封印された研究室と、突きつけられた無実の罪
カツン、カツンと、冷ややかな靴音が地下牢の湿った石床に響いていた。
王宮の地下深くに位置する特別牢獄。重厚な鉄格子の向こう側で貧乏文官こと、ロザリア・フェルゼンは冷たい藁の上にくずおれていた。
「⋯⋯はぁ。定時退勤どころか、人生から退勤しそうね」
自嘲気味につぶやいた声が、暗闇に虚しく消える。
あの舞踏会から数日後。黒幕であるヴァルター公爵の反撃は、容赦なく、そして徹底的だった。 ルシアンの実験室は「国家の安全を脅かす危険な異端研究」として国家騎士団に封鎖され、これまで積み上げてきた科学ガジェットや分析器具はすべて没収。さらに、ロザリアの実家には身に覚えのない巨額の偽造借金証書が叩きつけられた。
そして極めつけは——「公爵令嬢への毒殺未遂」という、完璧にでっち上げられた重罪での逮捕だった。
(財務書類の矛盾を突こうとした瞬間にこれだもの。権力者って本当に手加減がないわね⋯⋯)
ロザリアは膝を抱え、唇を強く噛みしめた。 自分の身もさることながら、心配なのは実家の弟妹たち、そして——謹慎を命じられ、皇宮の自室に軟禁されたというルシアンのことだった。
その時、地下牢の重い鉄扉が不意に開き、松明の炎が揺れた。
「おい、囚人。面会だ。手短にしろよ」
看守の嫌そうな声とともに歩み寄ってきた人影を見て、ロザリアは思わず目を丸くした。
「で、殿下⋯⋯!?」
粗末なフード付きのローブを羽織っていたのは、他ならぬルシアンだった。普段の傲岸不遜な雰囲気は影を潜め、その顔には隠しきれない疲労と怒りが滲んでいる。
「ルシアン殿下、 なぜここに!? 謹慎中では?」
「僕の科学力を舐めないでほしいね。自室の警備など、試作の催涙スプレーと睡眠ガスで無力化するのは造作もないことだ」
「⋯⋯うん。心配して損した」
ルシアンは鉄格子に駆け寄り、格子越しにロザリアの手を力任せに握りしめた。その手はかすかに震えていた。
「すまない、ロザリア⋯⋯! 僕が甘かった。奴らがここまで力技で君を陥れるとは⋯⋯! 君を巻き込んでしまったのは、僕の過ちだ」
自責の念に駆られるルシアンの言葉に、ロザリアはハッと息を飲んだ。あの身勝手で科学バカだった皇子が、自分のためにこれほど感情を露わにしている。
ロザリアは鉄格子から手を伸ばし、ルシアンの震える手を強く握り返した。
「謝らないでください、殿下。私はあなたの助手で、パートナーでしょう? 確かに状況は最悪ですが⋯⋯私はまだ諦めていません。あの公爵がでっち上げた偽造書類、頭の中で完璧に解読してやりましたわ!」
「ロザリア!」
「あんな奴らに負けたままなんて、私のプライドが許しません。必ずあの腐った公爵の化けの皮を剥ぎ取って、私の定時退勤と平和な日常を取り戻してみせます! マジでブッコロ⋯⋯」
ロザリアの力強い眼差しに、ルシアンの瞳に宿っていた暗雲が一気に吹き飛んだ。彼の大好きな、不屈で逞しいロザリアの顔だ。
ルシアンの唇に、いつもの不敵で凶悪な笑みが戻ってきた。
「ふっ⋯⋯ハハッ! そうだ、君はそういう女だったね! よろしい、ならば僕たちの本当の反撃を始めようか」
「おい、そこまでだ! 時間だぞ!」
遠くから看守の足音が近づいてくる。ルシアンはフッと息を吐くと、ローブの袖から小さなカゴを取り出し、鉄格子の隙間からロザリアへ押し込んだ。
「差し入れだ。牢獄の食事は酷いだろうからね。⋯⋯固いカビパンだが、噛み締めて食べるんだよ」
「えっ? カビパン⋯⋯?」
「ではまた後で会おう、ロザリア。僕の最高のパートナー」
ルシアンは意味深なウィンクをひとつ残すと、気配を消すように闇の中へと去っていった。
看守の足音が遠のいた後、ロザリアはカゴの中に入っていた無骨な黒パンを手にとった。手に持つと、パンとは思えないほど妙にズッシリと重い。
(⋯⋯噛み締めて食べる? 殿下がそんな優しい心遣いだけで食べ物を差し入れるわけがないわ)
ロザリアはパンを両手で強く割ってみた。 すると——中から現れたのは、小さなガラス瓶に入った透明な液体と、超極細の金属製の針、そして丸められた小さな羊皮紙だった。
羊皮紙を広げると、そこにはルシアンの汚い筆跡で暗号文がびっしりと書かれていた。
『それは鉄を急速に酸化・腐食させる特殊酸性薬品だ。鍵穴に注げば3分で溶ける。裏の脱出ルートと合流ポイントは裏面に記載した。明晩、公爵が皇帝即位記念式典で権力を掌握しようとしている。⋯⋯派手にパーティーを潰しに行くぞ』
ロザリアの口元が、自然と釣り上がった。
「ふふっ⋯⋯相変わらず乱暴な脱獄計画だこと」
暗い牢獄の中で、ロザリアはガラス瓶を握りしめ、不敵に微笑んだ。 反撃の準備は整った。科学と書類の力を結集した、最高の逆転劇が始まろうとしていた。




