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属性なしのハズレ精霊に選ばれて追放された僕――白い相棒と旅に出たら、消えた属性が蘇り始めました  作者: ハッピーミラクルエンジョイ
追放の旅と灰喰いの獣

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12話 灰を喰う獣

石蓋に走った亀裂が、音を立てて広がった。


「下がれ!」


ベルンさんの声と同時に、テトが地面を叩く。


茶色い線が亀裂の両側を縫い、割れかけた石をその場へつなぎ止めた。


蓋の穴から出ていた灰色の鼻先が、一度引っ込む。


次の衝撃で、石蓋の中央が持ち上がった。


テトの前脚が土へ沈む。


つないだ亀裂の色が、端から薄れていった。


「テトの力が消されてる」


ベルンさんはテトを抱き上げ、蓋から離れた。


「維持するな。喰われる」


テトが悔しそうに鼻を鳴らす。


石蓋が砕けた。


灰色の獣が破片の間から這い出す。


古橋で見た小型の獣と同じ、猟犬ほどの体。毛も鱗もなく、粘土を削って作ったように輪郭が滑らかだ。


目の位置には浅い窪みしかない。


それなのに、僕たちを見ていると分かった。


口が開く。


白い灰と一緒に、冷たい息が漏れた。


周囲の草から緑が抜けていく。


畑の向こうから、村の自警役が二人走ってきた。


一人の肩には、青い蛇に似た水精霊が巻きついている。


「井戸を荒らしたのは、そいつか!」


男が腕を振る。


水精霊の口から、縄のような水流が放たれた。


「待て、属性術を使うな!」


ベルンさんの制止は間に合わなかった。


水流が灰色の鼻先へ触れる。


獣の口が、体より大きく開いた。


水が吸い込まれる。


一滴も地面へ落ちなかった。


青い蛇の体が急に透け、男が肩を押さえて膝をつく。


灰色の獣の背中が盛り上がり、猟犬ほどだった体が一回り大きくなった。


口元からこぼれる灰に、淡い青が混じっている。


「精霊を下がらせろ! 喰われた力を追って、契約まで持っていかれる!」


ベルンさんは男と精霊の間へ杖を差し入れた。


テトが杖の石飾りを叩く。


茶色い光が一瞬だけ走り、水精霊へ伸びていた灰色の筋を地面へ逸らした。


男は相棒を抱え、這うように離れた。


「水で弱る魔獣じゃないのか」


「普通の魔獣ならな。見た目で属性を決めるな」


青い蛇は消えていない。


けれど体の中央が細くなり、目を閉じている。


ミレアが駆け寄り、ポロに状態を見てもらった。


「力を使わせないで。契約は残っています。でも、もう一度触れたら切れるかもしれない」


最初に試した水の術は、効かなかっただけではない。


灰色の獣を大きくし、精霊を傷つけた。


同じやり方を繰り返すことはできない。


「広場へ戻れ。村人を井戸と家から離す」


ベルンさんが指示した。


「僕たちは?」


「戻って避難を手伝え」


「でも、あれを放っておいたら」


「見習いが一匹で止めるのか」


言葉に詰まる。


一人でやろうとしているわけではない。


けれど、自分だけが残るような言い方をしていた。


「僕にもできること、ありますか」


聞き直した。


ベルンさんの目がわずかに細くなる。


「ミレアとポロは、異常の広がる方向を見ろ。エリクは排水穴の周囲に使える設備がないか探せ。ルカとアインは、あれが何へ反応するか見ろ。俺とテトが近づけないようにする」


「はい」


役割を持った途端、怖さが消えたわけではない。


それでも、足が動いた。


ベルンさんは乾いた土を一握り取り、獣の前へ投げた。


獣の頭が土を追う。


テトが地面を盛り上げ、低い壁を作る。


灰色の獣は壁へ口を寄せた。


茶色い光だけが吸い込まれ、壁を作っていた土が崩れる。


「土そのものじゃなく、テトの力を喰ってる」


僕が言うと、アインが耳を伏せた。


『それだけではない。土の粒を結び、壁の形を保たせている性質まで、少しずつほどいておる』


「テトの力だけじゃありません。土の粒同士を固めて、壁の形を保っているものまで壊しています」


「記録どおりだな」


ベルンさんが低く呟いた。


「知っているんですか」


「昔、一度だけ似たものを見た。生き残った連中は〈灰喰い〉と呼んだ」


「倒し方は?」


「分かっていれば、左脚を引きずっていない」


ベルンさんの返事に、息が止まった。


尋ねたいことは増えた。


でも今は、目の前の獣を見る。


灰喰いは土壁を崩すと、水のない排水穴へ戻ろうとした。


ミレアの水筒で、ポロが激しく尾を振る。


「待って。あれ、井戸へ向かってるんじゃない」


「何が違う?」


「水の中で、まだ水のまま残っている場所を探してる。ポロが嫌がる場所じゃなくて、感じられる場所へ頭を向けてる」


灰喰いは水を全部喰い終えていない。


残っている水の性質を探し、それを追っている。


「ハルデンから運んだ樽にも反応する?」


ミレアが広場の方角を見る。


「たぶん」


樽は村人の命をつなぐ水だ。


囮にはできない。


「少量なら、私の水筒を使う」


ミレアが言った。


「だめだよ。ポロも入ってる」


「ポロは出す。水だけを布へ含ませる」


「水筒の水がなくなったら、ポロは?」


「しばらくなら平気。でも乾燥は苦手」


アインが水筒を見た。


『あの小さき水の者に無理をさせるな』


「アインも反対してる」


「じゃあ、ほかに水がある?」


ない。


井戸水は囮として使える性質を失っている。


運んだ樽は村人に必要。


「あっちに、こんなのがありました!」


エリクが戻ってきた。


手には古い木製の樋と、錆びた鎖を持っている。


「樋が三本と、深い石の穴です。穴の底は木の板になっていて、この鎖が板の端につながってます」


「その穴はどこだ」


ベルンさんが問う。


「排水穴の横です。深さは俺の胸くらい。樋から流れてきた泥を溜める場所みたいです。鎖を引いたら底板が下へ開いて、溜まった泥をその下の古い横穴へ落とせるのかもしれません」


「蓋はあるか」


「蓋はありません。下は乾いた泥でした」


「獣が落ちたあと、どう塞ぐ」


エリクは答えられず、抱えていた樋を見た。


「板と石なら……でも、どれくらい持つかは分かりません」


「分からないことは、分からないと言え」


「はい」


「まず場所を見せろ。使えそうなら、水を樋へ少しずつ流して獣を誘う。底を落とし、板と石で塞ぐ。ただし、失敗したときの逃げ道も先に作る」


エリクはすぐ頷いた。


僕たちは沈砂槽を確認した。


畑の斜面へ埋め込まれた四角い石の槽で、上から見ると大きな箱を地面へ沈めたようだった。排水穴から来た水をいったんここへ入れ、泥や砂を底へ沈めてから井戸側へ流すための設備らしい。今は枯葉と乾いた泥が積もっている。


底の木板を開けば、泥と一緒に下の古い横穴へ落とせる。そこへ灰喰いを誘い込み、板と石で入口を塞ぐのがエリクの考えだった。


底板へつながる鎖は錆びていたが、完全には切れていない。


エリクがやっとこで金具を動かす。


「一度引けば落ちる。でも、途中で引っかかるかもしれない」


「俺とテトが補助する」


ベルンさんが答えた。


「ルカは水を流す役。走らなくて済むよう、樋を先に並べろ。ミレアとポロは灰喰いの向きを見る。獣が水でなく人へ向いたら中止だ」


村に残っていた古い樋を三本つなぎ、排水穴から沈砂槽まで緩い坂を作った。


つなぎ目はエリクが布と縄で固定する。


ミレアはポロを小さな器へ移し、水筒だけを僕へ渡した。


ポロの体が、さっきより小さく見える。


「無理はさせない。水は三分の一だけ」


僕が言うと、ミレアは頷いた。


「足が痛んだら、すぐ代わって」


準備の間、ベルンさんとテトは灰喰いを排水穴の近くへ留めていた。


テトが作った土の隆起は、触れられるたびに崩れる。


同じ場所を補強せず、次々と新しい隆起を作って進路だけを変えている。


テトの動きが少しずつ遅くなっていた。


「始めます!」


水筒を傾けた。


透明な水が一筋、木の樋を流れる。


灰喰いの頭が、こちらへ向いた。


目のない窪みが僕を捉える。


背中が冷たくなる。


『水ではなく、おぬしも見ておる』


アインが肩で身を低くした。


「僕にも何かある?」


『我とのつながりだ。あれは水より、我らの間を欲しがっておる』


古橋でも、獣は炎精霊のロッソへ向かった。


水だけを見ているのではない。


「ベルンさん! こいつ、僕とアインのつながりを見ています!」


「アインを戻せるか」


「契約を切るってことですか?」


「違う。肩から下ろせ」


僕はアインを抱き、ミレアへ渡そうとした。


アインが腕へ爪を立てる。


『嫌だ』


「でも、僕と一緒だと狙われる」


『だから離れぬ』


灰喰いが動いた。


水の流れる樋ではなく、僕へ真っすぐ駆けてくる。


「ルカ、樋を離せ!」


水筒を置き、横へ退く。


走るなと言われていたのに、右足へ力をかけた。


膝に鋭い痛みが走り、体が傾く。


灰喰いの口が開いた。


アインが僕の腕から飛び降りる。


白い体が、僕と獣の間に立った。


『我が目当てなら、我を見よ』


小さな鳴き声しか外には聞こえない。


それでも灰喰いは止まった。


口元から灰がこぼれる。


アインの周囲の空気に、硝子を重ねたような透明な波紋が一瞬だけ広がった。


灰喰いが後ずさる。


怖がっているのか。


それとも、知っているのか。


『今だ。水を流せ』


僕は膝をついたまま水筒へ手を伸ばした。


樋へ残りの水を細く流す。


灰喰いの頭が迷うように揺れた。


アインとのつながり。


目の前を流れる水。


二つの間で動きを止める。


「アイン、少しずつ下がって」


『命令するな』


「お願い」


『それならよい』


アインが樋に沿って後ろへ下がる。


灰喰いが一歩進む。


僕は這うように横へ退いた。


ミレアがすぐ腕を貸してくれる。


「走らないって言ったよね」


「ごめん」


「あとで怒る。今は見る」


ポロが器の中で尾を震わせている。


「灰喰いが通ったあとの水、全部だめになってる。でも、前にある水にはまだ反応してる」


アインは沈砂槽の縁へ着いた。


その先に逃げ場はない。


灰喰いが速度を上げる。


「アイン!」


白い体が横へ跳んだ。


灰喰いは止まれず、沈砂槽へ落ちる。


「エリク!」


エリクが鎖を引いた。


錆びた金具が悲鳴を上げる。


底板は少し傾いただけで止まった。


灰喰いが槽の内壁を蹴る。


石から色が抜け始めた。


「引っかかってる!」


エリクがやっとこを差し込み、鎖の根元を捻る。


灰喰いが跳び上がった。


テトが槽の外側へ前脚をつく。


土の力を獣へ向けず、底板の下に詰まった石だけを押し出す。


石が一つ転がった。


底板が外れる。


灰喰いの体が、乾いた泥の穴へ落ちた。


僕たちは用意していた板を槽の上へ渡した。


村人たちが遠くから運んだ石を、その上へ積む。


精霊術は使わない。


ただの重い石を、一つずつ置く。


下から衝撃が響いた。


板の一枚から色が抜け、表面が粉になった。


「長くは持たない!」


エリクが叫ぶ。


「長く持たせる必要はない」


ベルンさんが排水穴へ向かった。


「灰喰いを落とした古い横穴と、井戸へ水を運ぶ現役の水路を切り離す。テト、できるか」


テトは疲れている。


それでも短く鼻を鳴らした。


ベルンさんが地面へ両手をつく。


テトの茶色い光が、今度は灰喰いへ触れない遠い位置を走った。


排水穴と井戸の間で、土の層がゆっくり沈む。


井戸へ水を運ぶ道そのものを塞ぐのではない。


テトは二つの通路が近づく場所の土を沈め、灰喰いがいる古い横穴を井戸側から塞いでいく。同時に、井戸とは反対側にある昔の崩落跡へ土を逃がし、灰喰いを押し潰さずに、井戸から遠い空洞へ閉じ込めようとしていた。


ベルンさんの額に汗が浮いた。


左脚が震えている。


「僕にできることは」


「位置を見ろ。アインが嫌がる場所を言え」


アインは地面へ鼻を近づけ、左右へ走った。


『そこではない。もう少し井戸から離せ』


僕は声を伝える。


「右へ二歩分。そこはまだ井戸につながっています」


テトが光の向きを変える。


『止まれ。そこだ』


「そこです!」


地面の奥で、大きな音がした。


灰喰いの衝撃が、急に遠くなる。


井戸へ続いていた側の土が完全に塞がり、灰喰いのいる横穴が水路から切り離された。


テトがその場へ伏せた。


ベルンさんも片膝をつく。


僕が近づこうとすると、ミレアに肩を掴まれた。


「あなたも座って」


右膝の包帯に、赤い染みが広がっていた。


「傷が開いただけだよ」


「だけ、を勝手に決めないで」


ミレアは腰の薬草袋を開いた。


ポロをハルデンの水が残る小瓶へ移し、僕の包帯をほどく。


「洗う。痛かったら言って」


南採取場で、ベルンさんがニコの傷を洗ったときと同じ言葉だった。


冷たい水が傷へ触れ、遅れて痛みが来る。


「痛い」


「言えて偉い」


「子ども扱いしてない?」


「同い年みたいなものじゃない」


「僕が十で、ミレアは十一」


「じゃあ私が年上」


言い返せなかった。


エリクが近くへ座り込み、錆びた鎖を見た。


「一枚目の板、もう崩れた。石も下から少しずつ色が抜けてる」


「閉じ込めただけだ」


ベルンさんが荒い息を整えながら言った。


「倒してはいない。いつ出てくるかも分からん。ここへ近づくなと村全体へ伝えろ。ハルデンから封鎖班を呼ぶ」


「誰かが近づかないよう、見張りが必要です」


エリクが周囲を見た。


「でも精霊を連れた人が近くに立つと、あいつを引き寄せる」


「見張りは遠くから二人一組。鐘ではなく、板を三回叩いて警告する」


ベルンさんは、石を積んだ場所から十分離れた木を指した。


「夜は火も使うな。炎を餌にする可能性がある。交代時刻と見たことを紙へ残せ。何もなかった、も報告だ」


石角兎の調査で使った木札が一本、僕の鞄に残っていた。


片面へ『近づくな』、反対側へ『精霊術禁止』と書く。


エリクが長い板へ針金で留め、離れた道からでも見える位置へ立てた。


村人の一人が、自警役の男を背負って戻ってきた。


傷ついた水精霊は小さな桶の中で休んでいる。


「こいつは助かるのか」


男の問いに、ミレアが曖昧な慰めを返さなかった。


「ポロが、契約はまだ切れていないって。きれいな水へ入れて、今日は絶対に力を使わせないでください。明日になっても体が薄いままなら、ベルンさんに診てもらって」


「分かった」


男は桶へ頭を下げた。


攻撃したことを責める者はいなかった。


男の人も、相棒と一緒に井戸を守ろうとしただけなのだ。


それなのに、知らない相手へいつもの術を使って、相棒まで傷つけてしまった。


僕もアインの力を使えるようになったら、同じことをするかもしれない。


強い力より、使ってよいときと駄目なときを見分けろ。


ベルンさんに言われた意味が、今は少し怖かった。


「井戸は?」


ミレアが尋ねた。


僕たちは村へ戻った。


共同井戸から新しい水を汲み、三つの器へ分ける。


ポロは近づいた。


けれど、縁から中へ入ろうとはしなかった。


「広がるのは止まったと思う」


ミレアが目を閉じる。


「でも、失われたものは戻ってない」


木匙を濡らして布へ置く。


水滴は染み込まず、丸いまま転がった。


灰喰いを井戸から切り離しても、水は水として働かない。


村人たちのために運んだ樽は、今夜で半分以上なくなる。


ハルデンから次の水が届くまで、早くても明日の昼だ。


広場には空の桶が並んでいた。


小さな子どもが、その一つを抱えている。


井戸には水がある。


誰も飲めない水が、底まで満ちている。


『喰われたものが、まだ戻る場所を探しておる』


アインが僕の胸元で呟いた。


「分かるの?」


『分からぬ。だが、なくなったのではない。ばらばらにされ、帰れなくなっておる』


アイン自身にも、なぜそう思うのか分からないようだった。


井戸の水面へ、夕日の赤が映る。


その色だけは残っている。


僕は母上の境界護符を握り、冷たい石の感触を確かめた。


灰喰いは止めた。


戦いには負けなかった。


けれど、村を救えたとはまだ言えなかった。

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