第18夜 F機関誕生
「今晩は、東條閣下、ご機嫌はいかがでしょうか。」
「頗る良い。」
「そう気分上々ですか。それでは、お話を願いします。」
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マレー・蘭領印度工作に配属される数名の将校には、中野学校出身の土持大尉、山口・中宮中尉、米村・瀬川少尉、滝村軍曹(マレー組)、中井大尉、古橋中尉、酒井軍曹、中村・青山伍長、田中兵長(蘭領印度組)が決まった。その他に、東京外語大学印度語部の学生石川善吉と馬来語部の学生大石藏造を採用した。
10月20日、藤本少佐と5名の将校は参謀総長杉山元大将の部屋に呼び出だされた。
藤本少佐達は、参謀総長の前に整列し、杉山総長より訓令が手交された。
「貴官らはバンコクに出張し、泰国駐在武官田村大佐のもとにおいて、マレー方面及び蘭領印度方面の工作、特に印度独立連盟及びマレー人・支那人らの反英団体との連絡ならびにその運動の支援に関し田村大佐を補佐すべし」
訓令を読み終わると杉山参謀総長がおもむろに言った。
「本官は大尉の頃、印度に駐在し、またマレーに派遣されたことがある。印度は、多種多様な人種と言語と宗教の織り交ざった国だ。英国は、これらの人種同士が牽制し合うような統治を行い、反英活動ができないような施策を行っている。近く大東亜諸国経済連合構想が発表になる。このことに留意し、日本軍とマレー住民との親善協力を促進する準備を行ってくれ。」
「参謀総長。本官は、本官をはじめとするこの工作機関をフレンドシップ、フリーダム、藤本のイニシャルをとってF機関とすることをご許可ください。」
「うむ。信愛、自由か。いいじゃないか。そうしたまえ。」
10月22日、藤本少佐は、門松大佐の紹介で増淵佐平という60歳に近い紳士と会った。
「藤本君、増淵さんは、マレーとスマトラに20年も過ごしてきて、マレー語も堪能だ。」
「いや、堪能なんてお恥ずかしい。ただ、長く住んでいたので、喋れないと暮らしていけませんから。」
「いや、いや、御謙遜ですな。實用馬來語辭典を出版されている程ですから。」
「ああ、あれは長年マレーに暮らしてきたので、後からマレーに移民される方の便利になればと考えたまでで、日常会話の実用辞典でそんな高等なものではありません。」
日焼けした血色の良い童顔と物腰の柔らかい謙虚な素朴な人柄であった。しかも話してみると若人にも劣らない純な情熱を持っていることが分かった。こうして、若い人たちばかりの藤本たちのグループに南方の事情に明るい、思慮分別のある温厚な紳士が加わった。
飛行機は、ひたすら南下した。身分を隠すため大使館の嘱託員とタイランドホテルのボーイとして任地に赴く藤本たちは、飛行機で背広姿の辻正信参謀と偶然、同乗したが、お互いに見知らぬ他人を装っていた。上海を経由し、台北に向かう途中から、山口中尉が突然腹痛を訴えた。その尋常でない苦しみ方を見て藤本は、盲腸を疑った。
「盲腸炎になったことがあるか。」
「はい。ですが手術はしていません。」と苦しそうな声で答えが帰って来た。
その時、辻参謀が近づいて
「台北に陸軍衛戍病院があるからそこへ彼を連れて行くと良い。」
辻参謀は、操縦席の通信士に無線連絡を頼んでくれた。台北に着くと台湾軍司令部の自動車が待機していて、衛戍病院に山口中尉を運んだ。
切開してみると、もう腐敗していて盲腸が破れかけていた。手術には50分もかかった。あと5・6時間遅ければ死ぬところであったと医師が言った。彼を救えたことを喜ぶ一方で、バンコクに一人欠け、乗り込むことになり、前途を心配する藤本であった。
「少佐申し訳ございません。こんな大事な時に病気になるなんて情けない。」
頻りに申し訳ございませんを連発する山口中尉に対し、藤本はその気持ちを察した。
「あとのことは心配せず養生したまえ。バンコクに君が来た時には君の仕事もきちんと決めておくから、その積りでいてくれ。」
藤本は、そう言うことしかできなかった。
こうして、11月1日、藤本と中井は、バンコクのドムアン飛行場に着いた。税関を通るとき、職員の眼が鋭く自分達をみているように妄想されて藤本は緊張した。
日本は南部仏印に進駐後、タイ国を取り込もうとしていた。いっぽう、米英、重慶政府が、そうはさせじと対抗し、バンコクは、まさに諜報戦が繰り広げられている檜舞台であった。
藤本達は、タイランドホテルに直行した。日本人が経営するホテルで日本人ばかりが宿泊していた。藤本は、顔見知りに会うことを懸念し、自室から一歩も出られなかった。翌朝、自動車を呼んで武官の宿舎に向かった。
田村大佐は、闊達に私を迎え入れてくれた。
「藤本少佐他1名、F機関長として、田村大佐を補佐すべく着任いたしました。」
田村大佐は、私が手交した訓令をじっくり読んだ。
「うむ。よろしく頼むよ。なにしろ南方作戦がいつ始まってもおかしくない。しかし、マレー・蘭印に対しては、なにも工作が具体化していない。8課としては、何等かの形を付けねばならない。」
「はあ~。なにから手をつければよろしいでしょうか。」
「君は私の元でIILとの連絡、田代氏の担任している華僑工作、神本氏の担任しているハリマオ工作の指導、峰山氏の担任している蘭領印度の政治犯動向調査の補佐をしてもらう。しかし諜報に関することは補佐官が直接担任する。差当りは、バンコクの雰囲気になれるように当地の情勢を観察することだ。」
IIL(Indian Independence League)は、国外に住むインド人にイギリス植民地支配からの解放・独立をめざし、1928年にインドの民族主義者によって設立された。この組織は、 東南アジア各地に支部を持っていた。
田代重遠氏は、佐賀県出身で本名を岩田といい、シンガポールに長年居住し華僑の事情に明るく、知人も多い所を見込んで門松中佐が南タイに派遣していた。
ハリマオとは、マレー語で「虎」を意味し、本名を谷豊といって、マレー人3000人の仲間を従える盗賊団の首領であった。この現地の状況を知悉していることと、盗賊団に目を付けた門松中佐が、満州国の警察官で諜報員であった神本利男に日本軍の協力者となるよう工作した。
「近日、IILのブリタム・シン氏、南タイの田代、神本氏、蘭印の峰山氏にも引き合わせよう。しかし、タイ国政府は列国の策謀に神経質になっている。もし、君の動きがばれたら、日本の作戦準備が暴露されるし、タイ国の親日動向を逆転させてしまうなど、とんでもない事態を招くや知れない。防諜には充分注意してくれ。」
「その防諜の件ですが、今のタイランドホテルでは、日本人が多くていつ顔見知りに会うか気が気でありません。安心できる下宿先を見つけていただきませんか。」
「了解した。それから特に用件のある場合のほか武官室にも顔を出さない方がよい。時々大使館に顔を出すだけでよい。」
「はい。ありがとうございます。しかし、自分は謀略とかは初めてですし、語学の方はからきし駄目でして。」
「なあに、問題は情熱だよ。努力だよ。通訳は早々に適任者を捜そう。」
「よろしくお願いします。」
大佐は、東京に待機中の土持、中宮、米村、瀬川、滝村らと増淵氏の入国手続きについても引き受けてくれた。
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もうじき見回りの時間ですから今日はここまでとしましょう。
続きはまた、明日、お話しすます。




