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属性なしのハズレ精霊に選ばれて追放された僕――白い相棒と旅に出たら、消えた属性が蘇り始めました  作者: ハッピーミラクルエンジョイ
追放の旅と灰喰いの獣

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29話 赫炎王の鍵

炎が近づいてきたとき、僕はアインを抱く腕へ力を込めた。


助けてほしいと頼んだのは僕だ。


それなのに、赤い鬣が揺れるだけで体が強張った。


灰喰いに火を奪われた光景が、まだ目の奥に残っている。


ヴァルガンは、それ以上近づかなかった。


『この庭には、我の炎を奪おうとするものはおらぬ』


低い声が、岩庭へ響く。


『この場に留まる炎で、白き者の姿を支える。体を焼くための火ではない』


ベルンさんが僕の隣へ膝をついた。


「俺も見ている。嫌なら、すぐ言え」


アインの目が、ゆっくり開いた。


銀色の目に赤い鬣が映る。


『……頼む』


短い声だった。


僕は頷き、王へ伝えた。


「お願いします。アインも、そう言っています」


ヴァルガンの前脚から、淡い赤が石へ広がった。


炎が僕たちへ跳びかかるのではない。


岩庭の石に刻まれた細い溝を、光がゆっくり巡る。


僕の手は熱くならなかった。


けれどアインの背へ触れていた指に、毛の感触が増えた。


白い輪郭が少しだけ濃くなる。


透けていた向こう側の袖が、見えにくくなった。


「アイン」


呼ぶと、耳が僕を向いた。


それだけで、胸がいっぱいになる。


『……大きな声を出すな』


怒られた。


弱い声だった。いつもの半分より、もっと小さい。


それでも、ちゃんとした言葉だった。


「ごめん」


僕は笑おうとして、変な息を漏らした。


「起きたね」


『見れば分かる』


僕は何度も頷いた。


「もう、喋らなくていいから」


言うと、アインは不満そうに耳を伏せた。


『戻った途端に、黙れと申すか』


「そうじゃなくて」


言い直そうとして、笑ってしまった。


伝えたいことが多すぎて、うまく順番にできなかった。


僕は背中の毛を一度だけ撫でた。


「嬉しいんだよ」


アインは何も言わなかった。


その代わり、僕の掌へ顎を乗せた。


少しだけ重くなった顎を、僕は動かさずに支えた。


後ろでエリクが、あ、と声を出した。


僕がやり取りを伝えると、彼は両手で顔を擦った。


「それ言えるなら、ちょっとは戻ったんだな」


ミレアは喜びながらも、ベルンさんが確かめるまでアインへ触れなかった。


ノエルはネロを抱いたまま、ほっとしたように肩を下ろした。


ヴァルガンの炎は、ゆっくり揺れている。


『治ったのではない。この庭の力を借りて、姿を保ちやすくしただけだ』


僕は顔を上げた。


『今ここで立てても、そのまま旅へ出られるとは限らぬ』


伸ばしかけた手を止めた。


アインも立とうとはせず、僕の腕へ顎を預けた。


ベルンさんが王へ、これまでの経過を話した。


領都で灰色の獣が七体確認されたこと。


人々の炎が奪われたこと。


アインが奪われた力を元の場所へ返し、途中で止めたあとに薄れたこと。


僕が三日間の旅を付け足した。アインの姿は同じで、悪くならなかったけれど、戻りもしなかった。


王は途中で遮らなかった。


全部知っていたような顔も、しなかった。


『灰色の獣が、炎を組み込んで姿を変えたか』


「はい」


『我も、その街で何が起きたかは見ておらぬ。今の話だけで、すべてを決めることはできぬな』


僕は頷いた。


会えば全部分かるとは、もう思わないようにしていた。


それでも、何か見つけてほしかった。


ヴァルガンはアインへ目を戻した。


『白き者。そなたが見たものを、伝えられるか』


アインは僕を見た。


僕には、何を答えればいいのか分からない。


ベルンさんが先に言った。


「長く使わせたくはありません。休んでからでもよいでしょうか」


王は頷いた。


『よい。急いで記憶を探る必要はない』


岩庭の端に、風を避けられる窪みがあった。


僕たちはそこへ腰を下ろした。ミレアが水を出し、エリクが宿でもらったパンを分ける。


イレーネさんには、ベルンさんが境界まで戻って様子を伝えた。アインの返事が戻ったことを聞いて、目を閉じて頷いていたと、後で教えてくれた。


王は岩のそばで伏せた。


大きな獅子が静かに待っている。


僕はパンを噛みながら、何度も見てしまった。


アインが腕の中で目を細める。


『食べるか見るか、どちらかにせよ』


「アインも見てるじゃないか」


『我は食べておらぬ』


言い返せなかった。


『水は、いらぬ』


アインが僕へ言った。


器を持つ手を止める。


「飲みにくい?」


『今は欲しくない』


前なら、少しでも口へ運んだと思う。


でもアインは、欲しくないと言えた。


僕は器を置いた。


何でもしてあげたいと思っても、いらないものまで押しつけたら嫌だろう。


「じゃあ、ここに置いておくね」


『うむ』


小さな返事だった。


僕はそれを聞くだけで、何かが一つずつ元に戻っていくように感じた。


ノエルが隣へ座り、ネロを膝へ乗せた。


「話せると、分かるんだね」


「うん。ちょっと怒られるけど」


「怒ってもらえるの、いいね」


僕は頷いた。


ネロが逃げたかったとき、ノエルはその気持ちを聞いた。


僕も今、アインがしたくないことを聞ける。


そのことが、とても大事だと思った。


少し休んだあと、アインが自分から顔を上げた。


『伝える』


ベルンさんが頷き、僕の横へ座った。


アインの共鳴が、岩庭へ広がる。


今度は僕へ向けたものではなかった。


それでも、契約を通じて断片が触れる。


灰色の中へ絡め取られた赤い筋。


糸がほどけるように離れる光。


呼ぶ声のある方へ帰っていく、一つずつの炎。


僕は息を整えた。


そのときの寒さまで思い出そうとしない。


ヴァルガンの鬣が、ゆっくり波打つ。


やがてアインが目を閉じ、共鳴が止まった。


『……見たか』


『見た。力を自分へ集めず、元の結びつきへ戻したのだな』


王の言葉は全員に聞こえた。


アインの答えは僕にしか届かない。僕は短く、皆へ伝えた。


『あれは我の火ではない』


「アインは、自分の火じゃないからって」


ヴァルガンが僕を見た。


『そなたも、そう考えたのか』


「はい。でも、返せば全部うまくいくと思ったのは、違いました」


籠の中の薄い体を思い出した。


始める前に、皆へ頼んだ。


止める条件も決めて、止めた。


それでもアインは消えそうになった。


「前に少しできたから、もっとたくさんでも大丈夫だって、思ったところがあったんです」


ベルンさんが隣で息を吐いた。


「俺もだ。止めれば戻ると見込んでいた。前の例だけでは、足りなかった」


アインが僕の指をつついた。


『我も、戻せると思った』


誰か一人が悪いと言えば、簡単なのかもしれない。


でも僕は、アインだけへ謝らせたくなかった。ベルンさんに全部決めたことにもしたくなかった。


「次は、始める前にもっと小さく区切りたいです。途中で止めればいい、だけじゃなくて」


『うむ』


アインが頷いた。


ヴァルガンはしばらく黙っていた。


試験に合格したと言われることはなかった。


間違えたから追い出すとも、言わなかった。


『白き者。そなたへ力を添えたとき、我の中に応じるものがあった』


王の前脚が、石の上へ置かれる。


『今の共鳴にも、同じものが応じておる』


アインの耳が立った。


『我も、何か……知っておる気がする』


僕は二体を見比べた。


「前に会ったんですか」


どちらもすぐには答えなかった。


ヴァルガンが首を横へ振る。


『その姿に覚えはない』


アインも、自分の前脚を見た。


『我にも、おぬしの名を聞いた記憶はない』


「じゃあ、何が同じなんだろう」


口にしてから、僕にも分からないのだから王にだって分からないことはあると思い直した。


王はアインの小さな前脚を見ていた。


僕は思い切って尋ねた。


「アインみたいな精霊を、見たことはありませんか。白くて、どの属性か分からない精霊です」


『白い姿だけなら、珍しくはない』


ヴァルガンは答えた。


『姿も、話し方も、それだけで本来の力を言い当てるものではない。そなたらは、この者を何と記した』


「属性反応なし、階級判定不能って」


言いながら、あの日の笑い声を思い出した。


王は怒らなかった。


測った者を罰するとも言わなかった。


『分からぬなら、分からぬという記録であろう』


「でも、それで何もできないって……」


『それは、記録とは別の判断だな』


僕はアインを見た。


測れなかったことと、役に立たないこと。


似た言葉のように使われていたのに、本当は同じではなかった。


『我は井戸を戻したぞ』


アインが言う。


僕は頷いた。


「うん。知ってる」


王に位をつけ直してもらうより、そのことを今は忘れたくなかった。


ヴァルガンの鬣の奥が、明るくなった。


大きく燃えるのではない。赤い光が細く集まり、輪を描く。


輪の一部分だけ、形が欠けていた。


アインの胸にも、小さな光が浮かぶ。


同じような曲がり方をしていた。


「似てる」


エリクが言った。


僕も頷いた。


アインが息を呑む。


『そこだ』


前脚が、空中の欠けた所を指した。


『そこへ、つながっていた気がする』


ヴァルガンの目が細くなる。


『我にも、そう感じられる。だが、なぜ離れたかは思い出せぬ』


王が一歩だけ近づいた。


光の輪と、アインの胸の光が向き合う。


間の空気に、細い線が現れた。


鍵に似た形だった。


扉へ差し込む棒の先に、小さな歯がついている。


エリクが身を乗り出しかけ、すぐに座り直す。


「本物の鍵ですか」


『物ではない。途切れていたつながりが、そなたらにはその形に見えておる』


僕は触ろうとした手を止めた。


持って鞄へ入れられるものではないらしい。


ベルンさんが王へ尋ねた。


「つなぐと、アインはどうなりますか」


『今ある欠けを、支えられる可能性がある。我の炎へ通じる道が生まれるかもしれぬ』


「必ずですか」


『必ずとは言えぬ』


王ははっきり答えた。


『力で押し込むつもりはない。合わねば止める。そなたらが望まねば、今日ここでつなぐ必要もない』


僕はアインを見た。


ここまで来れば、助けてもらえる。


それだけを思っていた僕は、また迷った。


やって悪くなったら。


でも、何もしなければ、ここを出た後は。


アインの前脚が僕の指へ重なる。


『ルカ』


銀色の目が、僕を見ていた。


『我は、確かめたい』


僕は唇を噛んだ。


「怖くない?」


『怖い』


すぐに返った。


初めて聞いたわけではないのに、胸が痛くなった。


偉そうに笑う相棒も、今は怖いのだ。


『だが、おぬしの声へ、また返事をしたい』


僕の目が熱くなった。


アインは指を押さえたまま、王へ向き直る。


『頼む。合わねば止める。そう約束せよ』


アインの言葉と同時に、王へ向けた共鳴が広がった。僕には言葉として届く願いを、王は共鳴語で受け取っている。


『約束する』


王の声が岩へ響いた。


ベルンさんは二体から目を離さず、僕へ確認した。


「途中で苦しくなったら言え。黙って受け止めるな」


「はい」


エリクが僕の横へ来た。


空いた手を差し出す。


「籠、持っとく。すぐ寝かせられるように」


ミレアは畳んだ布を広げ、ノエルが僕の後ろの平らな岩へ敷いた。


アインを抱いたまま座れば、膝の上に休ませられる。


大きな力の話をしていても、みんなが用意するのは、僕の知っている物だった。


布と籠と、腰を下ろせる場所。


それが少し嬉しかった。


僕は一人で王の前へ立っているのではない。


「ありがとう」


小さく言うと、エリクはいつものように頷いた。


僕はアインへ、もう一度顔を近づけた。


「一緒にいるよ」


今度はそれだけ言った。


決めるのはアインだ。


僕はその決めたことを、そばで支えたい。


二つの光が、少しずつ近づいた。


アインの体へ王の炎が流れ込むのかと思った。


違った。


白い胸の光が、自分から欠けた所へ伸びる。


鍵に似た線が、輪の間へ収まった。


熱さはなかった。


でも、遠くで誰かが火を起こしたような匂いがした。


乾いた木。


冷たい夜。


それから、知らない声。


――また、会おう。


景色が一瞬だけ、目の前をよぎった。


暗い場所に、小さな光が幾つも浮かんでいる。


赤い一つが遠ざかる。


誰が手を伸ばしたのか、僕には見えなかった。


「ルカ」


ベルンさんに呼ばれ、息を吐く。


岩庭にいる。


アインを抱いている。


知らない景色は消えていた。


「変なものが、見えました」


『我もだ』


アインの声が、さっきより近かった。


僕は腕の中を見た。


白い背の向こうに、袖が透けていない。


前脚の毛が一本ずつ見える。


小さな鼻が動き、アインが僕の手の匂いを嗅いだ。


いつものアインだった。


そう思ったら、声が出なかった。


「ルカ。見えてる?」


ミレアが横から尋ねた。


僕は頷いた。


何度も頷いた。


『頭を振りすぎだ』


今度は、みんなへ伝える前に笑ってしまった。


アインが僕の指を軽く噛む。


痛くない。


重みがある。


腕の中に、ちゃんといる。


ヴァルガンは、元と同じ大きな姿で目の前にいた。


王がアインへ吸い込まれたわけではない。


鬣の炎も消えず、目も意思も、そのままだ。


『我は我だ』


王が告げた。


『このつながりを認めたからといって、そなたの命令に従うものではない』


アインが顎を上げた。


『命じておらぬ』


『ならばよい』


短いやり取りだった。


僕には、二体が少しだけ嬉しそうに見えた。


けれどアインは、すぐに瞼を下ろした。


「また眠る?」


声が高くなった。


ベルンさんがアインの背を確かめる。


『今は休ませよ』


ヴァルガンが言った。


『つながったばかりの道へ、さらに力を流すな。今日できたことを、今日すべて試す必要はない』


僕は頷き、アインを布で包み直した。


輪郭は薄くならない。


耳を撫でると、嫌そうに一度だけ動く。


眠っている。


今度は、帰ってきた相棒が眠っているのだと、少しずつ信じられた。


王は、岩庭の奥にある休み所を示した。


今夜はそこを借り、朝まで様子を見ることになった。イレーネさんにも知らせ、境界近くの場所で一行が夜を過ごせるよう、改めて許しを得た。


明日、どうなるかはまだ分からない。


火を出せるのか。


何を思い出したのか。


聞きたいことは、幾つもあった。


でも今は、答えを急がなかった。


アインの横へ、小さな皿を置く。


宿から持ってきた、空の皿だった。


目を覚ましたら、ここへ菓子を置こう。


僕は白い背へ触れながら、窓の外が暗くなるのを見ていた。

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