23 ツボミとハナ
橙山華は姉・蕾が経営するアクセサリー屋の二階に住んでいる。舞阪駅の改札を出て、正面の通りを少し歩くと、立派な松並木が表れた。その通りを右手に折れると、華が「すぐそこ」と虹子に教えた。
華「ここ東海道なんだよ」
虹子「へえ、あの東海道五十三次の?」
華「そう。このちょっと先に舞阪宿ってのがあってさ」
虹子「やけに詳しいな。歴史得意だったっけ」
華「ここに引っ越してきた日、お姉ちゃんに教えられたの」
虹子「な〜んだ、褒めて損したわ」
華「うふふ」
あたりはすっかり暗くなっている。王子駅の周辺も都内では閑静な方だが、それでも夜7時ごろは賑やかで明るい。浜松駅の周辺は人も多いかもしれないが、駅前から数ブロックしか歩いていないのに、舞阪は虹子が想像した以上に、静かで暗かった。
華「このすぐ先に松並木公園があって、そこに舞阪宿の説明が書いてあるの。それは読んだよ」
虹子「ほんとに?」
華「本当だよ。あ、あそこが私ん家。我が橙山城にようこそ」
虹子「こら、城主は蕾さんだろ」
華「うふふ」
それにしても華はよく笑う。笑じょうごと言えば、虹子はつい前日、新宿中央公園で会ったばかり風見類の顔を思い浮かべた。
暗くてはっきりとは見えないが、橙山姉妹のアクセサリー店兼住居は、松の並木に溶け込むような緑色の壁をしていた。オレンジ色の看板には「TSUBOMI TO HANA」と書かれている。「ほ〜」と虹子が声を出したので「ん?」と華が首を傾げる。
虹子「蕾さん、店の名前にあんたの名前を入れてくれたんだ」
華「一緒に名前を考えてって言うから「TSUBOMI 」にしたらって提案したの。そしたら」
虹子「そしたら?」
華「恥ずかしいから、華の名前も入れようだって。うふふ」
虹子「その流れいいな」
華「うふふ、そうでしょ。仲良しだもん」
「お姉ちゃん、ただいま〜」
華がお店のガラス張りの扉を開けながら呼びかける。「は〜い」と、少しトーンの高い大人の女性の声が返ってきた。生声は久しいが、UNITYの通話越しに聞いているので、すぐに蕾の声だと分かった。
「虹子ちゃん、久しぶり〜」
ドアの向こう側から半身を出した蕾が、虹子の両手を握ってきた。華をそのまま大人の女性にした雰囲気だ。違いは青みがかったロングヘアと目に飛び込んできたものが。デカッ・・・と虹子は下卑たオヤジのような声を発しかけて、喉で無理やり遮断した。
虹子「うっ、ゴホッ」
蕾「虹子ちゃん、大丈夫?水持って来るわね」
虹子「ゴホッ、ど、どうも」
蕾が店の奥に消えるのを待って華が「今、お姉ちゃんの胸を見てデカッて思ったでしょ」と眉を潜めながら言ってきた。
悪気はなかったのだ。4年前の時点でも、それなりに持っていらっしゃったと記憶しているが、さらに迫力を増して、女の虹子も驚きをコントロールできなかった。
虹子「拙者としたことが、不覚なり」
華「うふふ、潜入がバレた忍者みたいな言葉でごまかさないの」
虹子「す、すいません」
華「なんで私、そこはお姉ちゃんに似なかったかなあ。運動のしすぎかな」
そう言いながら華は虹子の胸元を見て妙な顔をしていた。「ああ、虹ちゃんも成長してる。ずるい」「こらこら」とやりあっている間に、蕾がコップを片手に戻ってきた。
蕾「はい、冷たいお茶」
虹子「あ、ありがとうございます」
蕾「何かしこまってるの。小学生の時は『ツボミ、今日もいいチチしてるな!』とか、両手で変なポーズしながら言ってたくせに」
それを聞いている最中に「ブッ!」と虹子は口に含んだお茶を吹きかけて、なんとか口を閉じて噴火を留めた。しかし、その勢いでお茶をゴクッと飲んでしまい、ゴホゴホとむせ返りながら慌てて左手で胸の上部を叩いた。
蕾「虹子ちゃん、大丈夫?」
虹子「ゴホッ ゴホッ・・・あたし、そんな無礼な奴だったんですか」
蕾「無礼というか、ガキ大将だったから。いっつも男の子たちを従えてね」
虹子「さ〜せん」
虹子が直角お辞儀をする様子を微笑ましく眺めてから、蕾が話を続けた。
蕾「凌駕くんだっけ。『俺は虹ねえの子分だぞ』って自慢してたの」
虹子「ああ、アイツは今もあんまり変わってないです。ちょっとスケベになったぐらい」
蕾「まあっ。二人、そんな仲になってるってこと?」
虹子「ゴホッ、違います。それ大きな誤解です!アイツ、あたしのこと女だと思ってないから」
華「うふふ」
あの頃はそれだけ世間知らずで、怖いもの知らずだったのだろう。はっきり覚えている訳ではないが、学校の先生すら名前かあだ名で呼び捨てにしていた記憶がある。少し間を置いて「でもね」と蕾が言った。
蕾「虹子ちゃん、すごくカッコよかったのよ」
虹子「えっ?」
蕾「イジメっ子をその場で叱ったり、捨てられていた仔犬を何日も世話して、新しい里親を探して回ったりね」
華「そうそう。虹ちゃんはフィールドの外でもヒーローだったんだ」
虹子「そうだっけ。あまり覚えてないや」
華「タローだよね、あのワンちゃん。虹ちゃんが名前付けたんだよ」
虹子「ああ、タローは覚えてる。元気にしてるかなあ」
落ち着いて店内を見回してみると、綺麗なアクセサリーが壁からショーケースまで、所狭しと飾ってあった。主に銀製品のようだが、貝殻を使ったものもある。
「綺麗ですね」とお世辞抜きに言うと蕾はニコニコしていた。本当に振る舞いが素敵な女性だ。
お茶を飲み終わると、華が虹子を二階へと案内した。店内から上がるのではなく、建物の側面に階段が付いており、外から直接二階の玄関に行ける作りになっている。
階段を上りながら虹子は「蕾さんってスポーツはやってたの?」と聞くと、華が「高校までテニスをやってたって聞いてるよ」と答えた。
「歳が離れてるから私は覚えてないけど・・・さあ、どうぞ上がって」
お昼にカレーでも食べたのか、何だかかスパイシーな匂いが鼻をくすぐる。虹子は「お邪魔しま〜す」と玄関の奥に向かって言いながら靴を脱ぎ、とりあえず入り口にリュックを下ろした。
華「誰もいないよ」
虹子「一応、礼儀ってもんがあるでしょうが」
華「虹ちゃんの辞書に、礼儀なんて文字があったんだ」
虹子「あたし、来月で17なんですけど」
華「虹ちゃんの誕生月は7月だったね」
虹子「7月16日。ナナイロね」
華「そうだナナイロ。私は8月・・・」
虹子は一瞬記憶を辿るとすぐに浮かんだ。華の誕生日は・・・
虹子「8月7日。ハナだよね」
華「おっ、よく覚えていらっしゃる」
虹子「だって簡単じゃん。めっちゃプレゼントせがまれたしさ」
華「で、もらったのがビッグマンチョコ。うふふ」
虹子「お小遣いの限界」
華「駄菓子でも、もっと女の子っぽいものあるでしょ。嬉しかったけどさ」
虹子「まあ、それなら」
華「でも開封したら天使カードで、これと交換しろってお守りカードくれたでしょ」
虹子「そうだっけ。すっかり忘れた」
華「私まだ持ってるんだよ、お守りカード。静岡の実家の宝箱の中だけど」
虹子「宝箱?」
華「虹ちゃんとか、城北の仲間との思い出が詰まってるの」
虹子「ま、まじですか〜」
虹子は姉妹の共有スペースだと言う居間に、布団を敷いてもらうことになった。さらに蕾の作業部屋と個室、そして大きくはないが、華の寝室もあると言う。
華によると、この一戸建ての頭金こそご両親に援助してもらったが、残りの返済は蕾が全額、支払っているという。虹子はその話を聞きながら、自分が蕾ぐらいの年齢になった時のことを想像してみても、何も浮かばなかった。
華が台所でお茶を淹れてくれている間に、虹子は少し頭の中を整理してみる。もし「クライネ」に合格できたら、そこから先にどういう風景が広がるのだろうか。
一度は歩みを止めてしまったサッカーの道。あの時と全く同じ道ではないが、また進んで行ける。あの富士山を登るように、女子サッカーで上を目指していく。
どこまで行けるか今は想像もできないけど、最高の相棒であり、ライバルでもある華が一緒だ。そのために、まず自分に負けないことを心に誓う虹子だった。
浜名ウンディーネ・クライネの練習参加を翌日に控え、虹子は華と姉の蕾のうちにやってきました。
ここからどんなストーリーが展開されていくのか。
『にじかけ。』は女子サッカーのオン・ザ・ピッチとオフ・ザ・ピッチを織り交ぜながら、虹子たちの成長の日々を綴っていきます。新感覚の世界観をお楽しみください。
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