第十七話
あかりの背中を見て、碧依は何も言えなくなった。ただ、彼女のことを静かに見つめるばかりだ。
「……すげえな」
紫音の言葉がすべてを要約してくれたものだった。
重苦しい空気が消えていく。教室の喧騒が耳に戻る。横にいた紫音が変身を解除したので碧依も続いた。
あかりは大きく息を吐いていた。振り返り、こちらに顔を向ける。笑顔を見せる彼女は実に頼もしく見えた。
「私、碧依ちゃんの役に立てたかな?」
その眩しい顔に、ゆっくり歩み寄ろうとする。
『困るなぁ、そんなに簡単に倒されたら』
唐突に聞こえた声に、足をとめる。あかりの頭上に、何やら穴が空く。
何を言っているのか自分ではわからないが、見たまんまその通りなのだ。
まるで次元の穴がぽっかり開いたかのように。
嫌な予感がする。そう思う瞬間すらなかった。
あかりの体の上半身が消える。残された下半身は力なく倒れた。
血は吹き出さない。ただ、そこにある存在として……ただの肉塊として横たわっている。
碧依の瞳が揺れる。頭が何が起きたか整理をできなくて、思考が回らない。
たまたま通りかかった女子生徒が大きな悲鳴を上げる。それに気がついた紫音は周囲を見回しているようだった。
「なんだコレ!? 怪異じゃないぞ!?」
慌てる彼女の声も、碧依には届かない。ただ、倒れる下半身を抱え込む。血で制服は汚れるが、それでも気にしない。
まだ感じる温もりは手の中から逃げていく。碧依はうわ言のように、あかりの名前を呼んでいた。
※※※※※※※※※※
「何を見たか、話せる?」
碧依の目の前には担任の先生がいる。碧依の後方には白衣を着た医師が何やらメモを取っている。先生の後ろには数人の警官が立っていた。
碧依は朧気な瞳をする。頭を下げ首を振る。
碧依でさえ、何が起こったのか分からないのだ。声が聞こえたと思えば、あかりは上半身をなくして死んでいた。まるで、どこかに消し飛ばされたかのように。
「……そうね。あまりにも酷だったね。警察の方もしばらく見回ってくれるらしいから、何かあったら大人に相談するのよ?」
その言葉に素直に頷けなかった。何も知らないくせにと言う言葉を飲み込んで、拳を固く握りしめる。指の先は力を入れすぎて白くなっていた。
体はいまだに震えている。腹の奥底から、疼きが広がっていく。呼吸は浅く、過呼吸気味だ。
「送ってあげるよ」
警察の一人が、碧依は支えるように立たせた。彼らの導きのまま、部屋の外へと出る。
空はすでに暗くなりかけている。校舎内に停めたパトカーの後部座席に座らさせられる。
碧依は悪くないのに、何やら犯罪者になった気分だ。
警察官の方が横で座っている中、碧依は外の景色をボーッと眺め見た。
パトカーは動き出す。タイヤが地面を擦れる音が体に響く。外を眺める景色は、まるで別世界に見える。
手をつなぐ親子の姿が見えた。買い物帰りなのだろうかとても楽しそうにしている。その姿を見て、碧依は羨ましいと思ってしまう。
「……大丈夫ですか?」
隣の警察官が尋ねてきたことに、碧依は答えない。ただ無言で景色を眺め続ける。
警察官は、ですよねと小さく息を漏らしていた。
車内の無言は続く。しばらくして、家の前についた。
玄関前では姉が立っていた。いつものだらしない格好と打って変わって、きっちりとスーツを着ている。
碧依がパトカーから降ろされると、姉の表情は複雑そうに曲がっていた。
「僕たちは見回りをしています。妹さんは凄惨な現場を目撃していますので、優しくしてあげてください」
「わかりました」
「明日また迎えに来ます。一度病院に診断に行ったほうがいいでしょう。今日は一日落ち着かせてあげてください」
「……何から何までありがとうございます」
姉が頭を下げると、警察官たちが軽く頭を下げる。パトカーに乗って去っていった。
「……ご飯食べる?」
姉の言葉に、微かに首を横に振る。その碧依の様子に、どこか困ったようなため息が漏れてきた。
あまり話す気にはならなかった。
玄関さえ開けるのに戸惑う。ドアノブを掴んだ手は震え、中々開けられなかった。後ろから姉が捻ってくれてようやく開けることができた。
いつもの家の中の空気が一段重苦しい。碧依は上げる足さえも覚束なくなり、靴を脱ぐだけで転けそうになる。
「……本当に大丈夫?」
心配そうな彼女の言葉に振り返り、精一杯の笑顔を作った。
「大丈夫」
その言葉を聞いた姉の瞳は、より一層心配そうに輝く。
今、自分はとても酷い顔つきをしているのだろう。しかし、分かっていたところでどうしようもできない。
脳裏に今日起こったことが永遠とループされているのだ。




