第62話 三十回目の誕生日
ベルトコンベヤは今日も止まらない。
幅の広い黒いベルトが一定の速度で回り続け、その上を箱や袋、書類、工具、見覚えのない機械部品、誰かが飲み終えたらしい紙コップまで、ありとあらゆるものが運ばれてくる。たま生物も流れてくる。……ここでは何も珍しくない。
それでも今日は“日常”の範疇であった。
――隣で流れてきた道具にステッカーを貼る環が口を開くまでは。
「明後日、休むことになった」
「……え?」
あまりにも自然に言われたため、アキは一瞬聞き間違えたのかと思った。
以前自分が休暇を取ったように彼もまた特別休暇を取るのだろう。
とは思ったが、やや違和感が残る。今回は少し急だ。
「先輩が休むなんて珍しいですね。会社が休暇について忘れてて急遽休むことになったとか?」
「俺自体の用事ではないが、話すと長くなる」
「なるほど……?」
環は銀色の部品を所定のトレーに入れながら答えた。
「誕生日だから」
「あーベンチャー企業とかでよくありますよね。バースデー休暇とか。推し活休暇とか、婚活休暇とか。ウチにもそういうのあるんですね」
「そんな洒落たものじゃない。“長期勤務節目休暇”だ。有給扱いになる」
「節目……?」
アキは少し考えた。
フェノム・システムズは大企業だ。
変な部署があり、変な規則も沢山ある。アルバイトの自分が全貌を知っているわけではない。この休暇もその“変”の一つとして納得は出来る。
環に急遽休暇を与えられること自体は別におかしくない。
仕事も一人で充分こなせる量であり、アキには彼を引き留める理由は無い。
――それでもどうにも謎の休暇について気になって仕方がない。
「それ、どういう休暇なんですか?単にバースデー休暇を言い換えただけのように思えるんですけど」
「お前はここにきてから誕生日に特別休暇を与えられたことがあるか?」
「無いですけど。それは単にバイトだからじゃ……あっ先輩もバイトでしたね」
アキはそこで手を止めた。横目で環を覗き見る。
――言われてみればもらったことがない。そんな話を聞いたことすらない。
「ヒントもらってもいいですか?」
「俺は明後日、三十歳になる」
「おめでとうございます」
「それで正解は分かったのか?」
アキの意識は“数字”の方に引っ張られていた。
そういえば彼は29歳だった。別に意外ではない。環は落ち着いていて、アキより年上なのは一目で分かる。それでも改めて数字で聞くと少し変な感じがした。
……今はそんなことを考えている場合ではない。うかうかしていると先に正解を言われるのが常だ。
「十年おきに特別休暇が与えられる、とか?二十、三十、四十みたいな」
「惜しい」
「じゃあ何です?」
環は答えなかった。アキは首を傾げる。
環は黙って次の品物を仕分け始めた。
「三十歳の誕生日にここに出勤すると変なのに出会うから」
「変なの?」
「ここに流れてくるような奴、ここで暮らしているような奴」
環の声はあまりにも平坦だった。
「それ、どんな怪物なんですか。私に話して大丈夫なやつなんですよね?」
「“三十歳を迎えた人間の願いを叶える”」
「なるほど……?」
「当然、俺もその対象になる」
アキは数秒間、何も言わなかった。
頭の中で、環の言葉を一度並べ直す。
三十歳。誕生日。特別休暇。
――出勤すると変なのに会う。願いを叶える。
「本当に“変なやつ”ですか?いつもみたいなこう……有害なやつじゃなく、無害な存在に思えるんですけど。人を食べたり、炎をまき散らしたり、大音量で演奏しながら廊下でパレードしたりとかしないんでしょう。願いを叶えてくれるだけで」
「そうだな」
「じゃあ、絶対会った方がいいじゃないですか。会社に止められるのも変ですよ」
即答だった。……アキには理解が出来ない。
“休暇”の理由を知らされているのなら自宅待機と変わらない。事の真偽は不明だが、事実であるなら大きな好機を易々と取りこぼしていることになる。
フェノム・システムズは大企業だ。
社員も大勢いる。バイトまで対象になるのなら対象者は相当いるはず。
「三十歳の誕生日に出勤すると願いが叶うから会社に来るな」と言って聞く人間は少ないだろう。自分なら非番だろうが、絶対に行く。きっと忍び込む。
アキは環の顔を覗き込んだ。嘘をついているようには見えない。
そもそも環はくだらない冗談を言う人間ではない。面白がって人を騙すくらいなら最初から説明しない――となると相手を選んで説明されているのだろうか?
環は一介のアルバイトながら代表と深い関係にあるような人間だ。
アキはひとまず彼の謎に目を瞑ることにした。
「それで三十歳になった日に出勤するとそれが来ちゃうんですよね?」
「来るというか出会うらしい」
「“らしい”って」
「上もどんな奴なのかは知らない。何処から来るのかも分からない。把握しきれていない状況だ」
「なのに存在を把握されてるっての変な話じゃないですか」
「何度かの被害が出たからな。上も制度を作った」
「制度?」
「三十歳の誕生日を勤務日にしない」
環はこともなげに言った。
「それだけ?」
「それだけ」
アキはぽかんと口を開けた。
それからじわじわと眉を寄せる。
「……変なのは?」
「そのままだ。どうにもならん。現時点で捕獲出来ていない」
「えっ」
思わず声が裏返った。
環は気にした様子もなく流れてきた工具を拾い上げる。
「できないんですか?警備職員の人とか沢山いるのに」
「捕まえようとしたことがあるかどうかは知らない。少なくとも今はやってない」
「どうして諦めたんですかね。そんなに危ないなら目立つでしょうに」
「どこにいるのか分からないんだ」
環は工具の側面にステッカーを貼った。
「出現する場所も姿も毎回違うそうだ。清掃員だったり、来客だったり、社員だったりする。人間の形をしていると聞かされた」
「変装するんですか?」
「そういうのとも違うらしい」
アキは腕を組んだ。
分からないものが、分からないままそこにいる。フェノム・システムズでは珍しくない話だ。それでも今回の話には妙なところがある。
「じゃあ、どうやって分かったんです」
「三十歳を迎えた職員の間で急激な異変が起き始めた」
「異変というと?」
「突然死、車に轢かれる、装備が爆発、男が女になる、他セクターの芸能人が急にうちを花束持って訪ねてくる、該当従業員の所属する棟で火災……」
「で、その異変の中心にいた人を一人一人調べて行ったら全員“三十歳”だったと」
環はベルトコンベヤから一つの石を手に取った。
「何人か“三十歳”が消えたところでようやく法則性を見出した。そうして生きている人間に事情聴取を行ったわけだ」
「なるほど」
「その結果……生存者が全員、自分の誕生日に見知らぬ人間から将来について尋ねられていたことが分かった。」
環はぽつりぽつりと語り出した。
最初のうちは、単なる偶然だと思われていた。
三十歳になった職員が一人、突然出勤しなくなった。
無断欠勤ではなかった。連絡がつかなくなったわけでもない。規定通りの時刻に家を出て、いつも通りの経路で会社へ向かっていたところまでは確認されていた。
ただ、その途中で事故に遭った。その職員は一命を取り留めたものの、長期間の療養を余儀なくされ、そのまま退職した。
――次の年には、別の職員が消えた。
こちらはもっと奇妙だった。前日まで普通に働いていた人間が、誕生日当日の朝から行方不明になったのである。
家族も知らない。同僚も知らない。
会社の出勤記録には出勤予定が残っている。
監視カメラにも、家を出たところまでは映っていた。
だが、その後の足取りだけが途切れていた。
さらに別の年には出勤した職員の使用していた装備が突然爆発した。
その職員は無事だったが、爆発した装備には事前の異常が一切見つからなかった。
そしてまた別の年には何の前触れもなく身体的な変化が起きた。
本人の意思とは無関係に、性別を含む身体的特徴が大きく変化した。
変異体によるものと判定されるほどの異常ではない。
――しかし、自然現象として説明することもできなかった。
さらに別の職員には、面識のない他セクターの芸能人が突然訪ねてきた。
高価な花束を抱えて。何の用事なのか尋ねても本人は「会いに来た」としか答えなかった。
その職員にはその芸能人に会った記憶もなければファンレターを送った記憶もなかった。それでも芸能人はまるで長年の知人に会ったかのように親しげに接した。そして、最後には泣きながら帰っていった。
――その日の夕方。
該当職員の所属する棟で火災が発生した。
火元は不明。負傷者は出なかった。
だが、燃えた区画にその職員の私物が集中していた。
「……めちゃくちゃですね」
話を聞いていたアキが呟いた。
「そうだな」
「それを全部、同じもののせいだと思ったんですか?」
「最初からじゃない」
環は石を裏返した。
表面には、薄い白い筋が走っている。
それを確認してから、いつものようにステッカーを貼った。
「最初は全部別件として処理された。事故、設備故障、火災、行方不明、変異。会社にはそういうものがいくらでもあるから」
「……でしょうね」
「三十歳という共通点に気づいたのは、もっと後だ」
環の声は淡々としていた。
けれど、その話をするために一つ一つ記憶を掘り返しているようにも聞こえた。
「ある職員が生還した」
「さっきの事故の人?」
「そう。その人が、事故に遭う少し前のことを話した」
「何かあったんですか?」
「会社の近くで知らない人間に声をかけられた、と」
「……」
「“その時”は清掃員だったそうだ」
アキは思わず姿勢を正した。
「その清掃員が廊下に雑巾を落とした」
「で……その人が拾ってあげたんですか?」
「ああ」
「それで?」
「『親切な方ですね』と礼を言われた」
環はそこで一度、言葉を切る。
アキは何も言わなかった。
「その後、その清掃員と少し話をしたらしい」
「どんな話を?」
「世間話」
「まあ、普通ですね」
清掃員は自分の仕事について話した。
今日は忙しい。この階は人が多い。最近は新人が増えた。
そんなどこにでもあるような話だった。
そして別れ際――
「『あなたはこれからどうなりたいんですか?』」
環が言った。
その一言だけは、妙にはっきりと聞こえた。
「その人は何て答えたんです?」
「『仕事を辞めたい』」
「……」
「で、その日の帰りに事故に遭った」
アキは息を吐いた。先ほど聞いた話と同じだ。
ただ、こうして経緯を聞くと、偶然とは思えなくなる。
「それで調査が始まったんですか?」
「いや。その時点ではただの事故だと思われた」
「じゃあ何がきっかけで?」
「今度は別の人間が生き残った」
「また?」
「今度は火災に遭った人間だった」
その職員も三十歳だった。
火災の直前、見知らぬ人物に会っていた。
今度は来客だった。受付付近で何かを探している様子だったので道を教えた。
礼を言われ、親切だと褒められた。そして同じ質問をされた。
――これからどうなりたいですか。
「その人は何て答えたんです?」
「『今より楽な仕事がしたい』」
「それで火災?」
「所属していた部署が焼けた。本人は助かったがな」
環は石をトレーへ置いた。
「ただ二人目が出たところでようやく過去の事例を照合する人間が出てきた」
「それで三十歳」
「そう」
「全員?」
「全員」
「じゃあ、そこからは簡単だったんじゃないですか?三十歳になる人がいたら誕生日は仕事を休ませればいい」
「今はな」
環はそう言ってベルトコンベヤの先を見た。
「当時は違った。三十歳になる人間が出るたびに上はそいつを警戒するようになった。でもまだ何が起きるのか分からなかった」
「だから?」
「三十歳を迎える職員を監視した」
「うわ……」
「誕生日の一日だけ、行動を記録したんだ」
「それで見つけた?」
「見つけたというより、ようやく点と線が繋がった」
環は傍に置かれた端末を操作した。古い記録が表示される。
アキからは画面の細部までは見えなかったが、そこには複数の職員についての日付と報告が並んでいた。
事故。火災。失踪。装備異常。原因不明の身体変化。
そしてその横に共通して記載された一文。
――対象者、誕生日当日に第三者との接触あり。
「その第三者が、怪物だった?」
「そう考えられている」
「考えられている?」
「誰も捕まえてないからな」
「でも、全員同じ話をしたんですよね」
環は記録を閉じた。
「知らない人間だった。どこにでもいるような人だった」
環は続ける。
「清掃員。客。社員。警備員。配達員。……その場にいても誰も不思議に思わないような人間」
「顔は?」
「覚えていない奴が多い」
「変な顔だったんですか?」
「逆だ。普通すぎる」
環はそう言った。
「後から聞かれてもどんな顔だったか思い出せない。髪型も、服も、声も。けど会ったことだけは覚えている」
「……嫌ですね、それ。じゃあ、そいつを見つけようとは?」
「した。でも、見つからなかった」
「どうして?」
「見つけようとすると何もないから」
「何も?」
「監視カメラには対象者しか映っていない」
環は首を振った。
「正確には対象者と話している誰かは映っている。でも記録を見た人間にはその人物が誰なのか判断できない」
「……?」
「一応、清掃員に見える」
「じゃあ清掃員じゃないんですか?」
「清掃業者に確認するとその時間にその場所へ入った人間はいなかった」
「でも映ってるんでしょう」
「ああ」
「来客なら?」
「入館記録がない」
「……」
アキはしばらく考えた。
それは、フェノム・システムズが普段扱っている変異体とは少し違う。
捕まえる以前に何を捕まえればいいのか分からない。
「それで諦めたんですか?」
「諦めたというより会わせなければいい、という結論になった」
アキは目を瞬いた。
ようやく、最初の話と繋がった。
「だから休暇」
「そう」
「変異体をどうにかするんじゃなくて、三十歳の人間を変異体から遠ざける」
「ずいぶん乱暴ですね」
「一番確実だからな」
確かにその通りだった。
変異体を捕獲する。正体を調べる。出現条件を特定する。
どれもできない。
なら唯一分かっている条件だけを潰せばいい。
――三十歳。誕生日。出勤。
その三つが揃わなければ、少なくとも今まで確認された異変は起きない。
「それで、今の制度ができた」
「そう」
「三十歳の誕生日は強制的に休み」
「所属も関係ない」
「正社員も?アルバイトも?」
「関係ない」
「代表でも?」
「もし三十歳になるなら」
アキは少し笑った。
「徹底してるなあ」
「徹底しないと意味がない」
環はそう答えた。
そして、ほんの少しだけ間を置いた。
「実際、それで異変は止まった」
「……一件も?」
「少なくとも、会社が把握している範囲では」
アキはそれを聞いて、ようやく少しだけ安心した。
明後日、環が休む。それだけのことだ。特別なことではない。
会社が長年の経験から決めた、安全のための休暇。
そう考えればいい。ところが。
「じゃあ、先輩」
「何」
「三十歳の誕生日に、会社に来なければいいんですよね」
「そう」
「自宅にいれば安全?」
「それは分からない」
「え?」
「会社に来なければ、少なくとも会社では会わない」
「……」
「そこまでしか確認できてない」
アキはしばらく黙った。
安全だと言い切るための材料がない。だから「安全です」とは言わない。
ただ、これまでの事例から一番危険の少ない方法を選ぶ。
「じゃあ明後日は、絶対に会社に来ないでくださいね」
「分かった」
「私が言うのも変ですけど、先輩がいないとちょっと困るんですから」
「仕事は一人でできるだろ」
「そういう意味じゃなくて」
アキはそこで口を閉じた。
環は少しだけ首を傾げたが、何も聞かなかった。
ベルトコンベヤの上を、また一つ箱が流れてくる。
アキが手を伸ばした。いつも通りに拾い上げる。
何も変わらない。明後日も、たぶん何も起こらない。
環が会社に来なければ、それで済む。
そのはずだった――ただ、アキは知らなかった。フェノム・システムズがこの制度を作った理由は、三十歳の人間を変異体から守るためだけではない。
もう一つ。
「三十歳の人間を会社から遠ざけることで、変異体そのものを刺激しない」という意味もあった。なぜなら、過去に一度だけ。
三十歳の職員が休暇を拒否し、どうしても出勤すると言い張ったことがある。
その職員は、会社へ来た。そして、誰もいないはずの廊下で誰かと話しているところを、監視カメラに記録された。
相手の姿は、確かに映っていた。
清掃員の制服を着た、見知らぬ女性だった。
女性は何かを拾い上げ、職員へ渡した。
職員は笑った。
そして――。
カメラの前で、何かを答えた。その後の記録だけが、残っていない。
その職員の名前も。年齢も。所属も。現在の生死さえも。
フェノム・システムズの記録から、きれいに消えていた。
ただ一つだけ。映像の最後に、女性がカメラの方を振り向いたこと。
それだけが、報告書に記されていた。
だから今では、誰も三十歳の誕生日に出勤しようとはしない。
願いが叶うからではない。何が叶うのか、誰にも分からないからだ。




