原初(オリジン)
~あらすじ~
人類と魔獣の最終決戦は、二騎たちの隊とは別の地でも行われていた。
北へ向かう王太郎たちを阻む魔力の大地。そして現れた“原初”。遂に始まった“最強の魔獣”と“最強の人類”の決戦は、天変地異に匹敵する大一番で加速する。
煌炎が“原初”を包むとき、その姿は人智を越える――――。
――――そろそろ開戦した頃だろうか。
顔を出した朝の陽光を頬に受け、俺は遠方で魔獣の群れを迎え撃つ分隊に思いを馳せていた。激戦は免れない戦場に不安が募るが、今は自分のことに集中しなければならない。
「大丈夫かい、王太郎くん?」
「あ、はい。ありがとうございます……」
俺はブレアの肩を借りてふらふらと歩いていた。同じくらいの背丈のブレアは悠々と俺を抱え、片手には粉砕したため鞘のない長剣を携える。
俺たち四人が脚を踏み入れたのは草も生えぬ永久凍土の大地。吹き荒む風も肌から熱を奪い、身体の芯から冷え込む。
何よりも俺の体力を奪うのは、人智を越えた膨大な魔力源“ホール”に近いが故の、空気中の濃密な魔力。この魔力が身体の中を駆け巡り、血が熱を帯びて昂っている。内側から焼かれる痛みと脳を鷲掴みにされたような意識の混濁、途切れることのない嗚咽感が一層気持ちを不快にする。
徐々に“ホール”に近付くにつれ濃くなる大気中の魔力量は、現時点で通常の八倍に上るそうな。
同行している零とブレア、クロエの三人も快調という様子ではなく、蒼白な顔色をしながらも歩は真っ直ぐだ。魔王としての経験値と魔力操作のセンスの差を、今になって実感している。
ブレアとクロエは俺の様子に気を配りながら、三メートル前方を行く零は周囲の警戒をしている。
「王太郎、私の手を取って……」
「すまないクロエ」
俺はクロエの手から伝わる“塑逆”の魔術でその場しのぎの回復をする。その瞬間は頭にかかる靄が晴れ身体が軽くなる。しかし一〇〇メートルも進まぬ内に再びグロッキーになり、ブレアの肩を借りた。
「すいません。足手まといになってますよね」
「構わないよ。君は無理をしてでも必要だからね。
それに“相殺”の魔術を持っているからこそ、この場で意識を保てているんだ。中々大したものだ」
「そう言ってもらえると、助かります」
ブレアに励まされながら不甲斐なく歩き続けていると、先行していた零が脚を止めた。
その眼差しに宿る真剣な光の先を、ブレアは無言で見据えた。
「クロエ、王太郎くんを頼む」
「……、分かったわ」
俺はブレアの肩から手を下し、横からクロエに支えられてやっと自立した。視界は白み覚束無い脚に鞭を打ち、精一杯のポーカーフェイスでブレアを送り出す。
「よう。また会えたな」
仁王立ちをする零が強気か言葉を放つ。
俺たちの行く手を阻んだ敵は、四人の表情を逡巡した後嘲るように口を開く。
「よもや魔王以外の人間がいるとは。社会見学のつもりかね?」
「まー、そんなところだ。俺の自叙伝を作るとき、目撃者が必要だろ?」
「あの世で語る武勇伝の証人の間違いであろう?」
“原初”と呼ばれる人型の魔獣は、零と対峙し煽るような言葉を交わす。
“原初”は何者にも化けることなく、恐らく素の容姿で立ち塞がった。
全身を光を呑み込むほどの黒い皮膚で覆い、四肢には尋常ならざる隆起をした筋肉を纏う。額には鬼のような双角が生え、まともな生態系の生物でないことは容易に伺えた。紅の双眸で四人を視界に納め、隙のない立ち姿は威厳と貫禄と畏怖に満ちている。
そんな“原初”に相対する零も臆する様子はない。身体の不調など微塵も匂わせない自信に満ちた顔付きは、いつにも増して唯我独尊な魔王のの顔をしている。
そしてブレアは覚悟を持って零と肩を並べた。逆手に持った長剣を順手に構え、光を放つ切っ先と眼光が“原初”を捉える。
過去に囚われた男が過去を断ち切り、贖罪の闘志を燃やしていた。
“原初”は自らに歯向かうブレアを見ると、不遜にも高らかな哄笑を上げた。
「フハハハ!
ブレア、君は私と戦えるのか? 逃げるのなら仲間の脚を引っ張らないようにしないとなぁ!」
「笑っていられるのも今の内だ。僕は貴様を“師”として見ることは二度とない」
「その覚悟を十年前に決めていれば違う未来に至っていただろうに。
……本当に憐れな男だよ」
嘲笑う語調から一転、“原初”は憐憫と怒気の入り交じった声で凄む。その声音は圧倒的な存在感を凝縮した刃となり心臓を撫でた。
冷たい空気が冷やす寒気とは違う、気色の悪い悪寒が俺の全身を駆け巡る。俺はよろめく脚をクロエに支えられ、精一杯の負けん気で“原初”を睨み返す。
ブレアはより強く長剣の柄を握り締め、刀身に熱量を蓄え始める。
「『十年前に敗れていた方がよかった』と言わせて見せよう。貴様に飼い殺されていた僕の“憤怒”で、燃やし尽くしてくれる」
その切っ先は“原初”の喉元へ向けられている。
“原初”はブレアの宣戦布告を笑って受け止めた。その笑いは嘲りではなく、「絶対に敗けない」という自負に満ちた無慈悲な笑み。すなわち絶命と絶滅を確信した勝利宣言。
「えらく余裕そうだが、“鉄処女の魔獣”の姿が見当たらねーぞ。フラれたか?」
「私一人で足りるということだ。自惚れてくれるなよ」
その返答に零は唾を吐いた。
「小言抜かしやがって……、んな訳ねーだろ。
やっぱタイムリミットがある分、そう言う作戦で来るよな」
隣にいたブレアでさえ聞き取れぬほどの小声で吐き捨てた零は、首だけで俺たちに振り返る。そして焦りのような怒りのような叫びで呼び掛ける。
「クロエ! 今すぐ王太郎と先へ向かえ! こいつに足止めされたらタイムオーバー。俺らの敗けだ」
「う、うん!」
「おう!」
俺とクロエは零に言われるままに先へ歩を進める。零とブレア、“原初”が立ち会う横を通る間、“原初”は阻止する素振りも見せずに素通りすることができた。
「素通りでいいのか? 余裕こいてんじゃねーぞ」
「手を出したら止めに入るだろう? 有象無象のために、君たちに背を向ける方がリスキーだ。
それに、“彼女”を相手にするには粗末な役者だ。心配など皆無」
「へーへーそうかい、ご立派な矜持だこった」
「貴様は自分の心配で精一杯か?」
零とブレアの巧みな挑発にも、“原初”は顔色を変えない。
この二人と一体が測るのは「絶好のタイミング」。先制を取るために呼吸を整え、渾身の一撃のために腰を落とした。
一触即発の睨み合いの間隙に、冷たい一陣の風が靡く。
開戦は突如、
零が発破をかけた。
凍土の荒れた土を巻き上げ、砂塵を切り裂く疾走で“原初”の懐に飛び込んだ。
「死ねこらぁ!」
疾走の勢いと全身の回転で繰り出された拳は、下から“原初”の鳩尾を抉るようにかち上げた。
“原初”は想定通りの零の先制に回避はせず、全身を原子レベルで再構築した。“原初”の全身はもはや生物の肉ではなく、大地に連なる連峰に近い質量と頑強さで迎え撃つ。
「フンッ!!」
もろに受けた零の一撃はそれでも重厚だった。
それもそのはず。人間に取っては“死”そのものに近い環境であっても、零は魔王。かつて“魔獣化”という試練を克服したものにとって、この環境は既知の戦場である。
ならば成す術は承知している。鉛のような身体も高熱の血潮も、全身の魔力をフル回転させることでエネルギーへと転換する。常人ならその魔力量と圧で“死”または“化ける”、魔王ならば“強くなる”。
「まだまだぁ!」
零端好調を越えた絶好調の肢体で拳を振り回す。腰の回転と膂力で高速の連打を、山河に匹敵する“原初”の腹部に叩き込んだ。
“原初”は脚を根のように大地に突き立て、歯を食い縛り正面から受け止める。しかし徐々に砕ける身体に舌打ちをした。
(まさか、人の身で山を削るまでの進化をしたいたか……!?)
“原初”の中で黄色信号が灯る。目の前の“魔王の双璧”に対する認識を改めると、踏ん張りを効かせていた脚で後方に跳んだ。
「我慢比べは俺の勝ちだな」
零は勝ち誇ったように口角を吊り上げる。しかし超質量へ打ち込み続けた両拳は砕け、生々しく血潮が滴り落ちている。
「小僧が……、舐めるなよ」
“原初”が痛みではなく怒りで顔を歪めた。その変化に零は胸がすく。
退去した“原初”だが、すぐに体勢を整え両足で地を蹴る。超質量の鎧を組み換え、そのエネルギーを籠手に変換し両腕に纏う。
籠手の形は打突に適したバンテージの右腕と、斬に徹した凶刃の左腕。近接戦に特化した反撃の装備で零に接近する。
「次はこちらのターンだ。受けるなり避けるなり、容易く死んでくれるな――――」
「ハァッ!!」
ブレアが剣を振るった。
零ごと呑み込む炎熱の顎は凍土を蒸発させながら前進する。超常の炎熱は北の大地を捲れ上げ、膨張する大気が爆音を上げた。
「ナニッ!?」
“原初”は思わず声を上げる。
ブレアがよもや仲間ごと滅する攻撃など想定外だった。ブレアとはどこまでも愚直で誠実な男だという認識が、ブレアをよく知る“原初”だからこそ、認識の間隙を突かれた。
――――無闇な跳躍を行い身体は浮いている。回避は不可能。ならば防御だ。
不覚は取られた“原初”だが、その分切り替えも迅速だった。全身を組み換え不足すらも補い、あらゆる熱に耐えうるシェルターそのものへ変化する。
ブレアは初めから最初の一手はこれだと決めていた。
自分の迷いも過去も後悔も失敗も――――。
その全てを燃やしていたくれよう。
なに、零の心配などしていない。
ブレアの思惑通り、零は背中に胎動する熱を感じた時点で跳躍していた。零の速度を持ってすれば、予測済みであれば回避は難しくない。
猛り狂う煌炎は“原初”の呑み込む爆散した。
爆風が地形を変え、流星のように炎が降り注ぐ。地獄の釜を開けたような絶滅の火が、たった一つの生命を燃やし尽くす。
「……………………」
「…………………………………………」
攻防を終え、凄惨なる炎の行方を見守る二人に会話はない。
この二人は知っている。
相手は“原初の魔獣”。
“人類の仇敵”
“最大の難敵”
――――――――。
その二つ名の枚挙に暇がない魔獣。
二人の間に言葉はなくとも、同じ確信を得ていた。
――――まだだ!
勢いの衰えない炎の中に佇む影。生物の常識を越えた生物の咆哮が、盛る炎を吹き消した。
「調子に乗るなよ人間……!」
隠す素振りもない怒りと殺意。躊躇いのない鬼気迫る形相に、二人は身構えた。
二人が眼にしたのは幻想の獣。魔獣自体も幻想の獣と言えばそうなのだが、十年前に未知ではなくなった。
眼前で嘶きを上げ蹄を鳴らす獣は腕を掲げる。馬の肢体に発達した上腕、双掌には刃、狼の牙と鬼の角を怪しく光らせた獣は通称を持たない合成獣。
“原初”に正しい形などないのだと、二人は認識を改める。
そして同時に未知の生物の動向から眼が離せないでいた。
「君たちは私の扱う魔術を勘違いしているようだ。私の魔術は“進化”。細胞から原子の全てを組み換え“人”や“獣”、“物体”の枠を容易く超越する者。
例えそれが概念として存在しなくとも、私は成って見せよう」
“原初”は呻きの中で矜持を捨てた。
包まれた炎は“原初”にとって脅威ではない。完全耐火耐熱を備えた“原初”にとっては、バースデーケーキに灯る炎と大差ない。
もちろん炎だけではない。あらゆる寒暑、冷熱、鋭鈍、打突斬絞etc……。全てが無駄。
絶対防御を見せ付けてなお驕りはない。
数瞬の攻防で驕りは捨てた。彼らは間違いなく“進化”している。
勝者の余裕? 強者の驕り? そんなものは勝ってから示せばいい。
“原初”には、“原初”という個体を越えた願いがあった。
“嫉妬”、“強欲”、“傲慢”、“暴食”、“色欲”、“怠惰”、“憤怒”――――、
そしてまた“嫉妬”、――――。
全てが私に帰するそのときまで、私は“罪”の総てを理性を持って支配しよう。
“罪”とは裁く者がいて語られる。
私が総てを裁くとき、この世から“罪”は消え去る。
私が“罪”を認めない。
だからこそ、本能が欲する原始の世界が広がる。
この地球の在るべき姿へ。
汚れは祓われる。
これは天命。私に聴こえた地球の悲鳴。
人間は決して赦さぬ。
生物は決して認めぬ。
生きるのならば進化しよう、ならば生かしておけぬ。
あらゆる生を淘汰し、私が唯一無二の永遠の久遠ノ無窮ノ絶対ノ支配者ト成ル。
“進化”ハ我二ノミ在レバ良イ――――。
『サァ、絶滅セヨ生命』
風格が、威厳が、凄みが、圧力が変わった。
そこに在るだけで示す存在感は、最強の魔王ですら圧倒する。
幾年ぶりか背筋をなぞる悪寒ににやけが止まらない零は、人生で最も静謐な声音を漏らす。
「不承不承だが、てめーに俺の背中預けてやる」
「奇遇だな。僕も君のことは未だ大嫌いで名も呼びたくはないが、背に腹は変えられない。
しくじるなよレイ……ッ!」
筋骨逞しい“原初”の蹄が大地を蹴った。捲し立てる啼音は天高く木霊しペースを上げる。尋常ならざる脚力は滑らかに大地を滑り、聞き惚れるほどに心地よく心臓を掴む。
「行くぞ、レイ!!」
「命令すんじゃねークソブレア!!」
最強の二人が全霊放つ爆炎と迅雷は、悉く蹂躙された――――。




