49話 精霊に意思はある
名前の後ろに、持ち主、と書かれていた。
審問の前に渡された紙を見て、僕はペンを止めた。
精霊の名、アイン。
その下に、持ち主の氏名。
昨日、宿で用意した紙には、アインの返事はアインがする、と書いた。その紙も、今、鞄に入っている。
僕は受付の人へ顔を上げた。
「ここは、契約者じゃ駄目ですか」
受付の人が、僕の指先を見た。
「前から使っている記載欄です。担当の方に確認しますので、まだ書かずにお待ちください」
ベルンさんは僕の手からペンを取らず、空いた椅子を示した。
「聞けたな。返事を待とう」
僕はアインの横へ座った。
白い相棒は、紙の字ではなく、僕の顔を見ていた。
*
昨日の対面室よりも、広い部屋だった。
正面には審問官の机。向かって右側に神殿の立会人、左側には王都支部の職員たちが座る。後ろの二列は、傍聴を認められた人たちの席になっていた。
僕たちの椅子は中央の机の手前に、五人分並んでいる。
入口へ戻る通路は、両脇に空いていた。アデラさんは扉の近くに立ち、僕たちが席へ着くまで待ってくれた。
長い机の下には、テトとネロ。ポロはミレアの水筒にいる。
アインの場所には、低い踏み台が用意されていた。
乗せようと手を伸ばす前に、僕は聞いた。
「ここなら、顔が見えるけれど。上がる?」
『うむ。よく見える』
アインは自分で台へ前足を掛けた。僕は台が滑らないよう、横を押さえるだけにした。
セレスティア殿下とアウレシア様が、右側の前の席へ着く。
正面の男性が立ち上がった。
「審問を進行するダリオです。本日は白い精霊と契約者、同行者の説明を、立会人と傍聴人の前で記録します」
この場で、アインを眠らせたり、術をかけて調べたりはしない。
最初にそれが確認された。
僕は小さく息を吐いた。
ダリオさんが、受付で渡された紙を持ち上げる。
「事前用紙の持ち主という記載について、質問がありました。この審問の記録では、契約者と書き分けます」
僕は、思わず顔を上げた。
「ただし、それで本日の判断が決まったわけではありません。契約と、本人が何を望んでいるかを、別々に確認するためです」
机の向こうで、書記が新しい紙を置いた。
僕は、ルカ、と名前を書いた。
*
最初に読まれたのは、水都とガルドから届いた報告だった。
アインが複数の属性を使ったこと。
人や魔獣を救った一方、まだ分からない仕組みがあること。
ドルガラム様の証言も、書記が読んだ。奪われたのではなく、自分が望んで土の鍵をつないだ、という言葉だ。
僕は聞きながら、両手を膝へ押しつけた。
王様は、ここへ来ていない。
でも、いなかったことにはされなかった。
「ルカ。現在、君と正式に契約している精霊を述べてください」
「アインです」
「複数の精霊王ではないのですね」
「はい。鍵を受け取っても、王様たちは、王様たちのままです」
昨日も話したことだった。それでも、たくさんの人に見られながら答えると、途中で息が足りなくなった。
ベルンさんが僕の方へ、水の杯を少し寄せる。
僕は一口飲み、言い直した。
「僕が命令して、王様たちを連れて歩いているんじゃありません」
アウレシア様は、黙って聞いていた。
ダリオさんが、別の紙へ印を付ける。
「そのうえで、アイン自身は、封印を望まないと答えている。昨日の記録は、そうなっています」
僕はうなずきかけた。
でも、その返事をするのは僕ではない。
台の上へ目を向けると、アインがゆっくり尾を揺らした。
*
念話を聞ける相手を、先に決めることになった。
アインの声は、部屋へ響く声ではない。後ろの席まで、いっぺんに届けることもできない。
それを僕が説明すると、ダリオさんは聞くことを受け入れた。セレスティア殿下にも聞いてもらい、記録へ伝える際に照合する。
アインは相手を二人へ向け直した。僕との声は、いつもどおりつながっている。
『我は、知らぬ術で声を止められることを望まぬ』
ダリオさんのペンが止まった。
「聞こえました」
彼は今の言葉を、声に出して繰り返す。殿下が、同じ言葉を受け取ったと確認した。
書記が書き終えるのを待って、アインが続けた。
『だが、何をしても構わぬと申しておるのでもない。知らぬ危険を、知らぬまま広げたいとは思わぬ』
後ろの席で、誰かが椅子を鳴らした。
僕も、少し肩の力を抜いた。
アインは、安全だと嘘をつくつもりはない。
声を失いたくないという返事と、何も確かめなくてよいという返事は違う。
「今は力が戻り、人の言葉で答えられるから、意思があると分かるのでしょう」
神殿側の立会人が尋ねた。
「力が戻る前から同じだったと、どう確認できますか。契約者が、望む意味へ受け取っている可能性もあります」
僕は息を吸った。
アインを選定の場でかばったときも、同じような目で見られた。
あの日とは、ここへ持ってこられた記録の数が違う。
けれど、僕の口は、またうまく動かなくなった。
*
「私から説明してもよろしいですか」
ミレアが手を上げた。
許可を受けて立ち、机の上へ水筒を置く。
ポロは、まだ中にいた。
「ポロは、人に聞こえる声では話せません。でも、一緒にいたら、嫌なことや、したいことを教えてくれます」
「それは、契約者の判断でしょう」
「はい。だから、私が間違うこともあります」
ミレアは水筒を持つ手を、少し緩めた。
「水都で、調査の役に立ってほしかったときがあります。先に頑張ってって思って、ポロが嫌がる理由を、後から考えました」
僕は、彼女の横顔を見た。
相棒のことを大切にしていると、いつも思っていた。
そのミレアが、自分も間違えると言っている。
「そのあと、どうしましたか」
ダリオさんが聞いた。
「止めました。何が嫌だったのか、ほかの人にも調べてもらいました。私がそう思ったから、絶対にそうだ、とはしないようにしています」
彼女は水筒へ声を掛けた。
「今日は、ここから出なくてもいいよ」
少しして、口の縁に青い丸が現れた。
ポロは机へ飛び下りず、ミレアの指に触れて、また水筒の中へ戻った。
「今の動きだけで、何かを証明できたとは思いません。でも、私が出てほしいときに出ないことも、ポロの返事です」
書記のペンが、また動き始めた。
次にベルンさんが、テトと長く組んできた話をした。
鳴き声と、前足の動きと、鼻を向ける先。同じ合図でも、現場を見て確かめること。急いでいる自分の都合と、テトの返事を取り違えないこと。
「長く一緒にいれば、間違えなくなりますか」
僕は、思わず尋ねた。
ベルンさんは首を振った。
「確かめることを省かなくなる」
その答えを、僕は自分の紙の隅へ書いた。
エリクも、発言の順番を待っていた。
「俺、契約した精霊はいません」
彼は最初に、そう言った。
「だから、アインの声を初めて聞いたとき、びっくりしました。ルカが話したんじゃないかと思った。でも、ルカが口を開く前に、俺の名前を呼ばれました」
ダリオさんが、いつのことかを尋ねる。
エリクは、風の王様と会った場所と、その後に確かめたことを話した。長くは届かなかったので、無理に続けなかったことも。
「それより前のことは、ルカに訳してもらっていました。俺が全部、分かってたわけじゃないです」
彼の指が、用意してきた紙の端を押さえていた。
「でも、分かる前も、ルカに頼まれたことを嫌がってるのは見ました。そのときは何て言ったのか、聞き直しました」
僕は、その横顔を見た。
何もかも分かっているようには話していない。自分が聞いたことと、僕から聞いたことを、分けて話していた。
「今も、聞こえないときは、分かる人に聞きます。聞こえなかったから、何も言ってなかったことにはしたくないです」
エリクが座る。
僕は隣で、膝の上の手を開いた。
*
僕の番になった。
「僕も、アインの代わりに答えかけました。昨日も、何度も」
台の上で、白い耳が動く。
「アインを守りたくて、僕が決めればいいと思ったんです。怖いことを聞かれるなら、僕が先に返事をした方がいいって」
指先が震えた。
うまく話すために書いた紙はあった。でも今言っていることは、そこには書いていなかった。
「でも、アインは、自分で答えたいと言いました」
「君が、代わりに判断する責任を負うこともあるはずです」
立会人の声に、僕はうなずいた。
「あります。アインが何を言っても、僕が勝手に危ない場所へ行っていいわけじゃないです。ベルンさんに止められたことも、たくさんあります」
後ろで、小さく笑う声がした。
顔が熱くなる。
でもベルンさんは、笑っていなかった。
「責任者として止めたことは、報告に残しています。子どもに全て決めさせる、という話ではありません」
彼は僕の紙ではなく、審問官へ目を向けた。
「危険を止める責任と、本人の返事を聞かなくてよいという扱いは、分けて考えてください」
僕は、握っていた指を開いた。
全部を一人で、言わなくてよかった。
*
「では、契約者が神殿へ預けると認めた場合、アインは従うのですか」
立会人が、今度は台の上を見た。
「本日の質問です。今ここで預かると決めたのではありません」
ダリオさんが付け加えた。
僕は、アインが答えるのを待った。
『何をするために預かるのか、まず聞く』
二人が受け取った言葉を照合し、書記へ伝える。
『ルカが認めたから、我が何も望まなくなるわけではない。ルカも、我が行けと申せば、どこへでも行くわけではなかろう』
僕はうなずいた。
アインに急かされても、止まったことがある。
逆に、行きたがらない相棒を、自分が抱いて連れ出そうとしたこともあった。
『我らは、互いの足を持っておる』
アインが台から下りようとした。
僕は思わず、手を出した。
『逃げぬ。そこの椅子までだ』
その言葉は、僕へだけ届いた。
僕は横へ手を引き、台を押さえた。アインが床へ下り、僕の椅子を通り過ぎて歩く。
エリクの前で止まった。
彼が、両手を膝の上へ置いたまま、相棒を見下ろす。
『少し、そちらにいてもよいか』
今度はエリクが、はっと顔を上げた。アインが届ける相手を変えたのだ。
「……いいよ」
エリクは、僕を見た。
「抱いても?」
僕は答えかけて、口を閉じた。
アインが、自分から彼の膝へ前足を掛ける。
エリクは白い体を支え、苦しくないかと聞いた。
相棒の尾が、膝の上で丸くなる。
僕は審問官へ顔を戻した。
「僕が、誰かへあげたんじゃありません」
言ってから、少し恥ずかしくなった。
小さな子の説明みたいだった。
でも、ほかの言い方は思いつかなかった。
「今、そこにいたいと、アインが決めました。僕との契約がなくなったわけでも、エリクと契約したわけでもありません」
ダリオさんが、白い相棒とエリクを見た。
「その区別を、記録に残します」
僕は、何度もうなずいた。
*
審問は、一度休憩を挟んだ。
アインはエリクの膝を下りて、水を少し飲み、僕の横へ戻ってきた。聞く相手を変えながら話した分、疲れていた。
眠らせないでほしいと言ったからと、ずっと答え続けなくてはならないわけではない。
ベルンさんが休憩を求め、王都支部の職員も時計を見てうなずいた。
休憩後、アウレシア様が立ち上がった。
「精霊が人の所有物ではないことに、異論はない」
椅子の軋む音が、いくつか重なった。
僕は、光の翼の向こうを見た。
「私も、セレスティアの所有物ではない。契約は双方が受け入れて結ぶものだ」
アウレシア様は、王女殿下の方へ手を向けなかった。
自分の言葉として、正面へ話していた。
「ただし、意思を持つ者なら、他者に危険を及ぼすことへの責任も問われる。意思があるから、何も制限してはならないということにはならない」
僕は、横へ戻ってきたアインを見た。
まだ、終わりではなかった。
『我も、他の者を危険へ放り出したいのではない』
アインが返す。
僕と王女殿下、審問官へ相手を戻してからの言葉だった。
『ならば、我を押さえれば済むという前に、何を避けたいか、何を調べたいかを示せ。我に答えられることは答える』
ダリオさんがその言葉を声に出し、殿下が確認した。後ろの席にも、相棒の返事が伝わった。
セレスティア殿下が、記録を見直した。
「本日は、封印術の実施までは進めません。アインの意思と契約者の意思を別々に確認した記録を、検証の資料に加えます」
僕は息を吐き、すぐに次の言葉を待った。
昨日も、喜びかけたところで、条件が続いた。
「当面、新たな接続と、許可のない力の試用は止めてください。既存の念話は制限しません。滞在と調査の担当を、神殿と王都支部の双方から出します」
王女殿下はアウレシア様を見た。
精霊王も、うなずいた。
封印が必要だという考えを、撤回したのではない。それでも、今すぐ何も言えなくなることは、避けられた。
僕は、ようやく背もたれへ体を預けた。
*
読み上げられた記録の中に、一か所、違う言葉があった。
白い精霊の所持者。
僕は手を上げた。
でも、立ち上がる前に、セレスティア殿下も同じ行を指した。
「そこは契約者です。冒頭に確認した区別と、合わせてください」
書記が訂正し、もう一度読む。
アインは、その言葉が届くまで待っていた。
紙の言葉が一つ直っただけで、国中の精霊の扱いが変わるわけではない。
後ろの席には、腕を組んだままの人もいる。
それでも、この紙の上では、僕は相棒の持ち主ではなくなった。
訂正された写しを受け取り、ベルンさんが折れないよう袋へ入れる。
僕たちは入口で預けた道具を返してもらった。エリクも受取札を見ながら、一本ずつ確かめていた。
神殿の門を出ると、昼の鐘が鳴った。
「長かったな」
エリクが言った。
「うん」
「腹、空いた」
アインが顔を上げる。
『それは、我もだ』
今度は、僕たちとベルンさんへ届く声だった。
ミレアが笑い、ノエルも鞄の口を押さえながら息を吐いた。
難しい言葉は、帰ってから読み直せばいい。
僕は相棒を抱き直した。
「パンを分けるのと、アインを誰かにあげるのは、違うもんね」
『我はパンではないからな』
「分かってるよ」
白い鼻先が、僕の顎へ触れた。
指定の宿へ戻ると、受付には神殿と支部の印がある封筒が届いていた。
共同の保護調査を受けるための、明日の説明会についてだという。
アデラさんが、ベルンさんへ封筒を渡した。
僕は立ち止まり、今度の紙には、何と書かれているのだろうと思った。




