第五話
家に帰り、碧依は息をつく。リビングから漏れる光が、姉がいることを物語っていた。
部屋に近づいていくごとに、テレビの音が聞こえてくる。
「……ただいま」
ドアを開けると、姉はソファに座りながらタバコを吸っていた。テレビは夕方のワイドショーだった。
「おう、おかえり」
口からタバコを離しながらこちらを振り向いてくる。姉の変わらない顔を見ると、肩を落とした。
そのままリビングを通り抜けて、コップを出す。水道水を入れて、喉を潤した。
体に染み渡る水に、短い息をつく。
「碧依、どうした?」
カウンター越しに見える姉が、こちらに振り返っていた。
「どうしたって何が?」
「いや、いつもだったら私がタバコ吸ってたら怒ってくんだろ?」
「そ、そうだね……。そうだよね……」
口に出そうか迷って、結局黙った。そのまま姉の隣に行くと、ソファに座る。
もたれかかるようにして、彼女の体に碧依は密着する。
「どうした? その歳になって甘えん坊か?」
姉の声には応えない。ただ、彼女の体温に体を沈める。
心地の良い暖かさと耳から響くテレビの音がちょうどいい。途中で差し込まれる時計の秒針の音が、碧依の眠気を誘う。
「仕方ないなぁ」
姉の呆れたような声が聞こえた。何も言わずにただ、顔をうずめる。
その優しさに、癒される自分がいた。
いつもは雑な姉だが、こういうときは何も言わずに支えてくれるのはありがたい。
しばらくの沈黙のあと、テレビの内容が変わる。夕方のアニメ枠として、最近始まった魔法少女ものだ。
少女の声に肩を跳ね上がらせた。喉の奥から声を詰まらせて、跳び上がった。
碧依の目尻には涙が溜まっている。
「おーう? どうした、びっくりしたなぁ」
「ご、ごめんお姉ちゃん。テレビ……けしてくれる?」
碧依の怖がり様に、姉は眉毛を寄せる。それでも彼女は何も言わずに消してくれた。
胸をなで下ろし、また姉に抱きつく。
※※※※※※※※※※
気がつけば碧依はベッドに寝かされていた。服もパジャマに着替えさせられている。
姉が全てやってくれたのだろうか。高校生にもなって、疲れて眠ってしまうとは情けない。
暗闇の中で天井を見つめる。外からは何の音も響いてこなかった。
今日のあれは何だったのだろうか。考えてみても分からない。恐怖を隠すように、顔を毛布で覆う。
部屋に一人で寝るようになってだいぶ経つが、今日ほど心細く感じたことはない。
頭の中で姉の部屋に行こうかと迷って、首を横に振った。さすがにそこまで頼ってしまえば、子どもだとバカにされてしまう。
毛布のなかでくるまりながら、目を固くつぶった。大丈夫あれは気のせいだったと言い聞かせ、眠りにつこうとする。
静けさの中、碧依の鼓動と呼吸音が大きくなってきた時。携帯の着信が鳴る。唐突の電話に、身を強張らせる。
こんな真夜中にかかってくる電話など良い予感はしない。耳を塞いで、音が止むのを待つ。
着信音は消えた。ホッとしたところで、また鳴り始めた。
「もうやめて……!」
その言葉が通じたのか、今度はすぐに音が消える。しかし、少ししてそれが切れたわけじゃないことを、理解した。
『尾上碧依。いるんだろ?』
携帯が勝手に繋がった。声は知らない少女のものだった。
何故自分の名前を知っているのか。この際はどうでもいい。もう放っておいてくれと、心の中で呟く。
『混乱してるのはわかるが、話したいことがある』
こっちには話したいことなんてない。その気持ちとは裏腹に、言葉は続いた。
『別に無視してくれてもいいけど、オレの話を聞かないとお前死ぬぜ?』
その言葉に胸の鼓動が一回大きく鳴ったのが分かる。
ゆっくりベッドから這い出る。スマホを手に取って画面を見た。
電話番号は非通知すら表示されていない。その気持ち悪い現象に、碧依の口は震える。
「……私が何したっていうの?」
恐る恐る開いた声。電話相手は、嬉しそうに声を漏らす。
『お、話を聞いてくれる気になったか?』
「質問に答えて! 私が何をしたの!? 何も悪いことしてないよね!?」
限界だった。爆発するように、声を張り上げる。しかし、少女は冷たく言う。
『知らねーよ』
その言葉に、すべて突き放されたように感じる。
『別にお前が何をしたか、何で選ばれたのかオレは知らない。ただ、“仲間”として、お前と顔を合わせたいだけだ』
「……仲間? 何の仲間?」
『魔法少女』
その簡潔な言葉に、心が侵食されていく。
『薄々お前も気づいてるんだろ? もう戻れないって』
「なんで私──」
『だからしらねーよ。こっちだって何でオレがって聞きてーところだ』
その言葉に押し黙り、考える。
少なくとも声の主は、こちらに危害を加えるつもりはないようだ。名前まで知っているのに電話をかけてきたくらいだ。会いたいが罠なら、碧依はすでに殺されているはず。
そう考えるのは、恐怖から逃れたい一心の楽観からだろうか。
しかし、このまま何も知らないまま巻き込まれるよりは──
「……わかった。いつ会うの?」
震えるその言葉に、少女は答える。
『明日、すぐだ』




