第55夜 「あ号作戦(南方作戦)」検討会(2)
「今晩は、東條閣下、ご機嫌いかがでしょうか。」
「頗る良い」
「ところで、黄泉がえりの閣下は、いつでも意識の中にいるのですか。」
「今はもういない。最初は、意識を後頭部30CMぐらいに集中しなけれだめだった。慣れると勝手に先生の方からコンタクトしてきて五月蠅いぞ。」
「嫌ですね。」
「では、黄泉がえりの話を聞いてくれ。」
「お願いします。」
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中央気象台長の藤原博士が資料を抱えながら会議室に入ってきた。
藤原博士が見渡すと、杉山参謀総長・永野軍令部長・東條首相兼陸相・嶋田海相・広田外相が出席し、幹事として武藤陸軍軍務局長および海軍軍務局長の、星野内閣書記官長が出席していた。
議長役の私が、硬くなっている博士を促した。
「博士、サイゴンの1月の気象観測資料を持って来ているね。サイゴンの1月、とくに中旬の天気、風、波の過去の記録はどうなっているか。」
藤原博士がおどおどしながら説明し始めた。
「はい。科学的なことを言うと話が長くなりますので、要点だけをお話しします。詳細はレジュメを用意しましたので、そちらをご覧ください。
まず、レジュメの1ページをご覧ください。インドネシアの冬季のモンスーンの仕組みをご説明いたします。インドネシアの冬季モンスーンは、貿易風と季節風の衝突によって起こります。これにより、マレー、蘭領印度では、11月から3月まで北東風モンスーンにより、雨季となります。
次に、レジュメの2ページをご覧ください。ご覧の天気図は、北極を中心とする天気図です。ご覧のように概ねシベリア寒気団は、6日から8日の周期で伸縮を繰り返しますので、冬季モンスーンも同様の周期を繰り返し、強くなったり弱くなったりします。
最後に、レジュメの3ページをご覧ください。波高の解析です。波高の解析にはFN法と言う方法を使用します。私、藤原と台風研究で名高い台北気象台長の西村伝三博士の頭文字をとって名付けました。
FN法とは、風速、吹走距離、吹続時間の3つの要素から波高を推算する方法です。
算出式はレジュメの通りです。
以上のことから、サイゴンのブンタウ、海南島三亜、台湾の基隆、大連での風速、吹走時間、吹走距離、とくにサイゴンの沖合での風速、吹走時間、吹走距離を継続的に観測すれば、マレー、蘭領印度での波高を推算することが、可能となります。」
『レジュメ』
波高の解析。波高の解析にはFN法と言う方法を使用する。
FN法とは、風速、吹走距離、吹続時間の3つの要素から波高を推算する方法である。 吹走時間と波高の関係は、風速35mの風が、吹走距離100kmを4時間吹いた場合(吹走時間)、波高は6mとなるような関係がある。ただし吹走時間が、6から8時間を超えると頭打ちの域に入る。
この関係を数式で表すと
波高:gH/U²=0.283tanh{0.0125(gF/U²)0.42乗 1式
周期:gT/U=7.540tanh{0.0770(gF/U²)0.25乗 2式
吹続時間:t= ∫(せきぶん F)₀ dx/Cg=∫( F)₀ dx/(gT/4π)3式
g:重力加速度、H:波高、U:風速、F:吹走距離、t:吹走時間 T:周期
となる。
3式は,吹送距離をエネルギーの伝播速度(=群速度Cg)で割ったもので,波が風からエネルギーを受け取る時間を積分したもの。
1,2,3式に風速などの値を実際に代入すれば波高と周期が求められまる。
大連、台湾の基隆の風速つまり気流の速度を10mとすると大連を寒気流が通過し、台湾の基隆まで到達するまでに45時間、さらにサイゴン近くブンタウ海岸までに62時間、マレー沖32時間、合計139時間で約6日間かかることになる。それぞれの地点の風速、吹走距離、吹続時間を割り出せば、マレー沖・蘭領印度の風浪の大よそ判断ができる。
実は、FN法(史実上では、SMB法)は、第二次大戦の末期に実用化された波浪予報法で、ノルマンディー上陸作戦を成功させた一因とされる。名称は開発者のSverdrup、Munk、 Bretschneiderの頭文字を取ったものだ。黄泉の世界でそれを知った木村次官が、藤原博士に風速、吹走距離、吹続時間と波高の関係を調べるように指示したのだ。
史実のマレー戦でも藤原咲平、西村伝三博士は、サイゴンに派遣され、昭和16年11月28日以降連日に渡って、フィリピン、マレー方面の気象予報を発表した。
「聞いたかね。英領マレー・蘭領インドネシアとは少し距離があるが、一週間ぐらいのうち少なくとも数日間は波が穏やかになるそうだ。それに、大連からブンタウ海岸までの風速を調べればマレー沖の波浪の状態が大よそつかめることになるそうだ。博士すばらしい研究だ。」
広田外相が絶賛した。
「わが国にも素晴らしい科学者がいた。いやー文化勲章ものだ。どうもご苦労でした。」
文化勲章は、広田の発案で制定された。実際に私は、藤原咲平、西村伝三両博士には、この研究に対し、文化勲章を授けた。
私は、藤原博士が部屋から出て行くのを待って、会議を続けた。
「日中講和会議は、12月に始まるのは聞いておろう。12月に入れば講和の雰囲気も醸成される。新聞、通信社には講和近しと宣伝させるのだ。そして、真珠湾攻撃も比島作戦もないので、海軍の総力を持って、英蘭軍と開戦する。新月頃の1月16日から20日の5日間で作戦可能な日に決行する。決行の判断は、サイゴンの南方軍総司令部に任せよう。当然、藤原、川村両博士ほか気象台の予報官も派遣させる。」
「参謀総長として陸軍は、了承する。」
「海軍も了承する。」
「次に、あ号作戦の詳細について検討する。まず、第1期の作戦E、マレー作戦から検討したい。海軍軍令部作戦課長富岡定俊大佐説明をお願いする。」
このあ号作戦は、真珠湾攻撃がない分、海軍の戦力が使えるので、それを各作戦に投入できる。そこで、私は、統帥権を輔弼されたことを盾に陸海軍の共同作戦を前提に、すでに研究していた各作戦を全面的に見直すことに決めたのだ。
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もうじき就寝の時間ですから今日はここまでとしましょう。
続きはまた、明日、お話します。おやすみなさい。




