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退廃都市の記録係  作者: theo
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「招待」

 招待状は質のよい紙だった。

 フレデリークはそれを指先で摘まみ、透かすようにして眺めた。

 紙面の白さは不自然なくらい均質で、印字は深い黒を保っていた。封蝋の意匠は外肢工芸団の紋章――幾重にも重なった肢節を抽象化した優美ですらある図案だ。そこに書かれている文面は礼儀正しく整っていてそして内容だけを見ればひどく冷たい。


「外肢展……」


 年次展示競技会。

 ――異種族の外肢および器官を素材とし、再構成・再定義する工芸文化の公開。

 要するに、捕獲し、殺害し、分解し、整えて作品にすること。


 彼女は招待状を机に置き、しばらくその上に視線を落とした。嫌悪感はなかった。

 少なくとも誰かが期待するような形では。だが無関心でもない。正確に言えば興味があった。人はどこまでを技術と呼び、どこからを暴力と呼ぶのか。

 その境目が会場の空気の中でどう変質するのかを見てみたかった。


 フェノム・システムズも清潔な組織ではない。

 必要があれば異種族の死骸を買うこともある。回収し、分解し、検査し、保管し、研究に回す。あるいは世間に出せない用途へ振り分けることもある。そういう世界で生きている以上、何かを「素材」と呼ぶことに、彼女は過剰な道徳を持ち込まない。

 工芸家がやっていることが正しいとは思わないが、偽善的に指をさす気にもならなかった。


 ――それは恐らく自分自身が既にこの世界の仕組みの一部として生きているから。



 外肢展の会場は、上層の端にある旧式の展示区画を改装した建物だった。

 高い天井、広い廊下、磨かれた床。入口には白服の案内係が立ち、来場者の衣服と身分を一つずつ確かめていた。招待客は多くない。限られた技術者、資産家、収集家、そしてそうした趣味を隠さない者たちだけが通される。

 フレデリークが現れると、案内係の表情がかすかに引き締まった。


「フレデリーク・マリ様。ご来場ありがとうございます」


 丁寧すぎる声だった。恐らく彼らも彼女がどんな反応をするのか気にしているのだろう。展示の中にはフェノムが扱う領域と地続きのものがある。

 死骸。素材。加工。保存。違いは、目的と名目だけだ。


 会場へ足を踏み入れるとまず匂いが来た。

 消毒液の鋭さに混ざって、乾いた皮革のような匂い、樹脂、薬品、そしてどこか鉄分を含んだ生臭さ。丁寧に薄められているはずなのに消せていない。

 完全に消えないようにしているのかもしれない、とフレデリークは思った。

 素材が、元は生き物だったと忘れさせないために。


 ――第一展示区画は保存標本部門だった。

 大きなガラスケースの中に、肢節を保ったまま静止した外肢が並ぶ。

 昆虫に似た構造を持つものもあれば、獣の骨格を思わせるもの、鳥の翼に近いものもある。どれも機能を剥奪されているはずなのに形だけは強烈な説得力を残していた。関節の角度、筋の張り方、皮膜の張り、爪の鋭さ。生存のために完成した形というものは、死後になってもなお、人の目を引く。


 あるケースの前で、年配の工芸家が熱心に説明していた。


「ご覧ください。これは旧侵攻域で採取された飛行亜人の前肢です。飛翔補助だけでなく威嚇や触覚の役割も兼ねる。ですが我々はその機能を完全に止め、可動域を保ったまま固定した。結果として攻撃性は失われ、構造美だけが残るわけです」


 まるで工業製品の紹介だった。

 いや、彼らにとっては本当にそうなのだろう。彼女は黙って頷いた。

 「美しいですね」とだけ言うと工芸家は少し驚いたように眉を上げ、それから嬉しそうに口元を緩めた。


「ありがとうございます。理解していただける方は少ないので」

「理解はしていません。ただ見せ方が上手いとは思います」


 その返答に工芸家は笑った。

 嫌な笑いではなかった。少なくとも彼自身は善良な職人であるつもりなのだろう。彼女はそれを咎めない。善良さと残酷さはしばしば同じ手つきで成立する。


 ――次の区画では構造再編部門の作品が並んでいた。

 複数の外肢が再配置され、ひとつの機構として組み直されている。

 あるものは車輪のように回転し、あるものは吊り具になり、あるものは天井から垂れ、空気の流れに合わせて微妙に揺れていた。生体の名残と機械の精度が奇妙に同居している。用途を奪われた身体が用途を与えられ直した瞬間に別の意味を持つ。

 その発想そのものは嫌いではなかった。


 ……だが、近付くほどに分かる。あれは再生ではない。再定義だ。

 元の持ち主がどうであったか、どんな速度で逃げ、どんな声で鳴き、どんな恐怖の中で終わったのか、作品の前ではすべて無関係になる。そこに残るのは構成と均衡だけ。見ている者はその無関係さを洗練として受け取る。


 ――象徴造形部門に入ると、展示はさらに静かになった。

 照明が落とされ、壁面には暗い布が張られている。

 中央の台座には、細く裂かれた外殻の断片が幾層にも重ねられ、まるで祈りの塔のように立ち上がっていた。あるいは棘の花。あるいは折れた歴史の残骸。

 

 作品札には長い題名がついていたが、フレデリークは半分も読まなかった。

 重要なのは作品の前で人が何を考えさせられるかだ。

 彼女の隣にいた若い見学者が息を呑むのが聞こえた。


「綺麗だ……」


 その囁きは、ほとんど本能に近いものだった。綺麗、と言ってしまう。

 あるいは荘厳、と。おぞましい、ではなく。

 そういう言葉が先に出てしまう時点でこの展示は勝っているのかもしれない、とフレデリークは思った。人間は美しいものの前で倫理を後回しにすることがある。


 そして特別展示の区画に入ったとき、空気は明らかに変わった。

 係員は長時間の近接鑑賞を避けるよう何度も注意を促している。

 理由は解説に書かれていた。強い“指向性共鳴”を有するため。


 だが、フレデリークはその言葉の裏に別の意味があることも察していた。

 単に危険なのだ。見る者の感情を作品の側へ引き寄せてしまう。


 《継承体:鎌刃の王》


 そこに置かれていたのは“王”のようなものだった。


 旧時代の侵略者。カマキリ型虫亜人の高位戦士を基体とした作品。

 長い前肢は美しく保存されながら同時に完全に無力化されている。刃のような曲線を持つ肢節は今や振り上げることも裂くこともできない。武器の形を保ったまま、武器であることだけを失っている。


 ――なるほど。外肢工芸というのは暴力の骨格を剥き出しにして、そこから暴力だけを取り除く儀式なのだ。


 作品の前に立つと奇妙な静けさが耳の奥に溜まった。

 音が薄いのではない。音のほうが遠慮している。巨大な硝子越しに見る獣の亡骸よりも、もっと近い。かつての呼吸が感じられる。


 フレデリークはしばらく黙っていた。

 展示品の面貌は個体としての名残を持ちながらもはや人格を感じさせない。

 だが完全ではない。最後の抵抗のようなものが封じ込められている気がした。


「これが主題展示です」


 背後から声がした。白衣の案内係ではなく、外肢工芸団の代表格らしい男だった。細い指、よく整えられた髪、礼節を装った目。


「本年は“継承”をテーマにしております。失われた生の機能を、どのように記憶へ変えるか。その問いの最も強い答えとして選びました」

「武器の終焉、というやつですか」

「ええ」


 男は少しだけ誇らしげだった。


「我々は壊しているのではありません。終わらせているのです。終わったものに、新しいかたちを与えている」


 フレデリークは作品を見たまま、静かに答えた。


「区別は当事者以外にはあまり意味がありませんね」


 男は一瞬だけ黙った。しかし、すぐに頷いた。


「その通りです。ですから我々は当事者に代わって語る。残されたものを扱える形にするために」


 彼女は振り向いた。男の顔に罪悪感はなかった。

 後ろめたさも誇張された正義感もない。ただ仕事をしている顔だ。


 フレデリークはその顔が嫌いではなかった。少なくとも嘘をついていない。

 彼らは倫理を装っていない。血の付いた手を隠して清潔ぶるような真似をしない。ただ手の中にあるものを素材と呼ぶ。その冷淡さの方がむしろ誠実だ。


 フェノム・システムズでも、似たことはします――と彼女は言った。

 男が少し目を見開く。


「死骸を買い、調べ、分類し、必要ならば保管する。異種族のものでも使えるなら使う。人は皆、綺麗な言葉の下で何かをやっているものです。あなた方だけが特別に残酷だとは思いません」


 それは擁護ではなかった。

 だが批難でもなかった。事実を事実として置いただけだ。

 男はしばらく彼女を見つめ、それからゆっくり息を吐いた。


「ありがたいお言葉です」

「褒めてはいません」

「ええ。ですが、責めてもいない」


 フレデリークは小さく笑った。そこにはわずかな疲れが混じっていた。



 展示会場を一巡した後、彼女は出口の近くにある休憩室へ通された。

 磨かれた金属のテーブル、硬質な椅子、窓の外に広がる整然とした上層の光。

 手元には展示図録と薄い茶が置かれている。紙の束は重くない。

 だが、そこに記された内容は重かった。


 彼女はページを繰り、作品解説を読み返した。

 採取。形骸化。再構成。どれも見事な言葉だった。

 「残酷」を手触りのある言葉に変えている。そこが“工芸”なのだろう。

 窓に映る自分の顔は、何を見た後の顔ともつかない静けさをしていた。


 嫌悪はない。倫理的な拒絶もない。

 けれど一つだけ確かに残っているものがあった。

 あの展示は美しかった。だからこそ、なおさら空虚だった。


 機能を奪われたものの中に美を見出すことはできる。構造に驚嘆し、技術に感心し、意匠に心を奪われることもあるだろう。だが、それは素材となった側の人生を救わない。終わったものを終わったものとして受け入れるだけだ。

 そこに救済はない。精々記録と呼べるだけだ。


 それでも彼女は工芸家を責める気にはなれなかった。

 この世界は最初からそういうふうにできている。生き残る者がいて、回収する者がいて、加工する者がいる――必要なら、意味を奪い、意味を与え直す。

 フェノム・システムズがやっていることも根は似ている。

 ――違うのは、展示台の有無だけ。


 茶を一口飲んでから彼女は図録を閉じた。

 ――いい展覧会だった、と言うべきだろうか。


 そう思った瞬間、自分の中の冷たさに少しだけ可笑しみを覚えた。

 多分、それでいいのだ。自分は道徳の裁判官ではない。

 ただこうした世界の輪郭を知り、その上で必要な場所へ手を伸ばす者である。



 外肢展の会場を出ると、上層の空は薄く明るかった。

 背後ではまだ展示が続いている。誰かが作品を見て息を呑み、誰かが技術を称え、誰かが黙って手を組むだろう。あの中には涙を流す者すらいるかもしれない。

 それでも展示は終わらない。終わるべきものはとうに終わっているからだ。


 フレデリークは歩き出した。


 彼女の足取りはゆっくりで、しかし迷いはない。

 あの会場で見たものは、彼女の中に何かを残した。怒りではない。

 拒絶でもない。もっと厄介で、もっと厭らしい感触だ。

 世界は残酷さを隠さない者より、隠しながら使う者のほうが多い。だからこそ外肢展のあの露骨さは、むしろ潔くさえ思えた。


 工芸家たちは、殺したものを作品に変える。

 フェノム・システムズは、死んだものを資源に変える。


 ――その差異はどれほどのものだろう。


 彼女は答えを出さないまま、展示区画の外へと歩き去った。

 背後で扉が静かに閉まり、会場の匂いも、硝子越しの王も、保存された刃も、少しずつ遠ざかっていく。


 けれどあの「意味の剥奪」と「意味の付与」の冷たい往復だけはいつまでも頭のどこかに残っていた。

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