16話 白い相棒への報酬
白狼ルーガを殺さず、墓掘り鼠の群れも巣穴へ残した。
だから、依頼はまだ終わっていない。
東宿場へ戻った僕たちは、集めた証拠を机いっぱいに並べた。
羊の骨についた二種類の歯形。
牧草地の水路と巣穴で見つけた黒い毛。
ルーガの脚から抜いた、墓掘り鼠の返し棘。
そして、巣穴から森の奥へ逃げた灰色の異常個体についての記録だ。
取次人は一枚ずつ確認し、最後に僕の報告紙を持ち上げた。
「白狼が見せた記憶、か」
「僕とアインにしか見えてません。でも、案内された巣穴はみんなで見ました」
「見えなかったものを、見えたとは書けん。だが、見えた者の証言を消す理由もない」
取次人は〈契約者による受信証言〉と赤い字を添えた。
「問題は、この先だ。白狼が羊を襲っていないと分かっても、牧場の近くに住み続ければ、また疑われる」
牧場主も取次所へ来ていた。
最初は、ルーガを逃がしたことに怒っていた。
けれど水路から続く地下道の写しと、巣穴で見つかった羊の耳札を見ると、帽子を握ったまま黙った。
「では、あの狼は本当に……」
「三頭目を運んだのはルーガです。でも襲ったのは墓掘り鼠だった可能性が高いです」
僕は、全部分かったようには言わなかった。
牧場主の息子が見た白狼も、怖かった気持ちも、間違いではないからだ。
「鼠を退治すれば終わるのか」
「普通の群れを全部殺せば、空いた巣へ別の群れが入る」
ベルンさんが地図を広げた。
「餌を奪って群れを人里へ追いやった異常個体だけを隔離する。残る群れは、牧場から離れた餌場へ移す。白狼の親子も縄張りを北へ移せば、互いに人里へ近づく理由がなくなる」
簡単に聞こえるが、魔獣へ地図を見せて頼むことはできない。
墓掘り鼠には食べ物で道を作る。
ルーガには、アインから共鳴語で伝える。
そして異常個体は、属性術を使わず生きたまま閉じ込めなければならない。
僕たちは役割を紙へ書いた。
左腕を痛めていたセドも班へ戻った。ただし、まだ弓は引かず、盾を鳴らして異常個体を誘導する役に回る。
ガレス班は異常個体の誘導。
ベルンさんとテトは隔離場所の確認。
エリクは仕掛け作り。
ミレアとポロは水と治療。
僕とアインはルーガとの話し合いと、色が薄れた痕跡を探す。
「僕、まだ走れません」
書き終えてから言うと、エリクが僕の名前の横へ線を足した。
〈二輪車から降りない〉
「これも役割」
「分かってるよ」
「昨日、二回降りようとした」
「一回だよ」
「白狼の包帯を見たときも動いただろ」
二回だった。
ミレアが僕の右膝へ新しい布を巻く。
「今日は私が車の横にいます。降りたら止めます」
「はい」
僕より一つ年上のミレアには、逆らいにくい。
翌朝、ハルデン支部からマルタさんが来た。
彼女は報告書を読み、まず牧場の討伐札を回収した。
代わりに二枚の依頼票を貼る。
〈墓掘り鼠群の移送・E級〉
〈属性欠損を伴う異常個体の隔離・D級〉
元の依頼は白狼一頭の討伐だった。
原因が違うなら、仕事の名前も報酬も変えなければならないらしい。
「異常個体の討伐ではないんですか」
ガレスが尋ねた。
「属性術で強化される可能性があり、死骸の安全性も不明です。まず隔離し、支部の調査班へ渡します」
「逃げたらどうする」
「人へ迫れば討伐へ切り替えます。そうならない場所と道具を、今から選びます」
マルタさんは迷わず答えた。
僕は少し安心した。
倒さないことは、何もしないことではない。
危なくないように最後まで考える必要がある。
隔離場所には、森の北にある古い石切り場が選ばれた。
山肌を四角く削った跡があり、三方を高い岩壁に囲まれている。開いている南側には、使われなくなった石運びの溝が一本だけ伸びていた。
入口から奥の壁までは、大人が五十歩ほど歩く広さがある。
檻を置くのは一番奥ではなく、入口から二十歩の平らな場所にした。奥へ置けば逃げ道は減るが、見張る人が毎回、閉じ込めた鼠の横を通らなければならないからだ。
「捕まえることだけ考えると、あとで困るんだな」
ガレスが言った。
「餌と水を入れる場所、記録する場所、檻が壊れたときに逃げる場所。先に決める」
ベルンさんが杖で地面へ四角を描く。
見張り台は檻から十五歩離れた岩棚。
水桶は檻の右側へ置き、長い樋で外から注げるようにする。
もし鼠が檻を破ったら、見張り役は左の坂を上がる。下の溝へ逃げると、鼠と同じ道を通ることになる。
僕は配置を紙へ写した。
「逃げる道まで書くの?」
ミレアが尋ねる。
「書いてないと、びっくりしたときに近い方へ走っちゃうから」
僕は領都西の古橋で、イレーネさんに保守通路を教えられて初めて、逃げ道が一つではないと気づいたことを思い出した。
安全なときに決めた線なら、怖くなった自分にも見つけられる。
石切り場の入口には鐘を吊るした。
檻を閉じた合図は一回。
鼠が檻を壊しそうなら二回。
人里の方角へ逃げたら、間を空けず三回鳴らす。
エリクが紐を引くと、鐘の音は森の道まで届いた。
「鳴らす回数、忘れそう」
僕が言うと、エリクは木の板へ丸を一つ、二つ、三つと描いた。
文字が読めない人でも分かるように、三つ目の横には町の屋根も描く。
「俺たちが分かっても、交代の人が分からなかったら意味ないから」
ガレスは絵を見て、持っていた見張り表にも同じ印を足した。
ベルンさんが岩壁を槌で叩く。
「ひびはない。下にも大きな空洞はない」
テトが地面へ腹をつけ、土の揺れを確かめた。
鼠が掘って逃げられる柔らかい場所には、平たい石板を敷く。
エリクは石運びの溝へ、木の枠を三つ並べた。
一つ目の枠には腐肉の匂いをつけた袋と、上から落として閉じる木戸。
二つ目には、両側から閉じる木戸。
三つ目には、精霊術を使わず、鉄と鋲だけで組んだ檻がある。
「一気に閉めると、後ろへ逃げる」
エリクは僕たちへ紐を一本ずつ渡した。
「一つ目を通ったら、今通った後ろの戸。二つ目を通ったら、その後ろの戸。順番を間違えないで」
ガレスが木戸を見る。
「十歳が作ったにしては、ずいぶん面倒だな」
「近づいて斬るより安全です」
「それは認める」
墓掘り鼠の群れを移す準備もした。
牧場から北西へ離れた谷には、木の実と小動物が多い。近くに家も畑もなく、川は宿場と反対方向へ流れている。
巣穴から谷まで、干した芋と肉の切れ端を少しずつ置いた。
餌を増やしすぎれば、別の魔獣まで呼んでしまう。間隔はテトが地面を鳴らして決めた。
巣穴の入口を開くと、最初に小さな鼠が鼻を出した。
僕たちは柳の陰まで下がって待つ。
一頭が芋を取り、次の匂いへ進む。
二頭目、三頭目も続いた。
全部で十二頭いた。昨日巣へ戻った六頭のほかに、奥に残っていた成獣が一頭、子どもが五頭いる。
子どもまで倒していたら、僕たちはこの数を知らないままだった。
テトが地中の道を一か所ずつ崩し、古い巣へ戻れないようにする。
鼠たちは食べ物を追い、北西の谷へ消えた。
「あとは、人里へ戻らないか七日間調べる」
マルタさんが移送記録へ印を押した。
次はルーガだ。
川辺で待っていたルーガへ、アインが北の谷とは反対にある岩山の景色を送る。
そこには鹿の通る道と、子狼が隠れられる洞穴がある。牧場からは川を二本越えた先だ。
『人の羊へ近づかぬなら、その地で子を育てられる』
ルーガはすぐに答えなかった。
今の巣には、子どもを産んだ匂いと、何度も歩いた道がある。
僕だって家を出たとき、正しい理由があると言われても、簡単には頷けなかった。
「追い出すみたいで、ごめん」
僕が言うと、ルーガは僕の右膝へ鼻を寄せた。
それから、自分の傷ついた脚を見せる。
似ていると言いたいのかもしれない。
『この者は、追われる痛みを知っておる』
アインが静かに訳した。
ルーガから一つの条件が返る。
灰色の鼠を、人の住む場所へ逃がさないこと。
自分たちを襲ったものを倒せとは言わなかった。
ただ、子どもたちから遠ざけてほしいと伝えた。
「逃がさないように、みんなで止める。僕だけじゃできないけど」
僕は答えた。
アインが僕の言葉を伝え終えると、ルーガは首を下げた。
『分かった、と申しておる。できぬことまで言わなかったのがよい』
ルーガは二頭の子を連れ、新しい縄張りへ向かった。
追跡札は、最初の約束では付けた日から七日で外すはずだった。
移住先での様子を見るため、今日から七日後まで延ばしてよいか、アインに尋ねてもらった。ルーガは少し考えてから頷いた。確認が終われば、必ず外しに来る。
最後に残った異常個体は、色の薄れた草をたどって見つけた。
古い石切り場から南へ一刻ほどの場所で、倒れた鹿へ口をつけている。
ガレス班が三方から姿を見せた。
火も風も使わず、盾を木へ打ちつけて音を鳴らす。
灰色の鼠は一番静かな北側へ逃げた。
そこが石切り場へ続く道だ。
僕たちは木の柵の外から動きを見た。
鼠が一つ目の枠を通る。
僕が紐を引き、鼠が通り過ぎた背後の戸を落とす。
音に驚いた鼠は戻らず、二つ目の枠へ走った。
「次!」
エリクが後ろの木戸を閉じる。
鼠は横の土を掘ろうとしたが、爪が石板へ当たって滑る。
前には鉄の檻しかない。
ロイが長槍の柄で後ろの板を少しずつ押した。
鼠が檻へ入る。
ガレスが最後の紐を引き、鉄扉が落ちた。
灰色の前脚が隙間から伸びる。
檻の表面から黒い色が少しずつ抜けたが、鉄は消えなかった。
「この檻には精霊術を使っていない。あいつが吸える力が少ない分、すぐには壊されない」
ベルンさんは砂時計を置いた。
「十分ごとに変化を記録する。動きが急に弱っても檻へ近づくな。餌と水、格子の変化を確認して責任者へ知らせろ。格子がもろくなれば、外側へ二枚目の柵を置く」
捕まえて終わりではない。
何を食べるのか。元へ戻せるのか。ほかの生き物へ移るのか。
調査班へ渡すまで、誰かが見張り続ける。
僕たちは夕方まで石切り場に残った。
交代の調査員がハルデンから到着し、檻と記録を引き継ぐ。
その人が受領書へ署名したとき、ようやく二つの依頼の現地作業が完了した。
引き継ぎの前に、僕たちは檻の周りをもう一度見た。
鉄格子の一本は、灰色の鼠が触れ続けたところだけ白っぽくなっている。太さは変わらないが、ベルンさんが槌で軽く叩くと、ほかより鈍い音がした。
「見た目だけでは、いつ壊れるか分からない」
エリクは白くなった格子へ炭で線を引き、隣の格子にも同じ高さで印をつけた。
次の見張りが比べれば、色の抜けた範囲が広がったか分かる。
ミレアは樋から清水を流した。
鼠は最初、水へ近づかなかった。
ポロが新しく運んだ水を確かめる。ミレアは水を送ったあと、樋から離れた。しばらく待つと、鼠が鼻先を入れた。
「近くにいたから、飲みにくかったのかな」
「凶暴でも、怖くないわけじゃないんだね」
僕たちは檻から離れて見守った。
灰色の鼠をかわいそうだと言うだけでは、逃がせない。
人やルーガの子どもを襲わせるわけにもいかない。
近づきすぎず、苦しませない方法を探す。それが今できることだった。
交代の調査員へは、檻だけでなく、鐘の回数、逃げ道、水を与えた時刻、格子の炭印まで一つずつ伝えた。
エリクが説明を終えると、調査員は受領書の下へ〈隔離設備の安全確認済み〉と書き足した。
七日後。
墓掘り鼠は北西の谷から戻らず、牧場で新しい被害は起きなかった。
ルーガの追跡札も、岩山の周りだけを動いている。
僕たちは牧場主と一緒に、岩山まで札を外しに行った。
ルーガは洞穴の前にいた。
右後脚の傷は乾き、包帯を巻かなくても地面へつけるようになっている。二頭の子狼は岩の間を走り、何度も母親の尾へ飛びついていた。
牧場主は足を止めた。
ルーガもこちらを見て動かない。
「息子が見たのは、この狼だ」
「はい」
僕は嘘をつかなかった。
牧場主は持ってきた革袋を地面へ置いた。中には、売り物にできない細い羊肉が入っている。
「詫びのつもりじゃない。ここにいれば、牧場へ来なくて済むだろう」
アインがルーガへ意味を伝える。
ルーガは肉へ近づかず、まず牧場主の匂いを確かめた。
それから頭を一度だけ下げた。
エリクが長い棒で肩帯の外れる結び目を引く。
追跡札が地面へ落ちた。
これでルーガの居場所を人が勝手に知ることはできない。
「もう、討伐札を出さなくていいのか」
牧場主が聞く。
「戻ってきたら、先にギルドへ知らせてください。近づいた理由を調べます」
「また羊を咥えていても?」
「そのときは、襲うところを見たのか、運んでいるところを見たのか、分けて教えてください」
牧場主は難しい顔をした後、頷いた。
帰り道で、僕は追跡札を裏返した。
移住してから七日間の位置が細い線で刻まれている。一本も牧場の方角へ伸びていなかった。
ハルデン支部の掲示板から、白狼の討伐札が正式に外された。
代わりに貼られた報告には、こう書かれていた。
〈誤認された知性魔獣を保護。家畜被害の原因個体を隔離。依頼人と魔獣、双方の安全を確保〉
マルタさんが、三枚の金属札を机へ置いた。
僕とエリクとミレアの冒険者札だ。
端に刻まれていたFの文字へ細い金具が重ねられ、Eへ変わっている。
「討伐数は三人ともゼロです」
マルタさんは言った。
エリクが眉を上げる。
「それ、褒めてます?」
「今回はね。救助、調査、報告、移送、隔離。三人とも自分の役目を果たし、誰も死なせなかった」
僕は新しい札を両手で持った。
Eランクなら、受けられる仕事が増える。
でも、強くなったという感じはしなかった。
僕の膝はまだ痛むし、アインのことも分からないままだ。
ただ、倒さなくても終えられる仕事があると知った。
エリクの仕掛けも、ミレアとポロの治療も、テトの小さな力も、討伐した数とは別の形で札に残った。
「ベルンさん」
僕はEの文字を見ながら尋ねた。
「次は、何ができるようになりますか」
「一人で何でもできるようにはならん」
ベルンさんは答えた。
「できないことが増えて見える。それを誰へ頼むか、前より少し考えられるようになる」
難しい言い方だった。
僕が首を傾げると、エリクが横から言う。
「無茶する前に、俺たちを呼べってことだろ」
「たぶん、そういうこと」
僕たちは三枚の札を重ねた。
アインがその上へ前脚を置く。
『我の札はないのか』
「アインは僕の契約精霊だから、一緒に記録されてるよ」
『我は我である』
「じゃあ、名前を書いてもらえるか聞いてみる」
マルタさんは札の裏へ小さく〈契約精霊アイン〉と刻んでくれた。
その文字を見たアインは、何でもないふりで尾を揺らした。
僕には、とても嬉しそうに見えた。
僕も嬉しかった。測れないからと消されかけた名前が、今は冒険者札の裏にきちんと残っている。
その日の夕方、宿へ戻ると、イレーネさんが戸口に立っていた。
見慣れた短い灰色の髪を見つけて、僕は思わず足を速めた。
「走ってはいけません、ルカ様」
叱られて止まった。イレーネさんは僕の前へ膝をつき、包帯と顔を順番に見る。
「……お顔を見られて、安心しました」
橋での救助の引き継ぎと、封鎖された道の迂回に時間がかかったという。ハルデンへ着いてからも、僕たちは村や石切り場へ出ていて、行き違っていた。伝言で無事を知っていても、顔を見るまでは落ち着かなかったのだと、イレーネさんは僕の肩へ手を置いた。
胸の奥が急に苦しくなった。
勝手にいなくなったつもりはなかった。でも、この人が捜してくれていた間、僕はどれだけ心配をかけただろう。
「ごめんなさい」
「そのお話もいたしましょう。まずはベルン殿から、お怪我の様子を伺います」
旧別邸へ向かう予定は、まだなくなっていなかった。
イレーネさんは父上へ便りを出した。返事が届くまで、僕たちは宿を離れず、ベルンさんに診てもらった。
数日後に届いた返事は、帰ってこい、ではなかった。
治療を続け、ベルンさんの監督で近くの仕事をするなら、しばらくハルデンにいてよい。
エリクも父さんへ手紙を書いた。旧別邸までついていく許可と、この町で暮らす許可は別だと、イレーネさんに言われたからだ。
何度も書き直した最後に、エリクは「ルカと一緒に、できることを増やしたい」と足した。
ベルンさんたちも、泊まる場所と仕事の範囲を書いて送った。
許可は、期限付きだった。ミレアもオルガさんへ便りを送り、僕たちは次の手紙に何を書こうか相談するようになった。
仕事のない日は、道具の手入れをした。
アインが「嫌な臭いだ」と鳴いた袋を、僕が灰喰いの跡かもしれないと持っていくと、中身は傷んだ干し肉だった。
ベルンさんは袋を閉じた。
「臭いが似ていた。そこまでだな」
「はい……」
『肉を粗末にするな』
「そこを怒ってたの?」
アインは僕を見上げた。エリクが吹き出し、ミレアまで笑う。
次は、何が分かって、何が分からないのか聞いてから伝えよう。
新しい札は嬉しかった。
でもアインが見つけたものを、僕が勝手に違う話にしてしまわないように。それも、できるようになりたかった。




