葉桜
雨が降るバス停に、ひとり佇む。透明なビニール傘に雨粒が弾かれる度に、バスが早く来ることを祈るが、バスが来るのはまだ一時間も先だ。はぁ、とため息を吐くと同時に、一際大きな雨粒が傘に当たり、少しびっくりしつつ、ビニール傘越しに見上げる。電線があるのが見える。きっとあの電線から大きな雨粒が落ちてきたのだろう。大きな雨粒がいきなり落ちてくるのはびっくりするから少し苦手なのだ。
電線が真上にあるところから、少し後ろに立ってまたバスが来るのを待つ。少し後ろでも、一定間隔でぱた、ぱた、と大きな雨粒が傘に当たるものだから、振り向くと、そこには立派な葉桜があった。水溜まりもあり、足元にばかり注意していたから気が付かなかったのだろう。
しかも、一本だけじゃなくて何本も並んでいる。雨垂れが滴れ落ちるそれらは、なんとも幻想的で、心を奪われる。ぱた、ぱた、と傘に当たる大きな雨粒の音の間隔が次第に早くなっていることに気づきながらも、一歩葉桜の方へと歩みを進めた。
だんだんと強くなってきて、自分の足音すら聞こえないくらいの雨の中、葉桜を見ながら歩く。きっと満開だった頃は桜のトンネルなんだろうな、なんて思いながらところどころひび割れたアスファルトに気をつけながら葉桜に沿うように進んでいく。家に誘ってくれた友人は何もないよ、なんて笑っていたけど、家の近くのバス停に、こうまで立派な桜並木があるならば誇ってもいいものじゃないだろうか。いや、近くにこんな桜並木があることにすら気がついてないのかもしれない。傘を肩と耳で挟んで、何とか桜並木の写真を撮る。
雨の音にかき消されそうなシャッター音をなんとか拾い、少しだけ口角が上がる。あとで落ち着いたら友人にも送ってやろうと心に決めて、また葉桜のトンネルを抜けていく。傘に当たる雨垂れは増えて行くし、わくわくも増えていく。雨の音に隠して鼻歌をうたって、すっとこすっとこ歩いていく。
そのうちに、曲がり角まで来た。振り返ると、バス停はもうかなり遠くで、雨に遮られて見えない。
もうそろそろ戻ろう。これでバスに遅れたら更に一時間待つことになる。
濡れたズボンの裾がぺたりぺたりとふくらはぎに当たって、どこかソワソワする気持ちで歩いていると、ふと一際大きな音が傘の後部から聞こえてきた。ずっと聞いていた雨粒の音じゃなく、もっと大きな音だ。気になったので後ろを振り向くと、なんと傘に大きな毛虫が蠢いてるじゃないか。雨が降っていて良かった。漏れて出た声がそんなに目立たなくて済んだ。
そっと傘を葉桜のほうにやって毛虫を落とそうとする。なかなか離れてくれなくて四苦八苦してるうちに大きな水たまりに片足を突っ込む。ため息をひとつ吐いて、ようやく葉に毛虫を戻せた。
色々ありつつもようやくバス停まで戻ってこれた。雨足は随分強くなったし、片足は異様に重いけれど、不思議と気分はいい。ビニール傘を通してぼーっと葉桜を眺めていると、バスが近くに停まった。
傘をたたんでバスに乗り込んで、最寄りの駅までの運賃を見る。乗客は自分以外おらず、バスのエンジン音と雨音に、運転手がバスを操作する音に、自分の僅かな身動ぎの音だけが狭い空間に木霊する。
ぴぽん♪ やたらと大きな通知音がスマホからなる。静かな空間にいきなり響く通知音とはどうしてこうも羞恥心が湧くのだろうか。音量を下げるボタンを長押しして、通知音を消しつつ誰からの連絡かを確認する。
『今日はごめんな』
『また今度埋め合わせするから』
「気にしなくて大丈夫だよ
弟さんの調子はどうだった?」
『弟の方は一日で退院出来そうだって言われたわ
ちょっと一安心した』
「それは良かった」
『そっちはどう? 結構雨が酷くなってきたから申し訳なくて
また学校でなんか奢るわ』
「こっちはバスに揺られてる途中だよ
雨は確かに結構降ったけど楽しかったから気にしなくて大丈夫だよ」
『楽しかった?』
「来年の春、桜が咲くころに行きたいなって思えるような場所を見つけたんだよね」
『家の近くにそんなところあったんだ
また来年行くか』
今日遊んでいた相手だった。更に楽しい気持ちが湧いてきた。バスの窓についている水滴を眺めながら、ぼやけた背景が流れていく。風邪だけ引かないようにしよう。友人が負い目を感じてしまわないように。




