第39夜 ハルノート
「今晩は、東條閣下、ご機嫌はいかがでしょうか。」
「頗る良い。今日は、105号室に行き、広田弘毅元総理大臣の話を聞け。」
「分かりました。」
この病院には、自称元首相が2名いるのは知っていたが、その人の話を早くも聞けることになった。
「今晩は、広田閣下、ご機嫌はいかがでしょうか。看護師の黒井です。
東條閣下からこちらに行って話を聞くように言われました。」
「待っていたよ。」
「どうぞよろしくお願いいたします。」
「ハルノートは知っているね。」
「少しは。太平洋戦争のアメリカの最後通牒みたいな。」
「それでは。」
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
11月19日、広田外相は、羽田飛行場にいた。私東條は、広田を見送りに来ていた。広田は、外相兼全権大使として、海軍の九七式大艇でアメリカに飛び立とうとしていた。
「広田さん、今回の訪米に期待しています。」
「分かっています。必ず、日米交渉を成立して見せます。」
広田外相は、11月25日ワシントンDCに海軍省・陸軍省・外務省の随行員と一緒に着いた。途中、サイパン島、ウェーク島へ飛び、ウェーク島からはパンナム・太平洋航路の大型飛行艇マーチンM130でミッドウェー、ハワイ、ロサンゼルスを経由した。
広田は、ワシントンに着くと、早速、野村吉三郎大使と入念に打ち合わせを行った。
翌日、11月26日、広田は、野村と一緒に国務省に赴き、国務長官ハルと面会した。
「ハル国務長官、大日本帝国外務大臣の広田弘毅です。本日は、野村と会談があるとのことなので、突然の非礼を承知で、同席をお願いしました。」
「それは、急なことで外務大臣のご訪問であれば、承知するしかありませんな。」
「天皇陛下から全権委任の信任状を持参しております。内容は、貴国との通商条約締結並びに条約締結に要する協定等の一切の権限です。ルーズベルト大統領に信任状を奉呈したいので、至急、アポイントメントをお願いしたい。」
「グルー駐日大使からは、外務大臣が訪米するとの連絡がありましたが。」
「急遽、全権大使ということになったものです。」
ハル国務長官は、日本の外務大臣が訪米し、対米交渉を行うと聞いていたが、全権大使であるとは初めて聞いたので困惑した。
「広田外務大臣、貴国との交渉は、まだ隔たりが大きい。全権委任と言われても今の段階は、まだ予備交渉にすぎません。実は、本日、野村大使においでいただいたのは、アメリカ側から基礎協定案を提案するからです。」
これが、いわゆるハル・ノートである。
ハル・ノート
「合衆国及び日本国間の基礎概略(Out line of proposed Basis for Agreement Between The United States and Japan)」)
日米交渉一九四一年十一月二十六日 米側提案
厳秘 一時的且拘束力なし
第1項 政策に関する相互宣言案(いわゆるハル4原則 省略)
合衆国政府及び日本国政府は左記の如き措置を採ることを提案する
1.イギリス・中国・日本・オランダ・ソ連・タイ・アメリカ間の多辺的不可侵条約の提案
2.仏印の領土主権尊重、仏印との貿易及び通商における平等待遇の確保
3.日本の満州を含む支那及び仏印からの全面撤兵
4.米日がアメリカの支援する中国国民党重慶政府以外のいかなる政府も認めない
5.英国または諸国の中国大陸における海外租界と関連権益を含む1901年北京議定書に関する治外法権の放棄について諸国の合意を得るための両国の努力
6.最恵国待遇を基礎とする通商条約再締結のための交渉の開始
7.アメリカによる日本資産の凍結を解除、日本によるアメリカ資産の凍結を解除
8.円ドル為替レート安定に関する協定締結と通貨基金の設立
9.米日が第三国との間に締結した如何なる協定も、太平洋地域における平和維持に反するものと解釈しない
ハル・ノートは、当時、日本が受け入れし難い3項目、つまり日本の満州を含む支那及び仏印からの全面撤兵、中国国民党重慶政府以外のいかなる政府も認めない、日独伊三国同盟破棄が含まれた最後通牒として外務省と日本政府に受け取られた。米国は、ハルノートの内容を従来の交渉案より、厳しいものにし、日本側に最後通牒として受け取られるように巧妙な罠を仕掛けた。
モーゲンソー試案は、国務省において検討されたが、日本側に譲歩していた部分は削除され、例えば、満州を含む日本の支那及び仏印からの全面撤兵のように、日本側への要求は過酷なものになっていた。
広田は、野村大使と頭を突き合わせて、この覚書を読み込んだ。広田は顔をあげ、言った。
「この内容は、一体なんですか。日本に一方的に譲歩せよということですか。第2項1条は、9か国条約を遵守せよということですか。3条の仏印はともかく支那からの全面撤兵は、満州国も含んでいます。第4条の中国国民党重慶政府以外のいかなる政府も認めないというのは、米国が蒋政権を見殺しに出来ないと同様、日本も南京政府を見殺しできません。」
ハル長官は不機嫌に言った。
「即時撤兵を主張するものではないし、南京政府は到底中国を統治する能力ない。」
「第2項第9条これは、日独伊三国同盟は、太平洋地域においては、実質的に破棄にせよということですな。」
「ヒトラー政権、ムッソリーニ政権は、独裁政権です。侵略国家です。」
「ところで、天皇陛下から親書を送りしましたが、大統領からの返辞はありません。礼を欠いていませんか。それに、11月10日に、6月の米国提案に近いものを日本の回答案として提示しましたが、貴国の今回の基礎協定案は、それに比べると交渉の基礎というものではありません。本国に受け入れると伝達できません。大統領との会談を設定してください。」
「全権大使の信任状捧呈式のこともあります。了解しました。」
駐米大使館に戻ると野村大使が、広田に声をかけた。
「広田さん、笑いをこらえるに大変でしたよ。ハルがいつもより一段と渋い顔でした。」
「ハハッ、ハルも日本に交渉を諦めさそうとして、無愛想だったな。」
「ハルの提案は広田さんの予想したとおりでした。最初から中身がわかっていると怒る気にもなりませんな。これで、明日の大統領との会談も今日と変化なしでしょうな。」
「明日もタヌキとキツネの化かし合いだよ。ハハッ!」
「広田さん、そちらからご依頼の新聞の全面意見広告は手配しました。明日、入稿予定となっています。しかし、あんな内容大本営が良く認めましたな。」
「いいんだよ。ルーズベルト大統領は、戦争する気だから。」
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
もうじき就寝の時間ですから今日はここまでとしましょう。
続きはまた、明日、お話します。おやすみなさい。




