14話 討つ者、守る者
ソーン村を発った日の午後、僕たちはハルデンへ戻った。
ミレアはその日のうちに、ポロと一緒にFランクの見習い登録を終えた。十一歳なので、町外依頼には成人責任者が必要になる。
そして、さらに翌朝。
僕たちは冒険者ギルドの受付前にいた。
右膝の傷は塞がり始めたが、まだ杖が必要だ。ベルンさんから走る許可は出ていない。
隣では、ミレアが新しい木札を首から下げている。
エリクが受付台の依頼票を指さした。
「護衛って、荷馬車から離れない仕事なんですか?」
「はい。護衛の基本は、荷馬車から離れないことです」
受付のマルタさんが答えた。
「護衛対象を置いて魔獣を追えば、討伐に成功しても依頼は失敗になります」
依頼は、ハルデンから東の宿場まで薬と布を運ぶ荷馬車二台の護衛補助。
正式受注者は、剣士ガレス、槍使いロイ、弓使いセドのDランク冒険者三人と、Aランクのベルンさん。僕たち三人は補助役だ。
「僕は走れません」
先に伝えると、ガレスという大柄な剣士が僕の杖を見た。
「なら荷台へ乗ってろ。戦いになったら邪魔だ」
「はい。荷物と御者を見ます」
言い返さなかったので、ガレスの方が少し驚いた。
ベルンさんは何も言わず、短く頷いた。
前の僕なら、役に立つと証明するため無理に歩こうとしたかもしれない。
ミレアは薬箱と飲み水を確認する。
エリクは車輪、軸、予備縄、荷を留める金具を見た。
「二台目の左車輪、留め具が緩いです」
御者が慌ててしゃがむ。
「昨日締めたばかりだぞ」
「木が痩せて隙間ができてます。締めるだけだと、また外れるかも」
エリクは薄い木片を削り、留め具との間へ噛ませた。最後に、留め具と動かない車軸の両方をまたぐよう、炭で一本線を引く。
「走っているうちに留め具が動けば、一本だった線が途中でずれます。そうなったら、また緩んでいる合図です」
ガレスは退屈そうに見ていた。
「街道護衛で車輪を見る必要があるのか?」
「荷馬車が動けなくなれば、護衛する時間が増えます」
エリクの返事に、御者が先に笑った。
出発前、役割を決めた。
ガレス班は前方と左右の警戒。
ロイは長槍を肩へ立てて「右は俺が見る」と言い、セドは弓弦の張りを確かめて「左は任せろ」と答えた。
ベルンさんとテトは後方。
ミレアとポロは人と馬の体調、水の異常を見る。
エリクは車体と荷崩れ。
僕とアインは荷台から匂いと周囲の変化を確かめる。
「魔獣を見つけても、勝手に追わない」
ベルンさんが全員へ言った。
ガレスが肩をすくめる。
「分かっている。俺たちはDランクだ」
町を出て半刻したところで、最初の休憩を取った。
魔獣はいない。
それでも御者は馬の腹帯を確かめ、エリクは二台の車輪へ触れた。ミレアは水桶を順番に回り、ポロに濁りや嫌な匂いがないか見てもらう。
「休憩なのに、みんな働いてる」
僕が言うと、御者が笑った。
「馬を休ませるのも護衛のうちだ。疲れた馬は音に驚くし、足をくじく」
一頭だけ、口を水へ近づけても飲まなかった。
ミレアが鼻先と歯茎を見て、首筋へ触れる。
「熱はない。水が嫌なのかな」
ポロが桶へ潜り、すぐ顔を出した。
「水は平気。桶の底に何かあるって」
水を別の器へ移すと、底から錆びた留め針が出てきた。
馬が口を入れれば、唇を切ったかもしれない。
ガレスが腕を組む。
「そんな物まで探すのか」
「ポロは水を増やすのは苦手です。でも、水の中の違いを見つけられます」
ミレアは少し胸を張った。
下位精霊だから役に立たないと言われ続けたのだろう。
僕とアインが、属性反応なしという結果だけで見下されたときと同じだ。
できないことだけを数えれば、僕たちは何もできないように見える。
でも、荷馬車を守るのに大きな水流は要らなかった。
小さな留め針を見つける目が、一頭の馬を守った。
出発前、ミレアは桶の管理札へ自分の名を書いた。
「登録した初日に、もう記録が増えた」
「嫌?」
「ううん。誰が見つけたかより、次に同じ桶を使わないことの方が大事なんでしょう」
ベルンさんが遠くで聞いていた。
褒めはしなかったが、テトへ干し根を一つ余分に渡した。
それがたぶん、機嫌がいいときの仕草なのだ。
町を出て一刻ほどは、何も起きなかった。
麦畑が終わり、道の両側が低い森へ変わる。
荷台の薬箱から、乾いた葉と苦い根の匂いがした。
アインが僕の隣で鼻を動かす。
『獣が一頭。右の林だ』
「右の林に一頭いる」
セドが矢をつがえた。
茂みから、背中に緑の苔を生やした猪が現れる。
苔牙猪。E級で、一頭ならガレス班には難しい相手ではない。
猪は道へ出ず、荷馬車と同じ向きに走った。
「追えばすぐ狩れる」
ガレスが剣を抜く。
「荷馬車は止めません」
御者が言った。
「すぐ戻る。毛皮と牙で追加報酬になる」
ガレス班の三人が林へ入った。
止める声は届かなかった。
「前が空いた。二台の間を詰めろ」
ベルンさんが後方から前へ移る。
馬を急がせはしない。エリクが車輪へ付けた炭の線は、振動が強くなると少しずつずれていた。
「次の開けた場所で止めたい」
「あとどれくらい持つ?」
「ゆっくりなら半刻。速くしたら分かりません」
「分からないなら、速くしない」
ベルンさんが即答した。
そのとき、林の奥から金属音が響いた。
続いて人の叫び声。
ガレス班が追った方向だ。
御者が手綱を引きかける。
「助けに行かなくていいのか」
ベルンさんは道の前後を見た。
「俺が林の入口まで見に行く。テトは馬車に残す」
テトが不満そうに鼻を鳴らした。
「土の感知があれば、林の中も探せるでしょう」
僕が言うと、ベルンさんは首を横へ振る。
「護衛役を全員、荷馬車から離すわけにはいかない。俺は声の届く範囲だけを見て、無理ならすぐ戻る。三百数えるまでに帰らなければ、荷馬車は先へ進め」
「置いていくんですか」
「宿場へ救援を呼びに行く。それが役割だ」
怖かった。
でも、全員で林へ入れば薬も御者も守れない。
僕は頷いた。
ベルンさんが林の入口へ向かう。
エリクが数え始めた。
十七で、別の音がした。
今度は左側。
枝の折れる音が、荷馬車へ近づいてくる。
『二頭。先ほどの獣より小さい』
アインが毛を逆立てた。
苔牙猪の子どもが二頭、道へ飛び出した。
親を追ってきたのかもしれない。
片方の前脚には、切れた罠縄が絡んでいる。
怯えた子猪が一台目の馬へぶつかり、馬が前脚を上げた。
「手綱を短く! でも引き倒さないで!」
ミレアが御者へ叫ぶ。
ポロが水筒から飛び出し、馬の鼻先へ小さな水滴を浮かべた。
冷たい匂いに気づいた馬が、一瞬だけ動きを止める。
僕は荷台から降りようとした。
右膝へ痛みが走る前に、エリクが止めた。
「ルカは上から見て。降りるのは俺がやる」
エリクは予備縄を持って地面へ下りた。
子猪を捕まえには行かない。
二台の荷馬車の間へ縄を張り、薬箱が落ちないよう固定する。
テトが道の左側へ低い土の盛り上がりを作った。
攻撃ではなく、子猪が馬の足元へ入らないための壁だ。
一頭は壁に沿って林へ戻った。
罠縄の絡んだ一頭だけが、道の中央で転ぶ。
ミレアが駆け寄ろうとして止まった。
「近づいたら噛まれるよね」
「たぶん。痛くて周りが見えてない」
僕は荷台から子猪の動きを見た。
縄の端が車輪の轍へ引っかかっている。走ろうとするたび、前脚を締め上げていた。
「エリク、縄を切れる?」
「近くへ行けば。でも、俺より先に猪が動く」
アインが荷台から子猪へ呼びかけた。
外には短い鳴き声しか聞こえない。
子猪がこちらを向く。
『我を見るがよい。人の子は、おぬしを追わぬ』
意味が伝わったかは分からない。
けれど子猪は暴れるのを一度やめた。
その間に、テトが縄の下の土だけを持ち上げる。
縄が緩んだ。
エリクは長柄の枝切り鋏で端を切った。
子猪は前脚に短い縄を残したまま、林へ逃げていく。
追わなかった。
三百を数える前に、ベルンさんが戻った。
肩を貸されているのは、弓使いのセドだった。左腕の鎧がへこみ、顔をしかめている。
後ろからガレスとロイも歩いてきた。
「苔牙猪は?」
御者が聞く。
ガレスは答えず、剣を鞘へ戻した。
林へ入った親猪は一頭ではなかった。
茂みの裏にもう一頭がいて、挟まれたセドを庇った際に、ガレスの盾も割れたという。
「討伐は?」
「していない。負傷者を連れて戻った」
悔しそうな声だった。
ベルンさんはセドを荷台へ座らせる。
ミレアがすぐに腕を調べた。
「指は動きますか」
「動く。たぶん打っただけだ」
「たぶんで包帯を巻きません。鎧を外します」
肩から肘までを触れ、腫れと痛む場所を確認する。骨が折れた様子はないが、弓を引くのは禁止された。
ガレスが僕たちの荷馬車を見た。
「こっちも襲われたのか」
「子どもが二頭。追い返しました」
「倒したのか?」
「倒してません。罠縄を切って、林へ戻しました」
ガレスは何か言いかけ、やめた。
親猪を追ったため、残った子猪が街道へ出た可能性がある。
僕にも分かった。でも責める言葉は出さなかった。
ベルンさんが停止時間を終える。
「ここから配置を変える。ガレスは前方。残る一人は右。俺とテトは左。エリクは二台目の車輪を直す。ルカ、上から全体を見ろ」
「俺が指示を受けるのか」
ガレスが低く言う。
「弓手が一人減った。役割を変えなければ、同じ配置は守れない」
しばらく沈黙が続いた。
先に頭を下げたのは、けがをしたセドだった。
「お願いします、ガレス」
ガレスは唇を結び、最後に頷いた。
エリクが左車輪の留め具を外す。
炭の線は指一本分ずれていた。開けた場所まで無理に走らせていたら、車輪が外れていたかもしれない。
予備の木片を二枚重ね、細い針金で留め具を固定する。
僕は荷台から前後を見た。
アインは右の林、テトは左の地面、ポロは馬の汗と水を確かめる。
僕たちは強い一人の代わりにはならない。
それぞれが違う場所を見て、空いた穴を少しずつ埋めていた。
東の宿場へ着いたのは、予定より一刻遅れた夕方だった。
薬箱は一つも割れていない。
布も濡れていない。
二人の御者と四頭の馬も無事だった。
セドは診療所へ運ばれたが、自分で歩けた。
依頼主の商人が荷を数え、受領書へ署名する。
薬箱は二十四。
布包みは十二。
封印紐の切れたものはない。
エリクが直した車輪も、宿場の荷車職人へ引き渡すまで外れなかった。
応急処置の木片と針金はそのままにせず、どこを直したか炭の印を付けて説明する。
「これを黙って渡したら、次の御者は直ったと思って走らせるから」
荷車職人は頷き、交換部品の代金を商人へ伝えた。
僕は報告紙へ、途中で直したことと、完全な修理ではないことを書いた。
ガレスが横から紙を見る。
「壊れなかったなら、書かなくても同じじゃないか」
「帰りも使うなら、同じじゃないです」
「帰りは空荷だ」
「軽いから大丈夫だと思って速く走るかもしれません」
ガレスは車輪と報告紙を見比べた。
「なるほど。起きなかった事故も、次へ残すのか」
僕はうまく答えられず、エリクを見た。
「俺は、次に直す人が困らないように書いただけです」
エリクの言葉は簡単だった。
十歳の僕たちに制度の難しいことは分からない。
でも、黙っていたら次の人が知らない。それくらいなら分かる。
商人は約束の護衛料とは別に、壊れた留め具の発見と応急処置を担当した補助班への報酬として、銅貨四枚を出した。
エリクはすぐ受け取らない。
「修理代から減りませんか」
「減らさない。出発前に見つけなければ、荷ごと失っていた」
受領書へ追加報酬の理由を書いてもらい、ようやく受け取った。
四枚は、エリク、ミレア、僕、ベルンさんの四人で一枚ずつにした。
アインとテトとポロの分がないと言うと、ベルンさんは自分の一枚で食べ物を買うと言った。
僕たちも同じにする。
アインは『焼いた肉がよい』、ポロは清水へ浮かべる甘い実、テトは干し根を選んだ。
ミレアは、依頼で初めて得た一枚を、自分だけのものにはしなかった。
ミレアは甘い実を買った後、残った小銭を大切そうに薬草袋へ入れた。
「討伐証明は?」
ガレスが何も出さないので、商人が首を傾げた。
「ありません」
僕が答えた。
「では、追加報酬はなしだな」
「護衛報酬は?」
「荷が全部届いた。もちろん払う」
ガレスは受領書と、無傷の薬箱を見た。
帰りにギルドへ提出する報告には、親の苔牙猪二頭、子二頭、古い罠縄、護衛班の離脱、負傷者一人、荷の損失なしと書いた。
ガレスは自分が林へ入ったことを消さなかった。
「護衛は、魔獣を倒す仕事だと思っていた」
宿の前で彼が言った。
「違ったんですか」
「荷を着かせる仕事だった」
エリクが笑う。
「だから最初に言ったじゃないですか」
「十歳に教えられると腹が立つな」
怒っているような声だったが、ガレスも少し笑っていた。
その夜、宿場の掲示板へ新しい討伐札が貼られた。
街道の北で羊を三頭襲った白い狼。
目撃者の話では、大人の人間より大きいという。
討伐等級はD。
ガレスが札を見上げた。
「今度こそ、追うべき相手だ」
アインは札に描かれた白狼の絵を見て、耳を伏せた。
『血の匂いがする。だが、喰った者の匂いではない』




