第54夜 「あ号作戦(南方作戦)」検討会(1)
「今晩は、東條閣下、ご機嫌はいかがでしょうか。」
「頗る良い。」
「それは良かったです。ところで、日本が、軍事部門に関し科学技術が遅れたのはどうしてですか。」
「まあ、軍人教育が精神論的なものに傾いていたからね。『足りぬ足りぬは工夫が足りぬ』みたいな標語がその代表格だ。」
「実際に軍事研究はどう展開されたのですか。」
「日本は、大学、民間研究も軍部主導のものには、人も予算を付けるが、そうでないものは、予算さえ付けなかった。」
「それでは、米英に遅れを取るわけだ。」
「しかし、黄泉がえり後の私は違ったぞ。陸海軍の研究開発を統合し、真空管製造会社の生産体制のバックアップ、レーダー開発、小型無線機開発、航空機エンジンの研究・開発、生産を一貫体制で行うようにした。また、部品から本体生産までの軍部指定工場の工員を徴兵対象から外すようにした。」
「それは、初めて聞きました。」
「では、黄泉がえりの話を聞いてくれ。」
「お願いします。」
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南方作戦の再検討を話すぞ。
遡ること10月30日の大本営政府連絡会議で、「あ号作戦」の再検討会が行われた。
南方作戦、作戦名「あ号作戦」の第1期は、マレー作戦(馬来作戦)「E作戦」、英領ボルネオ作戦「B作戦」、蘭印作戦「H作戦」から成り立っていた。
この検討会では、根本的な見直しが行われた。
まず、作戦の目的は、英領マレー・蘭領インドネシアの独立が第1番目に加えられた。
続いて、石油、すず等資源の安定的確保があげられた。
もちろん米国を敵に回すことはできないのでフィリピン(比島)作戦・ハワイ作戦は、回避された。
次に、開戦時期であるが、ここで杉本元参謀総長が注文をつけたのだ。
黄泉がえり前の世界では、12月8日に開戦し、上陸作戦は、風雨に2~3mの荒波の中で実施された。さらに敵航空機の爆撃をうけ、多くの溺死者を出したのだ。杉山参謀総長は、それを知って文句を言ったのだ。
「作戦の要は、上陸戦のため、気象条件にかかっている。12月末以降になれば季節風が強まる。遅くとも12月上旬までにマレー・蘭印上陸戦を開始するのが常識であろう。上陸ができなければ作戦自体が失敗しますぞ。敵の弾に当たる前に溺死では話にならん。」
この地方の気候の特徴は、雨季と乾季があることで、雨季は、11月から3月まで続くモンスーン(季節風)によってもたらされる。マレー半島は、南シナ海とベンガル湾に挟まれ、中央部に2,183mの最高峰コルブ山を擁するティティワンサ山脈が南北に連なっている。このため年に2回のモンスーンがあり、西海岸に5月から9月まで南西モンスーン、東海岸に11月から3月まで北東モンスーンが発生する。中国や北太平洋で発生する北東モンスーンのほうがより多くの降雨をもたらす。一方、インドネシアのスマトラ島にも西海岸沿いに3,805mの最高峰クリンチ山を擁するバリサン山脈が走り、この山塊に北東モンスーンが衝突し、多雨をもたらす。そして、この北東モンスーンの時期には、海が荒れ、波高が1.5mから2mになれば上陸作戦はほとんど不可能とするのが従来の常識であった。帝国陸軍統帥部は開戦時期の決定に関し、この点を重視していた。
以前なら統帥権の権限外だった総理大臣であるが、勅許により統帥権の輔弼が可能となった私は、杉山参謀総長に対し、遠慮なく答えた。
「作戦上は、参謀総長のいうとおりだろう。しかし、例の原油が出たあとであれば、蒋介石に対し講和への圧力となる。それに、上陸作戦が困難というならば英軍にも『油断』ができるだろう。さらに、上空は曇りがちだろうから偵察機に船団が発見されにくいという利点もあろう。」
「確かに1月の上陸には総理の言うような利点もありますな。それに、日支講和ともなれば、米国との関係も好転し、英軍もさらに油断するか。しかし、高波に人間は勝てませんぞ。」
永野海軍軍令部長も憂慮を隠さなかった。
「作戦が遷延すれば、石油備蓄がゼロになる恐れがあります。例の油田の内地輸送は1年先です。海軍が動けるうちに、油田地帯を確保しなければならない。」
「永野さん、私もそれを危惧している。今回の作戦は油田発見の観点から見直さねばならない。実は中央気象台長藤原咲平博士を呼んである。彼の話を聞いてくれ。」
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もうじき就寝の時間ですから今日はここまでとしましょう。
続きはまた、明日、お話します。おやすみなさい。




