第三話 はと
何も、ギフトをもらえなかった。
当然だ。とキョウスケは思う。
この世界に来てから一人、ただ彷徨っていただけだ。願いだって適当だった。
もう、どこにも自分の居場所はない。
キョウスケは神殿を出て、結局いつものように街をぶらついていた。
根元から地毛の黒が覗く、赤茶色のプリン頭に、ヨレヨレの制服。
すれ違う通行人たちが、気味の悪いものを見るかのような視線を、キョウスケの背中に突き刺してくる。
だが、今のキョウスケには、彼らを睨み返す気力すら残っていなかった。
街は、今月末に行われる収穫感謝祭の準備に色めき立っていた。軒先には色鮮やかな果実が飾られ、風が吹くたびに甘ったるい匂いが鼻を突く。
王城では国王主催のパーティが連日繰り広げられるそうで、毎日たくさんの資材が運び込まれている。
どこを向いても、一年に一度のお祭りを待ち侘びる人々の笑い声が溢れていた。
すべてが、今のキョウスケには眩しすぎた。自分という存在だけが、この世界の色彩から完全に切り離されている。
人の流れに逆らって歩く。
ときどき通行人と肩がぶつかり、乱暴な舌打ちが鼓膜を打つが、キョウスケは泥人形のように足を動かしていた。
ーーその時だった。
反対側から歩いてくる人混みの中に、明らかに『異質』な輪郭を見つけた。
一人の少女が、こちらへ向かって歩いてくる。
だが、おかしい。彼女の体を、後ろを歩く人の肩や、背景の赤レンガの壁が、まるでかげろうのように透けて突き抜けているのだ。
通行人たちは、彼女がすぐ傍を通り過ぎても、誰一人としてその存在に気づかない。
彼女は水の中を泳ぐ魚のように、楽しそうに、スイスイと人混みの隙間を掻き分けながら進んでくる。
あんぐりと口を開け、呆然と立ち尽くすキョウスケ。
その瞬間、少女の大きな瞳が、キョウスケの目を真っ正面から捉えた。
(えっ!?)
少女は声に出さず、驚愕にその目を見開いた。
(……あなた、召喚勇者だよね? ……私のことが、視えているの?)
彼女がキョウスケのすぐ目の前まで近づき、おそるおそる、消え入りそうな声でささやく。
キョウスケは喉を鳴らし、やっとのことで、小さく頷いた。
(……!! 来て!!)
頷きを確認するやいなや、彼女はキョウスケの腕を強く掴み、そのまま器用に人混みを掻き分けて走り出した。
「ちょ! ちょっと何だ、待ってくれ!」
誰もいない虚空に腕を引っ張られて一人不格好に突っ走るキョウスケの姿を、通行人たちが、いよいよ関わり合いたくないものを見るような冷たい目で見送っていた。
連れて行かれた先は、とある食堂の薄暗い裏口だった。
『ごはん処 はと』
見覚えがあった。レイに連れられて、何度か足を運んだことのある場所だ。
ぜえぜえと息を切らしながら、キョウスケは目の前で同じように息を整える半透明の少女の顔を見つめ、ハッとした。
この少女は、この店の看板娘のミーナだ。
バンッ!
息を整えるや否や、ミーナはキョウスケの手を引いたまま、裏口から二階への木製階段を駆け登り、奥の部屋のドアを勢いよく開けた。
「ママ! この人、私のことが視えるよ!!」
部屋の奥、西日の差し込む狭い空間。
「……そうかいミーナ。そうしたら、まずは私にも視えるように、姿を現してくれるかい?」
そこには、のんびりと湯気の立つコーヒーをすする、食堂の女将さんの姿があった。
*
「とりあえず、飲んで落ち着きな」
キョウスケは、女将さんに促されるまま木製の椅子に腰掛け、差し出されたコーヒーに口をつけていた。
ーー熱い。そして、苦い。
十七歳になったばかりのキョウスケは、コーヒーの美味しさが分からない。
熱さと苦味に思わず眉間を歪める姿を見て、女将さんがカカカッと声を上げて吹き出した。
気まずさと恥ずかしさが一気に込み上げ、キョウスケは乱暴にカップを机に置いた。
「なんだよ! 熱いもんは熱いんだよ!! ……つーか、さっきからどんだけ待たせるんだよ!」
「まあ待ちなって。今ミーナが、うちの連中を上に呼んできてるからさ」
「うちの連中……?」
キョウスケの疑問には答えず、女将さんは窓の外の往来へ視線を投げ、静かに語り出した。
「あんた、うちの店の『ごはん処 はと』って看板を見て、間抜けな名前だと思ったろう?」
キョウスケは、女将さんの汚れたエプロンに刺繍された、お世辞にも上手いと言えない『はと』のイラストに目をやった。
確かに、初めてレイにこの店へ連れてこられた時、「はとって何だよ」と心の中で突っ込んだ記憶がある。
王都に軒を並べる他の店は、横文字の小難しい響きばかりだったから、このチープな響きは余計に異質で、印象に残っていた。
「鳩ってさ、すごい生き物なんだよ。見知らぬ土地に突然放り出されても、どれだけ羽がボロボロになってもね……迷わずに、必ず自分の家に向かって帰ってくるんだ」
ドタドタと、古い木製の階段を乱暴に駆け登ってくる足音が響いた。
それに呼応するように、キョウスケの胸の奥で、心臓がドクドクと不気味なほど大きく波打ち始める。
「こんな狂った異世界に拉致されても、私たちは鳩のように、生きて必ず日本の家族の元に帰る。……この店名にはね、そんな私たちの、願いと決意が込められているんだよ」
女将さんの言葉が鼓膜に染み込んだ瞬間、キョウスケは自分の体が熱いのか、それとも凍りついているのか、それすら分からなくなった。
キィ、と立て付けの悪いドアが開き、ひょっこりと満面の笑みを浮かべたミーナが顔を出した。
その肌はもう透けてはいない。確かな血色の良さを持った、一人の少女だった。
続いて、いつも『はと』の厨房で黙々と調理をしていた、体格の大きな若い男が、ニコニコと穏やかな笑みを浮かべて入ってくる。
そして、最後にーー。
口元をニヤニヤと釣り上げ、猫のような大きな目を細めながら、一人の少年ーーレイが部屋に足を踏み入れた。
「ようこそ! 新米の召喚勇者殿!」
レイは、いつものブカブカの洋服の袖を大きく振り、大袈裟な身振り手振りで声を上げた。
「ボクたちは全員、過去に日本からこの世界へ召喚……いや、『拉致』された勇者さ。ボクたちの目的は日本へ帰ること。それから『神の扉』を破壊し召喚を止めること。……安心しなよキョウスケ。もう一人じゃないぜ! お前も、一緒に帰ろうな!」
皆、家族を見るようにキョウスケを囲み、優しく微笑んでいた。
だが、今のキョウスケの視界は、ボロボロと隙間なく流れ落ちる熱い涙のせいで、もう何も見えなくなっていた。
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