第16夜 ゾルゲ事件記者会見
「今晩は、東條閣下、ご機嫌はいかがでしょうか。」
「今日は、もう眠い。」
「そうですか。もう眠くなりましたか?では、お話は明日でも構いませんよ。」
「いや、黄泉がえりの話を聞いてくれ。」
「そうですか。待っていただいたのですか。では、お話をお聞きしましょう。」
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11月6日、内務省発表の新聞報道が出た。
「国際諜報団発覚!」
「コミンテルンの命に動く!」
「中心人物5人近く起訴へ!」
「日支全面戦争誘導か!」
「蘇聯に侵攻せず!漏洩」
「恐るべき謀略、コミンテルンの砕氷理論判明!」
「対英米戦画し、中国に蘇聯傀儡政権樹立画策!」
これらの見出しが紙面を飾り、5人の名前と経歴が掲載された。
リヒャルト・ゾルゲ=ソ連のスパイで、ドイツナチ党員の経歴、駐日ドイツ大使館情報員となり、対日、
対独の諜報の首謀者
マックス・クラウゼン=ソ連の赤軍参謀本部情報局のスパイ、ドイツ人の無線技士。ブランコ・ド・ヴーケリッチ=クロアチア出身のユーゴスラビア人のスパイ。
尾崎秀実=共産主義者、元朝日新聞社記者、内閣嘱託、満鉄調査部嘱託職員を務める。日本側の首謀者。
宮城与徳=洋画家、アメリカ共産党員、ソ連のスパイ。
この司法省発表は、日本を文字通り震撼させた。
私は、同日、外国人記者も含めた記者会見の冒頭、特別談話を発表した。記者会見の模様をラジオで放送するのだ。総理大臣が記者会見をラジオ放送を行うのは初めてである。もちろん映画撮影も行う。
「我が帝国は、現在、支那における聖戦を完遂しつつあるところ、この度の諜報団事件により、国家機密を漏出せらることは、誠に遺憾であり、政府は、諜報団を指揮したソ連邦を厳しく非難するとともに、聖戦に支障なきよう万全の対策を講じるよう防諜関係機関並びに陸海軍大臣に指示したところであるので、国民においては、徒に騒ぐことなく皇国の臣民たることを自覚し、行動していただきたい。」
私は、ここで一息付き、思い切って一気に喋った。
「なお、近衛文麿無任所大臣から国家機密漏洩の責任をとるとのことで辞職届がだされました。また、あらゆる公職を辞退するとの申し出がありました。」
記者席がざわついた。そこへ司会者が司会進行の挨拶をした。
「総理大臣に質問される方は、挙手をして、社名と記者名を名乗ってからご質問ください。それでは、どうぞ。」
こういう形式の記者会見を総理大臣が行うのは、これが初めてだったが、国民世論を変えさせるにはどうしても必要だった。
「フランクフルター・ツァイトゥングのフランツ・シフです。司法省発表によれば、ゾルゲは、ソ連のスパイということですが、ドイツ人でしょうか。」
「フランクフルター・ツァイトゥングの記者さんであれば、彼が御社の記者であり、ナチ党員であり、大使館情報官であることはご存知ですね。リヒャルト・ゾルゲは、ロシア生まれ、母方がロシア人の間違いなくドイツ人です。」
「再度質問します。彼のスパイの経歴はお答えできますか。」
私は、後ろを振り返えった。警視総監留岡幸男が首を縦に振った。
「彼は、大正8年ドイツ共産党創設以来の共産党員です。昭和4年にソ連共産党に加入し、軍事諜報部門である労農赤軍参謀本部第4局に配属されたと証言しています。その後、昭和5年にフランクフルター・ツァイトゥングの上海特派員として支那に渡り、半年で支那全土に諜報網を作り上げ、スメドレーとも知り合い、そのつながりで尾崎秀美と知り合った。昭和8年からは日本に移り、尾崎秀美らを配下にスパイ活動をしていた。」
「彼がスパイだという明確な証拠があったのですか。」
「配下のマックス・クラウゼンの自宅から無線機と暗号表が発見されています。」
「AP通信のアーサー・スネールです。尾崎秀美は、近衛前総理からどのような情報を得たのでしょうか。お答えできる範囲で構いません。」
「お答えできることが少ないのですが、国策要領と日本の工業生産量とだけお答えします。ソ連政府から記者さんのお国のアメリカに情報が流れているかも知れないです。」
「ロイター通信のジャック・ロンドンです。尾崎秀美が近衛前総理に与えた影響をお答えください。」
「一つは、近衛声明です。『国民政府を対手とせず。』あれです。あれで、蒋介石政権と和平交渉ができず、全面戦争になりました。尾崎は、近衛閣下に蒋介石は、一軍閥であり、地方政権だから、彼との和平交渉は、全面解決にならないと言ったそうです。もう一つは、政党解散と体制翼賛会の設立です。近衛閣下は、予てから総力戦を戦うには、国民精神運動を起さねばならないと考えおられました。そこで、ナチ党と同じように一党独裁体制を作るように勧めたのです。これらを通じて、近衛閣下の信頼を得て、国家機密にも関与できるようになったものです。」
「内務大臣の会見は、以上です。」
司法省発表と私の記者会見により、日本の世論は、騒然となった。
『共産党員を撲滅しろ。』
『我々の敵は亜米利加ではない蘇聯だ。』
『蘇聯を撃つべし。』
こういった論調が、紙面を飾り、右翼のみならず、新聞に寄せられる反ソの国民の声が高まり、狸穴坂のソ連大使館に民衆デモ隊自然発生した。また、尾崎を雇った朝日新聞には抗議の電話が鳴りっぱなしになったそうだ。一方、警察方面には表だった批判はさすがになかったが、『警察くたばれ』『特高の給料泥棒』などの落書きが便所や駅の壁に書かれたと報告を受けた。勿論、放っておけと指示した。
世論は、急速に反米英から反ソに変わっていった。そして、支那友好の機運が高まった。
新聞発表の同日、事前に通知された全国の警察、特高、憲兵は、一斉に共産党狩りを開始した。特にバッシングされた特高の連中は、それこそ死にもの狂いで、検挙をおこなった。スパイを使って内偵していた嫌疑不十分の者や泳がせていた連中、シンパを一斉検挙し、拷問であることないことを白状させて、連絡員などの下っ端も逮捕させた。
これにより、共産党員とそのシンパ405名が検挙された。なかでも、満州で12名の共産党のスパイが検挙されたのには私も驚いた。
日本共産党は、過去何回もの弾圧にあい、昭和13年に労農派に対して治安維持法が適用され、930人が検挙された人民戦線事件により、党組織はすでに壊滅状態でしたが、この一連の検挙により、事実上、消滅した。
このゾルゲ事件の影響は、直ちに出た。ソ連は、直ちに日本の謀略であるとの声明を出した。ドイツでは、衝撃をもって、ナチ党員で、大使館外交員がソ連のスパイだったことが伝えられた。これにより、国民の間に反ソ連の感情が湧きあがり、モスクワを落とせとの世論が高まった。
中国では表立った反応はなかったが、蒋介石は、抗日戦が終結した時点で、直ちに中国共産党との闘争を始める決意を固くしたと思う。
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もうじき見回りの時間ですから今日はここまでとしましょう。続きはまた、明日、お話しします。
当時の日本共産党は、ソ連共産党の出先機関みたいなものだった。日本共産党議長だった野坂参三は、かつてソ連のスパイだったことが判明している。




