悪魔
最終話以降の桃姫とフェイトの話です。
「悪魔が来そうな気がする」
フェイトはそう言うと、嫌な予感に身を震わせた。
騎士団の訓練用の服を来たフェイトは、ラズーロ王が戴冠を迎えた春、晴れて騎士団に入団したばかりの新人も新人。一番下っ端の新米騎士だ。
季節は冬の初め。
もう1週間もすれば華やかな仮面舞踏会が開催される。王宮内では、今年の『王の盾』はどのような姿で現れるのだろうか、そんな話題で持ち切りだった。(そんなことは、当日王都の警備に当たる予定のフェイトにとってはどうでもいい話題なのだが)
「おいおい、どうした。風邪でも引いてんのか?」
ガハハと笑って背中を叩いてくるガーランド副団長にむせながらも応える。
「いえ、そうじゃなくて。嫌な予感の方の寒気がして」
腕をさするフェイトの耳に可憐な吐息が入り込んできた。
「フェイト君」
「うぎゃあっ。やっぱり来た!」
その驚き方はどうかと思うが、美しい『王の盾』に対してそんな態度を取るのは、この王宮でもフェイトぐらいのものである。
「もう、そんなに驚かなくてもいいのにっ」
「いきなり背後から来られたら驚くわっ! で、今日は何を持ってきたんだ」
両手を顔の前に構えて臨戦態勢を取るフェイトに、桃姫はしずしずと赤いリボンが結ばれた箱を差し出した。
「えへへ、今日はパウンドケーキにしてみました」
語尾にハートマークが付きそうな声に、対するフェイトは箱を怖々と受け取った。
こうして手作りのお菓子をもらうのはもう何度目になるだろうか。1週間と開けず贈られる食べ物は美味しいには美味しい。
だが、渡される相手が問題だった。
「一応聞いておくけど、ラズーロ王にも渡したんだろうな?」
「うん、渡したよ」
もちろんと頷く桃姫にフェイトは安堵のため息をもらす。
「量は?」
当然、今渡されたものと同じ量だよな、とそう願いを込めて言った。
「うーん、これより少ないかな」
ラズーロ王に渡したであろう箱のサイズを手で表現してもらうが、それは明らかにフェイトに渡された箱よりも大きさが小さかった。
「マジか」とフェイトは顔を覆って項垂れる。
それも2,3秒のこと。顔を上げたフェイトはくるんとガーランド副団長の方を振り返って背筋を正す。
「ガーランド副団長。俺は今から逃亡します! もし、万一のことがあったら骨だけは拾ってください」
その目は真剣そのものだった。
「いいから、さっさと逃げとけ。毎度毎度大変だな」
しっしと手を振って、行けと指示する。
フェイトは箱を抱えて、その場から逃走した。
桃姫は去っていくフェイトにひらひらと手を振って送り出す。
「頑張ってねフェイト君。後で感想聞かせてね」
ガーランドは横に並ぶ桃姫に呆れ顔で呟く。
「姫さんも分かっててやってるでしょ。どうせ渡すなら、ラズーロ様と同じ量にすりゃいいのに」
「だって、それじゃフェイト君に渡す意味がないじゃない。フェイト君は同じじゃ分かってくれないんだもの」
(十分分かってると思いますけどね)
その言葉は飲み込んで、逃げていくフェイトを見ると、わらわらと集まってきた他の騎士達を蹴り倒しているところだった。
あれは毎回、フェイトがこうして桃姫の手作りお菓子の差し入れをもらうと起こる現象だ。
可憐な姫からの差し入れを横取りしようとする騎士達から、ボロボロになりながらもそれを守りきって食すフェイトは入団した頃よりもずっと体力が付いてきているように見える。
悲しいかな、フェイトの体力の増強は桃姫の差し入れによって急激な成長を遂げたと言っても過言ではない。
彼女の気持ちを分かっていないなら簡単に渡してしまえばいいのに、それをしないのは、自分が食べないと彼女が悲しむことを知っているからだ。
(そのへん無自覚なんだよな、この2人)
今は面白いからもうしばらくは黙っておこう、とガーランド副団長はこの件に関しては貝になることに決めた。
襲い掛かる騎士達に混じってフェイトの足元で爆竹が弾けたような衝撃による土煙があがっている。
(お、ラズーロ様も参戦してるな)
ついでに言うと、あれのお陰でフェイトの反射神経と危機的状況への判断能力も飛躍的に向上している。
将来的には良い騎士になりそうだ、と続く乱闘を止めることなく、訓練でかいた汗を流すため浴場へと向かった。
「ちっ。また外したか」
舌打ちをしながら、次々と魔法による攻撃をしかけるラズーロ王の横で現宰相となったヒューバートが溜め息をつく。
「いい加減、諦めたらいかがですか。桃姫の心はもう彼の元にあるというのに・・・。この間、「その身は国に縛られようと心は自由だ」とか格好つけて言っていたのはどこのどなたですか」
「ふん、心は自由だが、邪魔をせんとは言ってない。あのクソガキ、桃姫の心を奪ったこともそうだが、この俺より毎度もらう菓子の量が多いのがムカツク」
ヒューバートはさらに追い討ちを掛けようとした己の主の頭を小突き、襟首を持って引きずっていった。
「はいはい。それくらいにして、公務が溜まっております。遊んでいないで執務室へお戻り下さい」
「ヒューバートっ。これは遊びではない、本気だ!」
「余計危険です。王宮内で魔法を行使しないでください」
アイスブルーの瞳をすがめる宰相にラズーロは叫んだ。
「あのクソガキ、いつかツブスっ!」
―――後ほど、怪我を負ったフェイトに桃姫が治療を施すのを目撃した王がぶち切れるのはまた別の話となる。
フェイトにとって桃姫は小悪魔というより悪魔。
でも、その貢物のおかげで体力増強、反射能力アップ、危機管理への思考力向上に繋がっているという現実・・・。