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属性なしのハズレ精霊に選ばれて追放された僕――白い相棒と旅に出たら、消えた属性が蘇り始めました  作者: ハッピーミラクルエンジョイ
追放の旅と灰喰いの獣

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13/21

13話 水が水へ還るとき

共同井戸から汲んだ水は、朝になっても布へ染み込まなかった。


桶の中では普通の水に見える。


けれど布を浸して持ち上げると、表面を滑って全部落ちてしまう。


「灰喰いを閉じ込めても、元には戻らないんだね」


僕が言うと、ミレアは唇を噛んだ。


広場には空の水瓶を抱えた村人が並んでいる。ハルデンから運んだ樽は、もう底が見えていた。


次の荷馬車が着くのは、早くても昼だ。


僕の右膝には新しい包帯が巻かれていた。


ベルンさんからは走ることを禁じられ、杖代わりの棒を持たされている。


「傷がまた開いている。今日は右足へ体重をかけるな」


「でも、水を調べるくらいなら」


「立たずにやれ」


ベルンさんは僕を井戸端の椅子へ座らせた。


アインが膝へ乗ろうとして、包帯を見て左側へ回る。


『おぬしは、言われねば休めぬのか』


「アインにだけは言われたくないよ。昨日、灰喰いの前へ飛び出したじゃないか」


『あれは我が選んだ』


「僕も選んだよ」


『だから二人とも叱られておる』


ミレアには鳴き声しか聞こえない。それでも僕たちの顔を見比べ、呆れたように息を吐いた。


「けんかは後。ポロが何か見つけた」


青い水滴の姿をしたポロが、小さな器の中で尾を振っていた。


器には二種類の水が入っている。


左はハルデンから運んだ清水。右は井戸水。


ポロが左へ触れると、青い体の輪郭が丸く広がる。右へ触れると、尾の先が細かく震えた。


「昨日は、井戸水に足りないものがあるとしか分からなかった。でも今は、なくなったものが近くに残ってるって」


「近くって、どこ?」


ミレアが器を井戸の縁へ置く。


ポロの尾が、旧排水横穴の方角を向いた。


灰喰いを落とした沈砂槽の下だ。


『喰われたものは消えておらぬ』


アインが低く言う。


昨日も同じことを話していた。


「ばらばらにされて、戻る場所がないんだよね」


『うむ。水であったという形を失っておる』


僕は桶の水へ指を近づけた。


触れる前に、ベルンさんが手首をつかむ。


「何をする気だ」


「アインが、なくなったものは残っているって」


「だから手を入れるのか」


「……入れたら分かるかなって」


「分からないものへ、けが人の手を入れるな」


昨日までなら、止められたことが悔しかったと思う。


でも、灰喰いへ走ったせいで傷を開いたばかりだ。


僕は手を引いた。


「では、どう調べますか」


ベルンさんが少しだけ頷く。


「まず量を減らす。次に、触れなくていい方法を探す」


エリクが木の匙を三本持ってきた。


一つへ清水、一つへ井戸水、残りは空のまま並べる。


ミレアが乾燥豆、塩、清潔な布を少しずつ入れた。


清水では豆が沈み、塩が溶け、布が濡れる。


井戸水では、豆は沈んでも硬いまま、塩は底へ落ちても溶けず、布の上では水滴が丸く弾かれた。


「水の力が弱い、だけじゃないよね」


エリクが匙を横から見る。


「弱いなら少しは染みる。これは、水が何をすればいいか忘れてるみたいだ」


『忘れたのではない。並びを崩された』


アインは空の匙へ前脚を置いた。


『我ならば、戻せるやもしれぬ』


「どうやって?」


『知らぬ』


「知らないの?」


『手が覚えておるような気がする』


「橋で、ロッソの火を一粒だけ取り戻したときみたいに?」


『おそらくな。だが、今度は水が多すぎる』


古橋では、アイン自身も気づかないうちに起きた。今度は何を戻すのかを確かめ、止める条件まで決めてから試さなければならない。


アインに手はない。前脚ならある。


そう言いかけて、やめた。


アイン自身にも分からない何かが、灰喰いに崩された水へ反応している。


「少しだけ試せますか」


僕はベルンさんへ尋ねた。


「条件を決めろ」


「井戸水は匙一杯。みんなが離れた場所でやる。アインか僕に変化があったら、すぐやめる」


「もう一つ。灰喰いの見張りへ先に知らせる。向こうが動いたら中止だ」


エリクが打板の合図を確認しに行った。


沈砂槽は夜の間に二度だけ揺れたが、板と石は持っている。見張り二人も無事だった。


僕たちは広場の端へ移った。


ミレアが井戸水を匙一杯だけ石皿へ落とす。


ポロは清水の器から見守っていた。


アインが石皿へ鼻を近づける。


『水は、流れる』


僕の頭へ届く声が、いつもより遠い。


『包み、運び、混ざる。冷え、温まり、形を変える』


「それを、水に教えるの?」


『違う。散らされたものへ、帰る場所を示す』


アインの白い尾が、ゆっくり揺れた。


石皿の上に光は出ない。


風も起きない。


ただ、水面へ小さな輪が一つ広がった。


井戸水の中にあった塩の粒が、沈み始める。


「溶けてる」


ミレアが顔を寄せた。


ポロが器から飛び出し、石皿の縁へ着地する。


青い尾が水へ触れた。


さっきまで細かく震えていた尾が、丸く膨らむ。


「戻った。水に戻ってるよ」


胸が熱くなった。


アインの言葉を、もっとはっきり聞きたいと思った。


その瞬間、僕とアインの間にある細い糸が強く引かれた。


視界が青く染まる。


本当の地面が消えたわけではない。土や井戸へ重なるように、無数の青い筋が透けて見えた。


筋は井戸から旧排水横穴まで、流れを失った糸のように地中へ散らばっている。水脈そのものではない。


水が物を濡らし、塩を溶かし、飲んだ人の身体へ巡るための働き。それを灰喰いが水から引き剥がし、ばらばらのまま置き去りにしたものだと、なぜか分かった。


『ルカ、追うな!』


アインの声が頭の中で弾ける。


止まろうとした。


でも、行き先を失っていた青い筋が、アインとつながった僕を帰り道だと思ったように、一斉に流れ込んだ。


冷たい。


息ができない。


椅子から落ちる前に、エリクが肩をつかんだ。


「ルカ!」


右膝を床へつきそうになり、ミレアが腰を支える。


「寝かせて! 右足は曲げないで!」


ベルンさんが僕の顎を上げ、口元へ耳を寄せた。


「呼吸はある。アインを離せ」


アインが僕の胸へ前脚を押し当てている。


『離れぬ。我が始めた』


「アインは、離れないって」


声が出た。


自分でも驚くほど細い声だった。


「話すな。息を吐け」


ミレアの指が首筋の脈を数える。


ポロが清水を薄い布へ含ませ、額へ運んだ。


冷たさが少しずつ外へ逃げていく。


青い筋はまだ見えていた。


それぞれが水へ戻ろうとしているのに、どの水へつながればよいか分からず、ばらばらのまま僕たちの周囲を巡っている。


全部を僕たちだけで戻そうとすれば、たぶん耐えられない。


「アイン。一つずつ」


『何を申す』


「僕たちは、ばらばらになった働きを井戸まで一本ずつつなぐ。そこから水全体へ広げるのは、ポロと井戸の流れに任せよう」


ミレアが僕の言葉を聞き、石皿を井戸の縁へ運んだ。


「ポロ、できる?」


小さな水精霊は尾を一度だけ振った。


アインが僕とのつながりを狭め、青い筋が入ってくる道を一本分だけ残す。


押し寄せていた青い筋が止まり、その一本だけが僕たちと石皿の水をつないだ。


その一本を、石皿の水へつなぐ。


ポロが輪を作るように泳いだ。


戻った水が井戸へ一滴落ちる。


井戸の底から、雨粒が石を打つような音が返ってきた。


けれど、すぐに全部が戻ったわけではなかった。


井戸の東側から汲んだ水は布を濡らしたのに、西側から汲んだ水はまだ丸く弾かれた。桶を下ろす場所によって結果が違う。


「混ざれば戻ると思ったのに」


僕が言うと、エリクが井戸の内壁を指した。


「上から落ちた一滴が、同じ場所しか通ってないんじゃないか」


井戸は深い。底へ直接手を入れることはできない。


ミレアが縄付きの採水瓶を下ろした。


東側、中央、西側。深さも変えて九か所から水を取る。


僕は椅子に座ったまま、木札へ結果を付けた。


東の上層は戻っている。中央は少しだけ。西の底は、まだ塩さえ溶かさない。


「水を戻す場所が偏ってる」


「だったら、道を分ければいい」


エリクが古い樋の残りを三本運んできた。


エリクは三本の細い樋を、石皿から放射状に伸ばした。石皿へ注いだ水が三つに分かれ、井戸壁の離れた場所へ一滴ずつ流れるようにする。樋の先には細長い布を垂らした。水を一か所へ集中させず、三方向の壁へゆっくり伝わせるためだ。


「これなら、違う場所へ落ちるよ」


『人の子は、水の道まで作るのか』


アインが驚いたように言う。


「アインが全部やらなくていいようにね」


ベルンさんは見張りの打板を確認し、僕の脈をもう一度測った。


「三回で止める。一回ごとにルカとアイン、ポロの状態を見る」


一回目は東と中央。


二回目で西の上層。


三回目の途中、僕の指先がまた冷たくなった。


「中止」


ミレアが僕より先に言った。


「でも、底がまだ」


「続けて倒れたら、次の道を作れない」


ポロも器の中で動きを止めている。


アインは不満そうだったが、石皿から前脚を離した。


僕たちは温かい薬草湯を飲み、半刻休んだ。


その間に井戸の水は、作った三つの道から少しずつ混ざっていく。


戻す作業をしていない時間にも、変化は進んでいた。


「待つのも作業なんだね」


「待っている間に確かめるんだよ」


ミレアは僕の指先へ触れ、温度が戻ったことを確認した。


四回目は、僕ではなくエリクが木札を持った。


僕はアインの声を伝えることだけに集中する。


ミレアはポロを見る。


ベルンさんは全員を止める役。


役目を分け、一人で全部を見ようとしなくなったとき、青い筋は僕の中へ押し寄せず、さっきより穏やかに石皿から井戸へ戻った。


二滴目。


三滴目。


水滴の音が増えるたび、散らされていた青い筋が道を思い出したように、自分から井戸へ向きを変え始める。


「僕が引っ張らなくても、戻ってる」


『水は流れるものだ。道さえあればよい』


アインの声に、さっきまでなかった驚きが混じっていた。


自分で起こしたことなのに、自分でも初めて見たようだった。


井戸の水面が揺れる。


溢れはしない。


水位も変わらない。


それでも、桶の水へ布を入れると、今度はゆっくり染み込んだ。


乾燥豆が沈む。


塩が底へ残らず溶けた。


村人から声が上がる。


「まだ飲まないで!」


ミレアが大声で止めた。


「一つ戻っただけかもしれない。ポロとベルンさんが確かめるまで待って!」


喜んで駆け寄りかけた人たちが止まる。


ベルンさんは井戸水を四つの器へ分けた。


布、塩、豆、乾いた薬草。


ポロは一つずつ触れ、最後に自分の体へほんの一滴だけ取り込んだ。


青い輪郭が崩れないことを確認してから、ミレアが頷く。


「水としての働きは戻ってる。でも最初に飲むのは少しだけ。体の弱い人は、運んだ清水を優先して」


配給係が名簿を書き直す。


最初の一杯は、井戸水の異常で倒れた六人へ渡された。


一番年上の男性は、器を持つ手にも力が入らなかった。


妻が背中を支え、ミレアが木匙で一口だけ運ぶ。


みんなが見ている前で、すぐに元気になるわけではない。


男性は目を閉じ、ゆっくり飲み込んだ。


しばらくして、白く乾いていた唇に少し色が戻る。


「冷たい」


それだけの言葉に、妻が泣いた。


昨日までの井戸水は、いくら飲んでも喉の渇きが和らがなかったという。


次の人へ移る前に、ミレアは時刻と飲んだ量を書いた。


「効いたように見えても、全員へ一度に飲ませない。悪くなる人がいないか待つ」


村人の中には、早く子どもへ飲ませたいと訴える人もいた。


オルガさんが配給名簿を持って前へ出る。


「待つのが嫌なのは分かる。でも、ここで順番を崩したら、具合が悪くなったとき何を飲んだか分からなくなるよ」


すぐには飲ませず、まず唇を濡らす。むせないことを確かめてから、少量ずつ飲ませた。


十分ごとに一人。


呼吸、手足の温度、受け答えを確認する。


最後の六人目が飲み終わるまで、一時間近くかかった。


誰も急に立ち上がりはしなかった。それでも全員が、自分の手で器を持てるところまで戻った。


奇跡みたいな一瞬ではない。


小さな回復を、間違えずに重ねた結果だった。


僕はその様子を椅子から見ていた。


立とうとすると、ミレアに肩を押さえられる。


「今度こそ休んで」


「もう冷たくないよ」


「顔が真っ白。脈も速い。平気かどうかは私たちが決める」


「私たち?」


ミレアは一瞬黙った。


それからポロの器を抱き直す。


「少なくとも、あなたが自分で決めるよりはまし」


エリクが笑い、アインも『そのとおりだ』と頷いた。


僕だけが納得できない。


ベルンさんの診断では、魔力を使い切った状態に近いらしい。


ただし、僕自身の魔力が減っただけではない。


「お前とアインの間を、大量の何かが通った。今夜は意識、呼吸、体温を一刻ごとに見る」


「膝は?」


「そちらも悪化させるな。二つけがをしたから、一つを忘れていいとは言っていない」


村の空き家を借り、僕は寝台へ運ばれた。


歩けると言ったが、エリクとベルンさんに両側から支えられた。


夕方、ハルデンから封鎖班と二台目の水樽が到着した。


灰喰いはまだ沈砂槽の下にいる。


井戸の働きが戻った直後、板を叩く間隔が速くなったという。


消されたものが戻ったことに気づいたのかもしれない。


恒久的な封印方法ができるまで、精霊術を使わない見張りと打板警報を続けることになった。


「倒したわけじゃないんだね」


僕が言うと、ベルンさんは頷いた。


「水を戻したことと、灰喰いを止めることは別だ」


一つ解決しても、全部が終わるわけではない。


それでも広場では、久しぶりに水を含んだ布で母親が子どもの顔を拭いていた。


その夜、ミレアが荷物を持って空き家へ来た。


薬草袋、着替え、ポロの水筒。それから祖母オルガが焼いた黒パン。


「明日、ハルデンへ戻るんでしょう」


「うん。封鎖班へ引き継いだら」


「私も行く」


「村を離れていいの?」


「おばあちゃんが行けって。井戸を直した方法を、ここだけの秘密にしたら、別の村で同じことが起きたとき困るから」


ポロが水筒から顔を出す。


「それに、あなたたちだけだと、けが人が休まない」


僕は反論しようとして、右膝と今朝のことを思い出した。


「……助かります」


「敬語は変」


「じゃあ、助かる」


ミレアはようやく笑った。


アインは寝台の足元で、自分の尾を見つめていた。


見た目は一本のまま。


けれど白い毛の奥を、ごく淡い青が一度だけ流れた。


『水を、知っておった』


「思い出したの?」


『分からぬ。思い出したというより、戻ってきた』


アインにも、まだ答えはない。


僕たちは水を取り戻した。


同時に、白い相棒が失っていた何かを、一つだけ目覚めさせてしまった。

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