第25夜 ソ連工作員
「今晩は、東條閣下、ご機嫌はいかがでしょうか。」
「頗る良い。」
「閣下、夜の世界には夜だけに棲息する魔がいるような気がしませんか。」
「そうだな。逢魔が時という言葉があるからな。」
「夜勤ばかりしていると夜の世界の生き物というか、異世界の生物になった気がしてきます。お話をお願いします。」
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今日は、スパイ小説もどきの話だ。
ドイツのヒトラーが、仏・ベルギー・オランダを奇襲攻撃で獲得し、その後、バルカン半島のルーマニアに独軍を進駐させるとスターリンは、ドイツに不満をもつようになっていた。独ソ不可侵条約により、東方が安全なのを良いことにドイツは勝手なことばかりすると考えるようになっていた。
スターリンは、不可侵条約締結時にバルカン半島を自分の勢力圏と考え、ルーマニア領のベッサラビアとブコビナを前年6月に占領していた。その後、今年の3月4日、ヒトラーがユーゴスラビア王国の摂政パヴレ公に日独伊三国同盟に加わるよう圧力を強め、ギリシアにも食指を伸ばすと、スターリンは、ヒトラーに対する猜疑心を露わにするようになった。まず、自分の背後である東方を安全にしようと3月24日、三国同盟の慶祝のためベルリンに行く途中の松岡外相と急遽会談をもった。そして、4月13日電撃的に日ソ中立条約を締結していた。
4月6日、ドイツがユーゴスラビアを占領するとスターリンは、敵愾心を感じ、ソ連としては、将来、ドイツと戦端を開く可能性が高いことを確信したに違いない。そこで、何とかしてアメリカをして日本に対し、日本の眼を南方、アメリカに向けさせる必要を感じた。スターリンは、アメリカのスパイ網に指示をした。
1941年4月25日、ソ連の諜報員アメロフは、ワシントンDCのバラライカというレストランの個室でいつものように夕食をしながらジョン・ステンソンから情報を得ていた。アメロフは、ビル・スノーという偽名で、ロシア人の経営する貿易会社に籍を置いていた。ステンソンは、米国財務省の職員で、非常に重要な情報をくれるばかりでなく、他の職員のことについてもよく話してくれた。財務省には若い反ファッショの職員が多く働いており、彼らはドイツを、ファシズムを憎んでいるという。
この当時、アメリカには共産主義や社会主義に対する親近感を持つ人が多く、1936年から始まったスペイン内戦では、フランコ・ファシスト軍に抵抗していた人民戦線政府にアメリカから義勇兵が多く参加していた。アーネスト・ヘミングゥエイの「誰がために鐘は鳴る」は、スペイン内戦に参加したアメリカ人を主人公に描かれている。またアグネス・スメドレーやエドガー・スノーなど中国共産党に関心を持つ知識人もいたルーズベルト大統領政権下では、労働者の権利拡大が行われ、ハリー・ホプキンスなど共産主義の協力者と疑われる人物もいた。
「実は、ハリー・デクスター・ホワイトという極めて有能な若い助手がいます。この人は、モーゲンソー長官の補佐官で、今年3月に成立したレンド・リース法の作成に参加したやり手です。」
「レンド・リース法ですか。あれのおかげで、イギリスも戦争が続けられています。アメリカがこの欧州大戦に参戦できない以上、最善の手段です。」
「そうですね。ドイツにヨーロッパを支配させないために必要です。彼はこの法案作成で、その書類の作成能力、国際情勢についての洞察力も示しました。それに社会主義の計画経済的手法には理解を寄せています。」
「そのハリー・デクスター・ホワイトさんに一度合ってみたいですね。」
「そうですか。それでは、次回の時に、お会いできるよう手配してみます。」
それまでの中立法は、交戦国に対し武器輸出を禁じていたが、レンド・リース法は、これを解禁し、1941年4月に中国を、10月にソ連を適用対象とし、大戦中、総額501億ドル(2007年の価値換算で7000億ドル)の援助物資が英国・ソ連・中国・フランスに送られた。
ソ連には、機関車1,981両、航空機14,795機、戦車7,056両、ジープ51,503両、トラック375,833両、バイク35,170台、トラクター8,071台、銃8,213丁、機関銃131,633丁、爆発物345,735トン、輸送船90隻、対潜艦105隻、水雷艇197隻、舶用エンジン 7,784台、食糧 4,478,000 トン、機械と装備品 10億7,896万5千ドル、非鉄金属80万2千トン、石油製品267万トン、化学物質84万2千トン、綿1億689万3千トン、皮革 49,860トン、タイヤ 378万6千本、軍靴 1,541万7千足など途方もない膨大な物資が援助された。しかし、ソ連は、戦後、この膨大な援助に対する返済を踏み倒した。
次の週末、アフメロフはステンソン、そしてホワイトといつもの様にバラライカで夕食をしていた。
「ジョン、今日はどうも有難う。こちらがホワイトさんですか。」
「どうも。初めまして、ホワイトさん。いや、お会いできて大変うれしい。ビル・スノーです。ビルと呼んでください。」
「お招きいただき有難うございます。ビル。ハリー・デクスター・ホワイトです。ハリーと呼んでください。」
「今日は、私達にとって、記念の日になることを希望します。」
ホワイトは、ビルの言葉に訛があるのを感じた。
「失礼ですが。ビル、言葉にロシア訛があるようですが。」
「実は、私の父は、貿易商でして、ここのバラライカもその商売の一つです。父は、ロシア革命が勃発したので、ボストンに移住し、今、私は父の元で仕事の手伝いをしています。」
「そうですか。道理で訛があるなと思いました。」
「訛がありますか。」
アフメロフは、スパイの素性がばれないよう、自分では、英会話に自信があった。
「どの当たりに感じましたか。」
「ちょっとしたところですが。“記念日(anniversary)”の"r"のローリングが、短いと感じました。」
「そうですか。初めて言われました。良くお気づきですね。」
「知り合いにロシア人が居たもので。ところで、大戦が始まって商売のほうも大変でしょう。」
「ボストン本店のほか、ワシントン・ロンドン・香港に支店がありますが、貿易商は、今や風前の灯です。辛うじてここのレストランと印度・アジアの物産で糊口を凌いでいます。」
「そうですか。私もボストンです。ウェストエンドの生まれです。両親は、リトアニアの出身です。ところであなたの本店はどこにありますか。」
1881年にロシア皇帝アレクサンドリア2世が暗殺された時にユダヤ人に対するポグロムが起きて、それを避けるためアメリカに移住したユダヤ人が多く、ボストンは、各国からきた移民が区域毎に居住しており、ウェストエンドはユダヤ系ロシア人が居住している。
「ステート・ストリートです。」
「それはすごい。一等地じゃないですか。」
「ステート・ストリートの外れです。それよりもハリーさんは財務省の出世頭だとジョンから聞いていますよ。」
「ジョン、君はハリーに何を話したんだい?そんなことはありませんよ。」
「いやいや。ご謙遜なさる。その若さで財務次官補の要職ですから。どこの大学出身ですか?」
「コロンビア大学に入学し、スタンフォード大学、ハーバード大学などで経済学の助手をした後、ハーバード大学の大学院に入り、博士号を得ました。」
「これは、大したものだ。」
「恐れ入ります。」
これを契機にハリー・ホワイトとビルいやアフメロフは友人となった。しかし、アフメロフは、ハリー・ホワイトをスパイとして活動させる必要はなかった。ハリーは、反ファシストでケイジアン(ケインズ経済学派)でもあった。この学派は、政府が経済に大幅に干渉するという意味では、ソ連の計画経済に似ている部分もあり、共産主義へのアレルギーはなかった。そして、ソ連を国家承認したのは、ルーズベルト政権である。
アメリカ合衆国政府には、ソ連のスパイがかなりの人数入り混んでいたそうだ。1948年の下院非米活動委員会でハリー・ホワイトや原爆の秘密をスパイしたローゼンバーグ夫妻は、共産主義者として告発された。
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もうじき就寝の時間ですから今日はここまでとしましょう。
続きはまた、明日、お話します。おやすみなさい。




