

 演奏が終わり、手で目を一度拭って、自転車を押して帰る。どうも自転車に乗る気分じゃなかった。

 家に帰っても、あの曲が頭から離れない。どうしてももう一度聞きたくて、インターネットで手当たり次第に調べてみた。鼻歌でいれてみたり、曲の特徴で入れてみたり。

 調べていくうちに、あれだけ頭に残っていた曲が消えていって、どんな曲だったか思い出せなくなる。あれだけ感動して、覚えておきたくて、どうしてももう一度聞きたかったのに、あっさりと消えていった記憶への喪失感にやるせなくなる。

 でも、また下校中にあの曲が聞けるかもしれない。どうしても耐えれなくなったら、あの家の人に話を聞きに行ってみよう。そんなことを考えながらその日は眠った。


 それから、すぐに夏休みに入ってすっかりとあの曲のことも、喪失感のことも色褪せてしまっていた始業式の日。登校中にあの家が建て壊されている最中(さなか)だということが目に入る。

 途端に、あの曲が頭の中で蘇った。誰が弾いていたのか分からないあのピアノに、曲名も分からない曲。だけど、確かに好きだった。

 それがもう二度と聞けないかもしれない。下校のときに少し聞くだけだったのが、いつの間にか自分の中で大きなことになっていたことに気がついた。

 でも、もう下校中にあのピアノは響かない。

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