ルミノール反応は嘘をつかない! 舞踏会と透明な毒薬
煌びやかなシャンデリアが眩い光を放つ王宮の大広間。 軽快な管弦楽の調べと、華やかなドレスを纏った貴族たちの歓声が満ちていた。
だが貧乏文官こと、ロザリア・フェルゼンは豪華な料理の並ぶテーブルの隅で、ひとり死んだ目をしていた。
「⋯⋯なぜ私がこんなドレスを着て舞踏会に参加しなければならないのよ」
濃紺のシルクドレスは身に余る上質なものだが、ロザリアの心はちっとも踊らない。 あの日、半ば脅迫される形でルシアン皇子の「特別捜査官」に任命されてから数日。平穏な定時退勤生活は遠い過去のものとなり、今は「舞踏会での怪しい人物の監視」という名の雑用に駆り出されていた。
「似合っているじゃないか、ロザリア。いつもの書類に塗れた地味な文官には⋯⋯あまり見えないよ」
「⋯⋯あまり? もう帰ってもいいですか?」
背後から掛けられた声に振り返ると、完璧な礼服に身を包んだルシアンが立っていた。相変わらずの圧倒的な美形ぶりだが、その手にしっかりと「小型の試薬瓶セット」と「精密顕微鏡」を抱えているのが台無しである。
「殿下、舞踏会に科学器具を持ち込むのはやめてください。また周りから変人扱いされます」
「すでにされているから問題はない」
「はぁ⋯⋯」
ロザリアが溜息を吐いた、まさにその時。
「ギャあぁぁぁっ!?」
会場の雰囲気を切り裂くような絶叫が上がった。 歓談していた貴族たちが一斉に悲鳴を上げて蜘蛛の子を散らすように退く。中央のテーブル前で、肥満体の高貴な貴族――王宮薬品の管理責任者である伯爵が、苦悶の表情で胸を押さえて倒れ込んでいた。
「皆のもの、動くのではない! 現場を保護せよ!」
即座に突入してきたのは、魔法騎士団の副団長率いる精鋭たちだった。副団長は倒れた伯爵を改めるや、尊大な態度で周囲を睨みつける。
「間違いない、これは高度な『黒魔法の呪い』だ! 心臓に直接魔法陣を刻み込む暗殺手法。犯人はこの中にいる! 魔法検知陣を起動し、全員の魔力を調査せよ!」
騎士たちの掲げる魔法具が青い光を放ち、会場内を捜索し始める。だが、魔法反応は一向に検出されない。 「くそっ、犯人は隠蔽魔法の使い手か!?」と騎士団が焦りを見せ始めたその時——。
「ハハッ、相変わらず魔法騎士団の頭脳は可哀想なほどおめでたいね!」
「どうして煽るのですか⋯⋯」
静寂の広場に、場違いな冷笑が響いた。 ルシアンが堂々と中央へ歩み出る。その横には、引きずられるように同行させられたロザリアの姿があった。
「な、なんだと……変人皇子! 騎士団の不敬を咎められたいのか!」
「不敬以前に、君たちの診断が愚かだと言っているんだよ。これは魔法の呪いなどではない」
ルシアンは倒れた伯爵の口元に、小さなガラス棒をそっと近づけた。
「死因は有機化合物による急性中毒だ。無色無臭で、一般的な魔法検知には一切反応しない『透明な毒薬』⋯⋯まあ、僕に言わせれば古典的な化学毒だね」
「な⋯⋯透明な毒だと!? 証拠もないくせにデタラメを言うな!」
副団長が怒りに顔を真っ赤にする。ルシアンは「ロザリア、例のものを」と指を鳴らした。
「はいはい、分かっていますよ」
ロザリアはドレスの隠しポケットから、舞踏会が始まる前にルシアンから手渡されていた小さな「小型蒸留・ろ過ガジェット」を取り出した。さらに、会場の出入り口に設置されていた「入場者名簿」と「過去3年分の薬品納入帳簿」の記憶を頭の中で一瞬で照合する。
「副団長様。魔法の呪いだの隠蔽工作だのと大騒ぎする前に、現実の数字と書類をご覧ください」
ロザリアは通る声で、堂々と宣誓した。
「被害者の伯爵は、過去3年にわたり王宮の薬品倉庫から『特定毒性のハーブ抽出液』を大量に横領し、闇市へ横流ししていました。そして今夜、その横領の共犯者であり、口封じを恐れた男がこの会場にいます!」
「なに⋯⋯!?」
「本日、舞踏会の給仕として紛れ込んでいる男⋯⋯そこのあなたです。あなたの靴底には、先ほどルシアン殿下が散布した試薬に反応する『薬品倉庫特有の蛍光成分』が付着しています」
ロザリアが指さしたのは、グラスを運んでいた若い給仕の男だった。 男は一瞬で顔を蒼白にし、トレイを放り出して懐から短剣を抜いた。
「くそっ、勘のいい文官め! 邪魔をするな!」
「させん! 捕えろ!」と騎士団が動こうとした瞬間、ルシアンが楽しそうに叫んだ。
「おっと、僕の最新発明の実験台になってくれるのかい? 感謝するよ!」
ルシアンが腰のベルトから取り出したのは、筒状の金属ガジェットだった。 ポンッ! という間抜けな音とともに射出されたのは、超強力な粘着性ポリマー樹脂(科学粘着弾)。
「うわああああっ! なんだコレ、離れない!?」
粘着弾をまともに浴びた犯人は、床と壁にベタリと貼りつき、芋虫のように身悶えするしかなかった。さらにルシアンは追い打ちをかけるように、手裏煙幕(催涙・発光成分入り)を投擲。パッと眩しい光と煙が広がり、逃走経路を完全に遮断した。
「ひぃぃっ! 目が、目がぁぁぁっ!」
「う゛⋯⋯見た目は気持ち悪いが、一瞬で真犯人を捕縛しただと⋯⋯?」
あっけなく捕らえられた犯人と、笑えるほどの科学ガジェットの威力を前に、高慢だった魔法騎士団はぐうの音も出ず立ち尽くすしかなかった。
「ふむ、実験は大成功だ。魔法騎士団の諸君、後始末は任せたよ。僕たちは忙しいのでね」
ルシアンは呆然とする騎士たちを置き去りにし、犯人を拘束させた。
ロザリアは犯人の懐からこぼれ落ちた一通の密書を拾い上げ、その暗号文を素早く解読した。
(これは⋯⋯ただの横領事件じゃないわ。暗号の署名にあるこの紋章は⋯⋯)
ロザリアの背筋に、冷たい汗が伝う。
「見つけたかい、ロザリア?」
「⋯⋯ええ、殿下。この透明な毒薬の手配と横領を裏で指示していた黒幕⋯⋯それは、国家の財政と魔法騎士団を裏で統括する、あの『ヴァルター公爵』です」
ふたりの視線が交差する。 王宮の闇は、自分たちが思っていた以上に深く、巨大な権力へと繋がっていた。
「面白くなってきたじゃないか」
「面白くも何もありませんが」
ルシアンは不敵な笑みを浮かべ、ブスっとしたロザリアの手にそっと自分の手を重ねた。
「書類の天才と、科学の天才。僕たち二人で、あの腐った公爵の化けの皮を剥がしに行ってやろうじゃないか!」
「⋯⋯定時退勤の特別手当、倍にしてくださいね、殿下」
不敵に笑い合う二人の周囲で、舞踏会の喧騒がまるで嘘のように静まり返っていた。王宮を揺るがす大勝負の火蓋が、今まさに切られようとしていた。




