フィクションが
~あらすじ~
紗耶を失い絶望の淵に立った王太郎は深い眠りに落ちた。眠りの中で見る夢は不思議にも、あの少女との再開の契機となる。
夢の中で語られる真実、そして王太郎の思いとは……。
「君は……、間違いない。あの時の!?」
やっと出た俺の声は上擦っていた。それほどに意外な出会いだったのだ。
『えぇそうよ。あなたが身を呈して庇ってくれたの覚えてるみたいね』
クロエは丁寧に過去を掘り返しながら懐かしむように微笑んだ。
『半年以上も前の出来事なのに、案外しっかり覚えているものね』
「そりゃそうさ。目が覚めても誰も知らぬ存ぜずだったから心配していたんだ。……でもクロエはどうして」
そこでふと我に帰る。
”クロエはどうしてこんなところに?“
――――まずここはどこなのだろうか?
周囲にはとりあえず見える範囲に壁はない。見えるといっても白く薄い光のもやがかかり視界は不明瞭だ。自分の身体も二本の脚で立ってはいるものの、どこか覚束なく感じ浮遊感があるようにも思われる。
恐らく夢の中ということまでは察しがつくが、そう結論付けてしまうと疑問が発生するというのも事実だ。
『ここはあなたの精神世界のような場所よ』
するとクロエはまるで俺の心を覗いたように、的確な返答をした。
「……」
『”心を覗いた“という表現のままよ。ここはあなたの”精神のような場所“なのだから、それはすなわち”心の中“とも言い換えられるわ』
「つまり喋らなくても意志疎通は出来る、と?」
なんて便利なんだ。今はこのふわふわした感覚に酔いそうだからとても助かる。
『といっても、ここは”精神のよう“であり、”心の中のような“場所なの』
……つまりどういうことだ? 今は頭の回転もさほど早くはないのでとんちは少しキツい。
『そんなにむずかしいことではないわ。有り体に言うなら”魂“と表現するのが無難ね。もっと学術的に言うならその辺りの教授はできるけど……』
「いや、止めてくれ。”魂“ってので何となく掴んだからこれ以上掻き乱すのは……」
『あらそう? 残念』
クロエは楽しそうに微笑んだ。俺は全く穏やかじゃないのだが。
そしてやっと元の疑問点に帰ってきた。
俺の魂にクロエがいる理由がまるで分からない。
心の言葉が聞こえたようで、俺に説明をすべくクロエはその透き通るような長い白髪を指先で弄びながら言葉を選ぶ。
『このことを説明するとなると時系列に沿った方がいいのだけれど……』
躊躇いがちな語調には、恐らく説明が長くなるという異図が含まれているのだろう。
「時系列に沿うってことは俺の時系列なのか? それともクロエの」
『その両方、というべきかしらね』
そしてクロエは本格的に口火を切る。
『そもそも私は、あなたと初めて出会ったときからここにいるの』
「待て待て待て待て。”出会ったとき“というと、あの魔獣に襲われた……」
えぇ。クロエは素早く答えた。
『色々と気になるだろうけれど、私の事情はさておき、でいいかしら?』
腑に落ちないことだらけで悶々とはするものの、一度話の続きを聞いてみるとしよう。
『ありがと。
あなたが魔獣に襲われたとき、確かに身体を切り裂かれたのは覚えているよね?』
「もちろん。あのときは超痛かったし出血もひどかったけど、目覚めているとなかったように元通りだったんだ。傷痕一つありはしなかった」
そう言って俺は、あるはずだった傷痕を指でなぞる。
『それはね、私の魔術で治したからなの』
「……? ということは、クロエはあの場にいた、ってことになるけど」
『まぁそうなるね』
となると、零の言ったことに食い違いが起こる。零は確かに「あの場には他に誰もいなかった」と言った。
『私はその場にいながら、いなかったんだよ』
「???」
『あのとき私はあなたの魂にいたの、内側から私の魔術で時間を戻したの』
「――――時間を、戻した!?」
確かにそれなら説明がつく。今まで比喩で言っていた”巻き戻った“という言葉の通りであったのだ。
「もし”時間を巻き戻す魔術“ってのがあったなら……」
そんなことが本当に出来るのなら、まだ希望があるってことになる。
『確かに私の”遡行“は一見するとありとあらゆる可能性を持つ魔術。だけどその一方で、ありとあらゆる可能性を否定する魔術でもあるのよ』
「――――」
クロエの含みを持たせた言い方に俺は思わず押し黙ってしまう。
『ちょうどいいわ。私の魔術のことを置いて話は出来ないし、本筋と絡ませながら教えてあげる』
すると一転、先ほどの暗い声音から明るいトーンに切り替わった。
俺は口を閉ざしたまま首肯し続きを促す。
『それ以来私はあなたのことを内側から観察し、時には力を貸してきたわ。思い当たる節はあるでしょ?』
「クロエの手助けを受けたとき、か……。今までの話から察するに、俺が負った負傷が治ってたことか!」
『半分正解ね。確かに傷の手当てもあるけれど、あなたが私から受けている恩恵で一番大きいのは他よ』
「他…………?」
クロエはしばらく回答を待っていたが、あまりの遅さに諦めたように解答を示す。
『その答えは”魔力“よ』
「魔力……? っあぁ!!」
そしてやっと合点がいった。今まで俺の魔力が尽きたと思われたとき、毎度魔力が沸き上がる不思議な感覚があった。
『そう。あれは私が魂からあなたの魔力系統に完勝してその時間を戻すっていう、魔力消費の激しい”相殺“を活かすための力業なの』
クロエは誇らしげに語った。
しかしなるほど。これで今までの不思議な現象にも説明がついた。
「ん? もしかしてその度に俺の髪が真っ白くなっていたのは……」
そしてクロエに私選を送ると、なぜが目を逸らされた。そういうことか。
『別にわざとじゃなかったのよ。……それに言ったでしょ、”力業“って』
「その言い方だと何かまずいことがあったように聞こえるんですが……?」
『そうよ。時間っていうのは一本の軸の上に成り立ち、刻々と変化しているものなの。当たり前だけれど一度とて同じ時間は来ないのよ』
クロエはいつにもなく険しい表現で時間の概念を説明した。
『あなたの内側から時を巻き戻して干渉するということは、あなた自身は周囲の時間よりも”前“の状態であるということ』
「すると、何が起こるんだ?」
『”不和“』
「”フワッ“?」
クロエが物凄い剣幕で睨んできた。
『”不和“よ!』
「ごめんなさいぃ!」
『……まぁいいわ』
いいのかよ。今結構な怒声でしたよ?
『話を進めてもいい?』
「……はい」
そっか心の声聞こえてるんだった。何これ不便。
『魔術”遡行“であなたの身体および魔力の時間を巻き戻したとして、例えば私が精細を欠いて全てを戻しきれなかったらどうなると思う?』
「どうなるっていうのは……?」
『なら問題。あなたの身体の時間を5分戻したとして、でも私がミスして右の手の人差し指が第一間接だけをうっかり戻し損ねたらどうなると思う?』
「細かい問題だな……。そうだな、俺の人差し指がすこーしだけ年老いていくとか?」
『不正解よ』
そしてクロエはブッブーと憎たらしく効果音を鳴らす。
「じゃあ答えはなんなんだよ」
俺は年甲斐もなくムッとして聞き返した。
『答えは”人差し指の崩壊“、最悪は”死“よ』
「え…………?」
その解答の辛辣さに思わず言葉を失う。
「どういうことだよ?」
『言ったでしょ。”時間は一本の軸の上で成り立っている“そして、”同じ時間は来ない“』
「あぁ、確かに」
これはついさっきクロエが言った言葉だ。俺の記憶にも新しい。でもそれがどうして先ほどの答えに繋がるのかは分からない。
『この場合は、あなたの身体が”時間の軸“になるのは分かるよね』
「うん。俺の身体の時間が巻き戻る訳だからな」
『よろしい。その”軸“の上にたった5分とはいえ時間の差が生まれると、時間という”概念“の修正機能が働くの』
「……それが最悪死ぬってことに繋がるのかよ?」
『えぇそうよ。5分前の身体は同じ軸の上を進むけど、もちろんすでにある現在の指先も同じペースで進むのよ。”あなたの身体“という軸の上で小さいながらもタイム・パラドックスが生まれるわ』
「タイム・パラドックス……。よくSFとかで耳にするあれか?」
『そう、規模は”人間一人“とはいえ、そのタイム・パラドックスを修正すべく働く力には誰も逆らえないわ』
「逆らえないから死ぬ……」
『それも時間に潰されて、ね。それはもう見るに耐えない無惨な断末魔よ……』
クロエの声もどんどん沈んでいく。きっとクロエ自身もそれを目の当たりにしたことがあるのだろう。それも一度や二度ならず何度も、何度も……。
『でも! あなたに関しては私が細心の注意を払って必要以上は行使しなかったから起こらなかったし、これからも起こすつもりはないわ。……でも』
「過信するな、ってことか……」
『よく分かっているわね』
クロエには今まで何度も、そして大事な場面で助けてもらっていたんだ。リスクがあると言われれば不安になるが、それでも俺はクロエを信じてみようと思う。
クロエも俺の心が通じたようで、表現が綻んだ。
それにクロエの“遡逆”の魔術には大きな希望がある。
「この魔術なら、魔獣の時間を巻き戻して元の姿に戻すことだって――――」
『それは不可能よ』
「え――――?」
ピシャリとした答えに閉口してしまう。
「どうして言い切れるんだよ……? 時間を巻き戻せるなら魔獣になる前に戻すことだってできるんじゃないのか?」
焦りか戸惑いからか、俺の語調は矢継ぎ早だった。
クロエは影を含んだ面持ちで口を開く。
『さっきも言ったけど、“遡逆”は時間軸をなぞる魔術なの。魔獣になるということは一つの“死”や“終わり”の意味を持つの。
すなわち、なぞる軸そのものが途中で途切れてしまっているの』
「それは……、どうやっても越えられないのか……?」
クロエは静かに首肯した。その表情が不可能な事実を物語っている。
『……それでも、君は諦めないんだよね……?』
だがクロエは顔色を一転させて顔を上げた。
『ここは君の“魂”だって言ったよね。“魂”がまだ揺れているんだよ。『まだ何か方法がある……』って』
「…………」
――――クロエの言葉は本当に俺の本音なのだろうか……。自身でも分からない本音を、ここにいて俺を見てきたクロエが感じた“揺れ”……。
「……“フィクションがノンフィクションになったときから、世迷言なんてなくなった”、か――――」
『その言葉は……』
俺はかつて二騎先生から聞かされた言葉を思い出した。この言葉こそ、“魔術”なんてフィクションの可能性が無限であることを体現している。
どれだけ無駄だ、無理だと笑われてもいい。フィクションをタラレバを笑う者を笑ってやろう。笑われたって取り戻したい人がいる。
「――――あぁ、答えは出てたんだな」
ふと涙が目頭に溢れた。
クロエが小さな声で肯定し、同じく瞳一杯の涙を浮かべている。
すると視界が唐突に明るくなった。どこからか光が射し込んだのか分からないが、どうやらこの夢も終わりのようだ。
『王太郎、戻るんだね……』
「みたいだ」
『答えは……、決意は……?』
「心読めるんだろ?」
ついにクロエの涙が頬を伝った。
『私は何度もあなたの手助けをしてきたけれど、こうやって顔を会わせて話ができるのは多分これっきり。次会うときは私の身体との対面になることを願うわ』
「そういえばクロエの身体ってのは今どうなってんだよ?」
ここに来て根本的な疑問にぶち当たる。が、視界を奪うほどの強い光がタイムリミットを指し示している。
『王太 、こ が最後のメッ ージ から け取っ 、私の 体は世界 の に。 太郎が鍵に る』
途切れ途切れのメッセージにクロエの本心を垣間見る。
『世界樹の下、 の を とともに――――』
――――そして夢は醒める。




