40 アピールチャンス
昨日と同じく、虹子と華はバスで美浜公園のグラウンドに向かった。早くも見慣れた風景になってきており、バスの窓から見えるお店なども目に入るようになっていた。
「今日も晴れてよかったね」と華が言う。「そうだね」と虹子。6月末ということで、例年いつ雨が降ってもおかしくない時期だが、雲ひとつ見当たらないほどに晴れ渡っていた。
華「だけどさ、小学校の時は雨が大好きだって」
虹子「あたしが?」
華「うん。下手な奴はもっと下手になるから〜ってさ」
虹子「どんだけ嫌な奴なんだよ、リトル虹子は」
華「うふふ。誰も反論できないぐらい、虹ちゃんはうまかったけどね」
虹子「今は見る影もないけど」
華「え、そんなことないよ」
虹子は華の明らかに気遣う言葉が、情けないぐらいに突き刺さっていた。華に悪気がないことは十分に理解しているつもりなのに・・・やり場のない感情を隣に座る華と反対側の手の指に込めていた。
楽しむ。
評価を気にしない。
独りよがりにならない。
周りを観察する。
「うう〜」
自分の心の闇に吸い込まれそうになったところで、華に声をかけられてハッとなる。もう美浜公園バス停まで目と鼻の先に来ていたようで、華が降車ボタンを押すところだった。
華はちょっとバツが悪そうな表情を見せた後に、虹子の頭の後ろを二度、三度と優しく撫でてくれた。
虹子はグラウンドに到着すると、昨日とは少し違った様子にすぐ気づいた。練習開始まで30分はあると言うのに、グランドにはほぼ全員の選手が集まって、ストレッチや簡単にボールを使った自主練を行っている。
確かに華から紅白戦の日は短いウォーミングアップぐらいで、すぐゲームに入ると伝えられていたが、早くもグラウンドに緊張感が漂っていた。
「紅白戦はサブ組のアピールの場でもあるんだよ。レギュラー組は絶対に守り抜かないといけない」
華が真剣な表情で言った。虹子にとっては浜名ウンディーネ・クライネの入団テストだが、メンバーにとっても大事な真剣勝負の場だと、虹子は強く認識した。
プレハブ小屋で着替えを済ませてグランドの横に出ると「サンちゃん!」と大声で呼び掛けられた。金美麗は何人かのグループでパス回しをしていたようだが、虹子を大袈裟に手招きしている。
「サンちゃんて誰だよ」
虹子「おはよう金ちゃん」
美麗「グッド・モーニングヒル」
虹子「いや、もう訳わかんないから」
華が「行っておいで。ここからは敵だよ」と虹子に伝えながらピースサインを送ってきたので、虹子も送り返す。6人のグループに虹子が加わって7人になった。
3年生の茶野梨恵が「虹子、おはよう!」と声をかけてきた。
「梨恵さん、おはよう」
そう挨拶してからメンバーを見て「あれっ」と虹子は思わず声を出してしまった。そこには小野乃木桃香もいたのだ。
「ニジたん、よろしく!」
桃香の方から声をかけられると、虹子は「お、おう!」とどもり気味に答えた。
遅刻常習犯と言われる桃香も紅白戦はちゃんと来るのかと思ったら、実家の菊川から来ている梨恵と愛野に住む藤野紗季が、磐田にある桃香の家まで迎えに行ったらしい。「彼女がいないとファーストチームには勝てないから」と理恵がリアリストなことを言った。
金美麗
茶野梨恵
小野乃木桃香
藤野紗季
東雲奈々美
朝丘虹子
秋野琥珀
7人でパス練習を行う。セカンドチームの残りメンバーはセンターバックの千草沙織と本城あずさ、FWのマゼンタ・ガビル、中学3年生の白波唯が4人セットで、ハイボールの練習をしていた。
唯と同じく中学生の梅田小春は今回の紅白戦ではファーストチーム側のサブとして控えるとのことで、蝶野さくらとコンビでボールを蹴っていた。
虹子たち7人はメンバーで名前を呼び合いながらパスを回す。途中から二人が鬼になり、5対2になった。虹子がプレー面で、まだあまり把握できていなかったのが藤野紗季と秋野琥珀だ。
紗季は藤色の髪をヘアバンドで留めた左利きの選手で、クライネでは右サイドハーフをメインにしている。”スーパー歴女”の琥珀はピッチ上ではフィールドの全ポジションをこなせるスーパーマルチで、クライネでは左サイドバックとボランチがフィフティ・フィフティだという。
シンプルだが、ファーストタッチ、パスの判断とスピード、精度、スモールエリアでのあらゆる要素が入った基本中の基本とも言えるトレーニング。虹子にとってはメンバーをさらに確認する貴重な場でもある。
そして練習開始の10分前に梨恵の呼びかけで、セカンドチームが集合。GKで練習していた与謝野楓とシアン・マイヤーも合流した。全体で輪を作ると「みんな分かってると思うけど」と理恵が語りかける。
「このゲームは7月末のフェスティバル、そして8月上旬のエグゼブ・カップに向けた大事なアピールの場になります。そして、ここにいる朝丘虹子のテストでもある」と言って理恵が虹子の方に顔を向けると、虹子は無言で深く頷いた。
その場が少し張り詰める。虹子は大会名から具体的にイメージできなかったが、理恵が「勝って未来を切り開くよ!」と理恵が呼びかけると、全員で「おおっ!」と叫んだ。
前日より30分早い練習開始時間の10時に監督とコーチが合をかける。今日は寮母を兼ねる小野田恵子さんが見当たらない代わりに、一人の男性と二人の女性が加わっていた。
虹子が周りに聞くより早く「虹子さん、紹介するわ」と室崎かぐら監督が二人のことを簡潔に伝える。男性が棚橋潤強化・育成部長。そしてトップの倉田由美監督。もう一人が姫島祥子ドクターだ。
由美「あなたのことは聞いているわ、朝丘虹子さん」
虹子「はい、よろしくお願いします」
そう虹子が答えて一礼すると倉田監督は笑顔で反応した。「聞いている」の意味を虹子が知るのはかなり後のことになる。
大柄ではないが、どこか威厳を感じさせる倉田監督の姿を確認して、主力のメンバーたちにも緊張が走ったのは虹子にも分かった。華の顔を見ると、やはり緊張感のある表情をしている。
この紅白戦は虹子のテストであり、リザーブチームのレギュラー獲りへのアピールの場であるが、主力選手も含めてトップチームにアピールする機会でもあるのだ。




