アルベールvs極彩色のオルレアン猛襲軍 第五節
オルレアンは南に流れるロワール川と隣接する大きな街でした。
帝国の時代すでに主要な都市のひとつで、街を取り囲む市壁も何百年と外敵からの攻撃を凌いでは補修された歴戦の趣が感じられます。
その市壁がこうも派手に打ち砕かれたのは、オルレアンの長い歴史でも例を見ない事態でした。
オルレアンの南に流れているロワール川から姿を現したペルーダは、鋼鉄でできた巨大な亀のような怪物でした。
大きさは巨人たちと遜色なく、市壁ほどの高さがあります。
凶暴な顔には人間をひと飲みにできそうな大きな口が開いており、恐ろしげな牙が覗きます。
市壁を叩き壊した腕はたくましく、鋭い爪も家屋を易々と切り裂けそうでした。
襲うべき人間を探しているような前傾姿勢で、その背中には重厚な甲羅のような装甲が備わっておりました。
ずしん、ずしんとオルレアンへと上陸したペルーダは猛然と前進を開始します!
進路は悲鳴の方向。
そうです、各地から集まるフランクの戦士たちの動きを阻害しないため、市民たちはまだオルレアンの中にいたのです!
もちろん人々は街のあちこちにある大きな教会に避難していたのですが、この怪物の登場に一気に混乱に陥りました。
南から進んでくるペルーダより逃げるため、人々は北へ北へと逃げまどいます。
そんな逃げまどう民や立ち向かおうとする兵士へと、ペルーダは両腕を差し向けました。
ドガガガガガガガガガガ!!
なんと両腕に備わっていた発射口から、雨のように針が飛び出して人々に突き刺さったではありませんか!
ペルーダのサイズで言う針です。
つまりもはや人にとっては矢が雨のように降り注いだが如くであり、両腕を振り回した乱射でたくさんの人がばったばったと倒れていきます!
「毒だ!」
誰かが悲鳴のように叫びました。
そうです、ペルーダの針矢には毒が塗られていて、かすめただけでもやがて立ってもいられなくなるのです!
「怪物め! フランクの騎士を舐めるな!」
それでもなお、鎧で完全武装した何人かの騎士が針矢を受けてなお果敢に突撃しました。
さしもの毒矢も騎士鎧を超えて肉体に突き刺さらねば効果はありません。
騎士たちの突撃に、ペルーダは対して大きくのけぞったかと思うと、不気味な音を足元に響かせます。
いいえ、足元ではなく尻尾……見ればペルーダの尻尾は大樹のように太くしなやかでとてつもない長さです。
おそらく先っぽはまだ川の中にあるのでしょう。
その尻尾がパンパンに膨れ上がって、不気味な流動音を立てていたのですが、
ドパァンッ!!
なんとペルーダがとてつもない量の水を吐き出したではありませんか!
その勢いたるや、もはや洪水です!
さしもの騎士たちもこんな水流に飲み込まれては自在に動けません。
一方でペルーダは、腰まで水に浸かった状態でも非常に機敏に動き、彼らを踏みつぶしていきます。
こうしてペルーダの水と毒の針矢によって、何十人といた逃げまどう市民も兵士も、あっという間に数えられるほどになってしまいました。
「う、うわああああああああああ!」
それでも必死になって逃げようとする市民と。
「う、うあおおおおおおおおおお!」
もはや命を投げ打つように、ペルーダへと走る兵士たちと。
しかしペルーダは彼らに等しく無慈悲なる毒針矢を降らせます。
全滅。
そんな絶望がオルレアンの兵士たちによぎった瞬間でした。
空気を裂く音と、空気が爆ぜるような音が幾重にも綾を成して戦場に響き渡りました。
毒針矢におびえ、うずくまり頭を抱えていた市民がおそるおそる顔を上げると。
そこには逃げる市民と、立ち向かう兵士たちをそれぞれに護る闖入者たちがいました。
ふたり。
そのふたりの周囲には、毒針矢がへし折られた状態で散らばっており、それはまるで……
雨のように降る毒針矢を叩き落したような光景ではありませんか。
「ご無事ですか?」
逃げる市民を護ったのはひとりの騎士。
スリムで無骨な、非常にそっ気のないデザインの騎士鎧が、剣を持たぬ手でうずくまる者たちを助け起こします。
「す、すまない……」
「まっすぐ逃げてください。気を付けて」
「あんたは……あんたは……何者……?」
立ち上がった男が、その騎士の上背がそんなにないと気づきました。
もしかすると成人していない少年なのではないか?という背丈です。
「ぼくは……」
背の低い騎士は言いよどみ、それから意を決するようにこう告げました。
「ぼくは天秤の騎士。旅すがら立ち寄ったこの街が閉鎖されて足を止めていましたが、こんな事態になっては黙って見過ごすなんてできません。微力ながら、あの怪物を食い止めます。さぁ、みなさんは避難してください!」
そんな優しい声に、誰もがこくこくと言葉もなく頷いて一目散です。
一方、ペルーダに立ち向かう兵士たちを護ったのはひとりの僧侶でした。
使い古された袈裟を纏った、壮年の坊主。
やさしげな切れ長のまなざしをした美貌。
東洋人……絹の国の仏僧でした。
「南無阿弥陀仏……」
勁風をはらんで今にもはちきれそうだった袖を払うように合掌をすれば、男は低い声の念仏を零します。
ペルーダに立ち向かおうとしていた兵士たちは見ました。
この仏僧は雨のように降り注いだ毒針矢へと飛び込んできたかと思えば、そのことごとくを袈裟の袖で打ち払ってのけたのです。
今はゆったりと揺れる柔らかな袈裟だというのに、どうしてそのような真似ができたというのでしょう。
「命を捨てて死中へ飛び込むその意気は見上げたもの。しかしご施主がたは、まだ今生との縁がつながっておられるようです。善哉、善哉」
柔和な面持ちでほほえむ仏僧は、深みのある落ち着いた声で兵士たちを諭すような言葉を注ぎました。
「仔細は存じませぬが、街を蹂躙するなどの無法を見過ごしては仏門で修業した甲斐がございませぬ故。義によって助太刀いたします……どうかご施主がたは逃げ遅れた無辜の民のためにこそ、戦ってくださらぬか?」
表現は柔らかですが、逃げろと言われてはいきり立つ兵士もおりました。
しかし肩越しに顧みてくる仏僧の深いまなざしを目の当たりにすると、足を前に出せる者はいませんでした。
「ご施主がた、なにとぞ命を尊ばれよ。無辜の民の命と、そしてなによりも己の命とをです」
強い声の中にこもる切々とした響きに、一度は命を捨てた兵士たちも何か違う使命感に突き動かされるように戦場から離脱していきます。
戦場から他の者たちが離脱してゆく中、仏僧と天秤の騎士が互いに視線を交わしました。
異邦の地で、異邦の人間たちを助けて、異邦の怪物へ立ち向かう不思議な巡り合わせに、奇妙な親近感を覚えたのです。
しかしペルーダから不気味に鳴り響く重低音に、ふたりが臨戦態勢を高ぶらせます。
次の瞬間、戦場から離れようとする兵士たちへと、ペルーダが再び洪水のような大量の水を吐き出しました!
水は建物を回り込むように暴れ狂って人々を飲み込んでしまうのです!
荒れ狂う波濤に飲み込まれ、水に流されて建物にぶつかったり転倒したりと多くの者が自由を奪われてしまいます。
そんな状況で自由に動けるペルーダは、的確に水にもがく獲物に狙いを定め──
「噴ッ!」
飛翔するが如く肉薄した仏僧に、その喉元へと剛拳を叩きこまれました!
ごうん!
と凄絶な音を響かせてなんとペルーダがぐらつきます!
菩薩のように穏やかだった面差しはすっかり霧散し、憤怒の形相は明王もかくやと言う迫力です!
そして仏僧はするするとペルーダの体を駆け抜けてはその右腕部へと装着された発射口に蹴り突き刺します。
この蹴りで発射口がひしゃげ、毒針矢をまともに発射できなくしたのです!
「考えることは同じ、ですね!」
ザパァッ!
天秤の騎士が躍り上がれば、ペルーダの左腕部にある発射口を断ち切りました。
中からばらばらと毒針矢が零れ落ちていくのと同じように、天秤の騎士は水中へと帰っていきましたが……
なんと腰まで浸かったうねる激流の中、天秤の騎士は苦も無く進んでいるのです。
まるでそれは水の流れを読み切って、望む方向へ身を任せているような動きです。
すいすいと天秤の騎士が進む先、ペルーダの背後で仏僧と合流しました。
「噴ッ! 破ッ!」
仏僧がペルーダの尻尾へと、両拳の剛打を叩き込みます。
「せぃや!」
そして天秤の騎士も高速の剣尖を突きつけます。
しかしペルーダの尻尾は非常に弾性に富んでおり、ぶりゅんとふたりの攻撃を跳ね返してしまいました!
「なんと奇異な手応え!」
「法師様、上から!」
ズシィン!
間一髪!
踏みつぶそうとしてきたペルーダの足の裏を、ふたりは転がるような横っ飛びでやり過ごしました。
しかしさらに超絶に圧縮された激流が、槍よりも鋭くふたりへと飛来しました!
もはやそれは水のビーム!
仏僧は袈裟の端を千切られながらこれを躱しましたが、天秤の騎士は左肩鎧を砕かれてしまいました!
さらに水のビームが連射され、ふたりは慌てて飛び下がります。
そして適当な建物の上に立てば、ペルーダが水を吐き出し続けているのを目の当たりにします。
止まらない!
水が出続けているのです!
引くよりも多い量でペルーダが水を吐露するため、怪物の周辺は渦巻く水がどんどん嵩を増しています。
近づけばもう、ふたりとも水没するほどの水位。
このままいけば、オルレアンが水没してしまうではありませんか!
「このままでは街が……」
「南無阿弥陀仏。肩のお加減はいかがでしょうか?」
仏僧が覗き込めば、砕けた左肩鎧から覗く天秤の騎士の肩はいかにも華奢で赤く傷んでいるようでした。
しかし天秤の騎士は気丈に首を振ります。
「こんな痛み、なんでもありません。それよりも早くあの怪物をやっつけないと」
ペルーダの周囲で渦巻く水を見下ろし、仏僧が天秤の騎士へと合掌しました。
「お願いを申し上げる。ご施主にはもう一度あの尻尾へ突きを撃ち込んでいただきたい」
「やっぱりまずは水を止めるのですね」
仏僧がうなずきました。
ペルーダの吐き出す水は、尻尾を通して汲み上げられているロワール川のものでした。
水を止めるにはまずは尻尾です。
「ぼくも同じ気持ちです。しかしあの尻尾は妙な材質でできているようで、一筋縄ではいきません。それに水も……」
先ほどは水が膝に浸かる程度で尻尾に接近できました。
しかしもはやペルーダの周囲は激流が渦巻いて潜らなければならないという有様です。
もう一度近づけば、水の中という不利極まりない事態で挑まねばなりません。
「先ほどは拙僧とご施主の技が重なっておりませんでした。次は併せられますれば、必ずやあの怪物を水責めを止められます。例えそれが水没した状況でも」
仏僧の声は確信的でした。
「……分かりました。ぼくの技でよければいくらでも。微力ながらお手伝いさせていただきますから!」
「微力など。類まれな才知が精進を、たゆまずに重ねた技量を目の当たりにいたした。故にお願い申し上げたまで」
すっかり菩薩の顔に戻った仏僧の言葉は、真心から漏れた柔らかなものでした。
「そんな……ぼくなんて……何もできずに……」
急にテンションが降下し始めた天秤の騎士を、仏僧ははてと小首をかしげてから、その肩に手を置いて彼女をしゃんとさせました。
「ご施主の過去に何があったかはあずかり知りませぬ。しかし異国の地で人を苦しめる怪物を調伏せんとする、今まさに示している行為こそがご施主のまことでございましょう。ご施主がこの場に居合わせてくださり、拙僧は心より頼もしく感じておりまする」
見ず知らずの異邦人にこうまで言われて、天秤の騎士の胸にこみあげてくるものがありました。
「ありがとうございます……その……あっ、」
「慈泉と申す唐僧でござる」
「慈泉様……ぼくはラオディケ。天秤の騎士ラオディケです」
こうして胸を張り、背丈の高くない天秤の騎士は右手の剣を握りしめて前を向きました。
「ラオディケ様、怪物の尻尾で合流いたしましょう」
頷き合い、まずは慈泉がすっかり水に埋もれた街へと飛び込みました。
そして軽功を駆使して水面を跳ねるように疾り出し、ペルーダへと肉薄していきます。
ラオディケも最初の一歩を大きく跳び出しましたが、ざぶんと水中に没します。
しかし力のベクトルをことごとく見透かす天秤の術理を修めたラオディケは、乱れ狂っている激流の中から自分をペルーダへと運んでくれる道筋を手繰ってすいすいと進んでいくではありませんか!
「呀ッ!」
水面を駆け抜けながら、慈泉が右掌をペルーダへと叩きつけました。
彼我の距離はいまだ遠いというのに、
バンッ!!
とペルーダがびくついて、その胸元にくっきりと手形がついているではありませんか!
「嘿ッ! 嘿ッ! 嘿ッ嘿ッ嘿嘿嘿ーーーーーッッッ!!!」
深い内功に裏打ちされた気合と共に、無形の掌力が次々とペルーダへと襲い掛かります。
一撃一撃にペルーダの装甲を突破する威力はありませんが、近づくにつれて強くなり、それが連打されるのです。
いよいよ無視できなくなったペルーダが、再び慈泉へと高圧の水をビームとして発射します!
「噴ッ!!」
慈泉が自らの足元の水面へと双掌をたたきつければ、爆ぜるように水が立ち上がって壁になりました。
雄渾な勁力が通された水の壁がペルーダの激流をひととき防ぎ……そして突破されました。
しかしその拮抗の隙、慈泉はするりと射線から外れた軌道に移って水面を疾駆しなおします。
いよいよペルーダへ手の届く距離、
「破ッ!!」
バキバキバキバキバキィンッ!
慈泉が明王の相で剛拳を打ちこんで、ペルーダの装甲にひびを入れたのです!
その亀裂の範囲たるや、みぞおちから胸部全体に走るという盛大なものでした。
そして割れた装甲の向こう、ペルーダの長い首の根元で内部構造が露出する中、慌てふためく男の顔が覗きました。
粗暴そうな大きな男で、信じられないという顔で慈泉を見下ろしています。
陽剛の極みともいえる少林拳の一打は、強力ですがむしろ一点に勁力を収束するもの。
打てども亀裂など広がらず、拳大の穴が開く方が自然です。
しかし慈泉はあらかじめ掌力の連打によってペルーダの装甲を叩いてダメージを与えたおりました。
連打により装甲へと広範囲かつランダムにダメージを与えておき、この弱った部分に沿って慈泉の拳に込められた豊かな勁力が装甲を駆け抜けて盛大な亀裂となったのです!
そしてもうひとつ。
慈泉は打撃音の反響から推察し、およそのコックピット位置にあたりをつけていました。
このため見事に広げた亀裂から、操縦者の顔を露呈せしめたのです。
しかしこの痛手にペルーダもただでは済ましません。
怒りを込めた掌を慈泉へと思い切り叩きつけました!
パァン!
慈泉はこれを蹴りによる迎撃の形で防御をしました……が、さしもの達人もペルーダの大質量には押し敗けて水中に没してしまいました。
脚を痛めながら、慈泉はその勢いを利用して深くに潜りこんでゆきます。
そしてペルーダの尻尾で、ラオディケと合流したのでした。




