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属性なしのハズレ精霊に選ばれて追放された僕――白い相棒と旅に出たら、消えた属性が蘇り始めました  作者: ハッピーミラクルエンジョイ
追放の旅と灰喰いの獣

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23話 守るための布陣

屋敷の作戦室には、大きな机が三つ並んでいた。


一つ目は領都全体の地図。


二つ目は北壁と東壁の地図。


三つ目には、負傷者、避難した人、まだ所在を確かめられていない人の名簿が積まれている。


僕が前に入ったことのない部屋だった。


壁には歴代当主の肖像と、炎獅子の旗が掛かっている。子どものころは、父上と兄上だけが入れる大人の場所だと思っていた。


今は騎士、町役人、冒険者、職人が二十人以上集まっている。


その中へ、家名のない僕が立っていた。


視線が痛い。


「なぜ、あの子がいる」


小さな声が聞こえた。


「追放されたはずだ」


別の人が答える。


聞こえないふりをしようとして、うまくできなかった。


アインが足元から机へ飛び乗る。短い脚では届かず、前脚だけを掛けてぶら下がった。


僕が腹を支えて乗せると、アインは最初から一人で上がれたような顔で座った。


『狭い部屋に人を詰めすぎだ』


「大事な話をするからだよ」


『大事ならば、なおさら息のできる場所で話せ』


少し笑いそうになった。


肩に入っていた力が抜ける。


父上が机の前へ立つと、部屋が静かになった。


「確認できた事実から話す」


地図の北東へ、黒い駒を四つ置く。


「地上で目視した灰喰いは四体。北東街道、炭坑道、北壁外の排水溝付近に、別々の移動痕がある。地下からは複数の音を確認したが、数は不明」


次に、赤い駒を中央へ置いた。


「中央炉の出力は、すでに通常の四分の一まで下げた。北壁で炎術を一度使った後、灰喰い一体が進路を変えた。炎へ反応する可能性が高い」


「可能性だけで、領都の防壁を捨てるのですか」


炎騎士団の年配の人が言った。


「石壁だけで、あの灰色の獣の群れを防げません。中央炉を戻し、外で焼くべきです」


ロッソが低く唸った。


イレーネさんが一歩前へ出る。


「西の古橋で、私は炎壁を使いました。灰喰いへ直接当てていません。それでもロッソの炎は吸われ、個体は大きくなりました」


「中位精霊一体の火と、領都の防壁術式は違う」


「大きいから安全だという証拠はありません」


ベルンさんが、灰喰いに削られた板の写しを机へ置いた。


「水を使った村では、攻撃した水精霊の契約まで切られかけた。石切り場では、精霊術で強化しない鉄と木の檻が長く持った。北東の森では、術を使わずに二十頭の魔獣を切り離せた」


「では、炎精霊騎士は何をすればいい」


兄上が尋ねた。


怒っているようにも、答えを探しているようにも聞こえた。


「剣と盾を使え」


ベルンさんは短く答えた。


「契約を失えば何もできない騎士じゃないだろう」


兄上の手が剣の柄へ触れる。


フィアを見てから、ゆっくり手を離した。


「北壁の騎士へ、炎術禁止を徹底します。槍、盾、投石器だけを使わせる」


年配の騎士が何か言いかけた。


兄上が先に続ける。


「精霊は後方へ下げる。ただし、負傷者搬送に必要な最小限の保温まで禁じない。使用場所と時間を記録する」


父上が頷いた。


「ギルベルトを北壁の指揮に残す。炎騎士団は二班に分け、一班が仮柵、もう一班が住民の退路を守れ」


黒い駒の手前へ、木の駒を三列に置く。


「仮柵は三段です」


エリクが言った。


全員の目が集まり、声が少し小さくなる。


「一枚じゃ、越えられた後にどこまで来たか分からない。三つ離して置いて、押されて傾いた順に鐘を鳴らします」


「十歳の子どもに、防壁を作らせるのか」


年配の騎士が僕ではなく、父上へ言った。


エリクの顔が赤くなる。


「俺が一人で作るんじゃありません。形を説明します。大工と兵士が作る方が早いです」


悔しそうだった。でも、自分が全部やるとは言わなかった。


北東の森で、一度の試しだけでは五枚の板を全部うまく倒せなかった。


その失敗を、エリクは忘れていない。


父上が年配の騎士へ向く。


「意見は年齢ではなく、中身で判断しろ。仮柵の設置は工兵隊長が確認し、使える部分を採用する」


「承知しました」


騎士が頭を下げた。


エリクは驚いた顔で父上を見た。


でも、礼を言う代わりに地図へ指を置く。


「鐘は火を使わない。柵が傾くと縄が引かれて、木槌が鐘を叩くようにします。人が近くで見張らなくても、どの柵まで来たか分かります」


工兵隊長が身を乗り出した。


「縄が途中で切られたら?」


「一つの縄を長くしません。柵から最初の鐘までだけつなぐ。そこから町へは、鐘を聞いた人が次の鐘を鳴らします」


「風向きで聞こえない区画がある」


「板も使う」


ノエルが口を挟んだ。


「一枚目が傾いて鐘が鳴ったら四角、二枚目なら丸、三枚目なら三角の板を塔から出す」


「暗ければ、どの形も見えない」


「見張り塔の蓄光石灯の前に出す。板が影になれば、色が見えなくても形は分かる」


ノエルは迷わず答えた。


エリクが地図の端へ、四角、丸、三角を描く。


「それなら作れる」


二人が並んで線を足していく。


父上は止めなかった。


「警報は工兵隊とエリク、ノエルが試作。ネロの力は、消えた痕跡の確認だけに限る。灰喰いの近くでは使うな」


「はい」


ノエルの返事は小さいが、はっきりしていた。


作戦室の隣の中庭で、最初の警報を試した。


一枚の板を仮柵に見立て、板から伸ばした縄を木槌へ結ぶ。板が倒れると縄に引かれ、木槌が鐘を叩く仕組みだ。


「倒します!」


工兵が板を押した。


縄が張り、木槌が持ち上がる。


けれど、鐘の手前で止まった。


音は鳴らない。


「縄が短い?」


僕が聞くと、エリクは木槌を手で鐘へ当てた。


「長くしても、くっついたままになる」


木槌を離してもう一度当てると、今度は澄んだ音がした。


「叩いた後、戻らないと鳴らないんだ」


エリクは道具箱から細い縄をもう一本出した。木槌の反対側へ結び、先へ石を三つ入れた袋を下げる。


工兵が一本目の縄の先を、固定した結び目から浅い鉤へ掛け替えた。木槌が鐘へ届くところまで引くと、縄が鉤から外れる。そうすれば、石袋の重さで木槌を引き戻せる。


板が倒れる。


一本目の縄が木槌を引き、すぐに石袋が反対へ戻した。


カン、と鐘が鳴った。


「できた!」


エリクが笑う。


工兵隊長は、同じ形をすぐ作れとは言わなかった。


「石二つと四つでも試せ。雨で縄が重くなった場合もだ」


「はい」


一度できても、本番で鳴るとは限らない。


エリクは石の数と縄の長さを板へ書いた。


ノエルは四角、丸、三角の板と蓄光石灯を持ち、作戦室の二階へ上がった。


窓辺に蓄光石灯を置き、その前へ板を一枚ずつ掲げる。灯りを背にした板が、暗い影になって浮かんだ。


四角と丸は分かった。


けれど、三角は小さく、離れて見ると丸と区別できない。


「三枚目が見えない!」


僕が声を上げる。


ノエルは板を引っ込め、しばらくして一回り大きな三角を出した。


今度は三つの角が、蓄光石灯の前にはっきり浮かんでいる。


「今は?」


「見える! 三角だって分かる!」


鐘が聞こえない場所でも、塔の板なら危険が分かる。


見張る人が文字を読めなくても、形を覚えればいい。


失敗した二つを直してから、工兵隊と町役人が道具を抱えて走り出した。


次は避難する人の地図だった。


姉上が北区画の名簿を広げる。


「北区画の住民は八百二十一人。南広場へ移ったことを確認できたのは六百九十三人。西門から領外へ出た人が七十六人。まだ確認できない人が五十二人です」


前に聞いた十四人より増えている。


「どうして?」


僕は思わず聞いた。


「最初の十四人は、一人暮らしの名簿だけ。家族と暮らす人にも、広場で名前が確認できない人がいたの」


分かっている人数が変わったのではない。


調べる範囲が広がったのだ。


姉上は五十二人の名前がある紙を分けた。


「うち十九人は、荷運びや門の手伝いに出ている可能性がある。残る三十三人は、自宅、工房、北の診療所を一軒ずつ確かめる必要があるわ」


「私が診療所を見る」


ミレアが言った。


「でも、一人では行きません。道を知っている人と、荷車を一台ください」


以前の僕なら、先に「僕も行く」と言っていたと思う。


今はミレアが持つ薬箱を見て、言葉を飲み込んだ。


同じ場所へ全員で行く必要はない。


できる役目を探す。


「僕は名簿を持ちます。戻った人の名前を消さず、別の欄に場所を書きます」


姉上が微笑んだ。


「消してしまうと、最初にどこにいたか分からなくなるものね」


「はい」


マルタさんに教わったやり方だ。


間違いも、前の数も、消さずに残す。


父上が役目を読み上げた。


ベルンさんとテトは西広場の治療所を作り、弱った精霊を人の治療場所から少し離して休ませる。


ミレアとポロは水と薬を確認し、北の診療所から患者を運ぶ。ベルンさんは、ミレアとノエルそれぞれの班へDランク以上の成人冒険者を一人ずつ付けるよう求め、父上も了承した。


ノエルとネロは、町役人二人と一緒に消えた街灯の順番と灰色の痕を調べる。力を使うのは短い時間だけで、発見後は近づかず戻る。


エリクは工兵隊と警報を作り、その後、東職人街の避難名簿を確かめる。


イレーネさんとロッソは北区画の残留者捜索。ロッソは炎を使わず、匂いと聴覚で人を探す。


兄上は北壁。


姉上は二つの広場の名簿をまとめる。


「ルカは、エステルと共に作戦室へ残れ」


父上の言葉に、胸が沈んだ。


「僕も外で探せます」


「見習いを、行方の分からない敵の前へ出すわけにはいかない。ここにも仕事がある」


正しい。


分かっているのに、悔しい。


「ここで、外から来る数をまとめろ。北壁の警報、広場の人数、負傷者、消えた炎。別々の報告を一枚の地図へ移せ」


父上が僕たちの作った地図を机の中央へ置いた。


「お前が門前でしたことだ」


外へ出る人だけが、戦っているわけではない。


北東の森でも、僕は高台で五本の縄を見た。


一つずつなら分かることを、誰かと一緒に全部見る。


「分かりました」


僕は頷いた。


『我は外へ出るぞ』


アインが不満そうに言う。


「僕と一緒だよ」


『我なら、欠けた匂いが分かる』


「アインの言葉は僕にしか分からないから」


『ならば、そなたが離れた場所から我の言葉を伝えればよい』


「そんな遠くまで、アインの声が届くか分からないよ」


『……まだ試しておらぬな』


「だから、今試すのは危ないよ」


アインは机の上で尾を強く振った。


父上がこちらを見る。


「何と言っている」


「自分は外へ行く、と怒っています」


「契約者と離れた場合、力は使えるのか」


「分かりません。そんなに遠くまで離れて試したことはないので」


「ならば試すのは今ではない。共に残れ」


僕が伝えると、アインは父上を見上げた。


『そなたは気に入らぬが、今の答えは正しい』


「今のは、伝えなくていいよね」


『すべて伝えよ』


僕が迷っていると、姉上が小さく笑った。


父上は笑わなかった。でも、アインから目を逸らさなかった。


「必要な物を言え」


父上が全員へ命じる。


工兵隊は、板、縄、木槌、手押し車。


ベルンさんは、水樽、寝台、清潔な布、火を使わずに湯を保てる断熱箱。


ミレアは、患者へ結ぶ三色の布。赤はすぐ運ぶ人、黄は歩けるが見守る人、白は処置を終えた人。


エリクは工房の滑車、細い鉄棒、手回しの穴開け。


ノエルは、書き直していない街灯の管理簿。


僕は、地図をもう二枚と、違う形の木札を頼んだ。


「家の印は付けるのか」


町役人が聞いた。


木札へ炎獅子の印があれば、命令だとすぐ分かる。


でも、印を押すだけでも時間がかかる。


「なくていいです」


僕は答えてから、父上を見る。


勝手に決めたと怒られるかもしれない。


「形が分かれば使えます。今は早い方がいいです」


父上は役人へ言った。


「印なしで配れ。偽物を疑う者には、各広場の責任者が口頭で説明する」


作戦室から人が次々に出ていった。


部屋が静かになったのは、ほんの少しだけだった。


すぐに三つの扉から伝令が入ってきた。


「南広場、親子四人を受け入れ!」


「西門、老人一名が退出!」


「北診療所から六人を搬送中!」


姉上が名前を聞き、僕が地図の横の表へ書く。


最初は、言われた数をそのまま足した。


南広場が四人増え、西門から一人減り、診療所から六人が移動する。


でも、北区画の未確認者は十一人減らない。


「待ってください」


鉛筆を止めた。


「診療所の六人は、南広場に着いた四人と同じ人かもしれません」


伝令は首を振った。


「私は運び出したところしか見ていません」


「南広場の四人の名前は?」


姉上が別の伝令から聞いた名前を読む。


母親一人と、子ども三人。


診療所から運んだ六人の名簿にも、その四人がいた。


二つの報告を足せば十人になる。でも、実際に動いたのは六人だ。


「場所が変わるたび、一人を何度も数えちゃう」


僕は書いた数字を消さず、横に線を引いた。


〈診療所を出た六人のうち四人、南広場へ到着。一人は西広場、一人は移動中〉


「移動中の一人は、着いた報告が来るまで確認済みにしない方がいいよね」


「ええ」


姉上が新しい紙へ、出発した場所と着いた場所の欄を作った。


名簿の数字は、ただ小さくすればいいのではない。


誰がどこへ移ったか、最後までつながっていなければならない。


父上が僕たちの紙を見た。


「以後、伝令は名前、出発地、到着地を三つとも報告させる」


町役人が同じ形の紙を広場と門へ運んだ。


残った地図へ、最初の報告が届く。


北壁第一柵、完成。


西広場、治療所の寝台二十四。


南広場、避難確認七百六人。


東職人街、工房十五軒の炉を停止。


「ダリオ・ヴァレン工房、避難済み!」


治療所の準備を職員へ引き継いだベルンさんと、警報の試作を報告に来たエリクが、作戦室へ戻っていた。


伝令の声に、エリクが振り向いた。


「父さんは?」


「工房主ダリオ、下位炎精霊パルと共に南広場。負傷なし」


エリクは大きく息を吐いた。


「よかった」


その一言は、十歳の子どもの声だった。


僕も父上と兄上と姉上が無事だと分かったとき、同じ声を出したかった。


姉上が僕の手へ、自分の指を重ねた。


「聞いていいのよ」


僕は父上を見る。


作戦室の向こうで、次の命令を書いている。


「父上の精霊は、無事ですか」


父上の手が止まった。


「ラウドは屋敷地下の休息室にいる。北壁で炎を使わせ、弱らせた。今は安定していると療師から聞いた」


「父上は」


「左腕を擦っただけだ」


「兄上は」


「本人に聞け」


冷たい言い方だった。


でも、答えてくれた。


僕は「はい」と言った。


「父上。炎の精霊王は、この町にはいないんですか」


僕は訊いた。強い精霊なら助けてくれるのではないかと、考えてしまった。


父上は首を振った。


「南の灼天峰におられる。領主の命令でお呼びする相手ではない」


「すごく強い炎でも、駄目ですか」


ベルンさんが僕を見た。


「炎である以上、敵の餌になる危険は残る。強ければ、奪われても困らないわけじゃない」


僕は頷いた。


南の山の名前を、頭の中でもう一度繰り返す。会いたいと思っても、今ここを空けて行ける場所ではなかった。


窓の外が、少し明るくなり始める。


夜明けだ。


炎の光ではない、空の色だった。


そのとき、北の鐘が一度鳴った。


低い音が町を渡る。


第一柵が押されて傾いた合図。


続いて、見張り塔の蓄光石灯の前へ四角い板が上がる。


エリクたちの警報が動いた。


伝令が作戦室へ飛び込む。


「灰喰い四体、北壁前へ到達! 炭坑道から、さらに二体が地上へ出ました。地下にも、中央へ向かう動きがあります!」


確認できた地上の灰喰いは、六体。


地下のものは、まだ数が分からない。


父上が全員へ聞こえる声で命じた。


「救援班の計画を領都防衛の正式手順とする。各班、決めた役目から離れるな」


父上は、僕たち四人の名前が隠れないように地図を机の中央へ広げ直した。


「炎を使わず、領民を守れ」


ベルンさんは西広場へ、エリクは工兵隊と東職人街へ戻った。僕は姉上の隣で、新しい報告を待った。


第二の鐘が鳴った。


戦いが始まった。

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