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退廃都市の記録係  作者: theo
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第60話 巨大カマキリ

 ――その日、アキと環は普段通りベルトコンベヤの入口を眺めていた。

 両者共にパイプ椅子に腰かけ、紙コップに注いだ白湯を手に先程流れてきた道具について取り留めのない会話を交わしていた。先程流れてきた道具は珍しいものだったとか、自分のいた地域では見かけなかっただとかそんな話題だ。


 ここに流れてくるものはどれも一度「用途」を終えたものばかり。

 変死体や変異体の類でもない限り、感想も自然と穏やかなものになる。

 停止していたベルトコンベヤが軋むような音を立てて再び動き出してもその平穏が崩れることはなかった。


 ……今更、何が来たところで動じることはない。

 環はそう思っていたし、アキも最初に比べれば随分と慣れてきたように見えた。

 だからこそ、その声は少し浮いていた。


「えっ……せ、先輩、あれ虫……!大きいけど……カマキリですよね!?」


 白い空間の奥。

 ベルトコンベヤの入口から“それ”は現れた。

 一見すると博物館にありがちな模型や剥製のような“巨大”な虫。

 虫が台座に乗せられたままゆっくりと運ばれてくる。


 ――それは生物の動きではない。

 ただの直線的な移動。機械による一定速度の運搬だ。

 それだけのはずだ。にもかかわらず視界の中で占める質量があまりにも大きく錯覚のように“近づいてくる”と感じさせる。

 距離が縮まるごとに、空気の密度が変わるような圧迫感がある。


「うーん……大体、私二人分ぐらいの身長ですかね。コレ、親がずっと昔に話してくれた虫のオバケにそっくりなんです。先輩も“虫の侵略”の話を知ってますか?」


 アキは立ち上がり、テーブルから離れていく。

 興味と恐怖が入り混じったような足取りで、ベルトコンベヤの方へと歩み寄る。

 その背中を見ながら、環は動けなかった。


 ――ひとまず、この虫は死んでいる。

 そう判断出来たことだけが、かろうじて環の思考を保たせていた。

 推定身長は三メートル前後。縦に伸ばせば、それ以上になる可能性もある。

  ……考えたくもない。そもそも自分は虫が嫌いなのだ。

 思えば小さなものでも無理だった。壁に張り付いた影や床を這う微かな音にさえ反応してしまう。それが“巨大”になって現れたらどうなるか。


 理解するまでもない。身体が拒否している。

 アキの後に続きたい気持ちも立ち上がろうとする意志もあるというのに。筋肉が動かない。まるで椅子に縫い付けられたように腰が浮かない。

 

 ……虫は死んでいるから、アキ一人でも作業は可能だろう。

 数秒考えた後、環はその場からアキに返答することにした。今回ばかりはついていけそうにないとの判断であった。


「一応は」

「ああ、先輩もあの話を聞いて育ったんですね。そうそう、親が小さな子供を脅かす時に話すんですよ。懐かしいですね。……どんな話でしたっけ。昔々この星に大きな虫の宇宙人がやってきて大暴れした、みたいな感じだったと思いますけど」


 アキの語る“おとぎ話”を環はよく知っている。

 このカマキリは所謂「亜人」と呼ばれるものだろう――かつてフレデリークが語っていた国外に住まう生物。知性ある虫、旧時代の侵略者。その子孫達。


 視線だけが、無理やり引き寄せられる。見たくないのに見てしまう。

 鎌がまず目に入る。左右に大きく開かれたそれは捕食のための構造をそのまま残していた。湾曲した刃、内側に並ぶ細かな鋸歯、節ごとに分かれた関節――どれもが過不足なく整っている。


 精密で無駄がない――ただ「裂く」という一点のために最適化された形。

 それが、そのまま残されている。だが――その刃が閉じることはない。

 関節の一部には透明な支持具が差し込まれ、可動域が制限されている。振り下ろすことも掴むこともできない角度で固定され、空間を切り取るように広げられていた。


 刃はある。だが、機能はない。その事実がかえって不気味だった。

 もしコレが動いたなら、危険だと理解できる。

 逃げればいい。距離を取ればいい――だがこれは、動かない。

 動かないはずのものが、ここまで“生きていた形”を保っている。


 それが恐怖を曖昧にする。

 どこまでが安全で、どこからが危険なのか。境界が分からない。

 胴体に視線が滑る。外殻は途中で分割され、内側が露出している。

 本来あるはずのものはすべて取り除かれ、代わりに異質な構造が組み込まれていた。細い管と、薄い板。


 層のように重ねられたそれらが、わずかに震えている。

 ――音がした。環は思わず息を止める。

 風はない。気配もない。それでも、内部で何かが擦れる。

 耳で聞く音ではない。頭の奥、骨の内側で微かに響くような低い振動。

 目の前の“死骸”が鳴いていると錯覚する。


「……っ」


 喉がひきつる。無意識に白湯のコップを握る手に力が入っていた。

 アキはさらに一歩近づく。

 躊躇いはあるはずなのに、好奇心がそれを上回っている。


「すごい……これ作り物、なんですよね……?」

 

 環は振り返らずに頷いた。すぐに返事ができなかった。

 視線は頭部に引き寄せられていた。三角形の輪郭。巨大な複眼。

 光を受けて鈍く反射するその表面には、細かな傷が残っている。

 研磨された痕跡。だが完全ではない。

 均されきっていない不規則さが、かえって生々しい。


 ――目が合った気がした。

 そんなはずはない。あれはただの標本だ。

 機能はすべて剥奪されている。そう理解している。それでも。

 理解とは別の場所で、身体が硬直する。


「……亜人だな」


 ようやく絞り出した声は、自分が思っていた以上に低かった。


「それもただの死骸ではない。これは“工芸品”だ」


 戦うための構造が、組み替えられている。

 それでもなお、均衡だけは保たれている。


「えっと……動かないんですよね?」


 ――環は何かを知っているのだろうか。

 アキの声がわずかに震える。

 とはいえこの状態では何かを聞き出すことは難しいだろう。

 環は一瞬だけ目を閉じ、関節部へと視線を戻した。


「固定されてる。一応、そういった処理はされてるはずだ」


 言いながらも、確信は薄い。

 あの内部構造。あの音。


「……あまり近づかない方がいいだろうな」

「え?」

「たまにあるんだ。共鳴のような仕組みを仕込んでいる作品が」


 軽く言ったつもりだった。

 だがその直後――また、鳴いた。

 僅かに、確かに。内部の板が震え、空気を撫でる。

 アキが息を呑む。


 その瞬間。

 鎌の先端が、ほんのわずか――

 位置を変えたように見えた。


「今、何か動きませんでしたか!?」

「気のせいだ」


 即答だった。

 食い気味に、否定する。

 環は視線を逸らさないまま、コップを机に置いた。


「全部固定されてる。動くはずがない」


 言い切る。だが、その声には硬さがあった。

 環は早くこの“虫”と別れたくて仕方が無かった。

 アキを置き去りにするようにして震える手でこの巨大な“虫”の脚部にステッカーを貼りつけると乱雑に端末の前へと座り込んだ。これ以上、虫を前に話すことは無い。


 ベルトコンベヤは止まらない。

 一定の速度で、それを奥へと運んでいく。

 巨大な蟷螂は、何事もなかったかのように通り過ぎていく。

 ただ――最後まで複眼の反射だけがこちらを捉えていた気がした。

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