アルベールvs黒白の審判 後編
身ぎれいにして、アルベールはロイに導かれて部屋の外を歩きました。
緻密に整備された石畳が続く回廊は非常に歩きやすく、また美しく荘厳でした。
おどろおどろしい魔窟などではなく、外国の文化を丁寧に踏襲して造られた宗教施設なのです。
しかしどこかフランク王国の意匠に通じるものも感じます。
あるいはギリシア人の、あるいはケルト人たちの信仰する古い神々の趣も。
いいえ、なんだか遥か東の風情も感じます。
なんとも混沌とした造形に、アルベールが顔をしかめます。
「貴様ら教会はたった一柱の神しか認めぬ」
ふいに前を歩くロイが声をかけてきました。
「それ以外の神は全て偽物で魔物。そうだな?」
「……そうだ」
「ならばこの都に集った者たちが崇めるのは、全てが魔である」
「教会以外のあらゆる勢力の受け皿であると言うか?」
「まさしく。そして貴様らがくだらん教えで定めた法と律ではなく、それぞれの魔に従う群れであれば、すなわちここは悪徳のるつぼ」
「故に、」
「そう───故にここが新たなるゴモラである」
「なるほど」
たびたび耳にしていた、新たなるゴモラの由来に納得をしながら、アルベールが疑問をひとつ口にしました。
「新たなソドムはあるのか?」
「ソドムには神が助けるに足ると定めた義人がいたであろう」
「ロトか」
「ここにはロトがいないということだ」
ふたりが大きな扉の前で立ち止まりました。
見上げるほどに大きな扉であり、ふたりの屈強な黒騎士がそれを護っておりました。
「騎士アルベールだ。陛下との謁見である」
ロイの言葉に、黒騎士たちが重々しい扉を開けば、絢爛な広間がアルベールの目に飛び込んできました。
ふんだんに黄金が使われ、きらびやかな謁見の間はぴかぴかと光輝いているかのようです。
左右の壁には、あらゆる異教の神々の大きな像が、大量の宝石に飾られてアルベールを見下ろしております。
整列するのは黒い騎士たち。
一糸乱れぬその隊列はフランクの騎士たちにも劣らぬ力強さでした。
しかも黒い騎士だけではなく、赤い竜騎士や天蠍の騎士……
何人かの騎士は、赤い竜騎士を筆頭にアルベールと同格かそれ以上の威圧感を覚えずにはいられませんでした。
アルベールと互角のロイが黒騎士団のひとりなのです。
これほどの戦力がいるとは! アルベールは戦慄に思わず唸ってしまいました。
さらに文官らしい者たちもずらりと並んでおり、さらに教会とは違う宗教の長らしい者たちも列にいるではありませんか!
誰もが怪しげな実力者で、一筋縄ではいかない顔ぶれです。
謁見の間の壮麗さと居並ぶつわものたちの迫力に、アルベールはもはやここは別の世界なのではないかと錯覚してしまうほどです!
そして最奥の一段高い位置には、まばゆいばかりに飾られて精巧に造られた玉座に誰かが座っておりました。
それは黒白の王者でした。
いただく王冠や身を飾る装飾の黄金よりも、その人物の白と黒の色合いの方が遥かにアルベールに強く印象づきました。
尊大に玉座に在るその人物は、真っ黒い人物でした。
尊大に玉座に在るその人物は、真っ白い人物でした。
黒い王衣に身を纏った、白い男。
肉体から色素という色素を漂白したアルビノなのです!
どうやら三十前後の年齢に見えます。
奇しくも、アルベールが忠誠を誓う王様と近しい年齢でした。
玲瓏たる美貌は線が細く、浮世離れした魅力を魔力のように身に纏っています。
だというのに爛と輝く瞳の赤さたるや、煌々と野心に燃える活力に満ちておりました!
その鮮血色のまなざしは、一直線にアルベールを射抜いてきます。
アルベールもそのまなざしの迫力に敗けぬよう、堂々とした立ち振る舞いで胸を張ります。
「陛下、騎士アルベールにございます」
「うむ」
ロイの言葉に王者が頷きます。
涼やかながら、人を引き付けるような威厳ある声でした。
ロイが歩を進め、アルベールも続きます。
背後で重々しく扉が閉ざされる音が響き、アルベールはいっそう現実から隔離される気分に陥ってしまいます。
やがてロイは黒騎士たちの列に戻り、アルベールが謁見の間の中ほどで立ち止まりました。
「ようこそ、新たなるゴモラへ。君の活躍はかねてより耳にしている。余がこの都の王、クロヴィスである」
黒白の王が自ら名乗りました。
アルベールが騎士の礼をして名乗り返します。
「フランクの騎士、アルベールである。魔窟の王よ、貴公には是非に問いただしたいことが多々あった。面通りが叶い、まことにありがたく思う」
「無礼者!」
堂々としたアルベールの物言いに、横合いから大喝が飛んできました。
クロヴィスの隣に立っている偉丈夫からの声でした。
分厚い書物を手にしている中年の男です。
口の回りに豊かな髭を生やし、長身の逞しい武人のような体躯をしていながら、文官の衣を身に纏っていました。
文官でありながら、その身ごなしで一級の戦士の挙措であることがうかがえました。
「魔窟とはなんたる侮辱! 教会の狗が我らの──」
「ムルガル、下がるがよい」
「はっ」
黒白の王が笑いながら手を一振りすれば、アルベールを噛み殺さんばかりだった男がぴたりと口を閉ざしました。
「彼はムルガル。私の宮宰だ。法と律を司っておる故、口うるさいのは容赦したまえ」
訝しげなアルベールに、クロヴィスは続けます。
「騎士アルベール。この都は多様な宗派を許容している。ドルイド教、オーディン神を信奉する神槍派やトール神を信奉する雷神派。ムスリム、道教、仏教、ヒンドゥー教、オリュンポス十二神教や、悪魔教。フランク人、ケルト人、ブリテン人、ヒベルニア人、ギリシア人、エジプト人、アラブ人、ペルシア人、唐人、インド人───ありとあらゆる神も人も許容する。ただひとつ、君たちの教会のみを除いてな」
「教会と敵対するため、他宗教の勢力を貪欲に集めたと言うか」
「順番を違えておるな。教会が、教会以外の全てを敵としたのであろう? 故に君たち以外で、身を寄せ合っているだけのことよ」
むむとアルベールが言葉に詰まりました。
教会とて広い世界のいち信仰です。
版図の拡大にたくさんの争いを仕掛けた側でもありました。
その恨みが募り、このような魔窟が生まれてしまったというのです!
「つまりこの都では、教会が排斥される。君にはこれから、我が名において裁定が下される」
黒白の王が穏やかに微笑みます。
「しかしその前に、選択肢もまた君には用意されている」
黒白の王がムルガル、と隣の宮宰に声をかけます。
ムルガルが胸に抱いていた分厚い書物を紐解き、閉ざした口を再び開きました。
「はっ、陛下。この新たなるゴモラにおいて、教会の信徒は火あぶりです。しかし教会の信徒には、火あぶりに処す前にその信仰を棄てる自由が与えられます。もしも信仰を棄てた場合、新たに選んだ信仰の指導者に引き渡されて教育、管理をされることになっております」
朗々たるムルガルの言葉に、黒白の王が頷きます。
「騎士アルベールよ、選ぶがよい。自らの信仰を棄てて命を拾うか、それとも信仰を貫いて異教の炎に焼かれるか」
アルベールは拳を握りしめて黒白の王へと吼えました!
「聞くがいい、邪教の王よ! 私はフランク王国の騎士であり、教会の敬虔な信徒である。父と子と聖霊の御名において、断じて貴公らの卑劣な無法に屈することはない!」
「良い堅信だ」
「……この都の題目はとくと理解した。教会の信徒として、教会が、そしてフランク王国が異教の血を大量に流した事実について、釈明をできるものではない。だが今を慎ましく生きる者たちから奪い、その上に築かれたこの都を許すわけにはいかぬ!」
激情に任せてアルベールは黒白の王を一喝しました!
この都は平和に暮らしている村から食料や金品を奪ってできたもの。
騎士として、アルベールの義憤に燃えに燃え上がります。
「許さなければ、刺し違いを狙ってみるかね?」
クロヴィスが、悠然と両手を広げてみせました。
「それしかないと考えていた」
やおら黒騎士たちが殺気立ちますが、それをクロヴィスは目だけで制します。
「自らの命を絶つ者に、天国の門は開かぬのではないかな、騎士アルベール」
剣もなく、未だ快癒ならざる身で、さらに竜騎士を筆頭にした猛者たちに囲まれた状態です。
アルベールがクロヴィスに届く未来は、億にひとつもないでしょう。
それを自覚している以上、アルベールもこれが教会の禁忌たる自殺と同義と理解していました。
しかしアルベールはゆるぎない眼差しで堂々と胸を張ります。
「天国を目指すため、地獄を忌避するため。そんなところに私の信仰はない。貴公らの無法に牙を突き立てて地獄へ落ちるならば、私は喜んで正義に殉じる覚悟である」
アルベールが死を、さらに地獄をすら受け入れる気概を見せると、居並ぶ猛者たちも感心する顔が散見されました。
「その胆力は賞賛に値する」
クロヴィスが満足そうに微笑んだその時でした!
「陛下!」
赤い大声が謁見の間に響きました!
ずいと前に歩み出たのは、赤い竜騎士ゼヌです!
「この竜騎士ゼヌの嘆願をお聞き願えますか?」
黒白の王はこの申し出に、にやりと笑います。
「許そう、その願いを語るがよい」
「ありがたく存じます。陛下、これなる騎士アルベールはこの竜騎士ゼヌを救った男にございます。ご存じの通り、拙者はあの赤い竜に封じられて自ら脱出が叶わずにおりました。それを助けられて誓いを立てたのでございます。拙者を救った者たちの命を、竜騎士ゼヌの名において必ずや保護すると」
「下がれ竜騎士ゼヌ! 貴様の勝手で法と律を歪めると言うか!」
ずいと前に出たのはムルガルです。
しかしゼヌも譲らぬ構えです。
「ムルガルよ、貴様はまだ語っておらぬ事項があろう。この都において、各派の長が教会の信徒を捕らえた場合、その処遇は一任されるはずである」
「その各派とはそれぞれの宗派の長を示し、教会の信徒を火あぶりではない生贄に処してもよいという決まりである! 貴様は一派を束ねるではなく、今ここではまさにクロヴィス陛下こそが最も権威ある長であろう!」
「まさにこの場において、最上の権威をお持ちなのは陛下であろう。だが拙者も貴様も、その権威においてそれぞれに各派の長と同列の位をいただいておるではないか! 拙者はその裁量において、このアルベールという男を預からんと欲しておる!」
クロヴィスの名を出されて、ムルガルが双眸を細めました。
その頭の中は様々な判例が浮かんでは消えていきますが、なんとこの状況に対する適切な判断材料がまるでないではありませんか!
「ムルガルよ、竜騎士ゼヌの裁量に対して断ずる法と律は定まっておらぬな?」
クロヴィスが、面白がるように尋ねました。
ムルガルは「ははっ」とそれをしぶしぶと肯定します。
そうです、ゼヌの主張は解釈によっては一理いあると言わざるを得ないものだったのです!
「故に陛下! この竜騎士ゼヌの誓い、護らせていただけるかそれにあたわぬか! 是非、王の裁可にゆだねたいと存じまする!」
この嘆願にクロヴィスが厳かに頷きました。
アルベールはこの推移を、目を白黒させて見守るしかできませんでした。
確かにアルマースの船上で、ゼヌはあのような誓いを立てました。
しかしそれがこうして火あぶりから庇護をするために介入をするとは!
誓いを貫徹せん男気に打たれもしましたが、しかし教会の信徒としては複雑な思いを抱かずにはいられませんでした。
「ムルガルよ、判例が絶無なる事例である。故にこそ、君が示す見解や如何に?」
クロヴィスの問いかけに、ムルガルは非常に難しい顔で慎重に言葉を選びます。
たっぷりと時間をかけて、やがてムルガルは断じます。
「……騎士アルベールの幽閉が適切かと」
「なるほど、なるほど。実に均衡の取れた裁決だ」
クロヴィスが満足そうにうなずきます。
この都の在り様から逸脱し過ぎない裁定でありながら、ゼヌも立てている采配と言えました。
さきほどまで噛みつかんばかりの剣幕で言い合っていたゼヌも、不満こそあれすぐに反論できぬ堅実さでした。
「しかしながら陛下、明日にでも此度のような沙汰を取り締まるための法と律を奏上させていただきますぞ!」
「性急な男だな、君も」
黒白の王がくすくすと笑いました。
そしてこの広間にいる者たちすべてに対して大きく手を振り、こう言い放ちました。
「だが今はまだ確たる定めはない。騎士アルベールの処遇という一問に対して、諸卿らの裁可がこの都の礎にもなりえるぞ。竜騎士ゼヌの嘆願に対して、君たちも奔放に語ってみたまえ」
するとどうでしょう!
これまで石像のように整列していた騎士たちも、異教の長たちも、こぞって自分の考えを声高にしゃべり始めました。
「赤蜥蜴の誓いなど、国家の威信の前に何の効用もありませんぞ!」
「教会の狗など、火あぶりしかありません!」
「陛下、竜騎士ゼヌの功を鑑みれば、その裁量をお認めになるべきでございましょう!」
「敵国の騎士など、その心の臓を抉りだして神にささげるべし!」
最初は誰もがクロヴィスへと主張して声を上げていました。
それがどんどんヒートアップしてくると、隣の人間と唾を飛ばし合って口論する者は出てきます。
「この都にいながら教会の狗を放置すると言うか!」
「ゼヌ殿をないがしろにできるものか!」
黒白の王はそんな喧騒を、目を閉じて愉快な音楽でも聴いているかのように耳を傾けていました。
「おい貴様、今わしの誓いが無意味と言うたか!」
ゼヌに至っては、自分の誓いをないがしろにする発言者に食って掛かる始末です。
「そもそも技術顧問、貴様があのような失敗作をわしに押し付けたのがそもそもの原因よ! 貴様もまた、この件に関して責任を問う故、覚悟しておれ!」
「なんじゃとこのでくのぼう!」
そんなゼヌの大きな声に比肩する、しゃがれた声がありました。
見ればそこには、車椅子の老人がおりました。
ひからびたような高齢の男で、腰がエビのように曲がっております。
その前傾姿勢のおかげで、車椅子に座っていながら杖を突いているではありませんか。
すっかり髪もなくなりしわだらけの顔ですが、その声の力強さはどうしたことでしょう!
「貴様が勝手に動力を入れたのじゃろう! むしろ竜の復元に費やした労力を、貴様が台無しにしおったのじゃ! この落とし前、どうつけてくれる!」
どうやら彼が技術を選任する者たちの頭目のようです。
車椅子から転がり落ちんばかりに前のめりになっている老人を、付き添っていた女性がやんわりと手で制します。
なんとアディラではありませんか!
「デュゲル様、落ち着いてください」
喧々囂々たる場にありながら、芯のある声はアルベールにまで通りました。
「これが落ち着けるものか! おい、もう誰もあの赤蜥蜴の鎧を整備せずともよいぞ!」
デュゲルが近くに並んでいる、技術に携わっているらしい者たちを一喝しました。
それを聞いてまたゼヌも顔を真っ赤にして怒鳴り散らし、デュゲルもぎゃんぎゃんと吼え猛ります。
混沌としてきた謁見の間でしたが、やがてクロヴィスが静かに手を上げました。
するとどうでしょう、その一挙だけで誰もが口を閉ざして静まり返りました。
アルベールも感心する、見事な統率でした。
「天秤の騎士よ、興味深い意見を零したようだな。もう一度、皆に聞かせるがよい」
広間の者たちの視線が、一斉にある男に集中しました。
静かな男でした。
たたずむ様子はまるで彫像のようです。
彫が深い顔立ちで、ウェーブのかかった長い黒髪。
どこか超然としており、そのまなざしも温度のなく、見る者に陰気な印象を与える男です。
「竜騎士ゼヌはこの都にふたりといない人物であり、その命を助けた功は計り知れません。竜騎士ゼヌもまた騎士アルベールを助けましたが、命の価値を比較すれば釣り合いが取れていません。騎士アルベールに、黄金を与えて丁重に遇するのが適切と存じまする。」
淡々とした声でした。
あの喧騒の中でもこの声量であったならば、埋もれてしまう声でしたが、クロヴィスはそれを聞き取っていたというのでしょうか!
しかしその内容はこの魔窟の住人たちにはおよそ受け入れがたいもののようでした。
誰もが静まり返りながら、怒気が場に満ち満ちて今にも破裂しそうです。
「それが君という天秤の傾きか」
黒白の王はむしろそんな空気を楽しんでいるかのようでした。
ざっと一瞥して、
「艦長、君も胸中の炎をさらしたまえ」
また場の視線がひとりの男に集中しました。
焼け焦げたような褐色の肌をした、巌のような筋骨隆々の男でした。
今にも爆発する火山めいて怒りをあらわにしております。
硬質そうな髪は天に逆立ち、どこか噴火の戯画じみておりました。
艦長と呼ばれる男が指名されて、アルベールはふと場が緩んだ気がしました。
それは艦長ならば自分たちの代弁を正確にしてくれるだろうという信頼が成せるもののように感じました。
そう感じた事実に、アルベールは息をのみました。
天秤の騎士の小声を拾い上げる耳、場の代弁者として適切な人物を選ぶまなこ。
アルベールはクロヴィスが状況を掌握する支配力に、王の資質として確かなものを感じたのです!
「それでは申し上げる! 教会の狗を生かしておくなど言語道断! この都に集う、フランクの騎士どもに友や家族を殺された者たちを想えば遇するなど口が裂けても言えぬはず! どういうつもりか聞かせてもらおうか、天秤の騎士よ!」
見目にたがわぬ胴間声です。
炎のような一喝ですが、天秤の騎士は涼風のようにこう言いました。
「フランクの騎士に友や家族を殺された者たちは、大半が替えの効く者たちだ」
場にいた大半の男たちから、殺意が膨れ上がります。
それが弾ける前に、
「だが竜騎士ゼヌは無双である」
天秤の騎士はこう続けました。
言葉が、怒気の隙間を縫うように吹き抜けるようでした。
誰もが怒りの中に、「確かに」と心に納得を芽生えさせてしまったのです!
「それを助けた一事は将来に渡りこの都に益。ならば騎士アルベールに対する応報は、破格であるべきと存ずる」
「特別扱いせよと言うか! この都は混沌たる平等であるぞ!」
「では王も要らぬとおっしゃるか?」
むぐと艦長が言葉に詰まりました。
謁見の間に、絶妙な空気が流れます。
天秤の騎士の論調に迷いを生じた者もぽつぽついるようでした。
それをクロヴィスは、笑いを殺しきれずに眺めていました。
「陛下」
そんなクロヴィスに、ゼヌが前に出ます。
「もうよろしいでしょう。我が嘆願が聞き届けられるか否か、裁定を下していただきたい」
幾許か緩和していた場の空気が、急激に引き締まりました。
「よかろう」
王は厳かに頷きました。
誰もが黒白の王に視線を巡らせます。
「騎士アルベールの処遇に対して、竜騎士ゼヌ自身の嘆願と、竜騎士ゼヌを助けたという功。これらを併せて、その命を永らえることを許す」
一切崩れない静謐の中で、誰もが無言のまま騒然としました。
「ただしこの許しは都の内でのみ施される。外へ身を置けば、その命に容赦はない」
「陛下! 我が誓いを掬い上げてくださったこと、ありがたく存じまする!」
竜騎士ゼヌが喜びをほとばしらせました。
当然、不満そうな顔の者たちも多々おりました。
しかし天秤の騎士とやらがかき混ぜた空気が、絶妙にクロヴィスの言葉を納得寄りに傾けているようです。
天秤の騎士。
天蝎の騎士と違うのか?
そう思いながらアルキダモスへと視線を向けると、投げキッスをされました。
アルベールはそれを避けました。
「この裁決、君は不服かね、騎士アルベール」
「貴公らの掌の内にこの命を転がされる事実、屈辱ですらある」
アルベールが強い口調で言い放ち、ゼヌを見据えました。
「だが竜騎士ゼヌよ、己が誓いを自らの王へ示す男気には改めて感服をする」
「騎士アルベールよ、貴様も陛下に一歩も退かず己を貫く姿、天晴であった」
「しかし貴公を男と認めているからこそ、この私を庇護するという誓いが不服だ。私の力量ははなはだ貴公には及ばぬ。しかし私もまた一介の騎士であるならば、この魂は貴公と対等でありたい」
「しかし貴様はわしを助けた。この恩義はどこへゆく?」
「貴公もまた、私を助けた。貴公がここで養生させてくれねば、命を落としたであろう。つまり誓いは果たされたのだ。この上には男として、誓いを越えて貴公と向き合いたい」
「騎士アルベール!」
アルベールのどこまでも清廉なる男気に、ゼヌも胸を詰まらせる思いでした。
「陛下!」
ゼヌがそれはもう勢いよくクロヴィスへと跪きました。
「この竜騎士ゼヌ、騎士アルベールを戦場で討ち取るお約束をいたします故! この男の快癒を助け、そして見送ることをお許しくだされい!」
渾身の拝礼に、クロヴィスは涼し気に肩をすくめました。
「既に裁決は下した。都の外においては、容赦をするにあたわぬと言った。ならば君の望むように、戦場での決着もまたよかろう。だが、一言もの申したい男が他にいるようだがね」
クロヴィスが面白そうに視線を巡らせれば、そこには苦笑したロイがいました。
「申し上げることなど、何も。私が竜騎士ゼヌよりも先に、騎士アルベールを仕留めて決着をつければよいだけですから」
ゼヌがにやりと笑います。
「言うではないか。わしを出し抜くと?」
「騎士アルベールとの因縁は、こちらが先だ、竜騎士ゼヌ」
そんなふたりへ愉快げに、クロヴィスは手を打ちました。
「相分った。ふたりとも、見事に騎士アルベールを討ち果たし、我らの武威を知らしめよ」
さらにクロヴィスはこう付け加えました。
「竜騎士ゼヌに対して留飲を下げんと欲する者も、先んじて騎士アルベールを討ち取れば果たせるぞ」
その言葉に、竜騎士ゼヌがひいきされていると面白くない者たちの目に、強い光が灯ります。
クロヴィスはそれを横見に、手を振りました。
「これにて騎士アルベールの処遇を決着とする」
納得する者、釈然としない者の顔が綯交ぜになる謁見の間の中で。
粛然と閉廷が宣言されます。
「下がるがよい」
クロヴィスが威厳ある声でアルベールを退けようとします。
しかしアルベールは、じっとクロヴィスを見つめ続けます。
「ふっ、まだ問答がしたいという貌であるな」
「……貴公の王威は、疑いようがない」
「ほう? 教会の信徒が魔窟の王を持ち上げてなんとする」
「だがそれだけに疑問が尽きぬ。貴公はいったい何者なのだ? 真にいずこかの王者の血脈であるか?」
アルベールのこの一言に、謁見の間が爆笑に包まれました。
当の魔窟の王すら、天を仰いで哄笑しています。
さしものアルベールもこの状況にはとまどいました。
「何がおかしい」
「私がフランク王家の血を引く男だからだよ。フランク王国の騎士が、フランク王家の血を引く私に何者かと問うなど、滑稽ではないかね?」
アルベールが声を詰まらせました。
そして目まぐるしくフランク王国の家系図を思い浮かべます。
その中で、眼前の男に当てはまりそうな人物の該当は……
そんな風に悩んでいたアルベールに、クロヴィスはそっけなく言い放ちました。
「余はメロヴィング王朝の血に連なる」
「メロヴィング王朝だと!?」
「証のこの王印だが……君では分からぬかな」
クロヴィスが指輪をアルベールに見せつけます。
古い金の指輪には、複雑な紋章が刻まれています。
偽物だと一笑に伏せるには重すぎる王威が指輪から滲んでおりました。
フランク王国が開闢しておよそ四百年。
最初にフランク王国を支配していたのは、メロヴィング王朝でした。
それが百年前には全盛期の力を失い、カロリング王朝に取って代わられたのです。
アルベールが強烈に思い起こしたのは、当時の教皇が発した声明です。
『権力のない者を王としておくより、権力のある者を王とした方が良い』
これはカロリング王朝の始祖と結託して放たれた文言ですが、教会の信仰を基盤にしていたメロヴィング王朝が退位させられる決定打にもなりました。
こうしてメロヴィング王朝は歴史の表舞台から姿を消しました。
消したはずだというのに!
「では貴公が……いや、御身が戦力を整えるこの都は、フランク王国と教会に対する報復の砦とおっしゃるか」
「いいや、個人的な……違うな。メロヴィング王朝などという、小さな枠の恩讐でこの都を創ったわけではない。騎士アルベールよ、世界は絶えず時を進め続けている。君はムスリムの探求へ対する真摯さ知っているかね? 百万人を擁する唐という国の巨大さを知っているかね? そんな世界から目を逸らし、教会は未来に進む発展の可能性を常に排斥し続けておる。このままではフランク王国は取り残され、衰退してゆき、やがて時代を進めた世界に圧し潰されてゆくだろう」
クロヴィスが、謁見の間に控える猛者たちを示すように両手を広げました。
「ここに集った混沌たる可能性を、この国にばらまいて育てる。教会を基盤としたこの国の在り様を破壊する。それがもはやフランク王国という国ではなくなろうとも、拘泥する問題ではないと知るがいい。時を止めて滅ぶか、進み続けて総てを飲み干すか。その二択である。中庸はない。進まねば、やがて圧し潰されるのは条理なのだ。メロヴィング王朝が、そうであったであろう?」
黒白の王が笑いました。
「故に我ら新たなるゴモラが世界を塗りつぶす───世界征服だよ、騎士アルベール」




