↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
属性なしのハズレ精霊に選ばれて追放された僕――白い相棒と旅に出たら、消えた属性が蘇り始めました  作者: ハッピーミラクルエンジョイ
六王巡礼と消える世界

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
41/50

41話 亀裂の向こう側

「魚だったんです。最初から、敵だったんじゃなくて」


メルセリア様の問いに、僕はそう答えていた。


これまで何と戦ってきたのか。聞かれたのは、そのことだったのに。


尾の欠けた魚が藻を食べたときの、丸い口が頭から離れなかった。


蒼海王は、僕の言葉を訂正しなかった。


「ええ。だからこそ、違いを確かめたいのです」


ベルンさんが建物の入口から椅子を運んだ。港の詰所で、戸口からは舟溜まりを見渡せる。僕たちは壁際へ座り、見張りの人が出入りする真ん中を空けた。


魚から取り出したものは、外の立入柵の奥に置かれている。蓋を閉めた容器を、食事の机へ持ってくる人はいなかった。


ミレアが、湯気の立つ椀を僕へ渡す。


「食べながら。説明だけして寝たら、明日また手が震えるよ」


「うん」


豆の入った汁を飲むと、思っていたよりお腹が空いていた。


アインには、味のついていないパンを小さくちぎった。


『我の話も、勝手に省くでないぞ』


「省かないよ。口に入ってるときは、ちょっと待って」


膝の上で、白い相棒がパンを前足で押さえた。


僕は古橋で出会った獣から話した。炎を飲み込んだこと。前足が触れた石から色が抜け、表面が崩れたこと。


井戸の水が使えなくなった村。領都を襲った群れ。


うまく言えないところはベルンさんが補い、エリクは敵を閉じ込めた場所を机に指で描いた。


「でも、灰色の鼠は違った。水を飲んだんだ」


エリクの指が止まる。


「俺たちが離れたら、そっと。今日の魚みたいに」


ベルンさんが鞄から、紐でまとめた記録の控えを出した。旅の途中で何度か見せてもらった、異常な魔獣についての束だ。


その中には、石切り場で捕まえた墓掘り鼠の紙もあった。


「呼吸がある。餌と水を取る。脅せば逃げる一方で、不意にほかの鼠を襲った。あのときは、病気なのか、外から何かを受けたのか判断できなかった」


僕も覗き込んだ。


紙の端に、格子の色が薄れた位置が描いてある。檻を調査員へ渡した日のことを思い出した。


「霧の村のロクもです。こっちに来ようとして、それから自分で足を止めました」


「魚は、頭と尾が別々の方へ動いていたわ」


ノエルが言った。


メルセリア様は控えを読み、外の容器へ目を向けた。


「私が昔見たものと、同じ特徴があります。自分の体を持たないものと、ほかの命の体へ入り込んだもの。あなたたちは、その両方に会っていたのですね」


僕は匙を置いた。


「体が、ない?」


「灰喰いの姿は、奪った力と周りのものを寄せ集めた、仮の形です。もともと狼や鼠として生まれた体ではありません」


「獣に見えても、魚と同じ体じゃないんですね」


「ええ。外側が似ていても、中で起きていることは違います」


僕は古橋を思い出した。


あれほど獣に似ていた。だから、生まれたときから獣なのだと、考えもしないで決めていた。


「では、魚から出たものも」


ベルンさんが尋ねる。


「ええ。あちらは、生きた魚の体を使っていました。魚自身が消えたわけではないのに、動きを奪っていたのです」


ミレアが椀を両手で包んだ。


「魚は、ずっと逃げようとしてたんですね」


誰も、すぐには返事をしなかった。


僕の膝でアインが顔を上げる。


『あの遅い揺れは、魚のものだった。引かずに残した方だ』


僕は相棒の言葉を伝えた。


メルセリア様がうなずく。


「今日、それを確かめられました。取り出したあとにも、魚の命は残った」


机の下で、握っていた左手を開いた。


あのとき魚ごと引っ張らなくてよかった。


できなかったから待ったことが、今になって少し怖くなった。


*


ベルンさんは紙を一枚裏返し、二つの丸を離して描いた。


一方に僕たちのいる岸、もう一方には何も描かなかった。


「別の生き物、というだけじゃない。こちらの世界にはないものだと?」


「はい。私が見た最初の侵入でも、境界の向こうから来ました。炎も水も、こちらと同じようには働かない場所から」


「海の、もっと向こうですか」


僕が聞くと、メルセリア様は首を横に振った。


「船で進める場所ではありません。あの水底で、石の先の景色が途切れていたでしょう。石が割れただけなら、下の土か水が見えるはずです」


採水班の人が見つけた、石柱の下の裂け目。


その先が、見えなかった。


「世界を隔てる境目が破れて、こちらへ入れる隙間ができているのです」


エリクが机の二つの丸を見比べた。


「隣町から来るんじゃなくて、俺たちのいる場所の外から?」


「そう考えてください。私も向こうのすべてを知っているわけではありません」


ベルンさんの指が、紙の端を押さえた。


「虚無種」


小さな声だった。


メルセリア様が顔を向ける。


「あなたは、その名を」


「昔の研究で使っていた。ヴォイド、とも呼んだ。世界の外から来たのではないかと考えたが、証明できなかった」


僕はベルンさんを見た。


知っていたのなら、どうして。


顔に出たのだと思う。ベルンさんは僕から目をそらさなかった。


「灰喰いを、普通の魔獣と同じように扱うなとは言ってきた。だが、俺の予想を答えとして教えるわけにはいかなかった。鼠の中へ何かが入っていたことも、あのときには分からなかったんだ」


「今は、分かったんですか」


「魚から取り出したものと、王の見たものが重なった。俺が足りないまま持っていた記録にも、続きができた」


ベルンさんは二つの丸の間に線を引いた。


「ただし、魚が何匹いるかも、この亀裂がなぜ開いたかも、まだ調べなきゃならん。名前がつけば全部分かるわけじゃない」


『名がなくとも魚は苦しんでいた。名を知った今は、違えず助ければよい』


僕が訳すと、ベルンさんは少しだけ眉を下げた。


「そうだな」


メルセリア様は、魔獣の中には力を蓄える魔核という器官があると教えてくれた。


魚から出たものは、その近くに絡みついていた。魚の力を使い、筋肉を動かしていたのだという。


「そのように、生きた魔獣が入り込まれている状態を、虚ろ憑きと呼びます」


僕は紙の隅へ、忘れないように書いた。


魚そのものの名前ではない。


助ける前とあとで、別の生き物になるわけでもない。


「では、色の薄くなった魔獣は、みんなそうなんですか」


ミレアの質問に、王は首を振った。


「体の外側から力を奪われただけの場合もあります。色だけでは決められません。自分で逃げ、餌を選び、仲間へ応じられるか。中に違う動きがないか。それぞれを確かめる必要があります」


灰色の脚で巣を離れた小さな魔獣たちまで、魚と同じだったとは限らない。


僕は書きかけた字の横に、色だけでは分からない、と足した。


「今の魚は、自分で体を動かそうとする力が残っています。もっと深く奪われていれば、今日と同じやり方では救えません」


ノエルが、足元のネロへ手を伸ばした。


「精霊も、体を取られるんですか」


「精霊は生き物の肉体を持ちませんから、同じことは起きません。ただ、力も記憶も、契約のつながりも傷つけられます。安全という意味ではないのです」


ノエルの指に、黒い子猫の額が触れた。


僕もアインを撫でた。眠そうに細めた銀色の目が、僕を見上げる。


『心配するな、とは言わぬ。明日も、よく見よ』


「うん。一緒に」


*


その夜は、話を途中で切り上げた。


王様が残るからといって、見張りを一人に任せることはできない。港の人たちは交代の相手へ網と容器の様子を伝え、僕たちは宿へ戻った。


翌朝、尾の欠けた魚は生きていた。


別にされた籠の底で藻をつつき、影が差すと少し離れる。夜の見張りの人からも、石柱へ向かって暴れることはなかったと聞いた。


僕は柵の向こうへ、小さく手を振った。


もちろん、振り返してはくれない。


「元気なら、それでいいよな」


エリクが言い、僕は笑った。


その日の作業も、休みを挟みながら一匹ずつだった。


大人が網籠で体を支え、メルセリア様が水を導く。僕とアインは、その前に魚自身の動きを探した。


昨日より、何を待っているのか分かった。


けれど、簡単になったわけではなかった。


昼前に籠へ入った一匹は、尾を動かさない。鰓だけが、かすかに開いていた。


アインの尾が四本に広がる。


『遠い。魚の動きが、ほとんど分からぬ』


僕の手首には、石柱へ向かう引っ張りだけが強く伝わった。


早くしないと。


昨日の魚も、横になりかけていた。


「今なら――」


言いかけると、白い前足が僕の親指を押さえた。


『待て。昨日に似ておるだけだ。魚まで引くかもしれぬ』


僕は唇を噛んだ。それから、まだ分けられないと声に出した。


メルセリア様は水を動かさず、網の持ち手へ指示を出した。


魚の腹が網の折れ目に当たっていた。港の人が籠を少し傾け、底を平らにすると、魚の鰓が大きく開いた。


押さえつけられて、息をしにくかったのだ。


ミレアがしゃがみ、魚の口と鰓を交互に見た。


「さっきより、動いてる。でも、まだゆっくり」


誰も次を急かさなかった。


やがて尾が一度、水を打った。


その瞬間、手首を引く感じとは違う、小さな揺れが胸に届く。


『そこだ。今度は、分かる』


「魚の方が分かりました!」


声に出すと、王様が僕たちの合図を待った。


アインが先に絡みついた動きを止める。僕はその瞬間を伝え、細い水の流れが魚の口から外へ通った。


黒ずんだ筋が出てくる。


それは魚へ戻ろうと曲がったが、アインの耳がぴんと立った。


『そちらではない』


僕にも伝わっていた二つの動きのうち、速い方だけが岸沿いへずれた。


王様が用意した別の容器へ水を送る。引っ張る感じが切れ、水の光が消え、大人が蓋をした。


籠に残った魚は、今度は自分で向きを変えた。


僕は息を吐いた。待っている間、肩を上げたままだったらしい。


「アインが、止めてくれたんです。僕、昨日と同じだと思って」


ベルンさんが僕の手を確かめた。


「分からないまま始めなかった。それも、できるようになったことだ」


白い相棒は僕の腕に戻ると、鼻先で掌を押した。


『褒めるなら、撫でてもよい』


「いつも撫でてるよ」


『今日は、多めでよい』


僕は両手で背中を包んだ。


エリクが笑ったのは、僕の言葉とアインの得意そうな顔を見たからだ。相棒の言葉を訳すと、もっと笑われた。


*


夕方までに、前日囲いへ入れた魚は、みんな回復を見るための籠へ移った。


全部が元気に泳げるわけではない。底で休む魚もいたから、すぐには放さなかった。取り出したものの容器は、蓋の印を確かめて大人が引き継いだ。


沈んだ舟には触れず、石柱の周りには新しく縄を渡す。


取水口の板も外さない。


魚を助けられたことと、水路へ近づいてよいことは別だった。


王様は支部の調査班と、亀裂の監視を続けることになった。魚へ使った水の流れで、世界の裂け目まで塞げるわけではないという。


「別の魚が来ないかも、見なくちゃいけないんだ」


僕が言うと、メルセリア様はうなずいた。


「あなたたちが眠っている間も。ここから先は、交代できる人たちと進めます」


僕はアインを抱き直した。


自分たちが去ったら終わりになってしまうのは怖い。でも、今日は引き継ぐ相手の顔が見えた。


ノエルが二日分の記録をまとめ、ミレアが魚の様子を書き足した。エリクは網籠の底が折れた場所を描き、持ち方を変えたことも残した。


僕の紙には、アインに止められたことも書いた。


ベルンさんは読み終えると、自分の鞄から別の小さな手帳を出した。


紐をほどく手が、途中で止まる。


「昨夜、言わずにいた続きがある」


僕たちは詰所の椅子へ座り直した。外では王様が見張りの人へ話しかけている。今ここにいるのは、旅をしてきた五人と相棒たちだった。


「俺も、昔、亀裂を見た」


ベルンさんが手帳を開いた。


紙は角が丸くなり、綴じ糸だけ新しかった。


「お前たちが十歳で旅を始めたころには、十八年前と数えていた事故だ。今は、二十年ほど前になる」


僕は手帳と、ベルンさんの顔を見比べた。


僕が生まれるより、ずっと前。


それでも、この人は今も持ち歩いていた。


「学院にいたころ、こちらのものでは説明できない現象を調べていた。そこで境界に裂け目ができた。どうして開いたのかは、今も全部は分かっていない」


「そのときに、灰喰いが?」


「似たものが出た。俺は人を外へ出そうとして、左脚をやられた。……出せなかった教え子もいた」


机の下で、ベルンさんの左足が少し動いた。


僕は何か言おうとして、言葉をなくした。


大丈夫だと言ったら、何が大丈夫なのだろう。


教え子は今も帰ってきていないのに。


「先生も、分からないまま逃げたんですか」


エリクが聞いた。


責める声ではなかった。自分ならどうしたのか考えているときの、低い声だった。


「ああ。何が起きたかも、どうすれば止まるかも分からなかった。残った記録で外から来たものだと主張したが、学院も神殿も認めなかった」


「だから、あの魚もすぐには決めなかったんですね」


「慎重でいたかった。だが、話すのを避けていたところもある」


ベルンさんは手帳を閉じなかった。


「お前たちは、もう同じものの前へ立っている。俺が嫌だからで黙っていていい話じゃなくなった」


アインが僕の膝から手帳を見た。


『ルカ。聞いておけ。我も、覚える』


僕はその言葉を伝えたあと、ベルンさんに言った。


「すぐに全部、分かるかは分かりません。でも、聞きたいです」


ベルンさんはうなずいた。


手帳には、床の印と、印から外れた線が描いてあった。僕には図の意味が読み取れない。


ただ、線の横の字は読めた。


〈向こう側から動く〉


僕たちが今日、魚から引き離したものは、確かに向こうへ戻ろうとしていた。


向こうには、ほかに何がいるのだろう。


そのとき、詰所の戸が開いた。


支部の調査員が、丸めた地図を抱えて立っている。


「ベルン殿。上流の見回りから報告です。水路の外でも、色の薄れた魔獣が見つかりました。人はまだ襲われていません」


ベルンさんは席を立ち、まず発見した場所と見回りの人数を尋ねた。


僕は追いかけず、膝の上を見た。


アインも僕を見ていた。


『魚とは違うかもしれぬぞ』


「うん。だから、ちゃんと確かめたい」


外で港の鐘が鳴った。


明日どうするかは、まだ決まっていない。


それでも僕の紙には、初めて書ける答えが一つ増えていた。


灰色になったからといって、まだ、その命を諦めなくていい。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。