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【幕間】十五年前(後編)

「カナコさんの考え、ボクも当たってると思うよ」


老人はそう言うやいなや、ゴソゴソと身体をくねらせた。


カナコが呆気にとられている間に、老人の肉体はみるみる若返り、衣服の隙間から、カナコのよく知る十六歳のシュンの端正な顔が浮かび上がった。


「驚いた?これが僕のもらったギフトだよ」


シュンは猫のようにフワリと微笑むと、今度は十歳ほどの少年の姿に変わってみせた。


「日本から連れてこられた人は、十七歳を迎えた後、こちらの世界で初めて放った『切実な願い』を叶えてもらえるんだ。場所は神殿じゃなくたって、どこだっていい」


静かに、シュンは言葉を続ける。


「ルーメンは、召喚する勇者をある程度神に指定できるみたいだ。扉は、求められた勇者に向かって扉を開くんだ。でもね……」


少年の姿のまま、シュンは自らの小さな両手を見つめた。


「扉をくぐるのが、勇者だとは限らない。……僕は、ルーメンに求められた勇者じゃないんだ」


ピンと張りつめたような静寂の中、その声だけが懺悔のように冷たく響いた。


七歳の時だった。その時、シュンは一つ下の六歳の弟と、自宅のリビングでくだらない喧嘩をしていた。


どちらの方がお菓子が多いかとか、そんな他愛もない理由だったと思う、とシュンは自嘲気味に笑った。


「弟が泣きながらリビングを出ようとしたんだ。でも、むしゃくしゃしていた僕は、勢い任せにそいつを突き飛ばして、自分が先にドアをくぐり抜けた……」


片手でドアノブを回す仕草をして、シュンは虚空に手を伸ばした。その指先がかすかに震える。


冷たい月光に照らされた彼の瞳は、ここではない遠いどこか、かつて愛したリビングの温かい光を眩しがるように細められていた。


「ドアをくぐった後は、カナコさんと一緒さ……。一つ違うのは、ルーメンの人たちは、僕のことを『国が求めていた六歳の男の子』だと思い込んで、そのまま勇者としてお城に閉じ込めたこと」


シュンは召喚されてからしばらくは、ショックで何も話せなくなってしまったそうだ。


そして、やっと心が落ち着いてきた頃に考えた。


自分はまだ子供で何もできない。従順なフリをして情報を集め、必ず日本に帰ろうと。


その気持ちは三年後にヤマトが召喚されたことで、より一層強くなった。


「大人達は僕を今一六歳だと思って、国にとって都合のよいギフトを貰えるよう一生懸命『教育』しているんだ。笑えるよね。僕はとっくに十七歳で、すでにギフトを貰ったのにさ」


クスクスと口元だけでシュンが笑う。


その乾いた笑い声の奥にある、少年の張り裂けそうな孤独を、カナコの『耳』は敏感に拾い上げていた。


年齢を操るギフトなんて、一体どんな悲しいことを願えば与えられるのだろう。「早く大人になりたい」のか、「あの日に戻りたい」のか、それとも……「別人になりたい」のか。


「神の扉の独占や、痣の勇者の完全管理で、ルーメンは神をコントロールした気になってるんだ」


そう言って窓の外の王城を見上げるシュンの横顔は、やはり一六……いや、十七歳の少年のそれだった。


「でも実際には……神はもっと公正で寛大だったってことね」


カナコは深く、静かに息を吐いた。神は、必死に助けを求める子どもの願いを、どこにいたってちゃんと聞き届けてくれていたのだ。









表向きは従順なカナコたちに、見張りの目は緩くなった。しかし、城の雑用をこなしながら、カナコがどれだけ『耳』を皿のようにして城内の声を拾っても、帰還の手がかりはなかなか見つからなかった。


最大の鍵である『神の扉』を調査したいのに、扉のある部屋は何重にも封印魔法がかけられている。


さらに王城からは出してもらえず、城外の情報もほとんど得られなかった。


そんなある夜、老人姿のシュンが、勢いよく寝室に転がり込んできた。


「大変だ!カナコさん。明日のアルベリヒ王の公示スピーチのあと、そのまま広場でカナコさんを……処刑、するって……」


老人の姿をしたシュンの皺だらけの指先が、ガタガタと音を立てて震えている。血の気の引いた顔は、月明かりの下で幽霊のように真っ白だった。


下男として入り込んだ厨房で、噂話を聞いたらしい。


カナコもその会話を聞いていた。ほんの一時間前のことだった。


「アルベリヒ王、明日のスピーチは中央広場で行う予定ですが、せっかくなのでついでに勇者の母親の処刑も一緒に行うのはいかがでしょうか?」


「ああ、それは良い。最近痣の勇者を返せと反乱分子どもの声もうるさいからな。見せしめとしても丁度よいだろう。何か理由をつけて、またギルバート卿に頼めばよいだろう」


王と宰相の会話だろうか。

カナコの死は、ついでに、ちょうど良く、決まってしまった。


「大丈夫。今すぐ逃げよう」


カナコはシュンを力強く抱きしめ、あらかじめ準備を指示していたヤマトに合図する。


部屋の奥には、怯えた表情のヤマトが待っていた。


数少ない荷物を背負い、アオイを抱きかかえ、シーツできつく身体に巻きつけた。


シュンにはユウトを背負ってもらい、部屋を飛び出した。


裸足で走るカナコたちのペタペタという足音が、静まり返った廊下に響く。


前を走るヤマトのフワフワの髪の毛が、不安そうに頼りなく揺れていた。どこに逃げるのか、当てなんてない。


城の端へ端へ、カナコ達は逃げる。

もう少し走れば城の裏口に出る。そこの見張りをなんとかできれば可能性はある……。


その時ーー。


ガチャリ、と。すぐ右手のドアノブが回る音が、カナコの『耳』を鋭く刺した。


キィ……。


残酷な音とともに、カナコ達の目の前でドアが開いた。


室内から眩しい光が溢れる。そこに立っていたのは、


ーーカイル・ヴァルハイトだった。


カイルはドアノブを握りしめたまま、呆然と驚きの表情で、息を切らすカナコ達を見つめた。


端正な顔が苦しげに歪む。


そして、何かを決意したように一度目をつぶると、幻想的な水色のガラス玉のような瞳で、まっすぐにカナコを見つめた。


「……こちらへ」


信じるしかない。


カナコはシュンとヤマトに頷くと、カイルの部屋へ滑り込み、本棚の裏に隠された秘密の扉へ飛び込んだ。


カイルの背中に従い、今まで通ったことのない、暗くて細いクネクネした道を通ると、いつの間にか城の外に出ていた。


カイルが貨物馬車の御者に何かを囁いている。


「これに乗って逃げなさい。行き先には先に鳥を飛ばします」


そういうとカイルは身を翻し、暗い城内へ消えていった。


言われるがままに馬車に乗り込む。

ガタゴトと揺れる馬車の窓からカナコが振り返ると、


――ズガァァァン!!!


夜の静寂を引き裂く凄まじい大爆発の音が、カナコの耳を震わせた。


遠ざかる王城の天守から、ごうごうと真っ赤な爆炎が夜空を焼き焦がしている。


カイルが、命を賭して追っ手を足止めしてくれたのだと、直感した。


それからしばらく馬車に揺られ、レムレトという村に着くと、村の女達に匿われた。


女達のリーダーはエレーナといった。


「二年前、生まれた息子に痣が見つかってね。国に無理やり連れて行かれたんだ」


そう言って彼女が愛おしそうに撫でたのは、国へ提出するために何度も書き直された、インクのにじんだ嘆願書の束だった。


「ヨシュアっていうの。もし会ったら教えてくれる?」


エレーナは快活に笑った。


もしヨシュアに会えたら渡したいと、メッセージを書くようお願いすると、もう上等な紙はないと言う。


カナコは日本から肌身離さず持ってきた一冊の大学ノートを取り出し、なるべく丁寧に破って白いページをエレーナの手へと握らせた。


「いつかそんな日が来たら、その時はよろしくね」


エレーナは手渡されたノートの切れ端を、宝物のように大切に懐へ仕舞い込んだ。


レムレトの村での安寧は、長くは続かなかった。


カナコが勇者や村人を唆して逃げたとして、王家は魔女狩りを始めたのだ。


そしてこの機会にと、王政に不満を持つ村も根こそぎ焼いていった。


その火は、レムレトの村にも及ぼうとしていた。


赤黒い煙が空を覆うなか、エレーナがカナコの手を強引に引っ張った。


「ここも燃える!早く逃げて!今なら混乱で禁足地に逃げられるはず!」


迫る熱風に顔を背けながら、カナコは必死にその手を引き剥がそうと抵抗する。


「そんな!私たちだけ逃げられない!」


エレーナは首を横に振り、カナコの両肩を強く突き押した。その瞳には、凄まじい覚悟が宿っていた。


「あなたたちはここで死んではいけないの。早く行きなさい!!」


エレーナにお願いしたヨシュアへのメッセージは、ついに受け取ることはできなかった。


それから、カナコ達は逃げて、逃げて、逃げて。


そして、戻ってきた。



日本に帰るために。


このふざけた国を、ぶっ潰すために。



たくさんの作品の中から、本作をお読みくださりありがとうございます。本作は毎日18:00に、最新話を1話ずつ更新してまいります 。

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