7話 家名なき冒険者
昼を少し過ぎて待避小屋を出るころには、右膝の痛みは朝より軽くなっていた。
それでも、僕が歩幅を広げるたび、ベルンさんの杖が土を二度叩いた。
「怪我人。急ぐな」
「普通に歩いています」
「普通に歩けているなら、右足だけ音が小さくなるはずがない」
言われて初めて、自分が無意識に右膝を庇っていることに気づいた。
ベルンさんは僕の顔を見ず、街道の先へ歩き続けている。左脚を少し引きずっているのに、杖の音はいつも同じ間隔だった。
その足元をテトが短い脚でついていく。
僕の肩では、アインが退屈そうにあくびをした。
『人の歩き方ばかり見て、何が面白い』
「アイン。ベルンさんには僕が足を庇っているって分かったみたいだよ」
『我にも分かっておった』
「なら、先に教えてほしかったな」
『おぬしが聞かなかっただけだ』
エリクが横で吹き出した。
「仲がいいな、お前ら」
「今の会話で?」
「言いたいことを言えてるだろ」
僕は返事をする代わりに、肩のアインを見た。
選定の間で初めて会ってから、まだ二日も経っていない。それなのに、アインが不満なときの耳の向きも、褒めてほしいときに胸を張ることも、少しずつ分かるようになっていた。
ベルンさんとテトの四十二年には、遠く及ばないけれど。
街道を進む間、ベルンさんは何度も立ち止まった。
僕の膝を休ませるためだけではない。
道端の木に残る爪痕を確かめ、泥へ沈んだ足跡を杖で測り、風に混じる匂いを嗅ぐ。荷馬車とすれ違えば、西門の様子を尋ねた。
返ってくる話は、どれも同じだった。
領都ラグナの西門は閉じられたまま。古橋の周囲には騎士が集められ、通行の再開時刻は分からない。
「イレーネさん、大丈夫かな」
僕が呟くと、エリクが工具袋の紐を握り直した。
「あの人なら、俺たちよりずっと大丈夫だろ」
「うん」
そう答えても、胸の奥に残る心配は消えなかった。
橋の上で、イレーネさんの炎は灰色の獣に触れた途端、色も熱も失った。
あれは何だったのだろう。
ベルンさんなら知っているかもしれない。けれど、まだどこまで話してよいのか分からなかった。
僕が以前の身元を話さず、家名を名乗らなかったことにも、ベルンさんは気づいている。
問いたださないのは、気づいていないからではない。
『話したくないなら、今は話さずともよい』
アインの声が頭の中へ届いた。
「分かるの?」
『何がだ』
「僕が考えていること」
『分からぬ。だが、おぬしは悩むと我の尾を握る』
見れば、僕の左手はアインの尾をそっと掴んでいた。
慌てて離す。
『別に、離せとは言っておらぬ』
アインは顔を背けた。
その耳の内側が、わずかに赤く見えた。
夕方が近づくころ、麦畑の向こうに石壁が現れた。
領都を囲む城壁より低く、荷車が二台並んで通れる門が開いている。門の上には、麦の穂と旅靴を描いた旗が風に揺れていた。
宿場町ハルデン。
西街道を行き交う旅人と荷馬車が休む町だ。
門前には十人ほどの列ができていた。
普段なら領都へ向かうはずの商人たちが、封鎖の知らせを聞いて足止めされているらしい。荷台を覆う布の下から、野菜、樽、積み重ねた木箱が見えた。
門番は一人ずつ身分証を確かめ、町へ入る理由を聞いている。
僕は鞄の底へ入れた革張りの札を思い出した。
父上から手切れ金とともに渡された、家名の欄が空白の仮身分証。
記されているのは、『ルカ』という名前だけだ。
それでも、年齢と赤い髪、それにアインの姿まで照らし合わせれば、僕が誰なのか気づかれるかもしれない。
大神殿から届いた通達が、ここまで回っているかもしれない。
「顔が固いぞ」
エリクが小声で言った。
「身分証、どうしよう」
エリクの顔も固くなった。
エリクは家から持ってきた町民証を持っている。問題になるのは僕だけだ。
列が少しずつ進む。
逃げようにも、今から町の外で夜を越す準備はない。僕の足も、これ以上歩き続けられそうになかった。
「ベルンさん」
僕は声を落として呼び止めた。
「僕のは、家名のない仮身分証です」
ベルンさんは驚かなかった。
「盗んだ物か?」
「違います。僕のものです」
「なら、偽物ではないな」
「でも――」
「門番が見るのは、発行元の印と、今夜この町で騒ぎを起こしたときに追える相手かどうかだ。家の事情まで門前で説明する必要はない」
ベルンさんは前へ向き直った。
「ただし、聞かれたことに嘘はつくな。言いたくないことまで、門前で話す必要もない」
自分で決める。
追放されてから、その言葉を向けられたのは初めてだった。
僕の番が来た。
門番は僕の赤い髪と濃紺のローブを見て、それから仮身分証へ目を落とした。
指先で、領都の役所が押した発行印をなぞる。
「ルカ、十歳。家名の記載なし。滞在の目的は?」
喉が乾いた。
「護衛と合流するまでの宿を探しに来ました」
嘘はつかなかった。
門番は発行印をもう一度確かめ、僕の顔とアインを見比べた。
隣でベルンさんが自分のギルド登録証を出す。
「二人は俺の同行者だ。片方は足を負傷している。ギルド支部で西門の状況を確認し、宿を取る」
Aの文字を見た門番の背筋が伸びた。
「失礼しました。通行を許可します。西門から来た旅人は、ギルドで事情を報告するよう通達が出ています」
町へ入ってから、ようやく息を吐いた。
「Aランクって、便利なんだな」
エリクが言う。
「便利な札だと思ったなら、今のうちに考えを直せ」
ベルンさんの声が低くなった。
「高いランクは、他人を黙らせるためのものじゃない。何か起きたとき、俺が責任を取ると示す札だ」
「……はい」
エリクは素直に頭を下げた。
僕も、門番が僕たちではなくベルンさんを見て通したことを思い返した。
信用されたのは、僕ではない。
その責任を、ベルンさんが一時的に引き受けてくれただけだ。
冒険者ギルドの建物は、町の中央広場に面していた。
二階建ての大きな石造りで、入口の上に剣、薬草、荷車を組み合わせた印が掲げられている。
中へ入ると、煮込み料理の匂いと、濡れた革の匂いが混じって鼻へ届いた。
壁一面に依頼票が貼られている。
薬草採取。荷運び。用水路の掃除。逃げた家畜の捜索。街道護衛。魔獣討伐。
紙の端には、それぞれF、E、Dと大きな文字が書かれていた。
剣を背負った人だけではない。籠を抱えた女性、泥だらけの長靴を履いた老人、帳面を持つ若者もいる。
僕が本で読んだ冒険者は、魔獣を倒して町を救う英雄だった。
ここにいる人たちは、もっとたくさんの仕事をしていた。
「ベルンさん!」
受付の女性が、こちらを見るなり立ち上がった。
三十歳くらいだろうか。栗色の髪を後ろでまとめ、左目に丸い片眼鏡をかけている。
「今度はどこで何を壊したんですか」
「挨拶より先に人を犯罪者扱いするな、マルタ」
「前回は診療室の壁を壊しました」
「負傷者を担架ごと通すには、扉が狭かった」
「修理代を払わず旅立ちました」
「請求書が足より遅かった」
マルタさんは深く息を吐いた。
それから僕の包帯に気づき、すぐ表情を変えた。
「その子の怪我は?」
「処置済みだ。浅い擦り傷と軽い筋の痛み。今夜は安静にさせる」
「それなら診療室は壊さずに済みそうですね」
ベルンさんは返事をせず、西門と古橋で起きたことを報告した。
橋に現れた灰色の獣。
炎が消えたこと。
足場に滑らかな欠落が生じたこと。
主個体とは別に、小さな個体が橋の下へ逃げた可能性があること。
僕とエリクも、見た範囲を順番に話した。
マルタさんは途中で口を挟まず、紙へ書き取った。
「同様の報告は、まだ届いていません。西門の封鎖で伝令が遅れているのでしょう。こちらから東回りで領都支部へ照会を出します」
僕はイレーネさんの名前と特徴を伝え、ここにいるという伝言を頼んだ。
「灰色の短髪、右頬に火傷痕のある女性騎士ですね。西門が開き次第、門衛と領都支部の両方から伝えます」
それだけで、胸を締めていたものが少し緩んだ。
「それで、この子たちは?」
マルタさんが尋ねる。
「宿を探している。あと、ギルドへ登録させたい」
「登録ですか?」
僕とエリクの声が重なった。
ベルンさんは気だるそうに肩をすくめた。
「金があるとしても、十歳の子ども二人が宿で何日も暮らせば減る。身分証を出すたび事情を聞かれるのも面倒だ。ギルド登録証なら、王国内の支部と宿で身分証として使える」
「でも、僕たちは冒険者ではありません」
「だから登録するんだ」
話が一周した気がした。
マルタさんが苦笑する。
「十歳なら見習い登録はできます。ただし、十三歳未満が町の外の依頼を受けるには、Dランク以上の成人責任者が必要です」
「俺がなる」
ベルンさんは即答した。
今度は僕たちだけでなく、マルタさんまで黙った。
「本気ですか。弟子は取らないと、何年も言っていたでしょう」
「弟子ではない。ハルデンにいる間の監督だ」
「言い方を変えても、責任は同じですよ」
「分かっている」
ベルンさんの声から、いつもの気だるさが消えていた。
「名義だけ貸すつもりはない。依頼票には俺も入り、受注前に内容を確認する。勝手に町の外へ出たら登録を止める。報告を偽ったら、俺が二人を連れて謝りに行く」
マルタさんはしばらくベルンさんを見つめたあと、棚から二枚の登録用紙を取り出した。
「そこまで言うなら、規則上の問題はありません」
僕は用紙を受け取った。
名前、年齢、出身、契約精霊、得意なこと。
一番上の名前の欄を見た途端、門前で感じた緊張が戻ってきた。
仮身分証と同じ『ルカ』だけで登録しても、出身や保護者について尋ねられれば答えなければならない。
筆を持ったまま動けずにいると、マルタさんが声を落とした。
「家名を書けない事情があるのですね」
僕はすぐには頷けなかった。
マルタさんの視線が、僕の仮身分証と、鞄の口から覗く書類筒へ移る。
「十歳の子どもを、事情も確認せず保護登録にはできません。家出や連れ去りでないと分かる書類はありますか?」
ベルンさんも、何も言わず僕を見ていた。
ここまで、家名を尋ねずにいてくれた人だ。それでも、成人責任者になってもらうなら、何も知らせないままではいられない。
僕は書類筒から出立命令書を取り出し、受付台へ置いた。
一番上には、ルカ・エルフォードという以前の名前。
その下に、家門簿から外し、領外へ追放すること。西の旧別邸へ向かわせ、イレーネ・バルカを護衛に付けることが記されている。
最後には、父上の署名と炎獅子の印章があった。
マルタさんは仮身分証の発行印と、出立命令書の印章を順番に確かめた。
ベルンさんの目が、僕の赤い髪へ一度だけ向いた。
「エルフォード侯爵家……そういうことか」
驚きよりも、今まで尋ねなかったことへ答えを見つけた声だった。
「僕はもう、家門簿から外されています。大神殿に居場所を知られたくありません」
「事情は確認できました」
マルタさんは出立命令書を僕へ返し、新しい用紙を一枚だけ取り出した。
「ルカさんは未成年の保護登録にできます。現在の名は仮身分証どおり『ルカ』。以前の身元と追放の事実は内部の保護記録だけに残します」
つまり、普段使う登録札には『ルカ』としか載らない。僕が以前エルフォード家にいたことはギルドの奥にある記録へ残るけれど、宿の人や普通の依頼主には見せなくて済む。
「神殿にも知られませんか?」
「本人の同意か、犯罪に関する正式な照会がない限り、ギルドから開示はしません。ギルドは神殿の名簿係ではありませんから」
隠し通せる、とは言わなかった。
大神殿が犯罪に関する正式な照会を出せば、記録は開かれる。それでも、宿へ泊まるたびに事情を説明するよりはずっといい。
「エリクさんは、町民証をお持ちですね」
エリクが受付台へ町民証を置いた。
「父さんから、イレーネさんが護衛する旧別邸までなら、ルカと行っていいと言われました」
「では、エリク・ヴァレンさんは通常の見習い登録です。保護登録へ切り替える理由はありません」
エリクは家を失ったわけではなく、父親の許可を得てここにいる。だから、事情を隠して守ってもらうための登録は必要ないのだ。
「はい」
ベルンさんが二枚の用紙を引き寄せ、それぞれの成人責任者の欄へ署名した。
「ルカは保護登録、エリクは通常登録だ。町の外へ出る依頼は、二人とも俺の監督下に置く」
僕は名前の欄へ、仮身分証と同じ『ルカ』と書いた。
マルタさんが保護記録へ、僕の以前の身元を書き写していく。
ルカ・エルフォード。
家名を偽ったわけではない。ただ、もう僕の身分を証明するために使える名前ではなくなったのだ。
契約精霊の欄で、手が止まる。
「アインの属性は、何と書けばいいですか」
「選定記録どおりでいい。分からないものを作るな」
ベルンさんに言われ、僕は『アイン・属性判定不能』と記した。
その横で、エリクの筆が止まっていた。
契約精霊の欄は空白だ。
マルタさんが用紙を覗き込む。
「無選者なのね」
エリクの肩がわずかに強張った。
近くの受付にいた男が、こちらを見た。
「子どもで無選者? 町の雑用ならともかく、外へ連れていっても荷物が増えるだけだぞ」
エリクが顔を上げる。
僕が何か言うより先に、ベルンさんの杖が床を一度叩いた。
「今日、岩甲猪を殺さず森へ帰せたのは、その荷物が石垣を崩さず退路を開けたからだ」
声は静かだった。
ギルドのざわめきが止まる。
「ここでは精霊の有無ではなく、何をして、何を報告したかを記録する。それが気に入らないなら、規則を読み直せ」
男は何も言わず、目を逸らした。
エリクは唇を結び、用紙へ向き直った。
契約精霊の欄に『なし』と書く。
その次の、得意なことの欄へ、ゆっくり筆を動かした。
『工具の扱い、簡単な修理、精霊石回路』
書き終えた文字は、契約精霊の空欄よりずっと大きかった。
登録には、簡単な確認が必要だった。
名前を読み書きできること。依頼を勝手に他人へ譲らないこと。危険を隠さず報告すること。依頼中に見つけた人命を、報酬より優先すること。
最後に、登録盤へ手を置く。
透明な板へ僕の手を載せると、白い線が指の輪郭をなぞった。
選定の六属性晶盤とは違い、属性を測る物ではない。本人の魔力の形を記録し、登録証の持ち主を確かめるための道具だという。
僕の線は途中で何度か揺れた。
肩のアインが登録盤を覗き込む。
けれど、板は割れもせず、文字が消えることもなかった。
「正常に記録できています」
マルタさんの言葉に、思わず息が漏れた。
『当然であろう』
アインは胸を張った。
エリクの記録も問題なく終わった。
精霊に選ばれていなくても、エリク自身の魔力の形はある。
二枚の薄い金属札に、名前とFの文字が刻まれた。
僕の札には『ルカ』、エリクの札には『エリク・ヴァレン』と刻まれている。
僕の以前の身元は、マルタさんが内部の保護記録へ正確に残した。
過去を消したわけでも、今の名を偽ったわけでもない。必要のない相手へ、追放された事情まで見せずに済むようになったのだ。
「本日から、二人はFランクの見習い冒険者です」
マルタさんが札を渡してくれる。
手のひらに載せると、思っていたより重かった。
「Fランクが受けられるのは、町の中の作業と、指定された安全域での採取です。町外の依頼にはベルンさんの同行と署名が必要。魔獣討伐は受けられません」
「分かりました」
「それから、アインさんも依頼の同行者として記録します。精霊だからといって、働きを契約者一人の功績にまとめません」
僕は肩のアインへ顔を向けた。
「アインも一緒に登録されたよ」
『我だけ特別な札はないのか』
「ないみたい」
『不公平だ』
「でも、僕の付属品じゃなくて、仲間として記録してくれるって」
アインは少し考え、鼻先を上げた。
『ならば許す』
マルタさんには鳴き声しか聞こえなかったはずだ。それでも、アインへ向けて小さく頭を下げた。
「よろしくお願いします、アインさん」
アインの尾が嬉しそうに一度揺れた。
僕たちはギルドと契約している宿を紹介してもらった。
見習い料金なら一人一泊、銅貨四枚。夕食と朝食は別に銅貨二枚。
父上から渡された手切れ金で払えない額ではない。
けれど、旧別邸へ着くまで何日かかるか分からない。服も薬も、必要になれば買わなければならない。
「働かないと、減るだけだな」
エリクが僕と同じことを考えていた。
「今日は依頼を受けるな。明日の朝、膝を見て決める」
ベルンさんが釘を刺す。
「はい」
素直に答えたのに、ベルンさんは僕を疑うように見た。
その夜、僕とエリクは紹介された宿で、夕食と翌朝の分を含めて一人銅貨六枚を払った。
温かい豆のスープを食べ、柔らかい寝台へ横になると、歩き続けた疲れが一度に押し寄せた。
イレーネさんのことも、灰色の獣のことも考えたかったのに、次に目を開けたときには朝の鐘が鳴っていた。
朝食のあと、ベルンさんが僕の右膝の包帯を外した。
昨日より腫れは引いている。曲げても鋭い痛みはなかったが、強く踏み込むとまだ鈍く痛んだ。
「走るな。飛ぶな。痛みが増したら、その場で言え」
「依頼を受けてもいいんですか?」
「町の南にある指定採取場までだ。平坦な道を歩いて、草を摘む。今の足でできる仕事か、自分で確かめろ」
ギルドへ戻ると、マルタさんが依頼票を一枚、受付台へ置いた。
『F級・南採取場の止血草採取。二十本』
報酬は銅貨十八枚。三人で分ければ、昨日の僕一人分の宿代が戻ってくる。
「採取場は町から歩いて十五分です。魔獣よけの柵の内側から出ないこと。白い花に紫の斑点がある痺れ鈴草には、絶対に触れないこと」
マルタさんは、止血草と痺れ鈴草を描いた見本帳を僕たちへ見せた。
形は似ているが、葉の縁が違う。止血草は細かな鋸のように尖り、痺れ鈴草は丸い。
「見分けられない物は摘まない。迷ったらベルンさんへ確認してください」
僕とエリクが頷き、ベルンさんが責任者の欄へ署名した。
僕たちの最初の依頼が決まった。
南採取場は、低い木柵に囲まれた草地だった。
朝露を載せた草が膝の下まで伸び、ところどころに黄色い止血草の花が見える。
ベルンさんは採取を手伝わなかった。
僕たちから数歩離れ、杖へ両手を重ねて立っている。
「教えてくれないんですか?」
「見本を見ただろ。まず自分で選べ。籠へ入れる前なら、間違えても依頼は失敗にならん」
僕は止血草らしい一本の前へしゃがんだ。
葉の縁は尖っている。花は黄色。紫の斑点はない。
茎の根元を持ち、なるべく膝へ力をかけないように摘む。
「これは?」
ベルンさんが葉を裏返した。
「止血草だ。一本」
たった一本なのに、登録札を受け取ったときより嬉しかった。
エリクも別の株を見つけ、葉の形を僕の物と見比べた。
「こっちも同じだよな」
「うん。斑点もない」
二本目、三本目が籠へ入った。
そのとき、肩にいたアインが急に顔を上げた。
『待て。草の向こうに人がおる』
僕は手を止めた。
風が葉を揺らす音に混じって、すすり泣く声が聞こえた。
「誰かいる!」
エリクが先に駆け出し、僕は走りそうになる足をこらえて後を追った。
背の高い草をかき分けた先で、僕たちと同じくらいの女の子が地面へ座り込んでいた。
その膝には、僕たちより幼い男の子が横たわっている。
男の子の指先には、紫色の斑点が浮かんでいた。
すぐそばで、白い鈴のような花が揺れている。
痺れ鈴草だ。
「弟が、急に手が動かないって……。町まで連れて帰ろうとしたけど、立てなくて……」
女の子は涙で濡れた顔を上げた。
男の子の唇が、かすかに動く。
「お姉ちゃん……手が、動かない……」
僕たちの籠には、まだ止血草が三本しかない。
依頼を達成するには、あと十七本必要だった。
けれど、数える必要はなかった。
「ベルンさん。先に、この子を助けます」
ベルンさんは答えず、僕の顔を見た。
それから、ほんの少しだけ頷いた。




