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【幕間】ユウトを助けて

冷たい石造りの城内を、もうどれほど走り回っただろう。


ミサキはあてもなく石の壁に手を突きながら走った。


足がもつれてうまく走れない。何度も転んでは起き上がる。


後ろからは、年若い騎士が笑いながら、いたぶるようにゆったり大股で追いかけてくる。

その手には、長く大きな剣が鋭く光っていた。


「母君様、安心してください。ユウト様は我々が責任を持って、勇者に育て上げますよ」


場違いに明るい騎士の声が暗い廊下に響く。


「いや! ユウトを返して! 私たちを日本に帰して!」


肩で息を荒くしながら必死に叫ぶが、騎士は右頬の傷を引きつらせてニヤニヤ笑うだけだ。


「ユウト様はこの国に必要な存在だ……。だがあなたは不要だ。世話係として連れてきたが、とんだ厄介者だったな」


笑みを深くした騎士は、ブンブンと剣を振り回す。きっと彼にとって、ミサキはご褒美のおもちゃなのだ。遊んでいたぶって、最後は殺す。


どうして、こうなったのだろう。ミサキは混濁する頭で思案する。


この世界にユウトと招かれたとき、最初は喜んだ。シングルマザーとしてユウトを独りで育てているミサキにとって、現実世界は苦しいことが多かったからだ。


数年前に召喚されていたシュンやヤマトも、ミサキたちを受け入れてくれたため、勇者たちの母として、ルーメンで幸せに生きようと思った。


だが、この世界にとって、ミサキはどこまでも異物だった。


ユウトのお世話以外は城に閉じ込められ、城内の誰に話しかけても、ろくに応えてもらえない。


それは勇者訪問に同行して、村や町へ行った時も同様だった。


ただただ城内を歩き回るばかりの孤独な毎日に、一年が過ぎる頃には、ミサキは帰りたいと誰彼構わず喚き散らすようになってしまった。


ーーそして、今


名前も知らない騎士に、自分は殺されようとしている。


知り尽くした城内に、もう逃げ場などない。ミサキは最後の望みをかけて、神の扉の部屋へ逃げ込んだ。


もう足はボロボロだ。転がるように大きな円形の扉へすがりつく。


「お願い!! 開けて!! ここから出して!!」


何度も、何度も爪が剥がれるほど扉を叩くが、乳白色の扉は押しても引いてもびくとも動かない。繊細な彫刻がざりざりと、ミサキの皮膚に傷をつける。


「はははっ! 神の扉が開くのは、勇者が招かれるときだけだ」


後ろから聞こえる嘲るような笑い声に、ミサキは背中を扉に張り付けた。


騎士は腹を抱えてひとしきり笑ってから、ゆっくりとミサキのほうへ向かってくる。


振りかぶった大きな剣先が細い月明かりを浴び、キラリと光る。


ーーああ、ここで殺される。


ユウト。

今はベッドでぐっすり眠っている。明日の朝私がいなくては泣いてしまうだろう。

もう、おはようと笑いかけることはできないのだろうか。


いやだ、


いやだ、どうか助けて……!!


涙で視界を染めながら、ミサキは渾身の力で、再び右手を扉へと叩きつけた。


その、瞬間だった。


ーーフワッ


突然の浮遊感。


背中の障害物が消え、ミサキはそのままドアの『むこうへ』倒れ込んだ。


驚くほど軽く開いた扉は、ミサキを、『こちらの世界』から消してしまった。


扉が閉まったがらんどうの部屋で、誰もいなくなった空間をポカンと見続ける、間抜けな騎士だけを残して。








気がついたとき、ミサキはスーパーの自動ドアの前で倒れていた。


すぐに起き上がって、喉がちぎれるほどユウトの名前を呼んで辺りを探したが、返ってくるのは買い物客たちの気の毒そうな視線と、遠くから近づいてくる救急車のサイレンの音だけだった。


見慣れた日本のどこを探しても、あのお城のベッドに置いてきてしまったユウトの小さな温もりは見つからない。


現実に戻ってきても、我が子はどこにもいなかった。


いっそ『あちら』で殺されるのと、どちらがマシだったのだろう。


『こちら』に戻ると、『あちら』で過ごした時間と同じように、現実世界でも一年が経っていた。


ユウトと共に突如として姿を消し、一年間行方不明だったミサキは、無理心中を図って自分だけが生き残った母親として、連日、厳しい取り調べを受けた。


正直に話したが、当然信じてはもらえず、結局証拠不十分で不起訴になった。


釈放されたミサキは、置いてきてしまったユウトを取り戻すために狂ったように情報を探し回った。


けれど、異世界の手がかりなど日本のどこにも落ちていない。


絶望のなかでテレビをつけた、そんなある日、たまたま未解決事件を追うというテーマの報道番組が目に入った。


そこには、過去に起きた未解決行方不明事件のデータが映し出されていた。


ぼんやりと眺めていたミサキの瞳が、画面の隅にある二つの名前に触れた瞬間、激しく収縮した。


ーー星野シュン君行方不明事件(当時7歳)

ーー秋山ヤマト君行方不明事件(当時6歳)


半狂乱になりながらテレビを消し、布団に潜り込んだ。


……ごめんなさい。置いてきてしまって、ごめんなさい。

……お願い。もう何も見せないで。


それからは世間から隔離されるようにして、廃人のような生活を送った。


ただ生きて、ただ呼吸をするだけの、終わった十年間だった。


『それでは、今日の特集です』

通院のため訪れた病院の待合室のテレビで、お昼のワイドショーが流れはじめた。


『今、若者に人気なのが、ズバリ『異世界転生』! ゲームや小説の世界にトリップしてしまうといったストーリーが受け、小説投稿サイトを中心に、たくさんの物語が生み出されています……』


ナレーターの陽気な声が聞こえる。


『別の世界へトリップするという話は以前からありましたが、最近の特徴は自分がプレイしたことのあるゲームや小説に入り込み、事前の知識を使って解決するという点ですね』


解説員だという男性が、もっともらしく説明している。


『異世界転生してみたーい!』と画面の向こうで脳天気にふざける若者の姿を、ミサキは冷え切った目で見つめていた。


――呑気なものだ。次にあの世界に拉致されるのは、あんたかもしれないのに。


どす黒い感情が胸の奥から湧き上がった、その瞬間だった。ミサキの死んでいた瞳に、十年ぶりに鮮烈な光が宿る。


もし、また誰かが『あの世界』に招かれるとき、最初からあの世界のことを知っていたら。


その誰かは、無事に扉を開き日本に帰ってこれるだろうか。


ユウトやシュン、ヤマトも救って、こちらへ戻してくれるだろうか。


ミサキはたまらず病院を飛び出した。


あの男は、魔王を倒せば、扉は開くと言っていた。脳裏に、右頬に大きな傷を持つあの悪魔のような騎士の顔が苦々しく浮かび上がる。


誰か、ルーメンの魔王を倒して。


それだけが、死に体だったミサキの胸に灯った、たった一つの、切実な願いとなった。


家庭用ゲーム機を使えば、初めてでもゲームが作れると聞き、すぐに貯金を下ろして買いに走った。


ゲームなど、ミサキはやったことがない。震える手で、新品のコントローラーを握りしめる。


高度なシステムなんて作れない。急いで作り上げたのは、ミサキが見た世界を表現しただけの、お粗末なものだった。


見たこともない魔王は、最弱に設定して神の扉の前に配置しておいた。


あの子たちに、怖い思いはさせたくない。

魔王を倒せたら一緒に日本へ帰れるように。


エンディングの画面に、ユウト、シュン、ヤマトのキャラクターを並べて配置する。


ーーどうか。


これからあの世界へいく、誰か。


お願いします。


ユウトを、


あの子たちをどうか、



助けてください。





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