凍土の樹
~あらすじ~
クロエに支えられ歩む王太郎は、天然の寒さと魔力の瘴気に命を削る。
思考が混濁し苦痛が蝕む中、王太郎は覚悟を反芻しその名を想起する。止められない脚で辿り着いた場所に聳える樹の元で、王太郎とクロエは最後の出会いをする。
北極に近い大陸の端まで歩いた。冷え込む空気は吸い込むと気道が凍る。吐き出す吐息は白く漂い気中に溶けてなくなる。
しかし寒さなどは大した問題ではなかった。着込めば耐え得る寒さではなく、防ぎようのない魔力の濃度が全身から内へ浸透する。通常の十倍を越える濃密な魔力が空気に含まれ、まともな生物はおろか、魔獣の一匹も存在しない。
命を拒絶する極寒と毒素の大地。
俺は更に北を目指して歩く。
目指して何があるんだっけ?
忘れた?
違う、忘れるはずもない。忘れられるはずがない。
俺は行くんだ。仲間に託した戦場があれば、俺には託された戦場がある。
歩け、北へ、一心に、辛くとも。
身を焼く昂る血脈も、掻き混ぜられるような肉の悲鳴も、思考を拒む脳も、倦怠感に包まれた肉体も……。
全ては の為に――――。
誰のために?
王太郎は何を。
誰はどうして――――。
「――――ぅ? 王太郎? 王太郎!?」
「っ!
……クロエ……か?」
「えぇそうよ。歩きっぱなしで疲れてない? 体調は大丈夫?」
そう言ってクロエは俺の顔を覗き込む。小さな手で俺を支えながら歩調を合わせてくれていたのだろう。額には尋常でない汗が流れている。
俺はいつから呆けていたのだろうか。
きつく平手を頬に打ち、気付け直す。気合いを入れて大きく脚を踏み出した。
「大丈夫だ。さぁ行こう」
「ちょっ! 止まっ!」
「っ!?」
突然脚が縺れた。踏み出した右足と左足が不調和を起こして勢いよく前に倒れる。クロエの支えがなくなり白む大地に身を打ち付ける。
「ぐっ……、ぐぁァァaaaAAA!!」
意識が飛ぶ。思考が止まる。視界が淀む。言葉を失い本能が雄叫びを上げる。
内側から張り裂けるような痛みが血潮に乗って全身を駆け巡る。臓物を吐き出すような嘔吐感と細胞が細切れになる不快感。
俺は、王太郎は、誰は、オレハ、オハレ、ハレオ、おレレ、オハレオハレオハれおハレオはレオハレおハレオハはオハレレレレレ。
ふっと風が吹いたような心地が走る。開いた瞳にはクロエの白髪が靡いて輝く。
「しっかりして王太郎! 私から離れないで!」
「……す、すまない」
一瞬の混濁で黄泉の先を見た。死ぬことも許されない魔獣の意識は底なし沼だ。脚を掴まれると逃れられない。苦悶を漏らす間もなく持っていかれる。
ただ脚を踏み入れるだけで蝕む魔力の障気に俺が耐えられるのは、クロエの手を取っている間だけだ。俺の“相殺”の魔術で濃密な魔力の干渉を緩和し、枯渇する魔力と意識を蝕む毒を“塑逆”でリセットする。
そんな力業を何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も――――、繰り返して何刻経ったのだろうか。とりあえず途方もなく歩き続きた。
思考に耽ると持っていかれる。しかし変化もなく永遠と錯覚する静寂な行脚は拷問だ。
クロエも同じ気持ちだったのか、俺のことを気遣ったのか、その小さな腕で俺を支えながら気丈に声をかける。
「何かお話しましょう。こんなときだからこそ、「将来何になりたいか?」とか未来の話をするべきよ。えぇ素敵だわ」
クロエは明るい表情で俺の返答を待つ。俺も何かと考えるが、その思考でどつぼにはまる。気の利いたことなど考えるな。俺は思うがままに浮かぶ言葉を口にする。
「俺は、将来なんてまだ分からないな。正直今がしんどすぎて、考えられない」
「あ、そう……」
しまった。この答えは駄目だったか。
クロエは曇った表情で俯いた。すぐに元気を絞り出すして微笑みを向けてくれるも、瞳は陰鬱に染まっている。
早く、何かフォローを。Q&Aになってなくたっていい。俺が思うものを言葉にしろ。
「ただ、皆といれたら、いいな。
昴と七海と恵梨香と二騎先生と零とクロエと……。もちろんオルガもアイーダとも、ブレアも誰も欠けていない未来がいいな」
誰も。そう誰も。
何か、足りない。
誰かが、いない。
深く深く、思考の海に顔を埋める。
苦しい。呼吸ができない。もがく。止めよう。考えるな、身体を再び蝕む魔力の混泥に総毛立つ。
何も考えるな。ただ歩き続けろ。今もこれからも歩き続けるだけでいい。
――――なぜ?
――――歩く理由は?
――――「諦めない」
そうだ。俺は諦めない。
その快活な声は春も夏も秋も冬も、俺の常に傍にいた、懐かしい声。名を呼ばれると鼓動が跳ね上がる。不思議と息苦しく心地よい。
駆ける彼女の汗は輝き、揺れる茶髪を追いかけた昔日。近頃は脚は俺の方が早かったけな。しかし負けず嫌いの彼女は、俺よりもめっぽうタフだった。
俺を小突く拳は小さかった。だがその細腕に似合わぬ衝撃は冗談でも痛い。健勝な脚で蹴られると堪らず叫ぶ。小さな頃から粗暴で男勝りだったが、誰よりも優しく繊細だった。
誰だ?
彼女の名は。
ぐるぐると堂々巡りの思い出は線となるも形として纏まらない。
思い出せ! とっても大事なことなんだ!
「……なぁ、クロエ」
突然名前を呼ばれたクロエは、俺にも伝わる動きで飛び跳ねた。眼を丸くしながら不安そうな顔で返事をする。
「どうしたの王太郎?」
「俺は『諦めない』んだよな?」
「……! ……えぇ、そうよ。あなたは『絶対に諦めない』」
「そうか」
無駄な荷が降りた気がした。俺を押し潰すような気負いはなく、自然と歩調は軽やかになる。
俺はクロエに、自分の魂に誓った。
俺が「諦めない」と言ったのなら、俺は「諦めない」。
それから機嫌をよくしたクロエと、とりとめのない会話を交わした。
これからのこと。これまでのこと。
面白可笑しく、ときには熱く。言い残すことのないように。
「――――着いたわ」
クロエの静謐な声音には警戒心と覚悟の色が含まれていた。
俺もそれを目の前にして笑みが消えた。
暁から約半日歩き続け、俺の身体には黒い痣が蔓延している。始めは斑点だった斑も、今や肌色よりも面積を広げていた。黒い肌の焼かれるような痛みにもいい加減慣れた。喰い縛っていた奥歯も笑いとともに朗らかに解れる。
今一度喰い縛る口角は、我ながら弱々しく頼りない。
「これを……、俺の魔術で折ればいいんだな?」
「えぇ、それで正真正銘の“終わり”よ」
「……そうか」
俺は拳を固める。クロエの支えに身を委ね、今はありったけを右拳に込めた。
俺が白雪積もる凍土の魔力が満ちる場所まで来たのは、これのため。
形は何であれ、きっとここにある。無形の魔力を生み出す“ホール”が有形となった存在。それは大樹としての形を得ていた。
“魔力の樹”は梢を揺らし魔力漏らす。圧倒的な濃度の魔力と異常な存在感を放つ。
樹へまた一歩近付いたのならば、比にならない苦悶が全身を襲う。この樹の周囲はこれまでの道程の更に倍はあろう魔力が毒素となって振り撒かれている。
この樹が、この世界の始まり。“ホール”の正体。
「こいつを折れば、ぶっ壊せばいいんだな?」
「そうよ。それは王太郎の魔術でしかできない。君が“相殺”して、この世界を壊す……!」
そして俺たちはまた一歩踏み出した。飛び跳ねる魔力量が脳を揺らすが踏ん張って耐える。早くなる鼓動と不調をクロエの魔術で誤魔化す。
すると俺を支えるクロエの手に力が入った。
「気を付けて王太郎。……やっぱり居るわよね」
その視線の先の幹から現れた魔獣。
「Ooohhuaaa……」
黒色の肢体に純銀のドレススカートを着込む“鉄処女の魔獣”は、静寂な呼吸で静態する。
「…………迎えに来たぞ、紗耶――――っ!」
この場で向かい合うことは分かっていた。正面からその紅の獣の眼と向かい合い、霞がかった名が晴れ渡り口を突く。
“鉄処女の魔獣”は俺の言葉を理解しているのかは不明だが、獰猛な呻き声で返答する。
「uuU……。Tarrr」
(まさか、理性を残している? ……貴女はまだ生きている……っ!?)
二人のちぐはぐな会話を見たクロエは、その可能性について思考を始める。




